SSブログ

旧岩崎邸と下町風俗資料館 [日録]

 前のエントリーで、謎解きミステリーラリーの後半プレイの顛末を書きましたが、訪ねるべきミュージアムのひとつである国立新美術館が休館日で立ち寄れなかったことにも触れました。プレイで用いた東京メトロ24時間パスが、翌日の11時15分まで有効なので、その翌日(8月28日)に再度チャレンジするつもりだと記しました。
 少々日が経ってしまいましたが、そのときの日録を書いておきたいと思います。
 28日は、予定していたとおり、朝から家を出て、再び新美術館に向かいました。いつもなかなか用意の調わないマダムも、この日ばかりは9時には出発すると宣言してしました。実際に家を出たのは9時半でしたが、仕事とか学校とか以外の用事で、マダムがこの程度の遅れで出られたのは立派と言うべきでしょう(笑)。
 まだ京浜東北線の快速タイムには入っていないので、そのまま西日暮里まで行き、千代田線に乗り換えます。前日とは違い、ちょくちょく下りたりはしないで乃木坂まで直行しました。乃木坂駅には、新美術館が開館しているときだけ開いている通路があり、新美術館に直接アプローチできるようになっています。去年は時刻が遅くなってしまって、その通路に入ろうとしたところで係員に止められたりしたわけですが、今回は朝ですので問題はありません。
 他のミュージアム同様、新美術館でも謎が2問設置されています。去年の新美術館の謎はけっこう難問だったのですが、今年はわりと簡単に解けました。
 ミステリーラリーには3つのストーリーが用意されていて、それぞれのストーリーをクリアして、出てきた答えを専用サイトに送信すると、クリアパスワードを教えてくれます。3つのクリアパスワードを集めてまた送信すると、最終問題が呈示されるという仕掛けになっています。その最終問題を解くとエピローグとなり、パーフェクトクリアということになります。
 国立新美術館が関わっているのは第二のストーリーで、東京都美術館および東京都写真美術館の謎解き、それに二重橋前駅と霞ヶ関駅のスタンプ捺印と併せることでクリアできるのでした。ただ、上記2館の答えと、ふたつの駅のスタンプを得た時点で、私はほぼ答えがわかってしまっていました。今回の謎解きはタカラッシュ!社による制作でしたが、この制作会社は都営地下鉄&京王電鉄のイベント「鉄道探偵」シリーズも請け負っており、そちらを3回もプレイしたせいか、設問の傾向というか癖のようなものが呑み込めてきた気がするのです。こういうやりかたが多いよな、と思って試してみると、新美術館での謎解きを待たずして答えが出てしまいました。
 前日に帰宅してからその答えを送信してみると、案の定正解です。第一のストーリーと第三のストーリーに関してはすでにクリアしていたので、これで全部揃ってしまい、最終問題に進むことができました。
 これなら新美術館に行くまでもないか、とさえ思ったのでしたが、ここがこの制作会社の憎いところで、なんと、最終問題を解くためには、新美術館での謎解きがどうしても必要という仕様になっていたのでした。それがいかなる意味であるかは、後日解決篇を記すときに書きますが、決してズルができない仕掛けになっているあたりは、さすがなものだなと感心したのでした。
 ともあれ、新美術館での謎解きを済ませた時点ですべてのピースが出そろい、私は最終問題も解き終えました。ただし持参のwi-fiタブレットでは、その場から答えの送信ができません。エピローグは帰宅してからのお楽しみということになりました。

 再び千代田線に乗ったのは11時ちょっと前で、もちろん24時間パスの有効時間内です。下りるときに11時15分を過ぎていてもそれは構いません。有効活用ができて幸いでした。
 さて、この日はマダムも私も、特に用事がありませんでした。マダムは仕事を入れるようなことを言っていましたが、やめにしたようです。
 それで、せっかく出てきたことでもありますから、もういくつか「ぐるっとパス」を使ってミュージアムを訪ねてみることにしました。
 マダムはときどき都市ガイドボランティアの仕事をしていて、上野銀座浅草などで道端に立ち、観光客の案内などをしています。日本人客の案内もしますが、主な対象は外国人観光客で、マダムはフランス語が話せるのでフランス語圏の客のガイドをする役目になっています。もっとも、フランス語圏の客というのは、英語圏や中国などに較べるとごく少なく、実際には日本人客を案内するほうが多いようです。絶対数もさることながら、フランス人というのはおおむねアマノジャクなところがあって、観光ガイドなど使ってやるものかと意地になっているヤツが多いようでもあります。だからマダムがガイドするのはだいたい年配の夫婦とかそんな観光客に限られそうです。
 ただマダムは、銀座にはしばらく勤めていたのでわりに詳しいのですが、上野や浅草は少々不案内で、相手の行きたい場所が地図上では示せていても、自分の足で歩いていないために、やや心許ない気分があるらしいのでした。
 それで、上野近辺にある施設に実地で行ってみたいというのがマダムの希望でした。
 東京都美術館、西洋美術館国立博物館科学博物館上野の森美術館などは、いずれも上野の山の上のほうに固まっていて、相互の位置もわかりやすいのですが、ふもとのほうにもいろいろ散らばっていて、こちらの位置関係がなかなかわかりにくいようです。
 とりあえず不忍池のほとりにあるふたつの施設を訪ねてみることにしました。まず、旧岩崎邸です。千代田線の湯島駅から近く、新美術館からの帰りにちょうど寄りやすいのでした。
 岩崎というのはもちろん三菱財閥のあの岩崎で、有名な初代彌太郎の息子である久彌が建てた邸宅がここにあるのでした。不忍池をはさんで上野の山と相対するようなちょっとした高台に設けられており、建てられた当時はなかなかに風光明媚な土地であったと思われます。
 ここしばらくは改装中で、外観には足場が組まれたりシートが掛けられたりしていましたが、屋内の見学はできました。
 このあいだ行ったばかりの旧朝香宮邸庭園美術館)とつい較べてしまいますが、昭和8年に建てられて、本来の住人である宮様一家がわずか12年ほどしか住むことができなかった朝香宮邸に対し、明治時代に建てられた岩崎邸は、同じようにGHQによる財閥解体で戦後追い出されてしまったとはいえ、「人の住んでいた歴史」がより濃密に感じられるような気がしました。鹿鳴館ニコライ堂を手がけた建築家ジョサイア・コンドルの設計による洋館部分は、ジャコビアン様式の堂々たるものです。天井もすこぶる高く、建設当時は多くの人の眼を驚かせたことでしょう。
 この洋館は主に外国からの客をもてなすために作られたようで、岩崎久彌本人の居住空間は、隣接して建てられていた和館のほうであったようです。和館も見学できますが、本来の建物よりはずいぶん縮小してしまったらしく、わずか3部屋の離れのようになっていました。そのうち広間が売店&喫茶スペースとして使われています。
 あと残っているのは撞球室ですが、中には入れません。洋館から地下道がつながっていたそうで、そんな仕掛けのことを聞くと、つい怪人二十面相などを思い起こしてしまいます。怪人二十面相が出没するのは、やはりこうした大時代な大邸宅こそふさわしいと思います。撞球室一棟だけで、充分生活できそうな広さがあります。
 三菱財閥の総帥として、途方もない財力を誇った岩崎久彌ですが、本人はいたってまじめで腰の低い人であったようです。彼は岩手の小岩井農場に出資し、そちらにも別邸を構えて大いに農場を愛したそうですが、あるとき地元の小学生たちが見学にやってきました。久彌氏はみずから子供たちを案内しようと出てきたところ、子供たちがみんなしっかりと正装してきているのを見て、
 「皆さんが正装しているのに、私がこんな着流し姿では申し訳ない」
 と言い、一旦ひっこんで羽織袴姿に着替えてきたというエピソードがあります。折り目の正しい人だったのでしょう。なお小岩井農場というのは3人の出資者の名前の最初の文字を連ねて命名されたところで、2文字目の「岩」が岩崎のことなのでした。

 岩崎邸を出て、もうひとつ「下町風俗資料館」というのに行きたいとマダムが言いました。よく道を訊ねられるのに、どこにあるかよくわからないというのでした。私は岩崎邸のほうはよく知りませんでしたが、下町風俗資料館ならちょくちょく前を通ります。不忍池のほとりを京成上野駅方面に向かって歩けばわけなく見つかるので、マダムが知らないのが意外に思われました。
 場所を確認して、入館する前に昼食をとることにしました。京成上野駅の向かい側にある古い中華料理屋に入りましたが、そこは私にとっては想い出の店だったのです。
 学生時代から卒業後数年にかけて、東京藝大の合唱サークルである「混声合唱団誠ぐみ」に入って活動していました。この合唱団は大学の教室を借りて練習しており、閉校時刻である20時になると練習を終えていました。そのあと、たいていみんなで上野公園の中を下ってゆき、その中華料理屋で食事をしてから帰るのが常だったのでした。
 その時分、公園周辺の飲食店は、20時ともなると閉店してしまうところが多く、他に開いている店が少なかったのと、学生でも気軽に食べられるリーズナブルな値段だったのと、10人とかもう少し多い人数が入ってすぐにまとまって坐れたことなどから、ほぼ毎週この店に立ち寄っていました。そのうち飽きて他の店を探したりもしたのですが、席がばらけたりすることが多く、やはりあそこしかない、ということになるのでした。
 かれこれ30年前の話で、久しぶりに寄ってみると値段はさすがにだいぶ上がっていたものの、それなりにリーズナブルではありました。記憶にあるよりも味が良くなっているように感じたのは、代替わりでもしたのかもしれません。かつては、マズくはないもののやや単調な味でした。
 それにしても、この店がまだ残っていてくれたことだけでも嬉しく、懐かしさに何かこみ上げてくるようでもありました。高校時代の想い出の店である駒場東大前駅前のそば屋と、大学時代のこの中華料理屋、末永く続いて欲しいものだと思います。
 マダムも、私の想い出の店ということで喜んでくれていたようでした。味も気に入ったようです。こんどひとりでも来てみようなどと言っていました。上野のボランティアガイドのときに寄れるかもしれません。

 中華料理屋から出ると、雨が本降りになっていました。マダムが傘を持っていなかったので、しばらく探したのち近くの薬局でビニール傘を買い、それから下町風俗資料館に入りました。
 ミステリーラリーで立ち寄った大きなミュージアムとは違い、こぢんまりとした施設ですが、見せかたにはいろいろ工夫をこらしているようでした。1階には江戸期、明治期、大正期のそれぞれの庶民の住居を模した展示がされており、客が座敷に上がれるようにもなっていました。2階には昭和30年代頃の部屋と、銭湯の番台が再現されています。
 昔の子供のオモチャを集めたコーナーもあり、上野近辺の歴史を記述した展示もありました。江戸東京博物館ほど大がかりではないにせよ、何か人々の息づかいが感じられるような、「ちょっといいミュージアム」といった感じを受けました。私は場所は知っていたものの入ったのははじめてで、なぜいままで訪れなかったのだろうと思ってしまったほどです。ぐるっとパスさまさまというところです。
 ab-abの近くのカフェで一憩し、アメ横を抜けて御徒町駅に出て帰りました。前日のミステリーラリーに続けて、なかなか濃い2日間であったように思えました。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。