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Chorus ST第12回演奏会 [日録]

 いろいろと雑事に追われ、更新が滞ってしまいました。
 昨日はChorus STの、8年ぶりの演奏会がありました。昨日のうちに書きたいと思ったのですけれども、何しろ平日の演奏会で、従って夜の開催であり、打ち上げなどを済ませて帰宅したのはとっくに午前様だったもので、翌日になってしまった次第です。
 8年ぶりというのは、そうわかったときは驚きました。そんなに長いこと自前の演奏会をやっていなかったのかと、なかばあきれました。前回は2010年1月ですから、正確には8年8ヶ月ぶりです。
 Chorus STは1990年5月清水雅彦さんの結婚式の二次会で、三浦さんという初代団長が呼びかけて設立したものでした。三浦さんはそれまで新潟合唱団ユートライで清水さんの指導のもと歌っていたのですが、東京に転勤になって、こちらでも清水雅彦指導による合唱団を作ろうと考えたのでした。私もそのとき設立趣意のチラシを貰っていたのですが、当時は混声合唱団誠ぐみというのに入っていたので、すぐには参加しませんでした。
 初期メンバーは、男声は三浦さんと面識のあった新潟大学の合唱団出身者の在京メンバーが主力であり、女声は当時清水さんが先生をやっていた共立女子高校の合唱団出身者が主力でした。新大閥と共立閥、などという言いかたもしていたようです。
 1年近く練習をして、最初の公的活動は、日本合唱指揮者協会JCDA)主催のコンサートの参加団体となったことでした。このコンサートは私も聴きに行っており、なかなかレベルの高い演奏だと思ったものでした。
 ちょうどそのころ、混声合唱団誠ぐみが解散となりました。もともと東京藝大の学内サークルとしてはじまった合唱団で、メンバーの大半は卒業しても活動に参加していた人たちだったのですが、1991年3月をもって最後の在校生が卒業してしまい、大学の部屋を借りることができなくなったのでした。若干は美術学部も加わっていたものの、ほぼ音楽学部の卒業生、言い換えればプロの音楽家となっていたわけで、外でお金を払って練習場所を借りてまで続けるというほどのモチベーションも無く、まああとはひとりひとりがそれぞれの道に邁進しようということで、発展的解散という意識ではありました。
 そんな中で、私は声楽が専門ではないこともあり、もっと合唱を続けたいという気持ちがありました。それで、Chorus STに参加することにしたわけです。設立から1年半ほど遅れての入団でした。
 第1回の演奏会は、翌1992年の年末に開催されました。「Chorus ST第1回演奏会」ではなく、クリスマスコンサートという名目であったと記憶しますが、いちおうここから回数を数えはじめています。
 ここから第5回までは、かなりのペースで演奏会を開いています。ほぼ「1年と1季節」ごとです。第2回は94年4月、第3回は95年7月、第4回は96年9月、第5回は98年1月で、きれいに春、夏、秋、冬とめぐっているのがわかります。毎年同じ時期に開催するほどの余裕は無く、といって隔年にするにはモチベーションの持続が大変だ、という事情があったわけですが、メンバーが若かったということでもあるでしょう。
 第5回のあと、清水さんの「生誕40周年(笑)」を記念した麾下合唱団合同演奏会「清水の舞台」(「きよみずのぶたい」から飛び下りるつもりで「しみずのぶたい」を開催した)という企画があったので、第6回は少し遅れて99年9月開催となりました。そして第7回はやはり「1年1季節」後の2000年12月です。
 このあたりからは、他で企画された演奏会に出演するというような機会も増えて、自前の演奏会が少しまばらになります。高橋晴美さんの作品発表会への出演と、それを契機にした02年グアテマラ国際合唱祭への参加(詳しくはこちらをご覧ください)をはさんで、第8回は03年1月開催でした。続いて第9回は1年半後の04年7月にやったものの、第10回は2年ちょっとの間をあけて06年10月に、第11回はさらに3年3ヶ月をあけて10年1月にと、だんだん間隔がひろがりました。
 そして長い休眠期間があり、8年ぶりの第12回演奏会となったわけです。

 もちろん、休眠期間とは言っても、活動を停止していたわけではありません。ほぼ自主運営に近い演奏会として、11年12月ハンドベルアンサンブルYDとのジョイントコンサート、17年7月「ガリシア物語」があります。またコンクールに出場してみたりもしましたし、毎年のように病院や老人ホームでのボランティアコンサートもおこなっています。東京都や北区の合唱祭にも毎年参加しています。しかし、100%自前の、いわゆるナンバーコンサートが企画されることは絶えて無かったということです。
 そもそもの人数が減ってきたこと、残っているメンバーも壮年となってみんな忙しくなり、なかなか企画運営を自発的に進めようという人が出なくなったことなどが原因でしょう。そろそろ演奏会をやるべきではないか、という意見はときどき出ますが、じゃああなたが中心となって進めてくれ、と言われるとみんな尻込みする、というような状態が続いていました。演奏会というと大変そうなので、どこか安価なスペースを借りて、軽いサロンコンサート的なものを……という人も居ましたが、その話題もあまり発展せずに終わってしまいました。
 今回ようやく重い腰が上がったのは、私が無伴奏混声三部合唱曲『花と木のことば』を書いたのがきっかけと言って良いでしょう。
 男声が激減した上に、全体としても練習に出てこられるメンバーが少なくなりがちであったために、混声合唱の標準型である四部合唱ではなく、三部合唱を練習することにしたらどうだろうと考え、さしあたって数年前、バード『三声のミサ』を混声三部用に移調してみました。それを合唱祭などで歌ってみて、

 ──なんだ、三声でも充実した響きが愉しめるじゃないか。

 と思い、同じように無伴奏混声三部合唱で、新曲を作ることを検討しはじめました。混声三部というと中学生向きの合唱曲の定番であるわけですが、「その大人向け」という発想ではなく、ルネサンスの三部合唱曲が原点にあったことで、私の書法も決まってきたのだと思います。
 最初に書いた「カンナ」を練習に持って行って音を出してみたところ、もくろみどおりではありますがそれにしても予想した以上に、気持ちの良い響きが得られたため、続けて書く気になりました。毎週1曲……というわけにはゆきませんでしたけれども、かなりのペースで作曲し、6曲たまったところでとりあえず一段落ということにしました。
 これらも合唱祭でちびちびと発表したりしましたが、こうなると6曲まとめて披露したいという気になります。私だけでなくメンバーたちがそう思うようになってくれたのが、演奏会開催のモチベーションにつながりました。
 今回も、簡易な会場でミニコンサート形式で、という案も出ました。ナンバーコンサートとして開催するのはやはりちょっとためらいがある人が居たようですが、台東区のミレニアムホールという会場がとれた時点で、これはもうちゃんとした演奏会として企画すべきだろうという趨勢が固まりました。
 ただし、会場がとれたのは今年のはじめ頃で、あんまり時間的余裕がありません。合唱の演奏会というのは4ステージ構成ということが多いのですが、ひとつのステージは『花と木のことば』の全曲初演、もうひとつはその作曲のきっかけとなったバードの三声のミサとして、あとふたつステージを用意するのは無理そうです。
 ふたつのステージが三声の曲となると、いっそのこと全部三声(三部合唱)でまとめてしまったらどうかと私は考えました。つまり残りの1、2ステージも三部合唱曲で押し通すのです。この案もすんなり通ったわけではありませんでしたが、結局そうなりました。で、

 ──「混声三部合唱」という可能性。

 
というサブタイトルがつけられたことは前にも書きました。
 残るステージは、本来混声三部合唱曲として書かれた既成の曲、つまり従来中学生向けに書かれた曲の中からピックアップして演奏するということになりました。必然的にピアノ付きということになります。「無伴奏」混声三部合唱曲というのが『花と木のことば』における創意であったわけですから、先行する作品が、少なくとも公的なものとして存在するとは思えません。
 この選曲については、世の中には「中学校クラス合唱向け曲集」という本が何種類も、しかも毎年のように版を改めて出版されていますので、選択肢に不自由することはありませんでした。またちょうど去年、新学社から出るその手の曲集のために5曲ほど編曲したばかりです。1曲はその中から、ほとんど迷わず「ロンドンデリーの歌」を選びました。依頼の趣きに合わせて、合唱もピアノも、可能な限りシンプルに編曲したわりには、これがわれながら妙に味わい深いものになったのです。他の選曲についてはのちほど記します。
 最終的に、3ステージ構成で開催することになりました。平日の夜ですし、時間的にもあまり長くならないほうが良いでしょう。歌うほうも聴くほうも、まずは良い按配のプログラムとなったと思います。

 本番当日である昨日、13時頃に、マダムと一緒に家を出ました。マダムは4年前から一緒にChorus STで歌っています。最初はコンクールを受けるときの助っ人として頼んだのでしたが、その後も居ついてくれました。ナンバーコンサートは今回が初参加ということになります。
 ふたりともけっこう大きなスーツケースをころがしています。マダムは衣裳がかさばるからですが、私のほうは大量の印刷物を収納しています。その日の朝届いたばかりの演奏会プログラムと、中に挟み込む歌詞カードおよびアンケート用紙です。
 ミレニアムホールは客席数が300ですが、資料用などに少し余裕を持たせてプログラムは400部刷りました。400部くらいの重さはさほどのこともないだろうとたかをくくっていましたが、宅配便で届いた段ボール箱を持ち上げて、その重さに驚きました。考えてみると両面8ページ刷りですから、1部につきA4判4枚分ということになります。つまり、同じ大きさだったチラシに換算すると1600枚分というわけで、それは確かに重いはずです。しかもプログラム用には、チラシよりも重い紙を使っています。ざっと計算してみると、正味13キロ近くあることになりそうです。それに歌詞カードとアンケート用紙ですから、15キロくらいあったと思われます。手持ちのバッグで運ぶのは非現実的であり、スーツケースを使って正解でしたが、それにしても実に重く、鶯谷からミレニアムホールまでの1キロちょっとの道がえらく遠く感じました。入谷の交差点を渡る際に、歩道橋を上り下りしなければならないと知って、危うく泣きそうになりました。最後のほうでは取っ手をひっぱっている指の関節がこわばってしまっていました。会場に着いて何はともあれ、大量の印刷物をスーツケースからひっぱりだして受付の机に置き、ようやくほっとしました。
 ところでこのミレニアムホール、私は訪れたことがあるはずなのですが、予想していたのと違うホールだったので面食らいました。どこかと間違えていたようです。台東区生涯学習センターの中にあるというので、よく公民館にあるような簡易なホールをイメージする人が多いようですが、けっこう本格的なコンサートホールで、響きもかなり良好です。バードなど、聖堂で歌っているかのような心地よさがありました。ただよく響くために、歌詞などは聴き取りづらいかもしれません。リハーサルでは清水さんが、相当にしつこく、歌詞がさっぱり伝わってこないと指摘し続けました。その甲斐あってか、あとでアンケートを見ると、
 「言葉が非常によく聞こえてきた」
 という感想がいくつもありました。

 リハーサルのあと、1時間半ほどフリータイムだったので、マダムと一緒に、生涯学習センターの中にテナントとして入っているファミリーレストランに入って軽く食事をしていると、お客として来てくれたかたがたに3組ほど遭遇しました。まあ、そんなことになるのではないかと思ってはいたのですが。出演者が開演前にお客に遇ってしまうのはあんまりよろしくないような気もします。
 開演は19時。平日の晩で、交通の便もそれほど良くはない場所ですが、大半の座席は埋まった様子です。仕事が終わらなくて開演に間に合わず、途中から入場した人も少なくなかったようです。
 バードのミサ曲に先立って、「Greetings」を歌いました。これは、清水さんがご自分のリサイタルのプログラムに、巻頭言のような形で毎回掲載している、詩とも呟きともつかぬ文章に、千原英喜さんが作曲したという曲です。最初は女声合唱として作られたようですが、その後清水さんが歌うために独唱用にもなり、混声四部用にもなってこれはChorus STでも練習したことがあります。今回、混声三部の催しということで、三部用にわざわざリアレンジして貰いました。チラシにもプログラムにも「混声三部版初演」の文字を入れてあります。
 内容はタイトル通り「ご挨拶」といったところで、オープニング曲として重宝なのでした。2、3分で終わります。
 そのままバードに移るつもりだったのですが、ピアノ付きの「Greetings」から無伴奏のバードにつなぐにあたって、ピアノの蓋を閉めたりする必要があったので、一旦ひっこみます。なお今回のステージマネージャー兼舞台スタッフは、元団長だったやのクンでした。Chorus STに復帰しないのかと訊いてみたら、仕事が忙しくて当分は難しいとのこと。忙しいといえば現団員もみんな忙しいのですが、一旦遠ざかってしまうと、なかなか踏み切れないということがあるのでしょう。
 再度舞台に出て、バードのミサ曲を歌いはじめます。この曲は荘厳ミサであって、6つの章がフルに揃っているのですが、第3曲であるクレド(信仰告白)はものすごく長く、歌うほうもしんどいし聴くほうも楽じゃないということで今回はカットしています。クレドはとにかく言葉数が多いので、どのミサ曲においてもやたらと大曲になります。短縮ヴァージョンであるミサ・ブレヴィス(小ミサ)ではたいてい省略されています。
 このミサ曲、練習場ではなかなか満足のゆく響きを得られなかったのですが、最後の練習のときに、いつも使っている巣鴨教会の集会室ではなく、同教会の聖堂を使わせて貰ったのが良かったようで、そこに至ってようやく「よく響く声の出しかた」が調った観がありました。
 1、2曲ずつ合唱祭などで歌っていましたが、こちらも『花と木のことば』同様、全曲(クレド除く)を通奏して人前に出したのははじめてです。いつも思いますが、わずか3つのパートのみで、よくぞこれだけ充実した響きを造り上げたものです。その感激が無ければ『花と木のことば』も作曲しなかったろうと思えば感無量でもあります。
 お客が入ると、リハーサルのときよりも響きがデッドになるかな、とも思っていましたけれども、冬場と違ってお客の服も薄着なので、そんなに音が吸われることもなく、気持ち良く歌うことができました。

 短い休憩をはさんで『花と木のことば』の全曲初演になりますが、それに先立って、清水さんと私でちょっとトークしました。このまえコーロ・ステラ『大地の歌 星の歌』を初演したときにも松永知子さんとトークしましたが、やっぱり企画としては作曲者に語らせたいものなのでしょうか。私が客として聴きに行っている立場であれば、作曲者の言い訳など特に聞きたくもならないのですが……
 清水さんはテレビの仕事もしているだけに、トークの進めかたはお見事というほかなく、私に好きなようにしゃべらせつつ、きちんと5、6分で終わるように誘導してくれました。ほとんど打ち合わせもしていないことを考えると驚くべきお手並みです。
 一旦ひっこんで、すぐに合唱団の一員として舞台に引き返します。
 第1曲「カンナ」の冒頭のソプラノの導入唱は、なかなか情感のある歌いかたにならず、練習ではさんざんダメ出しをくらい続けていたものでしたが、お客には案外と好評であったようです。このひと声で作品の世界に引き込まれた、というような感想がありました。
 終曲「木」の冒頭はフーガ風になっていて、男声・アルト・ソプラノの順に主題が導入されます。ソプラノが出てくるまでの部分、今回は男声とアルトのパートをソロにしてみました。男声パートは田川くん、アルトパートはマダムが単独で歌います。人数が少ないためにパート内での音色統一が厄介であったゆえの緊急避難措置みたいなものでしたが、アンケートではここのソロ(正確にはソロの複数であるソリ)を褒めたものがけっこうありました。そういえばミサ曲の中で、グローリア(栄光の讃歌)と今回省略したクレドでは、習慣的に冒頭の一節がソロで歌われることになっており、こちらは私が務めました。それを褒めていたアンケートも1枚あったと思います。合唱を聴く中で思いがけずソロが登場すると、ずいぶん印象的なのでしょう。
 客席で聴いていたらまた違った感想を抱くかもしれませんが、歌っていた身としては、まずまず満足すべき全曲初演であったと思いました。ただ客席に居たヴォイストレーナーの向野由美子さん、舞台裏でモニターで聴いていたピアノの鈴木真理子さんなどからは、あとで微妙に厳しい意見も寄せられたところを見ると、改善の余地は大いにあるということでもあるのでしょう。今後何度も再演の機会があり、その都度完成度が上がってゆくことを私も望んでいます。

 少し長めの休憩ののち、「なつかしい混声三部合唱の世界」と題した、既成の、つまり中学生向けに書かれた混声三部合唱曲を集めたステージがはじまりました。中学生向けに書かれた曲がなぜ歌いにくいかというと、ひとつには内容があまりに「青春」していて照れくさい、という点があります。そんな中で比較的、大人が歌っても違和感がないという曲をピックアップしてみたのでした。
 ピックアップするにあたっては、団員たちがそれぞれ自分の中学生時代に歌った曲などを挙げており、例えば「モルダウ」なんかも有力候補だったのですが、歌うのにけっこうエネルギーを要するのと、他の曲と組み合わせづらいということで却下されました。
 私は「ミスター混声三部」という称号を与えたい岩河三郎氏の作品を1曲は加えたいと考えていました。5年前に亡くなった岩河氏は、生涯を中学生向けの合唱曲の作曲に捧げたような人で、他のジャンルにはほとんど関心を示しませんでした。前に作曲家協議会の作品展があったときに出てきていましたが、
 「私のような者が、錚々たる作曲家の皆さんの中に混じってこんなところに出てきて、良いものでしょうか……」
 ときわめて謙虚なことをおっしゃっておられました。しかし混声三部合唱という編成を語る上では外すことのできない作曲家です。
 ところが、有名どころである「木琴」にしても「親知らず子知らず」にしても、これまた「モルダウ」と同じく演奏にかなりのエネルギーを要し、かつ自己完結性が強すぎて他の曲と合わせづらいのでした。
 それでも、どうしても岩河作品を入れたかったので、手元にある数冊の「クラス合唱曲集」を精査し、「燈台」というコンパクトな作品を見つけました。ごく短期間の版にしか収録されていないマイナーな曲ではありますが、「サブロウ節」は充分に感じられる上に、音とりも容易だったので、他の団員の賛意も得られました。このステージでは4曲目に歌いました。
 それから橋本祥路氏の「遠い日の歌」。こちらはいわば「どメジャー」で、クラス合唱曲集の常連となっている作品です。パッヘルベル「カノン」を下敷きにしており、確か板橋区演奏家教会ファミリー音楽会のエンディング曲としてもいちど使ったことがあります。照れくささギリギリといったところですが、まあ古典曲を下敷きにしているという点で今回採り上げる理由があると判断しました。
 アンジェラ・アキ「手紙~拝啓 十五の君へ~」は、NHK学校音楽コンクール中学生部門の課題曲として作られた作品です。近年のNコン課題曲は、J-popのソングライターに作らせた曲を合唱作家に編曲させる、という形のものがやたらと多く、毎年必ず、小学生・中学生・高校生のいずれかの部門でその形にしていると言っても良いほどです。どうもあまり感心しない方針なのですが、「手紙~拝啓 十五の君へ~」は、意外にもシルバーコーラスなどでもよく歌われているという「実績」を評価して採用しました。詞の内容が、タイムカプセルにでも入れられていたかのような、子供時代の自分からの手紙に、大人になった自分が答える……といった趣きのものなので、年配の合唱団にも受け容れられやすかったのでしょう。
 そして最後に「群青」福島原発事故の影響でほぼ全学区域が避難対象になってしまった南相馬市の中学校の生徒たちの持ち寄ったワードによって組み立てられ作曲された曲で、前にいちど合唱祭で歌ったことがあるので音とりが楽、という魂胆で選びました。その魂胆の陋劣さはともかく、曲そのものは演奏会の最後を飾るにふさわしい内容を持っていますし、何より関西の颱風被害や北海道の胆振東部大地震が起こったばかりのこととて、偶然にも非常にタイムリーな選曲となりました。お客にもそのタイムリーさが伝わったのではないかと思います。
 アンコールには「心の瞳」を歌いました。坂本九の「遺作」とされる歌で、やや人気が落ちてきた坂本九が大胆に方向を転換しようとした、その再出発の嚆矢となるはずだったものです。しかし大々的に市場展開する前に、彼は日航機墜落事故で悲惨な最期をとげました。ただ、生前最後と思われるラジオ番組でこの曲を披露したのを聴いていた高校の音楽の先生が、簡単な合唱編曲を施して生徒たちに歌わせたところから、むしろ合唱曲として弘まることになったのでした。数年前に放映された、合唱部を扱ったドラマ「表参道高校合唱部!」で何話めかのテーマとして歌われたのを見ていたマダムが、イチ押しした曲でした。
 この曲は正規のプログラムとして歌うつもりで、チラシにも曲名を出してしまっていたのですが、その後「6曲も歌うのはさすがに多すぎる」という意見が出て、どれを省くかと熟考した結果、残念ながら落選となってしまったのでした。ひとつには、フルに歌うとやたら長いという点がありました。もっと長いだろうと予想された「手紙~拝啓 十五の君へ~」よりもさらに長かったのです。それで、アンコールとして、2番を省略して歌うということにしたわけです。また実際、合唱の演奏会のアンコールとしてよく採り上げられる曲でもありました。
 チラシを見たお客は、もしかしたらプログラムに「心の瞳」が無いのでがっかりした人も居たかもしれません。しかしまあそういう人でも、アンコールで歌われたので良かった、と思ってくれたのではないでしょうか。

 時間が押すこともなく、むしろ予定時刻よりも少し早い按配で終演となりました。おかげでロビーでお客と会う時間が充分にとれました。
 今回、連絡がつく限りのChorus STのOB、OGたちに声をかけたらしいのですが、懐かしい顔が驚くほどたくさん見受けられました。彼らはむしろ、平日の夜だから来やすかったという感じかもしれません。終演後彼らが残っていてくれたのは、佳い演奏会だったからだろう、と清水さんが言っていました。確かに、自分が以前所属した合唱団の演奏会が微妙な出来だったら、あんまり現メンバーと顔を合わせる気がせず、そそくさと帰ってしまうかもしれません。
 それにしても、OBだけで充分ひとステージ持てるのではないかと思いたくなるほどの賑わいでした。私は話を交わしたみんなに
 「復帰しないの?」
 と訊ねてみました。実際、男声などは切実にウェルカム状態でもあります。しかしみんな、
 「いやあ、それはどうも……」
 と苦笑して言葉を濁すばかりでした。やのクン同様、かつて若かったみんなも齢を重ねてえらくなり、なかなか金曜夜の練習に参加できるような時間的余裕がとれないのでしょう。繰り返しますがそれは現団員も同様なのですが、一旦離れていたのを復帰するにはかなりの覚悟とエネルギーを要するものと見えます。彼らが定年で会社をやめるのを待つしか無いのかもしれません。

 入谷駅近くの小さなイタリア料理店で打ち上げをしました。自宅が遠い人たちは途中で抜けましたが、大半は午前零時くらいまで打ち上がっていました。タクシーを拾って帰った人が多かったものの、私たちは往路と同様鶯谷駅まで歩いて、京浜東北線の電車で帰宅しました。金曜日の終電近くなので相当に混んでおり、大きなスーツケースを抱えた私たちは少々迷惑だったかもしれません。なお、帰りのスーツケースにも、余ったプログラムをだいぶ詰め込んできましたが、お客に配った分の他、団員たちにも10冊ずつくらい持って行って貰ったので、だいぶ軽くはなっていました。
 第7回演奏会がやはり金曜の晩で、しかも年末だったので、帰りの電車の混雑が殺人的だったのを憶えています。そのときはよりによって品川教会での開催で、川口へ帰る京浜東北線の電車は最初から大混雑で、途中の東京駅でも上野駅でも乗ってくる人は居ても下りる人はほとんど居らず、身動きも取れない状態で1時間近くラッシュに揉まれていたものでした。
 金曜の晩の演奏会というのはその辺を警戒すべきで、私らもタクシーを拾ったほうが良かったろうかと後悔したのでした。

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