SSブログ

湯河原湯けむり一泊行(2) [旅日記]

 12日の朝のメトロはこね号に乗って、小田原で乗り換え湯河原まで行きました。万葉公園の中の足湯コーナー「独歩の湯」を堪能したのち、「タンタン焼きそば」なるご当地グルメを食し、それから町立美術館を訪ねました。
 ここは、日本画家の平松礼二氏の作品を主に展示している美術館です。平松氏はPHP新書から『モネとジャポニスム』という本を出しているくらいモネに傾倒した画家で、あたかも点描のようにさえ見える細かい花の表現が特徴的な画風です。まあ40代くらいまではそんなに注目されていなかったらしいのですが、50代なかばから「日本美の真髄とは何か」ということを考えはじめて、ジャポニスムの影響を強く受けたモネのアトリエなどにも通い詰めて新境地を拓いたとのことです。モネ財団と仲良くなり、モネの庭の池にあった睡蓮の株を分けて貰い、それがこの湯河原町立美術館の庭にあるのだそうです。
 最近の日本画というのは、絵の具の種類が違うだけで西洋画と何が違うんだと言いたくなるような絵が多い気がしますが、平松氏の絵は古来の日本画の持つ平面的な画面分割の技法を踏襲しつつ、きわめて繊細な色づかいを駆使して、現代の錦絵というようなあでやかな色彩世界を形作っているのでした。上に書いたとおり、花、それも桜や梅が咲き誇る無数の花の表現が秀逸です。「琳派モダン」という流派分けもされているようです。
 マダムがすっかり気に入ってしまっていました。温泉場の中の地味な美術館で、予想外な掘り出し物を見つけたという趣きです。
 特別展では松野光純という画家の展覧会をやっていました。こちらは洋画の人ですが、洋画を専門としつつ東海道五十三次の宿場の絵のシリーズを描いたりして、これもちょっと変わったテイストでした。

 展示されている絵も興味深かったのですが、実はこの美術館が、かつての天野屋旅館だった建物だと知って驚きました。
 前項にも書きましたが、夏目漱石が逗留し、内田百閒が借金を頼みにやってきたあの天野屋です。前項でその話を必要以上に詳しく書いたのは、美術館が天野屋だったという驚きを書くための伏線だったのでした。
 言われてみれば建物の感じは宿屋の趣きを残しているようです。ちょっとした階段の設置のしかたとか、廊下から部屋に入るときの雰囲気などが、いかにも旅館っぽいのでした。まあ、漱石が訪れた頃からはすでに改築されていたことと思われますが、とにかく前項で書いた漱石と百閒の邂逅が、ここで、この場所でおこなわれたのかと思うと、感無量でした。
 もっともかつての天野屋には本館と別館があり、本館はこの美術館になりましたが、別館のほうが敷地も建物も宏壮であったようで、そちらは現在では会員制の旅館「XIV(エクシヴ)というのに姿を変えているそうです。もしかしたら漱石が居たのは別館かとも思ったのですが、大正時代からそう手広くやっていたとも思えないので、本館のほうだと思っておくことにします。
 入館券と一緒に、館内の喫茶店の割引券を貰ったのですが、絵をひとわたり観て出てくると、もう喫茶店は終了していました。美術館自体の閉館も間もなくです。私たちは美術館をあとにして、わずかに100メートルばかり下方にある「ゆ宿 高すぎ」に向かいました。

 天野屋にはかないませんが、この「高すぎ」も昭和ヒトケタくらいからやっている老舗旅館だそうです。ただし現在では食事はつかず、素泊まり専用になっています。安かったのはそのせいでもありますが、宿の食事というのも千篇一律なことが多いので、他で食べるのも良いかと思ったのでした。
 チェックインすると、まず浴室に案内されました。ほぼ24時間入浴可能な源泉かけ流し温泉です。
 それから客室に案内されたのですが、これがけっこう階段を上がらなければならない場所で、息が上がりそうになりました。以前、板橋区演奏家協会で湯河原に旅行に来たときも、なんだか無計画に増築を繰り返したかのような、奇妙に入り組んだ廊下と階段を歩かされましたが、湯河原にはそんな宿が多いのでしょうか。
 食事が無いせいか、すでに布団が敷いてありました。荷物を置いて、とにかくまずは入浴です。
 最近の温泉施設のように、いろんな種類の風呂が用意されているわけではありません。大きな浴槽がひとつあるだけです。懐かしのケロリンの洗面器もありました。もちろん混浴ではなく、男女別になっていますが、その一方には露天風呂が附属しています。天井が抜けていると言うだけで室内のような趣きで、あんまり露天という感じはしません。少し熱いと聞いていましたが、私にはちょうど良い湯温に思えました。
 濁りのない澄明なお湯で、温泉としてのありがたみはいまひとつな気もしましたが、やはり源泉かけ流しだけあって、漬かっているうちにからだの芯からぽかぽかしてきました。部屋に戻るときには一旦外へ出るので、湯冷めしやしないかと心配していましたけれども、これだけ内部まで温まればその懸念もありません。さすが日本最古の記録のある温泉と感心しました。

 さて、夕食をとりに出かけなければなりません。
 「ゆ宿 高すぎ」の館内にはふたつテナントの飲食店が入っていて、宿泊客は大体そのどちらかで食事をすることが多い様子でした。ひとつは焼き肉屋で、そこも悪くはないのですけれども、前の晩にステーキハウスに行っているもので、ちょっと肉が続きすぎる気がしました。また値段もけっこう高くつきそうです。
 もうひとつの店はダイニングバーを称していますが、普通に洋食屋のようなメニューでした。実のところこちらをあてにしていたのですけれども、部屋にあった案内を見ると、「日曜休み 連休の場合は翌日休み」と書いてあります。建国記念の日の代休の月曜日ですから、この休日の条件にまともにはまってしまいました。実際、様子を窺っても営業している風ではありません。
 フロントで、近くの飲食店や食糧品店が記された略図を貰っています。それらの詳細は客室のガイドに書いてありました。クルマで来訪している客のことも考えてか、湯河原駅前あたりの略図もついていましたが、
 「この辺までが、まあ徒歩圏内ですね」
 とおばさんに説明されたのが、「理想郷」とまた大層な名をつけられたバス停のあたりで、バス停にして7つほど下るようでした。まあこのあたりのバス停の間隔はおそろしく狭いので、それでも1キロ程度と思われましたが。
 その理想郷バス停の近くに厚生年金の施設があって、そこでは朝食バイキングをやっています。宿を予約したときに、じゃらんから送られてきた資料に、「徒歩圏内に朝食バイキングあり」などと書いてあって、これは他の温泉ホテルなどにお邪魔できるのかと思っていたのですが、その厚生年金会館での話だったのでした。朝食はそこに行こうと思っていたのですけれども、だいぶ遠そうであるのと、宿の壁に貼られていたポスターによるとえらく高いようでもあるので、断念しました。略図には「スーパー」や「コンビニ」の文字もありますので、その辺で朝食用の食糧を買ってこようと思います。私たちはそういうことがわりと好きで、竜王の定宿に泊まるときはいつもそうしています。
 宿の近くには、いくつか飲食店があるようでしたが、昼間だけの営業なんてところも少なくなく、夕食を食べられる店は限られる様子でした。とにかく出かけてみないと、どこで食べられるのかわかりません。
 温泉街の入口近くにあった洋食屋は昼間だけの営業でした。万葉公園に入った落合橋バス停のそばに「コンビニ」と記された店があり、これは普通に開いていました。「この先コンビニはありません」などと注意書きも張り出されています。もっとも、24時間営業のチェーンのコンビニではなく、コンビニらしいしつらえではありますが22時に閉店してしまう個人商店です。
 さらに進むと「スーパー」と記された店がありました。とりあえずここで朝食用の食べ物を買おうと思って入ったら、気の小さそうな店長が
 「もうじき閉店なんですよ……」
 と呟きました。しかしとりあえずその時点では開いているわけなので、遠慮なく入って物色します。パンや惣菜、ヨーグルトや飲み物などを買い込みました。出来合いのサラダのようなものがあると助かるので、マダムが店長に訊ねてみると、店長は消え入りそうな声で
 「今日は入荷が無かったんです。すみません……」
 と言いました。無ければ無いで仕方がないので、無理を言ったわけではないのですが、店長はひたすら申し訳なさそうな顔をしていました。
 とにかく朝食は確保できたので、少し戻って、定食屋のような店に入りました。もっと遠くまで歩けば店もあったかもしれませんが、寒いことでもあるし、あまり長時間歩くのは避けたかったのです。その定食屋のことはガイドにも書いてありました。
 マダムがカレイの唐揚げを頼むと、1匹丸ごと揚げたのが運ばれてきて、いかにもおいしそうです。私は刺身定食を頼んでいましたが、この分だと刺身も期待できるかなと思いました。湯河原は温泉場でもありますが漁港でもありますから、おいしい魚を食べられないかと考えていたのです。
 が、連休の最終日ともあって、刺身は冷凍ものが多く、期待したほどの味ではありませんでした。大きな車エビがついていたのには感激しましたが。
 夜道は冷えましたが、星がきれいに見えました。川口駅から自宅へ戻る道も、昔はけっこう星が見えたものでしたが、最近は高層マンションが増え、その灯りのせいでほとんど見えなくなっています。こんな星空を見たのは久しぶりでした。

 宿に帰って、その足で2度目の風呂に入りました。一旦3階の部屋まで戻るのが面倒だったので、あらかじめそのつもりでタオルなどを持って出ていたのです。この宿では食事は出しませんが、フロントでアイスクリームや飲み物は売っていて、アイスクリームを1個買って部屋に戻りました。
 昼間の足湯三昧と源泉かけ流し温泉の効果が出てきたのか、マダムも私も足腰が痛み出して、部屋の中でのちょっとした動きが難儀になってきました。温泉というのは入っているとまず悪いところが痛み出し、さらに入り続けることでそこが癒えてゆくという性質があります。強い温泉ほどその効果も大きいわけで、本当は1泊くらいではあんまり療養にはなりません。最低2泊、できれば1週間くらい滞在して漬かったほうが良さそうです。いにしえの文人たちも、週単位、月単位で滞在していたはずです。そして湯河原で執筆もおこないました。
 夜中、何度も眼が醒めていたような気もしますが、実際にはそんなでもなかったのでしょう。6時半頃、起きて朝風呂に行きました。浴室は24時を境に男女が入れ替わっていて、昨夜は男湯に露天がついていましたが、朝はそちらが女湯になっています。マダムも一緒に来て、露天風呂に入って気分が良かったようです。
 部屋に戻って、スーパーで買っておいた朝食をとりました。そのあと、私は荷物を調えて、全部持った上で、もういちどだけ温泉に漬かりました。つごう4回入浴したわけです。もう部屋には戻らず、フロントでマダムと待ち合わせ、チェックアウトして宿を出ました。

 もう少し奥のほうに「不動滝」というのがあり、そこまで歩いて見物に行ってから帰ることにしました。
 美術館の横を通り過ぎて、やたら立派な「XIV」を眺めながら上流へ向けて歩きました。500~600メートルくらいだと思いますが、知らない道なので少し長く感じます。途中、温泉宿も点在していますが、それこそ古びた、なじみの湯治客ばかりが使うような建物でした。
 あと、ライオンズマンションならぬ「ライオンズタワー」というけっこう高層な建物がありました。普通に分譲住宅なのか、賃貸式のリゾートマンションのたぐいなのか、よくわかりません。こういうところは、各戸に温泉が引かれているのではないかと思います。
 「大浴場とかもあるんじゃないかな」
 と私は言いましたが、よく見ると2階あたりに、本当に大浴場らしいタイル張りの空間があるようでした。
 このあたりにセカンドハウスを持って、書くほうの仕事をするときにはそちらにこもって集中したりするのが夢ではあるのですが、いくらくらい資産があればそんなことができるのかと思います。
 道路が狭まりかけたあたりに「不動滝」と看板が出ていました。道端の階段を少し登ると茶店があり、そこからさらに少しだけ上がると滝がありました。そんなに大きな滝でもありませんが、まわりに3つも小さなお社があります。うちひとつは道が閉鎖されていてよくわかりませんでしたが、あとのふたつは「出世不動」「出世大黒天」だそうで、せっかくなので作曲家としての格が上がるように祈りを捧げてきました。
 マイナスイオン、というのは一種の擬似科学で、あんまり根拠は無いらしいのですが、しばらく滝の近くに居ると、なんらかの粒子がからだに降り注ぐような気がするのは確かです。リフレッシュした気分で階段を下りました。

 不動滝のところにもバス停があり、そこでバスを待っても良かったのですが、少し時間があるので、美術館のところまで歩いて下りました。そしてまずモネの睡蓮の株があるという庭園を見て歩きました。おそろしく巨大な黒い鯉が池の中にうずくまっていたので、一瞬ぎょっとしました。
 睡蓮の株がある一画は池の中でも区切られていて、そこに植木鉢のようなものがいくつも沈められていましたが、この季節では花はもちろん、あの特徴的な葉っぱも出ていません。これがモネの睡蓮だと説明されれば、はあそうですかとうなずくしかないのでした。
 それから、中の喫茶店で抹茶を喫しました。前日に入館券を買ったときに貰った割引券がまだ使えるかどうか訊くと、使えるということだったので、渡してひとり50円ずつ引いて貰います。無駄にならないで良かったと思います。
 バスはひっきりなしに、10分~15分おきに通りますので、そのうちの1便をつかまえて乗りました。そのすぐ後ろに別のバスが来ていたのですが、そちらは梅林で有名な幕山公園へ直通する臨時バスでした。
 泊まった宿で、梅林への入場券がタダになり、さらに園内でふるまわれている甘酒を1杯タダで貰えるクーポン券を配布していたので、最初は梅林に寄ろうとも思っていました。帰りに仕事に寄らなければならないので、長居はできませんが、タイムテーブル的に不可能ではありません。ただ温泉郷とは別の谷の奥にあり、行ってくるにはそこそこ時間がかかるので、宿を8時半くらいに出立しなければならないようでした。そんな早くに出かけることをマダムが好まなかったのと、湯河原に行く直前に入った情報で、幕山公園の梅はこのところの冷え込み続きのためにまだわずか一分咲きに過ぎないとわかったので、今回は断念しました。平松礼二が何度も描いている梅の花の絵は、疑いもなく幕山公園の梅林なので、ちょっと観てみたい気もしたのですけれども、一分咲きではほとんど風情がわからないでしょう。

 バスは順調に走って、湯河原駅に戻ってきました。切符を買い、駅前の土産物屋で若干のお土産を買い、11時15分発の快速アクティーに乗って帰りました。
 平日昼間の上り列車など、ずっと空いているかと思っていたら、途中駅でけっこう乗客があり、横浜あたりではかなりの混雑となっていました。
 私は品川で下りて仕事に向かい、マダムはそのまま赤羽まで乗って帰宅しました。
 所要時間も掛かりすぎず、ちょうど手頃な場所だったと思います。マダムも大いに気に入ったようだし、ちょくちょく行きたいものです。しかし、案外と費用がかかるようでもあります。
 何年か前、真鶴・湯河原フリーきっぷというのが発売されていて、小田原から湯河原までのJR線、それに附随するバス路線などが乗り下り自由になっているという、今回のような旅行にはうってつけのシロモノだったのですが、なぜか発売が終了してしまいました。JRやバス会社に案外と旨味が無かったのかもしれません。また売り出してくれればと思います。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。