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30年の終わりを前に [いろいろ]

 平成最後の年末が暮れようとしています。
 もともと、今上陛下がご即位なさったのも55歳くらいになってからのことでしたので、平成という年号そのものはそう長くはならないだろうと予想されていました。30年まで保ったのは立派なものだと言えそうです。
 しかもその時代の終わりは、天皇陛下がご高齢のため譲位なさるという、意外な形で訪れることになりました。皇室典範にも憲法にも、天皇の退位についてはまったく触れられて居らず、天皇というのは崩御なさることでしかその地位を下りられないのだと、みんな漠然と思っていたようです。
 前にも書きましたが、孝明天皇以前は、むしろ生前に譲位なさることのほうが普通でした。古代はそうでもありませんでしたが、聖武天皇が「皇太女」であった孝謙天皇に譲位して以来、崩御まで帝位にあった天皇のほうが少数派です。平安時代には32人の天皇が居られますが、そのうち22人は譲位しています。鎌倉時代にも15人中13人が譲位し、在位中に崩御した四条天皇後二条天皇も若死にであったためにそうなっただけで、いわば事故みたいなものでした。もう少し長生きしていたらおふたかたとも譲位されたことでしょう。
 江戸時代のような長期にわたって平和な時代でさえ、15人中10人が譲位しているのです。
 明治時代に生まれた皇室典範が、譲位について触れていないのは、明治天皇ご自身がその時点で壮年の君主であり、天皇がご高齢のためにその任に堪えなくなるという可能性など誰も考えなかったからだろうと思います。大正天皇がもっと長期にわたってご不例であれば、あるいは譲位という問題も生まれていたかもしれませんが、比較的早くに亡くなられたために問題になりませんでした。

 皇室典範が譲位を想定していなかったのは、その他、隠退した天皇──つまり上皇とか法皇とかいった存在が、歴史的に見ていささか迷惑なものだったという理由もあったかもしれません。もちろん、大多数の上皇は別に問題を起こしてはいませんが、明治の人々は、やはり白河後白河後嵯峨後醍醐といった、インパクトの強い上皇や法皇たちのイメージを持ってしまい、ああなっては困ると思ったのではないでしょうか。
 それと同時に、平安時代限定ですが、外戚が力を持ち、天皇の進退まで口を出すというような事態になることをおそれたという面もあったでしょう。外戚と言ってもほぼ藤原氏ですが、平安時代の権勢の握りかたというのは一種独特でした。まず自分の娘を現天皇の后に押し込みます。それだけではダメで、その娘が産んだ子が皇太子に指名されることで、やっと権力を握ることができるのでした。権力の源泉は、「次期天皇の外祖父」という地位にあったのです。中には自分の外孫に早く皇位をまわすように、現天皇に硬軟様々な圧力をかける不届き者も居たようです。こんな存在が出現することを、明治の指導者たちは望みませんでした。
 またおそらく、皇室典範に譲位の規定があれば、昭和天皇は終戦と共に譲位していたかもしれません。そういう話も無かったわけではないようですし、また先帝陛下ご自身にとっても「戦争の責任をとって皇位から下りる」という形のほうがお気持ちが楽だったのではないでしょうか。しかし典範にも憲法にも退位の規定が無かったがゆえに、昭和天皇は「在位したまま、国民と苦難を共にする」という道を歩まれることになったわけです。結果としてはこれが非常に好判断であったと思いますが、憲政の申し子のようであった昭和天皇としては苦渋の決断であったに違いありません。
 昭和天皇はあくまで法に従って在位し続けましたが、今上陛下はあえてご譲位のご意志を示されました。今上陛下も憲政については非常に真摯なお人柄ですが、ここであえて典範に逆らうようなご意志を示されたのは、ご自身のことよりも、今後超高齢化に向かう日本のゆくすえをお考えになったからではないかと私は拝察いたします。寿命が延び、医療も発達した現在、天皇もまた、50代60代に至ってようやく即位し、その後高齢となっていろいろしんどくなってもその地位から去ることができないという事態が、毎回のように起こってくるはずです。おそらく陛下は、次代、次々代、さらにそのあとの皇位を慮られたのでしょう。だから本当は、典範の改正をなさりたかったのではないかと思うのです。
 そのお心を知ってか知らずか、政府は譲位について、今回限りの特別立法として対応することにしました。これでは次の天皇陛下が、同じように高齢となり、その任に堪えないので譲位したいとのご意志を示されたとき、また最初から法制化をおこなわなければならなくなります。まあ、「前例」があったということで、今回よりはスムーズに運ぶだろうとは思いますが、それにしても結局、問題の先送りになってしまいそうです。
 将来を見据えたであろう今上陛下のお心は、残念ながらあまり酬われずに済んでしまった観があります。立憲君主として、天皇は法制を変えるように「命令」することはできません。政府が「今回限りの特別立法」と決めたのであれば、それ以上押すことは無理なのです。しかし陛下は確かに一石を投じられたのであり、その一石がいずれ大きな波紋を呼び起こすことを望まれておられるのではないか……と、下司の勘繰りのようなものですが私は考えています。

 ともあれ、平成30年が、間もなく終わろうとしています。
 ところで、そのものズバリの「平成三十年」という小説がありました。堺屋太一の近未来小説で、平成10年朝日新聞に連載されました。堺屋氏は歴史もの著作が多いのですが、デビュー作「団塊の世代」やその後の「油断!」などは近未来ものです。それらの作品が描いた「近未来」はすでに到来しており、どのくらい的中したかという検証が可能なあたり、ずいぶん怖いジャンルを手がけていると思います。
 「平成三十年」は、平成10年の時点で20年後を予測した小説であるわけですが、ちょっと可笑しいのは、登場人物の名前がみんな戦国武将のパロディになっていることです。主人公は木下和夫という43歳の官僚ですが、これは木下藤吉郎つまり豊臣秀吉のパロディです。ただし秀吉のように才気煥発で出世街道をばく進するキャラではなく、まあ時代に漫然と流されている風の人物になっています。
 木下の上司であり、次々とヘンテコな施策を打ち出す産業情報大臣(当時の通産省の発展型)が織田信介。産業情報省の通商局次長が明智三郎柴田とか丹羽とかの役人も出てきます。大臣の秘書の名前は森蘭子でした。総理大臣は三好慶三で、武田幹事長なんてのも居たように記憶しています。
 おふざけが過ぎるという意見もあったようですが、作者によると、こういう名前を使うことで、それぞれの立ち位置について冗長な説明をしなくて済むメリットがあるのだそうです。しかし趣向がいささかマンガっぽくなってしまったのは確かです。
 私がネットをはじめて間もない頃、この「平成三十年」を批判するサイトを見たことがあります。時期的に言うと、書かれて10年弱くらい経った頃と思われ、予想した「20年後」のだいたい半分くらい経過した時点だったのではないかと思います。
 小説に登場する小道具やら施設やらについて、事細かに取り上げて、かなり嘲弄的に批判していました。「こんなバカなことを書いてる。アホだね~~」という感じの書きぶりです。この人は堺屋太一氏に何か恨みでもあるのかと思ったほどでした。
 確かに「サイバー茶室」なんぞというよくわからない施設が出てきたりしていて、これは私も首を傾げざるを得ません。「サイバー茶室」と言って現在イメージするのは電脳空間上の一種のチャットルームみたいなものでしょうが、小説内で描かれているのは、何やらカラオケルームが発展したようなもので、そこにお偉いさんが「実際に」集まって密談をするなんて設定になっています。まあ、戦国時代の茶室を無理矢理現代(近未来)に移しているわけなので、やや失笑ものであるのはやむを得ないでしょう。
 そういう、個々のアイテムのツッコミどころはいろいろありますし、社会風俗などの予測も必ずしも当たってはいませんが、実際に平成30年となったいま、この小説は本質的なところで意外と的中していたのではないかという評価が高まっているようです。
 この小説に描かれたインフレによる名目GDPの伸びということは実現せず、日本はいまに至るまでデフレが続き、インフレ目標率2%というのも一向に到達しません。しかし、少子高齢化による社会保険負担の増大、受給額の減少といった問題はそのとおりになっています(ただし、この件はわりと予測しやすかった気もしますが)。そして何よりも、小説全体に漂う閉塞感が、まさに現代を見通しているようです。息が詰まるような状態を打破しようとした改革派の織田大臣は、ラストで、過失だか仕組まれたことだかよくわからない飛行機事故で消息を絶つのでした。
 私は20年前に新聞連載で読んだばかりで、その後単行本や文庫本になったものは読んでいません。堺屋氏は単行本化や文庫本化をするときには、ほとんど全面改稿に近いほどの改訂をおこなう作家のようなので、いま流布している版は私の読んだのとはだいぶ違っているかもしれません。せっかくなので、また検証のつもりで読み返してみようかと思っています。

 未来小説というのはそうそう的中しないものですが、現在のコンピュータ社会をもっとも正確に予測したのは、意外にも星新一であったと私は考えています。
 コンピュータが発展した世界を描いた未来小説はたくさんあり、人類がコンピュータに支配されるなんてのも枚挙にいとまがありませんが、そのほとんどは、超巨大で人格的なマザーコンピュータが存在して、人々の一挙手一投足に眼を光らせているという設定です。で、少しでもマザーコンピュータに批判的な言動をすると人知れず消されたりします。
 しかし、星新一氏の「声の網」という長篇小説には、どこに司令塔があるというわけでもない、完全にネットワーク化したコンピュータが登場します。1970年ごろにネット社会を予測できたというのは大したものです。
 ここに登場するコンピュータは、電話による通話に介入したりして、けっこう不気味なのですが、基本的には「人間がより良く生きられるように」という方針で動いています。このあたりも、独裁者然としたマザーコンピュータとは一線を画しています。そして、人間はコンピュータたちに身をゆだねていたほうが幸せなのかどうなのか……という最後の結論は下さずに、余韻を持って終わっています。
 現実も、超巨大マザーコンピュータとその端末という、階層的なコンピュータ社会には進んでいません。コンピュータはネットワークとなり、どこかに不都合が生じてもすぐに迂回して連結が図れるような形になりました。人間の意思の集合体が電脳空間を走りまわるようになり、いままで情報を一元的に配っていた新聞やテレビなどの影響力が眼に見えて低下しています。
 前にも書きましたが、わずかなフラグメントから特定地点や特定個人を探し出してしまうネットの力は、警視庁の敏腕プロファイラーをしのぐほどではないかと思います。ネットには不確かな情報、嘘の情報もあふれていますが、逆にふたことめには「ソースは?」と問われる厳しい世界でもあり、不確かだったり嘘だったりする情報はごく短時間で淘汰され修正されます。それはもう、新聞社やテレビ局が誤報を認めることに較べれば何倍も速いと言えるでしょう。
 それでいて、ネットには司令塔のようなものがありません。専制国の独裁者が、ネット上の言論に怒って首謀者を粛正しようとしても、そもそも首謀者なる者が存在しません。アメーバのように瞬間瞬間で形を変えるネットワークがうごめいているばかりです。ネットの力は、間もなく国家権力のありかたをも変えてしまうところまで来ているのかもしれません。
 平成の30年間で、もっとも変容したものは、情報ネットワークの形と言って良いのではないでしょうか。それは星新一氏や堺屋太一氏の未来小説すらも超えて、とめどなく巨大化と深化を繰り返しています。次の30年を最後まで私が見ることができるかどうかは微妙なところですが、面白い時代に生まれ合わせたものだと思っています。

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