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湯野上温泉とワールドスクウェア(1) [旅日記]

 5月1~2日と、骨休めのため温泉に行っていました。
 1泊で行ってこられるところというと、そんなに遠くは無理です。それでも少し目新しいところに行ってみたいと思いました。
 2月には湯河原へ行ってきましたし、山梨県方面はわりに行く機会が多く、群馬県方面も毎年のように出かけています。千葉方面には本来の温泉はあんまり無さそうです。近年掘られたボーリング温泉くらいでしょう。
 どういうきっかけで思いついたのだったか忘れてしまいましたが、久しぶりに会津方面はどうだろうかと考えました。
 会津方面には、2008年09年のゴールデンウィークに続けて行きましたが、それ以来ですので、9年ぶりということになります。この2回は、いずれも裏磐梯の、五色沼の近くの宿に泊まりました。最初の年はペンション、2年目はホテルです。このホテルは東京近辺から無料送迎バスを走らせており、交通費が一切かからない上にいろいろ特典がついたりしていたので、いずれまた行きたいと思っていたのですが、その後ホテルのサイトを見たら、送迎バス付きのプランが無くなっていたので残念です。会津なので、原発事故の起きた浜通りとは全然関係が無いのですが、同じ福島県ということでいろいろ風評被害があってお客が減り、そんなに太っ腹なプランを維持する余裕が無くなってしまったのかもしれません。
 今回は、いわば北会津地方である裏磐梯ではなく、南会津地方を目的地にしようと思いました。

 南会津への入り口となると、東武鉄道からというのが都合が良いのでした。私自身、何度も東武・野岩鉄道会津鉄道を乗り継いで東北地方に旅しています。かつては東武の快速電車があって、会津田島まで直通していました。その後急行「南会津」も直通することになったので、そちらもいちど乗ったことがあります。
 野岩鉄道と会津鉄道は、湯けむりラインとでもあだ名を付けたくなるほどに沿線に温泉がたくさんあります。実際野岩鉄道は最近では「ほっとスパ・ライン」という愛称を名乗っているようです。まず起点の新藤原を出ると、2つめの駅が川治温泉、次が川治湯元。それから湯西川温泉中三依温泉上三依塩原温泉口と、終点の会津高原尾瀬口までの7つの途中駅のうち5つまでが温泉に関連する駅名を持っています。会津鉄道にも、湯野上温泉と芦ノ牧温泉の両駅があるほか、駅からバスに乗ってゆくような温泉群がいくつもあります。
 その中で、今回は湯野上温泉を選びました。そのあたりで、宿泊料が手頃で、風呂や食事が良さげ……というところをJらんで検索してみると、1軒、気持ちを惹かれた宿がありました。一行の中に50歳代以上の者がひとり居れば特典がつくというようなプランもあり、それも気になりました。1ヶ月ほど前に予約しましたが、残室はあまり多くなかった模様です。行ってみてわかったのですが、客室が8室しかないこぢんまりした宿だったのでした。
 湯野上温泉に泊まるとなれば、その周辺の見どころといえば大内宿でしょう。下野街道の中途にあった宿場町ですが、川沿いの道路や線路が通ると見捨てられてしまい、それゆえに古い街並みが残ったという、木曽路の妻籠馬籠と似た事情のところなのでした。私は実は20年ほど前にここを訪れているのですが、再訪してみても良いし、マダムは行ったことが無いそうなので案内するのも悪くなさそうです。
 それから、そのあたりの列車を自由に乗り降りできるフリーパスを発見しました。東武で発行しているもので、下今市から会津田島、あるいは芦ノ牧温泉、あるいは会津若松までが乗り降り自由になっており、それぞれ値段が違います。今回は芦ノ牧温泉までのフリーパスを求めれば良いわけです。ただしこの切符は、下今市までの往復は東武鉄道を使うことが定められています。
 ただ湯野上温泉まで往復するだけでも元は取れるのですが、せっかくなので少し途中下車して帰ろうと考えました。それで、マダムが東武ワールドスクウェアに行ったことが無いという話を聞いていたので、行きたいかと訊ねてみると行きたいという答えでした。私もワールドスクウェアには行ったことが無いので、いちど足を運んでおいても良いと思います。なお東武ワールドスクウェアには、長らく鬼怒川温泉駅からバスに乗るか、小佐越駅から少々長めの道のりを歩くかしか無かったのですが、去年の夏に園地の真正面に東武ワールドスクウェア駅が開業しました。開園時間帯には全列車が停車、それ以外の時間帯は全列車が通過というあからさまな駅で、独立した運賃計算キロ程が設定されていないなど、JRで言う「臨時駅」に近い扱いです。ともあれここで途中下車して、ワールドスクウェアに立ち寄って帰るという計画を立てました。

 1日(火)の7時前に家を出て、浅草駅に向かいました。
 うちから東武の列車に乗る場合、別に浅草まで行く必要は無く、北千住のほうがずっと便利ではあるのですが、まともに東武特急に乗るのは非常に久しぶりなので、ぜひ始発駅から乗ってみたかったのでした。
 上に書いたように、以前は快速や急行が会津田島まで直通していたので、いつもそれに乗っており、特急を使うことはまずありませんでした。当時の快速はセミクロスシートの自由席で、北千住から乗ると坐れない……ということはさすがに無いにせよ、ボックスシートの中で有利な座席──例えば進行方向右側の前向き窓側──を確保するのが難しかったりしましたので、私は好んで浅草から乗ったものでした。
 去年から導入された特急車輌「リバティ」が、基本編成3輌ということにして小回りがきくようにしたため、急行「南会津」廃止から11年ぶりに、会津田島まで直通する有料列車が登場しました。しかし、リバティはかつての快速を意識したかのような運用をしているくせに、平日に関してはスペーシアより特急料金が高かったりします。なんとなく業腹であることに加えて、ちょうど良い時間帯の便が無かったこともあり、今回は朝8時00分の「きぬ」で出発して、終着駅である鬼怒川温泉で快速「AIZUマウントエクスプレス」に乗り換えることにしたのでした。まあ会津田島まで東武特急で行ったとしても、湯野上温泉まで行くためには、乗り換えなければならないことには変わりがないわけです。
 上野までは、考えてみれば平日朝の通勤電車であったのですが、ゴールデンウィークの中間であったせいか、あるいは本格的な朝のラッシュより若干早かったせいか、そんなに混雑することなく移動できました。上野駅の閑散ぶりときたらむしろ驚くほどで、メトロ銀座線への乗り換えもきわめてスムーズ、予定したよりも早く浅草に到着しました。銀座線の浅草駅から、東武浅草駅のある松屋の中へは直行する地下道があるのですが、ひとつには駅近くのコンビニで朝食を仕入れるべく、もうひとつには出発駅をマダムに見せておきたかったこともあって、一旦外へ出てみました。マダムはマダムで目的があって、建築家の隈研吾氏が設計した浅草文化観光センターの建物を見たかったようです。その建物は幸い、電気ブランで有名な神谷バーの角からすぐ見ることができました。割り箸をいびつに組み合わせたような印象を受ける建築物でした。
 「きぬ107号」の特急券は、フリーパスと一緒に買っておいたので、特急用改札を悠然と抜け、特急用プラットフォームに足を踏み入れます。プラットフォームの先端のほうが異様にカーブしていることにマダムが気づきました。東武の浅草駅は、出発するとすぐに急角度で右折し、隅田川を渡るようになっています。当初は問題がなかったのですが、戦後編成輌数が増えて、プラットフォームを延長しなければならなくなると、その先端を思い切り曲げるしか仕方がなくなったのでした。そのためプラットフォームと列車の出入り口には広い間隙が空き、以前は落下事故を防ぐため乗り降りのための板を渡さなければならなかったほどです。
 そんなわけでこれ以上のプラットフォーム延長は不可能、逆に引き下げようとしても、何しろビルの3階ですから無理な話で、結局浅草駅は6輌以上の編成の列車を停めることができなくなっています。8輌、10輌があたりまえな近年の通勤電車事情を鑑みると、6輌が限界の起点駅というのはいかにも使いづらく、そのために日比谷線半蔵門線に直通して通勤客を逃がしているのでした。
 特急列車は、のろのろと隅田川を渡り、とうきょうスカイツリー駅に停車します。この駅も全列車が停車するようになりました。そして、浅草~とうきょうスカイツリー駅間は、特急に乗っても特急券が不要ということになっています。
 スカイツリーを出ると、スピードを上げ出します。が、マダムは窓から差し込む日光を嫌って、カーテンを閉めてしまいました。マダムだけではなく、ほとんどのそちら側の窓のカーテンが閉められています。かろうじて私たちの坐っている前の席のカーテンは半分くらい開いていたので、ほとんど車窓はそこからしか見えなくなってしまっていました。車窓を見ないで何が楽しいのかと私などは思ってしまいますが、たいていの人は日差しを防ぐことのほうが大切だと思うようです。
 マダムはさらに、車内でフリーのwi-fiが使えることを知って、その設定のためにスマホいじりに余念がありません。まったく、なんのために旅に出たのかと思います。
 春日部栃木新鹿沼と、かつての快速とあんまり違いのない停車駅に停車しながら、特急列車は北関東の平野を走ります。下今市から鬼怒川線に入ると、急に線路事情が悪くなってスピードが落ちました。
 そして、翌日に下車を予定している東武ワールドスクウェア駅にも停車します。いかにも急造された簡易な駅で、もちろん片面しか無く、プラットフォームの幅も非常に狭くなっています。私は富良野ラベンダー畑駅を思い出しました。
 終点の鬼怒川温泉では、わずか2分の接続で「AIZUマウントエクスプレス1号」が発車します。宝くじ基金で購入した、赤べこをモティーフにした赤い車輌「宝くじ号」は回転座席を備えたなかなかグレードの高いものですが、この日の「AIZUマウントエクスプレス1号」は先頭車輌のみ「宝くじ号」で、あとはちょっと落ちるグレードのものを連結していました。とは言っても、座席は転換クロスシートで、かなりレベルは高いものでした。
 乗り込んだ途端、マダムが
 「あれ、これってディーゼルカー?」
 と言いました。聞こえる音が違うことに気づいたようです。電車はモーターで動きますが、ディーゼルカーはディーゼルエンジンが動力ですから、電車では聞こえないブルンブルンという音が出ます。鉄ちゃんとしては当然の知識ですが、マダムがそれを理解しはじめたことを嬉しく思いました。

 新藤原から野岩鉄道に入ると、新しい路線らしく、トンネルが相次ぐようになります。私は何度も乗っているにもかかわらず、こんなにトンネルばかりだったっけかとあらためて驚きました。駅も、湯西川温泉のように完全にトンネル内という駅もあるし、竜王峡・川治温泉・男鹿高原のように半分トンネル内みたいな駅もあって、むしろ外が見えている区間のほうが短いのではないかと思われるほどでした。しかし、トンネルの合間から見える山々は、新緑に覆われた中に咲き残りの山桜などが彩りを添えて、とても美しい景色となっていました。
 トンネルが多いということは、地形と無関係に直線に近くレールが敷けるということですし、またレールの規格も高いので、30.7キロの野岩鉄道部分を、たいていの列車が40分以内で駆け抜けます。リバティ南会津号を含めて、ほとんどの便が各駅停車(なぜか男鹿高原だけは通過する列車が多いけれど)で、単線区間のため行き違いの待ち時間などもとられることを考えれば、かなりのスピードと言って良いでしょう。
 これが会津高原尾瀬口から会津鉄道に入ると、こちらは何しろ旧国鉄会津線ですので、途端にトンネルが少なくなり、従って線形も悪くなり、レールの規格も下がるというわけで、乗り心地ががくんと下がります。いかにもなローカル線の走りっぷりになるわけです。
 11時28分、湯野上温泉着。構内踏切を渡って、改札口で委託の駅員にフリーパスを見せて外に出ます。列車が去って行ったあとで見えるレールのなんと細いこと。軽便鉄道という趣きです。
 ここから大内宿へは、広田タクシーという地元の会社が運行している「猿游(さるゆう)号」なるバスが出ています。観光バスのようでもあり、路線バスのようでもあるという微妙なバスで、事前に調べたところ要予約ということだったので、会社のサイトを通じて予約しておきました。
 予約した便の湯野上温泉駅発は12時05分です。少し時間があるのでここで昼食を済ませようかと思っていたのですが、駅前には飲食店らしき店は全然ありませんでした。前に小湊鐵道養老渓谷駅で下りたときも似た雰囲気でしたが、要するに観光拠点ではあっても「街」ではないのです。
 駅前に足湯場があるので、マダムが漬かりたそうな顔をしていましたが、足湯にじっくり漬かる時間はちょっと足りなそうで、しかも彼女はこのとき非常に脱ぎづらい靴下を履いていたため、明日ここを発つ前に漬かろうということにして諦めました。
 それでうろうろしていると、駅前の土産物屋の爺さんが、
 「荷物預けてかんか。タダでええわ」
 と大声で声をかけてきました。
 確かに大きな荷物はコインロッカーか何かに預け、身軽になって大内宿を訪ねてこようと思っていたので、爺さんの申し出は渡りに船でした。ただ、
 「この赤べこだけどな、大内宿まで行くとどの店でも千円するだが、ウチなら500円」
 なんて言い出すので、どうも預かり賃はゼロにしても、赤べこ人形はあとで買わないと申し訳ないような感じになってしまいました。ちなみに駅のコインロッカーは300円で、充分マダムと私の荷物を一緒に入れられそうな大きさでした。どちらが得であったかは微妙です。
 爺さんはさらに、大内宿の案内パンフレットをマダムによこし、昼食でそばを食べるならここ、と家並み図の1軒に大きくマルをつけました。
 「ウチで聞いてきたと言えば、粗品をくれるからね」

 荷物を預けてバスの乗り場に行くと、もうレトロな雰囲気のバスが停まっていました。神戸の異人館通りで使われていたのが、排ガス規制が厳しくなって走らせられなくなり、広田タクシーに引き取られてきたとのことでした。「猿游号」というのが「路線」の名前ですが、車輌はいろいろあり、客足などによって使い分けているようです。私たちが乗った車には「ゴーシュ」という名前がついていましたが、他に「オッベル」とか「ジョバンニ」とか「グスコーブドリ」とか……つまりは宮澤賢治の童話にちなむ名前が各車輌に付けられているのでした。これらのことはあとで車輌カタログを兼ねた記念ポストカードを貰ったので知ったのですが、なんと未完成作品である「ペンネンネンネンネン・ネネム」まで使われていたのには驚きました。「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」は、「グスコーブドリの伝記」の初稿として書かれた未完成作品で、私が『セーラ』を書くときに、企画段階でもうひとつ用意していた題材です。
 車内の座席配置は、車輌の前後方向に椅子が据えられており、右側の椅子はいくつか外に向けてありました。右側のほうが景色がよいのだろうか、とも思いましたが、往復で逆になるわけなのでそれも変な話です。この理由はあとでわかりました。
 マダムは最初、窓に面した外向きの椅子に坐りましたが、ふとうしろを見ると「予約」と書かれた紙が貼られた座席があります。
 「へえ、予約している人も居るんだね」
 「いや、予約したんだけどね」
 私が言うと、マダムより先に、車掌ともガイドともつかない中年の女性があわてたように、
 「あらら、お名前はなんでしょうか」
 と叫びました。
 予約席はやはり私たちのためのもので、他に予約などしている乗客は居なかった模様です。要予約と書かれたサイトの記事はなんだったのかという気がしますが、客が多いときに積み残しなどが起こらないようにということであったようです。
 その女性──Kさんは、走行中ずっとしゃべり続けていましたが、あいにくと周囲には外国人観光客が多かったようで、Kさんの言葉にほとんど反応しません。勢い、Kさんはほとんど私たちに向かってしゃべっているかのようなことになってしまっていました。それにしても、こんなマイナーな──と言っては悪いかもしれませんが──観光地に、これほど外国人観光客が押し寄せるとはびっくりです。
 で、Kさんは、マダムが大内宿のパンフレットを持っていて、その家並み案内図にマルがついているのを見て苦笑しました。
 「え~、ここも良いんですが、ウチからのお奨めはこちらのお店で、バスの乗車券を見せると栃モチをおまけにつけてくれます」
 と、別の店にマルをつけました。さて、どちらへ行くべきか迷います。

 20分くらいで大内宿に到着しました。
 20年前に、当時指導していた合唱団の親睦旅行で訪れたとき、すでにだいぶ観光地化が進んでいて、それより前に訪れたことのある人たちをがっかりさせていましたが、いまやもう、アミューズメントパーク以外の何物でもありません。家並みはほぼすべて土産物屋か飲食店となっています。茅葺き屋根の家並みが特徴だったのですが、前はそれでもいくつか、トタン葺きの屋根の家もあったと思います。それが完全に全部茅葺きとなり、かえって時代劇のセット然としてしまったきらいがあります。実際、あとで資料展示館を見てみたら、トタン葺きであった家を茅葺きに葺き替えるときの映像を流していたりしました。訪れる観光客のために、否応なしに維持の大変な茅葺きにさせられてしまった家が何軒もあったようです。そして維持するためには、観光客相手の土産物屋か食堂をやるよりほか仕方がなかったものと思われます。
 昔の街並みが残っている、という状況ではありません。観光客が喜ぶように復元して維持している、のです。白川郷などとほぼ同じ状態でしょう。そこにはほとんど「生活」は残っていません。観光客とは勝手なもので、そうなるとこんどは
 「『生活』がさっぱり残っていない」
 などと文句を言いはじめるのですが、これはもう仕方のないことでしょう。合掌造りにせよ茅葺き屋根にせよ、維持するためにどれだけの労力と金銭が必要になることか。時代劇のセット化、アミューズメントパーク化するよりほかに、維持の方法は無いのです。
 さて、昼食ですが、450メートルほどの街並みをひととおり見た結果、土産物屋の爺さんの言うことも、猿游号のKさんの言うことも聞かずに、集落のいちばん奥にある食堂でとることにしました。そこはどうも、大内宿がこのようにアミューズメントパーク化する以前から食堂として営業しているらしき店と見受けられたのです。ここの名物は「ネギそば」で、1本のネギを箸代わりに使ってそばをすすりつつ、ネギそのものもかじるというものでしたが、単純にそのネギそばの値段を較べると、爺さんやKさんのお奨めの店より200円ほども安かったのです。もちろん粗品やら栃モチやらをつけてくれることを考えると微妙なところではあるのですが、それらのオマケがふたりで400円分に相当するだろうかと思えば、さほどのこともなさそうな気がします。
 なおこのネギそば、マダムは旅番組だかグルメ番組だかで見たことがあり、しっかり知っていました。
 「ここだったのかあ」
 と感嘆しきりです。

 店々を冷やかし、丘の上の展望台から集落を一望し、食事をし、資料展示館を見学して、2時間半ばかり大内宿に滞在しました。そろそろ戻ろうと思います。もう少し滞在したいような気もしましたが、もう1本あとのバスにするとさらに2時間ほど居ることになり、そこまでになると少々時間をもてあましそうでした。それに14時50分という戻りの猿游号は、一日のうちこの便だけが、「中山の大ケヤキ」「長寿の清水」それに「塔のへつり駅前」と大回りして湯野上温泉駅に戻ることになっていたのでした。いわば簡単な観光バスとしてこの大回りコースを利用することにしたのでした。
 ガイドはまたKさんで、ひとりで全便の車掌兼ガイドとしてしゃべり続けているわけです。上に書いた、車輌カタログを兼ねたポストカードは、このときに貰いました。乗客全員にKさんが配っていたのです。
 この大回りルートで、見どころが全部進行方向右側にありました。右窓に向かって椅子が置かれていたのはこのせいだったのでした。
 塔のへつり駅は、先ほど湯野上温泉のひとつ手前の駅として停車していました。この2駅の途中に湯野上温泉郷があり、それだからKさんは私たちの宿への行きかたまで教えてくれました。
 駅へは15時40分くらいに戻ってきました。Kさんに別れを告げ、土産物屋で荷物をピックアップし、ついでに500円の赤べこを買い求めました。
 宿に電話をかければ、クルマで迎えに来てくれるということでしたが、宿までは1.5キロくらいの距離で、天気も良く、そう急ぐわけでもないので、ぶらぶらと散策を兼ねて歩くことにしました。途中にあるコンビニで飲み物なども買いたかったし、マダムはさらに途中にあった郵便局のATMでお金を下ろしたいということでした。私は郵便局のことは気づかなかったのですが、猿游号の車窓から見えていたそうです。
 そのほか野菜の販売所などにも立ち寄りながら、意外と近かった宿に到着しました。看板には「民宿」とありましたが、見た感じ
 「民宿と称する旅館」
 という印象でした。ペンションという言いかたのほうがふさわしいのかもしれません。全部で8部屋というコンパクトな宿であることは事実で、その8部屋にはいずれも源氏物語の巻名がつけられていました。「桐壺」「藤壺」「花散里」「若紫」「空蝉」という具合ですね。そのうちの一室「明石の上」が私たちの部屋でした。

 この稿、続きます。

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