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「ローカル鉄道という希望」を読む [世の中]

 田中輝美氏の「ローカル鉄道という希望──新しい地域再生、はじまる」という本を読んでいますが、なかなか示唆に富んで面白く感じています。
 本そのものは一昨年の刊行で、私も去年だかに買ってひととおり眼は通しました。数日前にあらためて手にとって読み直しているところです。
 ローカル私鉄や第三セクター鉄道というのは、一般的にどうにもぱっとしないイメージがあります。ときどき急に話題になったりして盛り上がることもありますが、それも一過性のもので、基本的にはクルマ社会に追いやられ、近年の少子化に伴って通学利用者なども減り、大赤字を抱えてジリ貧状態になっているというのがおおかたの認識でしょう。
 鉄道なんか時代遅れだという意識もあると思います。実はこの意識、1960年前後にすでに顕著になってきていて、「鉄道は斜陽産業だ」「鉄道の時代はもう終わった」と盛んに論じられていました。日本だけではなく、欧米など先進国ではほぼそれが主流の考えかたになりつつあったのです。
 それを覆したのが新幹線でした。新幹線自体も、建設中には世界三バカのひとつに数えられたり(あとふたつはピラミッド万里の長城)、時代遅れのものに税金をつぎ込んでどうするんだとさんざん叩かれたものでしたが、一旦開業するやその経済効果は抜群、どれだけ増発しても間に合わないほどに利用者が増えました。
 国土が広大なUSAではさすがに鉄道復権とはなりませんでしたが、ヨーロッパ各国では新幹線の成功に刺戟されてそれぞれに高速鉄道を走らせはじめ、とりわけフランスでは新幹線とスピードその他を競うように高速鉄道網の建設に邁進しました。
 その結果、高速鉄道で4時間以内、あるいは500~600キロ程度の距離のところまでは、鉄道のほうが航空機よりも優位に立てるという説が世界の常識となりました。いまなお多くの国で、高速鉄道の建設の計画が進められています。日本の技術力が世界の常識を一変させてしまったという鮮やかな事例です。

 新幹線の他にもうひとつ、鉄道が威力を発揮する場所があります。言わずとしれた、大都市の通勤通学輸送です。山手線の、中央線の、あるいは小田急西武の、あの朝のすさまじいラッシュを捲き起こしている人数が、もしすべてクルマで都心に向かってきたとしたら、これはもうえらいことになるでしょう。山手線の内側をことごとく駐車場にしてしまっても追いつかないと思われます。
 ニューヨークはモータリゼーションの権化であるUSA最大の都市であり、道路も広ければ駐車スペースも東京よりずっと潤沢ですが、それでも近年は、
 「ニューヨークでクルマで通勤しているヤツは、深層心理に遅刻願望があるヤツだけだ」
 などと言われています。大半の人は地下鉄で移動しているのです。ニューヨークの地下鉄といえば、昔はえらく治安が悪いし汚いしで、女性ひとりではとても乗れないみたいな言われかたをしていましたが、最近はずいぶんきれいに安全に、かつ使いやすくなったと聞きます。ビジネスのためには、鉄道の定時性が何より助かるということが周知されてきたのです。
 東京ほどのラッシュは世界中どこでもあまり見られませんが、あれだけの定時大量輸送は、やはり鉄道でしかできない芸当でしょう。
 というわけで、都市間高速輸送と、大都市内の大量輸送に関しては、鉄道が非常に便利だという結論が出ています。

 しかし、いくら新幹線が延びても、ローカル鉄道の凋落は止められませんでした。これは旧国鉄も私鉄も同じことです。
 もちろん、旧国鉄には無駄と思われる路線もずいぶんありました。政治家が「我田引鉄」で無理矢理に敷かせた路線も多かったのです。私もあちこちのローカル線に乗りに行きましたが、空気を運んでいるというか、私が乗らないときは客がひとりも居ないのじゃないかと思われるようなところも少なくありませんでした。鉄ちゃんとしては残念ですが、それらをある程度整理する必要はあったでしょう。
 それにしても、私鉄の多くは、沿線住民が是非にということで建設されたものが多かったはずです。まあ、大企業が鉱石やら材木やらを運ぶ目的で敷いたという路線もありましたが、国鉄の路線選定に洩れてしまった村の人々が、必死で運動を繰り返して、やっとの想いで線路をひっぱってきたという歴史を持つローカル私鉄は、ずいぶんたくさんあったと思います。
 それだけ頑張って作った鉄道だったのに、道路が整備され、みんながクルマを持つようになると、たちまち乗客が減り、見捨てられるようになってしまいました。乗客が減れば収益が減るので、値上げするか便数を減らすことになり、そうすると使いにくいのでますます乗客が離れてゆくという悪循環で、非常に多くのローカル鉄道が姿を消しました。北陸鉄道のように、一時は140キロ近い総延長距離を持つ大所帯だったのに、ことごとくクルマに各個撃破されてしまい、いまは長からぬ路線が2本だけ、その運営にもあんまりやる気が見えないという惨状に陥っているところもあります。
 鉄道に限りませんが、企業がいちど赤字体質に転落すると、いかに傷を浅くとどめるかということばかり考えるようになってしまうのが常です。思いきった施策や、発想の転換をおこなえば、好転するかもしれないということがわかっていても、そのリスクを考えると踏み切れないということになってしまい、結局ずるずると赤字がふくらんで、にっちもさっちも行かなくなります。かつての国鉄もそうでした。そして各地の私鉄会社もその轍を踏み続けました。
 上に挙げた北陸鉄道は、昭和40年代に、「思いきった施策」として、「鉄道線全廃」を打ち出しました。これはさすがに沿線住民や沿線市町村、それから石川県の反対や説得により思いとどまりましたが、いくら思いきった施策や発想の転換が必要と言っても、鉄道会社が鉄道を無くしてしまうというのは本末転倒です。それでも、完全にバス会社となってしまった鉄道会社も少なくありません。定山渓鉄道夕張鉄道十和田観光鉄道新潟交通草軽電鉄下津井電鉄鞆鉄道……
 その点ほとんどバス会社になりつつ、最後の1本を死守している上田交通福島交通には、声援を送りたくなります。
 いずれにしろ、ローカル鉄道の経営が、非常に厳しい状態にあるのは間違いありませんし、一般的な認識もそうなっていることでしょう。

 ところが、ここ数年、それらローカル鉄道の乗客数や売上額が、わずかながら上向いていると言うのです。
 もちろんすべてがそうなっているというのではなく、それなりの企業努力をしているところに限られますけれども、外部から経営陣を迎えるとか、地域住民の意識を少しずつ変えるとか、さまざまな方法で頑張っている会社が目立つようになりました。「ローカル鉄道という希望」では、そういう13社をルポしています。
 うち10社は私も乗ったことがあり、その他に私が乗ったあとに経営体が変わったところが2社(北近畿タンゴ鉄道京都丹後鉄道JR九州肥薩おれんじ鉄道)ありました。まったく知らないのは熊本電鉄だけで、それだけに書かれている内容に関して土地鑑もあり、興味深く読みました。
 扱われた中で若桜鉄道は、私は2003年に乗ったきりで、そのときはどうにも先行き不安な第三セクターに見えたのですが、2010年頃から風向きが変わって、乗客数も収益も上向いてきたようです。他の路線も、おおむね10年前後に底を打って業績が上向いたところが多そうでした。
 書かれていたやりかたはさまざまでしたが、ほぼ共通するのは、沿線住民に「参加意識」を持って貰うことに努力したということでした。
 大体ローカル鉄道というのは、短いものも多く、赤字と言っても率としてはともかく絶対額はさほどのこともないという場合が少なくありません。銚子電鉄のように濡れ煎餅の販売でカバーできてしまったり、あるいは地元高校生の起ち上げたクラウドファンディングでなんとかなってしまうという程度だったりします。ただその赤字が「年々ふくれあがる」ところにおそろしさがあるわけです。
 本の中の何箇所かで言及されていましたが、沿線の住民が、年にもう1回ずつ利用すれば、余裕で黒字を出せるなんてケースもよくあるのでした。「週に」とか「月に」ではなく「年に」です。そのくらい乗ってやったらどうなんだ、と局外者としては思うのですが、クルマ利用が身にしみついてしまった田舎の人々は、どうしても鉄道に乗るということに億劫さを覚えるものであるようです。決められた時刻に駅へ出かけていって、切符を買って乗るというそれだけのことが、「何をわざわざ……」という面倒くささになってしまっているのでした。クルマの維持費・ガソリン代・保険代などを合わせれば明らかに電車賃のほうが安いのですが、人の感覚というのはそういう具合には働かないと見えます。
 もっともクルマを使うにしても、街に出て運転するのは怖い、という人も居り、そういう人々のためにパーク&ライド(駅までクルマで来て、列車に乗って目的地まで行く)の便宜を拡充することで鉄道利用を促す、というのは有効な手です。また沿線のバスと連繋して、確実に乗り継げるという安心感を与えるのも重要でしょう。
 客寄せのイベントを定期的におこなうのも良し、ただそれだけではいつか飽きられて先細りになりますから、それらのイベントに沿線住民を主体的に関わらせるというのが大切です。要は「われらの鉄道」という意識を呼び起こす必要があり、それに成功したところは業績も上向いているということであるようです。
 いすみ鉄道は、「研修費持ち出しでの運転士募集」という、「ダメだろそりゃ」と言いたくなるような施策を打ち出しました。運転士の研修というのはけっこう物入りで、700万円くらいかかるそうです。つまりこれは「700万円払って運転士になろう」という途方もないキャンペーンで、誰もが首を傾げましたが、

 ──昔列車の運転士になりたかったけれど、当時の鉄道はどこもリストラ一辺倒で、新規に雇って貰えるところなど無く、涙を呑んで別の仕事についた。

 というおっさんたちが大挙して応募したのだとか。この話は中井貴一主演のテレビドラマにまでなりました。

 要するにローカル鉄道というのは、単体では衰退する一方ですが、地域コミュニティとの共存共栄を図ることに活路があり、地方活性化の希望のタネにもなりうる……というのがこの本の言わんとすることでしょう。私もその通りだと思います。
 やりかたはいろいろあると思うのですが、問題は関連自治体などの頭の固さでしょう。
 それは北海道庁の考えかたなどに端的に表れています。道庁の交通政策は、一に道路、二に空港、三四が無くて五あたりにようやく鉄道といった調子です。そのため、北海道では道東あたりのものすごく人口稀薄な地域に行っても、道路だけは立派で、地平線まで連なっている4車線道路に1台もクルマが見えない、なんてこともしばしばあります。これに対し鉄道に対してははっきりと冷淡で、極端な話、新幹線と札幌附近の通勤通学路線が残っていればそれで充分と考えているのではないかと思わざるを得ないような状態です。
 去年だったかJR北海道維持困難路線というのを発表して、それらの廃止を全部認めたとしたら北海道の鉄道地図は壊滅的にスカスカになるのですが、つまりは路線を維持したいのなら国、あるいは道、もしくは沿線市町村が補助金を出せということです。国の予算を北海道にだけつぎ込むわけにもゆきませんし、北海道の市町村は軒並み財政難ですから、いきおい道庁に期待するしかないのですけれども、その道庁も鉄道への補助金は渋りに渋りそうで、結局スカスカへの道を辿るのではないかと私は危惧しています。
 全国に先駆けていちはやく廃止となった第三セクター路線「ちほく高原鉄道」の通っていた陸別足寄などでは、当然バス転換に同意したわけですけれども、バスしか通らなくなって明らかに街がさびれ、どうしてあのときもっと存続運動をしなかったのだろうとほぞを噛んで後悔していると聞きます。どうせ人はクルマで動くのだし、バスがあれば充分だろうと思って鉄道廃止に同意すると、予想した以上に人が訪れなくなるというのが陸別や足寄の苦い反省でした。根室網走稚内富良野も、ここはひとつ踏ん張っておかないと、同じ後悔をするはめになるでしょう。
 同じことは全国のローカル鉄道敷設地にも言えるわけで、「こんなしょぼい線路など、あっても無くても同じだろう」などと思っていると、やはり痛い目を見ることになります。
 鉄道会社の頑張りも大事ですが、それよりも沿線住民や沿線市町村が、鉄道というものを地域振興のツールとしてもっと活用することを考えたほうが良いと思うのです。

 地方の県庁所在地クラスの都市では、道路渋滞が深刻な問題になっているところも少なくありません。北海道とは違い、内地の地方都市では道路の拡幅もバイパスの建設も容易ではないのです。
 そういう規模の都市だと、路面電車を復活、もしくは新設したほうが良いと思われるところも多いのですが、
 「路面電車など走らせると、クルマの通行の邪魔になって、余計に渋滞がひどくなりやせんか」
 などと、昭和40年代のようなことを言う議員や役人がまだ幅を利かせています。欧米の都市でも、路面電車(トラム)を復活あるいは新設するところが増えているというのに、感覚が古すぎるのです。
 近代的な路面電車システムであるLRT(Light Rail Transit)については、一時期盛んに検討されましたが、結局導入した都市はひとつもありませんでした。たぶんイメージが湧かなかったのだと思います。
 市街地では路面電車として走り、郊外では高速電車になり、ことによると既設路線に乗り入れて走るというのがLRTなのですが、いまのところ日本で該当するのは広島電鉄福井鉄道、それに万葉線くらいです。JR富山港線の設備を利用した富山ライトレールがいっとき話題になりましたが、あれはまだLRTとは呼べません。また、広島電鉄や福井鉄道にしても、郊外での「高速」ぶりにはまだ不満が残ります。ヨーロッパなどでLRTと呼ばれているものは、郊外に行けば時速100キロ超えで快走するのであって、かなり頑張っている広電でもそこまでは及びません。
 また、LRTを本格的に活用するには、都市の道路利用方法を根底から変える必要があります。例えば軌道を環状に配置し、その環の中への一般車の進入を禁止するとか。この場合、一部のバスとか、環状線内部にある店舗への商品納入車などは入れるようにします。
 以前は鉄道は運輸省、道路は建設省の管轄で、一体化した交通政策はなかなかやりづらいものがありましたが、せっかく国交省として一本化されたのですから、道路と鉄道を総合的に組み合わせた交通政策をどしどし進めて貰いたいところなのですが、肝心の地元自治体がまだまだ旧来の発想から抜けられず、消極的なために、国も強くは言えないという事情があるのでしょう。その国交省にしても、東日本震災でやられて代行バスを走らせている気仙沼線大船渡線などの路線について、
 「鉄道を復活させる必要はあるのか? BRT(バス高速輸送システム)で充分なんじゃないか?」
 などと役人が言っていた話がありますので、まだまだ認識が古いと言わざるを得ません。

 「鉄道の時代は終わった」という世界の常識を新幹線がひっくり返したように、まだまだ鉄道には可能性が残されていると思います。鉄道単体で考えれば、お荷物に感じられたり、赤字発生装置のように思われたりするかもしれませんが、地域振興ツールとして、他の要素と組み合わせて使ってゆくことで、思いもよらない経済効果をもたらしたりすることも充分にあり得るのです。
 和歌山県紀州鉄道は、独立運行をしている私鉄としては日本最短の路線で、実態は御坊市という小都市の市内列車という趣きであり、どう考えても採算がとれそうにないのですが、実はここを経営しているのは軽井沢草津あたりの別荘地を主に取り扱っている大手の不動産会社であり、「鉄道会社の名前を持つと堅実に見られ、信用されやすい」というわけで、かつては御坊臨港鉄道と言っていたミニ私鉄を買収して紀州鉄道を名乗りました。ミニ路線だけに赤字が出ても絶対額はどうということもなく、本社の宣伝費の範囲で賄えてしまいます。だから本業の不動産が破綻しない限りは廃止されることも無さそうです。
 地方のローカル線としては、そんな方向もアリでしょう。企業のイメージ戦略として丸抱えして貰うというのは有効な一手です。その企業の業績が悪化すると切られるという危険はありますが、紀州鉄道のように、鉄道会社の名前を持つと信用されるというイメージが弘まれば、また別の引き受け手が現れることでしょう。テレビの番組のように何社か相乗りというのも悪くありません。
 生き残り方法はひとつだけではありません。智恵をしぼればいろいろ思いつくはずです。ローカル線の今後の再生と躍進を祈るばかりです。


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