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いろいろ変革のきざし [世の中]

 武漢ウイルスの蔓延による緊急事態宣言まで出されてしまって、だいぶものものしい気分になってきました。
 緊急事態宣言は5月の連休明けあたりまでということですが、その辺で終熄するのかどうかは微妙です。いちおう潜伏期間とか回復期間とかを考慮した上での期間設定なのでしょうが、感染者がそれまでに減るとか、増加が横ばいになるとかいう保証は特に無さそうです。
 むしろ、感染者──というか陽性判定者──はこれからも当分増える一方でしょう。日本では検査の要件を絞ることで医療崩壊を防いだわけですが、ということは無症状のために検査されていない感染者がいくらでも世の中に隠れているのであり、今後検査の範囲が増えれば、その分だけ陽性も増えるのが当然です。テレビの報道などを見ていると、毎日のように「これまでで最多の感染者が……」といったような話柄が、さも衝撃的な事実であるかのように叫ばれていますけれども、少し考えればあたりまえの話であることは誰にでもわかるはずです。問題は重篤者、そして死亡者の数とその率であって、日本では諸外国に較べてそれが驚くべき少数・低率に抑えられているという「事実」こそ大きく喧伝されるべきところでしょう。
 他の種類の肺炎の死者の中に武漢肺炎による死者をカウントしてしまっていて、実際には死者はもっともっと多いのだ、などと陰謀論めいた意見を吐くコメンテーターのたぐいもあとを絶ちませんが、そもそも例年に較べて「肺炎による死者」そのものがずっと少ないそうです。みんながうがい・手洗いを徹底し、マスクをつけて人との接触を減らしたおかげで、マイコプラズマ肺炎など他の種類のものも、今シーズンはずいぶん減ったとのこと。インフルエンザによる死者も例年よりもはるかに少なかったのです。
 もう、感染者が何十人増えた、などといちいち大騒ぎするのはやめたほうが良いと思います。検査の拡大と共に感染者数は増えるものなのであって、最初からそれを前提にした上で、さて社会をどのようにしてゆくか、それを考えるべき時期に差し掛かっています。
 まあ、緊急事態宣言が解除される頃には、そういう智慧もいろいろ出ていることを期待しましょう。
 とはいえ、マスメディアとしては騒いでいたほうが都合が良いのでしょうね。世間の不安をあおって、続報を渇望させて視聴率を維持するのが彼らの戦略なのであろうことは、容易に想像がつきます。

 私は合唱指導の仕事などが当分のあいだことごとくキャンセルとなり、買い物などの他は家にこもっている毎日です。
 まあ、4月というのは例年、6月の板橋オペラのための編曲作業で忙殺されているので、ある意味、家にこもらざるを得ないというのは逆にありがたがったりもします。かなり集中して仕事ができます。
 その板橋オペラがちゃんと上演できるのかという点については、私はいまのところ判断する立場に無いので、何とも言えません。出演するのがプロの音楽家だけであれば、5月に公共施設が再稼働しさえすれば、稽古も、オーケストラのリハーサルも、なんとかなるとは思います。しかし、板橋オペラは区民有志などのアマチュアも参加しています。むしろ「区民講座」の一環として予算が下りているようなもので、アマチュアを参加させざるを得ない仕組みになっています。
 そして彼らにとっては、4月中は稽古が中止というのは、かなり深刻な問題です。本人たちのやる気はあっても、稽古場にしているグリーンホールなどの公共施設が閉鎖になってしまっているので、これはいかんともしがたいものがあります。連休明けに再開したとしても、練習期間が非常に短くなり、充分な成果が得られない可能性が高くなります。
 そうなると、6月公演は延期したほうが良いのではないか、という声も上がってくると思われます。
 どうなるにせよ、私は私の仕事をするしか無いのであって、いまのところは編曲作業を今月いっぱいくらいで済ませたいと思っています。
 今年の演目は『ラ・ボエーム』で、しばらく前にやったことがありますが、オーケストラをだいぶ充実させての再演となります。弦楽合奏がちゃんと成立するだけの弦楽器が揃い、木管楽器もファゴットパートをサクソフォンで置き換えるというようなことはしているもののいちおう「二管編成」になりました(まあ、『ラ・ボエーム』はファゴットだけ2本であとは3本ずつの「準三管編成」ではありますが)。本当のフルオケに較べ、金管楽器がいささか少ないというくらいです。
 いまで言えば「底辺フリーライター」と「底辺アパレル女」の恋物語という、ある意味しょぼい話なのですが、とにかく派手派手に飾り立てていてオーケストラがきらびやかです。最初に編曲したとき、ほとんどすべての音符に「何か」ついていて(スタカート、テヌート、アクセントその他)、まったく面倒くさい譜面だと思いました。その後『トゥーランドット』なども手がけて、プッチーニ御大の書きかたにも馴れたとはいえ、面倒くささが軽減されるわけではありません。
 昨日ようやく第一幕が終わりました。小節数で言えば第一幕が飛び抜けて多く、あとは200~400小節くらい少ないのですが、第四幕のようにオーケストラが不必要なほどに手が込んでいるところもあって、手間としては大差ないかもしれません。とにかく、早いところメドをつけてしまいたいものです。

 買い物などには、ほぼ毎日出かけていますが、最近は夫婦連れらしき買い物客が眼につくようになりました。ご亭主が在宅勤務になって、毎日家に居るので、荷物持ちとして奥さんに連れてこられるケースが増えたのかもしれません。
 仲睦まじそうな夫婦連れも多いのですが、奥さんがいやにガミガミとご亭主を叱りつけている感じのペアもよく見かけます。そんなものは買わなくて良いのだとか、袋詰めの順序がおかしいとか、いろいろツッコミまくっているのでした。
 そうガミガミ言われればご亭主のほうも面白かろうはずもなく、ムッとした顔で、それでもおとなしく袋詰めをやり直したりしています。
 亭主達者で留守が良い、などとよく言われますが、武漢ウイルス以来、在宅勤務が奨励されて定年も待たずにご亭主が毎日家に居るようになり、奥さんのほうもストレスが大きくなっているものと思われます。息抜きに行きたくとも、スポーツジムもショッピングモールも営業休止しており、外出抑制が要請されていることでもあり、ご自分もそうそう家から出るわけにはゆかなくなっています。
 前に私は、在宅勤務(テレワーク)が奨励されることになり、会社の仕事そのものが今後変わってゆくのではないかと書いたことがあります。つまり、社員が必ずしも通勤してこなくとも、仕事というのは案外廻るものだと企業が納得し、これまでのように社員を社屋という空間に集めて閉じこめておく必要は無いのではないかと気づくことになるかもしれません。工場などはやはり人が居ないと無理かもしれませんが、デスクワークなら何も大勢で同じ部屋に居ることも無さそうです。以前なら、資料がすべて社屋内にあったりするので、社員も同じ建物内に居なくては効率が悪かったでしょうが、いまではクラウドなどで、それぞれの自宅からでも簡単に資料にアクセスできます。
 ほとんどの仕事が在宅勤務で済ませられるならば、もはや出社・退社などの観念も不要になります。企業側も交通費を支弁する必要は無くなるでしょう。作業のデッドラインだけ決めておいて、それまでに結果を入れさせるようにしておけば、勤務時間という概念すら要りません。
 奇しくも、現政権が一生懸命進めようとしていた「働きかた改革」が、これによって一気に進むことになります。
 もちろん、この変化についてゆけない人も居るでしょう。仕事とは、決められた時間に決められた場所でやるべきものだという先入観からのがれられない人はまだまだ居るでしょうし、規定の時間を社屋の中で過ごせば給料が貰えるのがあたりまえと考えている虫の好い古株社員もずいぶん残っていることでしょう。日本の勤労者それぞれが非常に勤勉で能力もあるわりに、日本の企業の生産性が信じがたいほどに低いとされる一因は、この「少なくとも9時から17時まで、社員を社屋に縛りつけておくのが会社というものだ」という先入観に他なりません。
 いまや会議すらインターネットを介しておこなわれるほどです。そういえば板橋区演奏家協会の今度の役員会は、区の施設が全部閉鎖されている現状では場所が全然とれず、はじめてzoomを使ってやることになりました。会議用に特化したテレビ電話的アプリケーションだそうで、webカメラが必要らしいのですが私はまだ持っていません。音声だけの参加ができると良いのですが。
 ともかくzoomなどを使って、出席者全員が在宅のまま会議をおこなう企業なども増えてきているのでしょう。いよいよもって、社員を毎日社屋に呼び集める必要は無くなっています。
 この武漢ウイルス騒ぎがおさまったあと、日本の企業文化というものが根底から覆っていたりすると面白いと思っています。
 それはそれとして、在宅勤務の増加は、家庭のありかたも変えることになるかもしれません。
 サラリーマン家庭というものが「いちばん普通」なのかどうかは議論のあるところですが、少なくとも現代日本においては、お父さんは朝から会社に出かけてゆき、お母さんはパートその他に出ることはあっても基本的には家に居て、子供たちは学校へ……というのが「典型的」ではあるでしょう。アニメなどに出てくる家庭ということになると高校生がひとり暮らししていたりして必ずしもリアルではないにせよ、「普通の家庭」という設定であれば大体そのようになっています。農業や町工場などをやっている「家庭」はそれほど「普通」には出てきません。
 しかしここで、お父さんも基本的に家にいて在宅勤務しているのが「普通」ということになると、だいぶ印象が違ってきそうです。
 父親の仕事している姿を子供に見せられるというのは良いことかもしれません。グータラ社員ぶりを子供に見すかされてかえってバカにされるということも無いとは言いませんが、休みの日の姿しか見せないよりはおおむね好影響が及ぼせるのではないでしょうか。
 問題はやはり夫婦関係で、例えば昼食ひとつとっても、自分ひとりのことだけ考えれば良いのと、もうひとり考えてやらなければならない人間が居るのとでは、億劫さが天地ほどに違います。たいていの奥方が、ご亭主の定年後に悲鳴を上げるのはそういうところです。
 忙しい個人経営の商店などでは、夫婦がかわりばんこに昼食を摂りに裏へ入るなどというのは普通のことですが、サラリーマン家庭ではそういう距離感がなかなかつかめないのでしょう。しばらくやってみて、距離感に馴れるしか仕方がありません。
 たぶん奥方としては、亭主が家に居るのだから少しは家のことも手伝って貰いたいものだと思うでしょうし、亭主のほうは、家に居るからと言って仕事をしているのだからあれこれ手伝わされてはかなわんと思うでしょう。そのあたりは、だんだんに摺り合わせてゆくしかないわけです。誰にとっても最善の形というものがあるわけではなく、それぞれの家庭でいちばん佳いありかたを追究してゆくべきです。
 急に亭主が家に居るようになって、日がな顔を突き合わせなければならず、それが原因であれこれぎくしゃくしているとすれば、それまで自分らが「自分らの家庭の佳いありかた」について正面きって考えず、眼を背けてきたからだと思われます。この機に、いろいろ話をしてみるのも良いと思います。
 企業も家庭も、ウイルス禍を経て、いままでの先入観を覆される事態に踏み込むことになるかもしれません。しかしそれは、いままでの不合理な面を改めるきっかけなのかもしれず、怖れることなく歩んでゆくことが大切ではないでしょうか。

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