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平成最後の新年のご挨拶 [お知らせ]

 皆様、1日遅れましたが、あけましておめでとうございます。
 去年(2018年)は、年明け早々の1月2日、家の鍵を紛失して、ドアの錠前を付け替えなければならないという、幸先の良くないはじまりかたでした。元旦に実家を訪ねて帰宅して、そのとき普通に錠を開けて家に入ったのに、翌日買い物に出ようとしたらその鍵が見当たらなかったのです。部屋じゅうひっくり返して、年末にあんまりしっかり掃除していなかった自分の部屋を、期せずして大掃除するような騒ぎになりましたが、鍵は出てきません。結局1年経ったいまも、そのときの鍵は発見できていません。
 単独の鍵ではなく、ピアノ教室の鍵なども一緒になった鍵束で、大きさも重さもそれなりにあり、どこかにまぎれてしまうなどということは考えにくいのですが、ともかく杳として見当たらないので、仕方なく錠前を付け替えたのでした。住んでいるマンションの保険により、職人の出張費はタダで済んだのですけれども、錠前そのものの代金はとられました。イスラエル製の、鍵の偽造ができない錠前だそうで、だいぶ高くつきました。
 年はじめからそんなケチがついてしまい、どうもよろしくない年になるのではないかと不安を覚えたものです。
 そして実際、間もなくインフルエンザにかかってしまいました。それまでもう20年以上、インフルエンザになどかかったことが無かったのに、どこで貰ってきたのか39度の高熱が出て、久々に七転八倒の想いを味わいました。病気のおかげで、いくつか仕事をキャンセルせざるを得ず、その分の収入も取り損ねました。日銭稼ぎの生活ですので、病気はそのまま減収につながってしまいます。
 3月にはパソコンを新調しました。そのこと自体はむしろ慶事と考えるべきかもしれませんが、前のマシンがあまりに使えなくなり、大切な作成データを何度か飛ばしてしまうという惨事を経てのことでしたから、満身創痍でやむを得ずといった観がありました。官公庁や企業で使っていた型落ちのマシンを安く頒布するというイベントに出かけて入手したので、4万円ほどで済んだのですが、それでも予想外の出費であることに変わりはありません。
 しかも12年ぶりの買い換えとあって、使えないソフトがいくつも出現してしまい、その更新にもお金がかかりました。記譜ソフトのfinaleなどは仕事で常用しますから、どうしても更新せざるを得ません。前のマシンで使っていたfinale2006は、新しいマシンに入れてみると、セーブ(保存)ができないという致命的な不具合が生じてしまいました。仕方なく最新版のfinale25にヴァージョンアップしましたが、まあそれなりの金額ではありました。
 そして10月には、まるっきり自分の不注意によるものながら、自転車で電柱に激突して要らぬ怪我をしました。唇を表裏3、4針ずつくらい縫い、左手の人差し指を骨折し、前歯が欠けてしまいました。生涯2度目の救急搬送を経験し、それなりの医療費を取られました。
 唇は1週間後に抜糸されましたが、まだ縫い目が残っていますし、感覚としても微妙に突っぱった感じが拭えません。完治するものなのか、ずっと痕が残るのか、よくわかりません。
 骨折のほうは2週間で副木が外されましたが、それは治癒を意味するわけではありませんでした。指の骨折の場合、長期間固定していると、治癒後も動かせなくなってリハビリに手間取るので、折れた骨がくっつこうがくっつくまいが、短期間で固定を外してしまい、動かす訓練をはじめるというのが最近の傾向であるようです。4週間で診て貰ったときにはまだ充分にくっついていなかったようで、さらに8週間で診て貰って無罪放免となりました。しかしまだちょっと、人差し指を動かすには鈍い感じが伴います。
 前歯の欠けたところは、まだ治しに行っていません。ポッキリ行ったわけではないのでそんなに手間はかからないと思いますが、それにしてもまた治療費は必要でしょう。
 指の骨折のため、またもや仕事を若干キャンセルしなければなりませんでした。当然また減収です。

 そんなわけで、去年はどうもろくなことのなかった1年だったという印象があります。
 さらに残念なことがひとつありました。「作品」を1曲も書けなかったことです。
 いままで、オリジナル作品がまったく無い年というのはありませんでした。作曲と呼べる行為をはじめたのは4歳の頃でしたが、そこから数えての話です。もちろん大学に入るまでは作品と言っても習作みたいなもので、整理番号をつけたものも少ないのですが、それにしても何かしらは書いていました。大学を出て、注文を受けて書くようになったわけですけれども、小品1曲なんて年も無かったではないとはいえ、まるで整理番号が増えなかった年というのは、2018年がはじめてのことです。これは私にとってはゆゆしき事態と言わざるを得ません。
 もちろん、楽譜は大量に作りました。あちこちから頼まれる編曲、それからweb上でやっている譜面作成サービス。譜面作成はけっこうまとまった依頼もあり、順調に軌道に乗っているなという感触を得られていますけれども、これはやはり、あくまで副業というか小遣い稼ぎです。
 編曲も、仕事の依頼としては作曲よりも主力に近い状態になっているものの、やはり自分にとっては本業ではないという気分があります。
 作曲したものがひとつも無い年が出現したこと自体、私としてはいささかショックでした。
 まあ、自分の曲のオーケストレーションということをはじめて、この作業はなかば作曲に近い気分で進められはします。『星空のレジェンド』のオーケストラ化は、いま前半を終えたところで休止していますが、完成すればOp.84aとかいうことになるでしょう。けっこう楽しい作業で、ちょくちょくfinaleの試演用ソフトシンセで音を鳴らして、

 ──やっぱりこの曲はオーケストラにしたほうが映えるなあ。

 などと悦に入っています。まあ作曲に準ずる作業であるとは言えると思います。これから『セーラ』も同じ作業が待っていますし、『レクイエム』などもいずれオーケストラにしたいものだと思っています。自作のオーケストラの書きかたに馴れてきたら、そのうち協奏曲とか交響曲とかにチャレンジしたい気持ちもあります。そんなわけで夢はいろいろ拡がるのですが、それにしても2018年という1年間に完成したものが無かったという事実は動かせません。
 今年は、なんとか作品を残せる年にしたいと思います。

 世の中に眼を向けてみると、どうにも胸苦しい想いがつのるばかりです。
 元日そうそう、原宿竹下通りではクルマの暴走で重軽傷者が出ました。いまのところ死者が出ていないのは救いと言えますが、まるでフランスや英国で起こったテロそっくりで、いきなり暗澹たる気分にさせられました。犯人は監視カメラ映像により簡単に特定され逮捕されました。監視カメラ導入のときには、プライバシーが無くなるとか息苦しい監視社会になるとか言って反対する人が多かったものですが、いまとなってはその必要性を疑う人はほとんど居ないでしょう。去年のハロウィンのときに渋谷で軽トラックをひっくり返した連中も、あの大混雑の中から、監視カメラ映像を丁寧に解析することで、全員が特定されお縄となりました。
 原宿の犯人は、最初テロリストを称しており、次いで「死刑執行への報復だ」と言い出したそうです。「死刑制度への抗議」ではなく「死刑執行への報復」と言ったということは、オウム真理教残党のアレフ関係者あたりなのだろうか、などと想像もしましたが、まだ動機その他についてははっきりしていないようです。なんだかんだ言って、結局「むしゃくしゃしてやった」あたりにおさまりはしないかという気もします。いずれにしても2019年という年の幸先を汚すような事件でした。
 なお同じ日に、ドイツでも似たような事件が起こり、こちらは死者も出ている模様です。洋の東西を問わず、殺伐とした世の中になってきたものだと思います。
 秋からの消費税増税は、多くの人々の見直し待望論を押し切って、避けられなさそうな状況ですし、外国人労働者の問題もどうなることやら。増税で、せっかく上向いてきた景気がまた一気に失速するのは眼に見えています。個別にいろいろ軽減税率などやったところで、全体の停滞感は拭えるものではありません。去年、財務省の不祥事があれこれと明らかになったところで野党などがぐいぐいと攻めれば、あるいは見直しがなされる可能性もあったかもしれませんが、野党がやったことは麻生財務大臣の辞任要求とかそんなことばかりで、本質的な問題には一向に切り込もうとしませんでした。去年1年で、野党の存在感はいよいよ薄くなったと言わざるを得ません。
 外国人労働者問題は、法改正をして、いままで曖昧に済ませてきたあたりを明確化するという点では、それなりに意味があることかもしれませんが、これも本質的なところでは、企業が社員や非常勤職員の賃金を上げたくないという魂胆があって求めたことである以上、停滞感は変わらず続くことでしょう。さんざん指摘されてきた生活保護や健康保険の不都合についてはメドがついているのでしょうか。
 年末に起こった韓国海軍のレーダー照射事件も不気味です。韓国では例の戦時労働者訴訟(実は「徴用工」ではなかったので、日本政府は徴用工という言葉を使わないことに決めたようです)もあり、その前の観艦式での旭日旗拒否の案件もあり、最近は矢継ぎ早に日本の心証を逆立てるような振る舞いに及んでいます。もはや挑発を重ねて日本側から手を出させるのが目的ではあるまいかと勘繰りたくなるほどですが、そのくせ日本側が珍しく強硬に対応すると、あわてふためいたように「日本は少し冷静になるべきだ」「こんなことで韓日の関係を冷え込ませてはならない」などと「どの口がほざく」と言いたくなるような弁明をはじめます。もう本当にこの国は、いかなる意味でも相手にしないのが正解ではないでしょうか。
 レーダー照射はいわば「ロックオン」であって、相手に銃を突きつけて撃鉄を起こしたような行為ですから、即座に撃ち返されても文句は言えないし、世界中の誰が見ても正当防衛だと判断するでしょう。韓国としては平謝りに謝罪するよりほか、ことをおさめる方法は無いはずなのですが、次から次へとすぐバレる嘘の言い訳を繰り返して謝罪から逃げています。二転三転どころか、すでに六転七転くらいしているようです。
 その韓国の醜態はともかく、意図的であっても戯れであってもついうっかりであっても、日本近海で日本の自衛隊機に対してロックオンしてくるような相手と、まともにつき合えるとは思えません。
 日本の政界や経済界にはいまだに、これから北朝鮮中国を相手にしなければならない状況で、韓国ともめるのは得策でない、と主張する向きがあとを絶ちませんが、おそらくそういう態度こそが韓国を増長させてきたわけです。すでにかの国は日本の友好国ではなくなっているということを前提に腹を据えるべきです。
 同じく年末、「クジラ愛好会」と化してしまった国際捕鯨委員会からの離脱がおこなわれました。もはやどれほど理を尽くして捕鯨の正当性を主張してもまったく聞き入れて貰えない状態だったそうですので、委員会に属している意味が失われたと判断するしかなく、脱退もやむを得なかったでしょう。
 これに関しても、外務省は「日本の信用が失われるのではないか」と及び腰であったと聞きます。戦前の国際聯盟脱退のことなどを思い浮かべたのかもしれません。しかし水産庁が強硬でした。クジラは種類によっては増えすぎていて、彼らが文字どおり鯨飲馬食するために、他の水産資源に影響が出ているというのでした。
 旧態依然の事なかれ主義の観のある外務省を差し置いて、日本は従来になく「主張する国」になりつつあるようです。USAが抜けて日本がいわば「筆頭」となって牽引役を務めるTPPなども同様でしょう。これはある意味良い傾向と言えます。諸外国も、いままで日本ほどの国が自国の意志をあまり表明してこないことに不安と歯がゆさを覚えていたというところが多く、最近の積極性は歓迎されているようです。
 もちろん「主張する国」となれば、他国との主張の衝突、摩擦といったことも増えてきます。外交的なストレスは今後どんどん増加するでしょう。それも含めて、やはり日本は「腹を据える」ときに来ているのだと思います。ぬるま湯のような平成時代はもうすぐ終わるのです。

 皆様の今年の抱負はどのようなものでしょうか。ともかく、今後ともよろしくお願い申し上げます。

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