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自転車と私 [趣味]

 久しぶりに、ピアノ教室まで自転車で行ってきました。
 去年の秋に自転車で電柱に激突する事故を起こし、くちびるに歯が突き刺さって6、7針縫ったり、人差し指を骨折したりする大騒ぎになって以来、あまり自転車で長距離は走っていません。
 あの事故で、自転車そのものは奇跡的にほぼ無傷で、車輪がひしゃげもしなかったしフレームが歪みもせず、その後も近所の買い物などには元気に自転車で出かけていますが、片道30分40分かかる場所に行くのは、まだなんとなく不安が残ります。
 具体的に言うと、ピアノ教室、板橋巣鴨教会への往復に、以前は自転車を使うことが多かったのでした。
 板橋というのは演奏家協会関連全般で、大山文化会館であったり、その近くのグリーンホールであったり、あるいは会議のためそのあたりの区民集会所に行ったりすることを含みます。実のところ電車で行こうとすると赤羽池袋で乗り換えねばならず、四角形の三辺を行くようなものなので、板橋関連については自転車のほうが早く着いたりします。徒歩と電車だと所要時間45分を切るのは困難ですが、自転車だと40分を切ります。
 巣鴨教会はChorus STの練習場所です。巣鴨と名がついていますが、実際にはJRでは大塚駅が近く、メトロ丸ノ内線新大塚だともっと近くです。ここへは特に自転車のほうが便利というわけでもなく、50分ほどかかるのですが、交通費節約のために以前はよく自転車で行っていたのでした。もっとも、最近はChorus STの練習の前にクール・アルエットの指導が入ることが多いため、ほぼ電車移動となっています。
 そして戸塚安行のピアノ教室です。何度か書きましたが、ここへは電車でも、バスでも、自転車でも、だいたい同じくらいの時間がかかります。電車は乗車時間は短くて済むのですが、駅からの徒歩時間が長くなってしまいます。バスは停留所は駅よりも近いものの、けっこうな乗車時間がかかります。ひとつだけショートカットするルートがありますが、極端に便数が少ない路線です。
 そんなわけでどの方法を用いても、早くて45分、ないし1時間ほど見なければなりません。
 晴れている限り、ずっと自転車を使っていたのですが、事故以来バスで往復するのがメインになりました。

 しかしながら、やはり交通費がかさむと言わざるを得ません。板橋だとだいたい往復600~700円くらいかかります。巣鴨教会はまあ現状やむを得ないところがありますが、ピアノ教室のほうも往復600円内外、たまに電車を使うともっと高くなります。教室へはほぼ毎週通いますので、月に2500円くらい交通費に充てなければならないことになります。板橋も、本番が近くなってリハーサルが立て込んだりすると、お札が飛ぶように消えてゆきます。
 そろそろ自転車での往復を再開するべきかとも思うのですが、マダムが心配してあまりいい顔をしません。また電柱にぶつかったらどうするのかと言います。このあいだは家の近くだったからまだ良かったけれども、家から遠い場所でやらかしたら大変だというわけです。
 そんなわけで、いまのところ長距離走行はあんまりしていません。板橋と教室へ、それぞれ1回ずつ行ったこことがあるばかりです。板橋のほうは、夜にかからず、明るいうちに帰れる機会に使ってみました。教室へは、確か春先、比較的うららかな陽気で、帰りも早いことがわかっているときに1回試してみました。
 試した感じでは、そんなに問題はありませんでしたが、なにせ何ヶ月ぶりだったので、えらく疲れました。
 今日は教室への2度目です。陽が長くなって、帰りは明るいうちに帰れます。ただひどく暑く、夏日だか真夏日だかでした。
 暑いと言っても、本格的な夏とは違って、湿度がそう高くないため、やりきれない蒸し暑さというわけではありません。日陰を走って風が当たったりすれば、かなり気持ちの良いサイクリングになりました。
 無事に行って帰って来られましたけれども、やはり久しぶりだけあって、筋肉が少々衰えていたものと見え、帰り道では太ももが若干攣(つ)りそうになりました。信号待ちで左足を地面について若干体重をそちらにかけると、筋がキューッと固まってきそうな気配だったので、あわててつく足を右足にしたところ、そちらも固まりそうな勢いでした。
 「うわ、両足かよ」
 とつぶやき、かろうじて攣るのを回避し、それからは信号待ちのとき、なるべくどちらかの足に体重がかからないように、こわごわ両足のつま先でバランスをとっていました。接地したときに攣ってしまうと、たぶん転倒してまた大変なことになります。
 帰宅途中でショッピングモールに寄って買い物をしましたが、そのときに歩く分には別になんともなかったので、やはり自転車をこぐときに使う太ももの筋肉が衰えていたものと思われます。うちから近い店に買い物に行く程度の短距離使用では、筋肉は鍛えられないのでしょう。そろそろ長距離使用を本当に再開すべきと思います。

 私が最初に買って貰った自転車は、確か22型のミヤタだったと記憶しています。長岡に住んでいた頃だったか、経堂に越してきてからだったか。長岡ではむしろ三輪車に乗っていたイメージが強いのですが、末期くらいだったかもしれません。
 当然最初は補助輪をつけていましたが、わりに早めに外せたのではなかったかと思います。運動神経の鈍かった私ですが、案外とバランス感覚は悪くなかったようです。
 いつ頃までその自転車に乗っていたかはよく憶えていません。中学に入った頃には中古の26型に乗っていたと思いますので、小学校のいずれかの時点で買い換えて貰ったのでしょう。
 小学2年から5年、田無に住んでいた頃は、よく自転車で走り回っていました。学校から帰ると、ちょくちょく近くの児童館に行って遊んでいたのですが、その児童館には自転車で行っていたのだと思います。小金井公園にもよく遊びに行きました。自転車好きな友達も居て、多少遠出もしていたようです。
 6年生になるときに武蔵野市に引っ越しました。鉄道の駅では吉祥寺駅を使いましたが、バスで5区間ほどあり、歩くには少々遠い距離でした。そうなると活躍するのは自転車です。前に住んでいた田無のほうへもときどき行く用があり、そんなときも自転車を使ったりしました。
 中学は吉祥寺から井の頭線に乗って通うロケーションでしたので、雨の日以外は駅まで自転車に乗ってゆき、駅前に駐輪して電車に乗るのが毎日の習慣となりました。いちど、その駐輪場で現金の入った財布を拾って交番に届け、持ち主が現れなかったので半年後にそのまま貰ったことがあります。
 高校も同じ場所だったので同様に通い続け、高校2年の冬に現在の実家のある代田に引っ越し、それからは自転車で直接学校に通うようになりました。

 私の乗っていたのは一貫してママチャリで、サイクリング車とかマウンテンバイクなどに乗ったことは無いのですが、それでも自転車で走ることが好きで、かなり遠出したことがあります。
 高校生になってからだったと思いますが、武蔵野の家から、多摩湖やら青梅やら飯能やらまで、ひとりでサイクリングしたことがあります。母に頼んで弁当を作ってもらったこともあったかもしれません。
 家の近くに水道道路というのが通っていて、玉川上水沿いのサイクリングロードになっていました。これをひたすら走ると、そのうち西武多摩湖線に行きあったので、そのまま線路沿いに多摩湖まで行ったように思います。
 また、武蔵野の家から田無に行く際、青梅街道を通ります。その青梅街道をひたすらに走って青梅まで行ってみたのでした。青梅鉄道公園に寄り、それから砂川街道を通って五日市のほうに抜けました。途中で大久野という、全然知らない駅に行きあってびっくりしました。電車に貼られた路線図でも、時刻表でも、そんな駅のことは見たことも聞いたこともありません。実は国鉄(当時)五日市線の貨物支線の駅で、昭和57年に廃止されましたが、私が通ったときはかろうじてまだ営業していたのです。かつては旅客営業もしていたので、駅舎や、ホーロー引きの駅名票などがそのままになっていたのでした。帰ってからそのことを知り、これだから自転車で走り回るのは良いな、と実感したものでした。
 飯能へ行ったときはどういうルートを通ったのだったか、たぶん八高線箱根ヶ崎駅あたりまでは前と同じく青梅街道を走り、そこから北上したような気がします。このときはアホなことに、天覧山という小さな山に、自転車を押したまま登ってしまいました。小学校の時分、この天覧山と、近くの名栗川の河畔に遠足に来たことがあり、その想い出を辿ろうと思ったのでしょうが、それにしても自転車を押して登れてしまうとは、記憶にあった以上にチョロい山であったようです。

 高校時代にそんなことをしていたせいか、浪人時代に同じ浪人仲間のフクオカくんからお誘いを受けました。夏休みに、自転車で野辺山まで行ってこないかと言うのです。野辺山に彼のお父さんが借りている別荘があり、そこを訪ねてこようという話でした。私は即座に賛成しました。
 フクオカくんは町田に住んでいるので、代田から出てくる私と、府中あたりで落ち合うことにしました。私は真夜中に出発して甲州街道を走りましたが、途中で警官に不審尋問を受けるはめになりました。思うに、ママチャリであったために、盗んだのではないかと疑われたのでしょう。
 登録ナンバーを照会したものの、住所を2年ほど前まで住んでいた武蔵野から代田に移していなかったので、また少々ややこしいことになってしまいました。結局疑いは晴れたものの、だいぶ時間をロスしました。もっとも、待ち合わせ時間にはそれほど遅れなかったような気がします。
 最初の予定では、秩父から中津川林道を抜けて信濃川上に下りるつもりだったのですが、颱風のためだったか中津川林道が不通になっており、かなり大回りをしました。初日は荒船鉱泉の民宿に泊まりました。荒船鉱泉といえば下仁田の先ですから、群馬県を経由したわけです。翌日の内山峠越えはものすごくきつく、とても自転車に乗ったままでは登れません。ひいこら言いながら押しました。私はママチャリでしたが、フクオカくんの自転車は一応サイクリング車で、しかしやたらと年季の入ったオンボロでした。いかにオンボロでも、サイクリング車らしくギアチェンジが可能で、坂道ではママチャリの私よりは楽そうでした。
 なんとか佐久市の市街まで下りてきましたが、私はすっかりばててしまい、フクオカくんのお父さんにクルマで迎えに来て貰って、最終段階は自転車を屋根に積んで送って貰いました。昼食をとろうとラーメン屋に入ったのですが、ラーメンがまるっきりのどを通らず、ひたすら水ばかり欲していたのです。私の生涯で「本当にばてた」のはあのときだけかもしれません。内山峠越えの疲労と暑さとで、脱水症状になってしまっていたようです。
 それでも翌日になるとちゃんとまた自転車をこげたのですから、若かったと言うべきでしょう。帰りは小淵沢のほうに出て、ひたすら甲州街道を走りました。アップダウンが多く、細かく峠を越えて下りてくると次の駅前集落、という繰り返しでした。
 フクオカくんとは相模湖のほとりで別れました。町田に住む彼は、津久井湖のほうを通ったほうが帰りやすかったのです。私はそのまま甲州街道を走りましたが、神奈川県と東京都を隔てる大垂水峠越えは内山峠越えにも匹敵するほどのしんどさで、しかも峠越えにさしかかる頃になって雨が本降りになってきました。峠を越えたのちも家までは40キロくらいあります。ほうほうのていで帰ってきました。

 こんなに自転車好きだった私が、川口に越してしばらくしてから盗難に遭い、それっきり十数年間自転車を使わずに過ごしていたというのが、なんだか不思議な気がします。自転車で「通う」べき場所が無かったからかもしれません。教室や板橋へは、その時期は自転車で行き来するという観念がありませんでした。
 結婚の少し前に足の甲を骨折し、歩くのに不便だったので、久方ぶりに自転車を購入しました。足の甲を折ったのなら自転車のペダルをこぐのも大変なのではないかと思いましたが、そんなことはありませんでした。ついでにちょくちょく家へ来るマダム、当時のはっちぃが便利なようにと、色違いの同型の自転車も買いました。
 ちょうどその年、王子北とぴあで、独特な調律にもとづくモーツァルトレクイエムを演奏するというイベントがあり、それに参加していたので、北とぴあまで自転車で行ってみました。すると案外楽だし、電車に乗るのと較べてもそんなに時間がかかりません。それで味をしめ、あちこちに自転車を走らせることをはじめたのでした。
 たぶんその自転車では、年間2千キロくらい走っていたと思います。教室までの往復が25キロほどで、雨や雪の日は自転車を使わないにしても年間40往復近くはしていたはずで、それだけで千キロになります。そのほかに当時は田端であったChorus STの練習場所にもほぼ毎週自転車を走らせていたし、板橋へはすっかり自転車ばかりになったし、2千キロというのは誇張ではありません。
 6年ほど乗って、タイヤは5、6本ほど取り替え、車輪も2回ほど取り替え、チェーンも取り替え、もう修理代のほうがかさむようになって、買い換えました。たぶん1万2千キロ、地球の直径くらい乗ったことになります。
 それから8年ほど経ちますが、現在の自転車はいちおうなんとか保っています。年間2千キロというようなむちゃくちゃな乗りかたはしなくなったし、ヘビーユーザー向けとして自転車屋に薦められたものなので前のよりは頑丈なのでしょう。いちおうママチャリの範疇ですがギアがついています。
 マダムも新しい自転車を欲しがっていますが、彼女は私ほど長距離で使うことが無く(それでも以前は一日で30キロくらい走ったこともありましたが)、14年前に買ったものがまだそれほど傷んでいません。最近は腰やら脚やら肩やら、あちこち痛がるし、心臓に苦しさを覚えることも多いようなので、自転車の遠乗りに誘ってもほとんど応じてこなくなりました。マダムと自転車の遠乗りに行くとすれば、次は電動車にでも買い換えてからということになりそうです。
 電動アシスト車の威力はなかなかすさまじいものがあります。急坂をこちらがハアハア息を切らしながらこいでいる隣を、幼児を乗せたママが軽々と追い抜いてゆくのです。くやしいやらうらやましいやらで複雑な気分になります。
 私のように長距離利用する人間は電動車にしたほうが良いのかもしれませんが、ただ自転車利用が健康増進のためと考えると、電動アシストを受けると大した運動にはならないのではないかという気もします。もっとあちこちが衰えてきたら考えないでもありませんけれども、いまのところは自分の脚で頑張ってみようと思っています。

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