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編曲の3ヶ月――『田園』その他 [お仕事]

 武漢ウイルス騒ぎでの外出自粛期間中、勤め人は在宅勤務(テレワーク)になったりして、家にいても仕事を続けていたと思うのですが、音楽家仲間などになると暇をもてあましていた連中が多いようです。演奏会はことごとく中止や延期となり、生徒や合唱団などを指導したりする仕事も当分キャンセルとなり、まったくやることが無くなってしまいました。ネットのテレビ電話機能を使ってオンラインレッスンなどをしている人も居ましたが、その教授内容はどう考えても質量共に不充分でしょう。仕方なく楽譜の整理などをはじめた人も少なくなかった模様です。
 それに較べると、私はけっこう忙しく過ごしていたと言えるでしょう。
 4月中は大半、『ラ・ボエーム』のオーケストレーションに費やしました。今年の板橋オペラに予定されていた演目です。オペラ公演そのものは今年は中止となりましたが、来年同じ内容で上演するということになっています。オーケストラが今年とまったく同じ編成にできるかどうかは確言できませんが、いちおう形にしておけば、多少の変動があっても最小限の手間で再利用できるはずです。
 公演の中止は、1、3、4幕の編曲を終え、最後に残った第2幕の作業をしているときに伝えられました。それまでも、たぶんそんなことになるのではないかと思いつつ、まだ最終決定は下されていなかったのでした。ほとんど済んでいたから、とりあえず仕上げておこうと考えたわけです。これが半分以下くらいの時点であれば、打ち切っていたかもしれません。
 問題は、今年使わなくなったわけなので、編曲料が来年まわしになるのではないかという懸念です。板橋区演奏家協会は、自転車操業と言うべきか、内部留保というものがほとんどありません。公演の費用は、その公演の入場券の売り上げで賄うのがほとんどを占めています。役所からの補助は、無いわけではありませんが、ひと公演をやりとげるにはまったく足りません。従って、公演が中止になれば、収入が無くなるために、編曲料の出どころも無くなるという仕組みなのでした。
 担当者からは、今年もまったくゼロにするつもりはないから、と言われましたが、まああまりあてにはできません。ゼロだと思っていて、思いがけずいくらか頂戴できる、という程度の心づもりのほうが良さそうです。

 5月中は、主に『星空のレジェンド』のオーケストレーションをしていました。前半は去年の上半期くらいまでに済ませていたのですが、後半7曲がほぼ手つかずだったのでした。このオーケストラ版は、平塚市の新しいホールの落成に合わせて、こけら落とし公演になるかどうかはわかりませんが一応初演にもちこむ予定です。もともと、2022年だか2023年だかをメドにしていました。
 だからオーケストレーションを急ぐ必要があったわけでもないのですが、ただ予定どおり新ホール落成に合わせてオーケストラなどを手配できるかどうか、いまのところはっきりしておらず、オーケストラスコアの現物が手許にあったほうが役所との折衝などに迫力が加わるということだったようで、そろそろ揃えて貰えまいかと打診する趣きのメールが担当者から寄せられました。
 そうとなれば、この「強制的な余暇」のあいだに済ませてしまうのが好都合でしょう。
 はじめてしまうとなかなか愉しい作業ではあります。自分の作った曲をオーケストラにするというのは、他人の曲のオーケストレーションとは違った高揚感があります。私がかなり長いこと、ある有名作曲家の作品オーケストレーションを請け負っていたという話は何度も書きましたが、その作曲家は、いくら多忙でスコアなど書いている暇が無かったとはいえ、自分の作品のいちばんオイシイ工程を、よく人任せにできたものだとあらためて思います。
 finaleで作譜しているので、附属のソフトシンセサイザーで音を出してみることができます。細かいニュアンスなどは全然表現できないし、楽器ごとのボリューム設定やパン設定などもいい加減ですが、それでも何度も自分の作品がオーケストラの響きになったものを聴き直しました。
 後半は特に最初からオーケストラを意識してピアノパートを書いていた曲が多く、楽しさもひときわでした。なんだか二管編成では楽器が足りないような気さえしてきました。なるほど、オーケストラの編成が時代を追うごとにだんだん大きくなって行ったのはこういうことなのだな、と納得したりします。
 終曲などは、現行の形でも和太鼓や鉦が加わるせいもありますが、ピアノが完全に負けてしまっており、せっかくのカッコいいベースラインがあんまり聞こえなかったりしました。オケになればそんな心配は無用でしょう。ヴィオラとチェロとコントラバス、それにファゴットと、部分的にはトロンボーンも駆使してベースラインを目立たせました。
 連休明けくらいからはじめて、一気に最後まで済ませました。まだ譜面チェックなどが必要ですが、今月10日くらいに提出予定です。
 ただこれも、編曲料がいつ入るかは未知数です。金額はすでに決めてあるのですが、支払い日程についてははっきり決めてありませんでした。スコアを提出した時点なのか、パート譜も揃えた時点なのか、初演のあとなのか、ことによると数年後ということになりかねません。
 そもそもコロナ騒ぎで、新ホールの落成も遅れるかもしれません。建築現場などはどうしても生身の人間が出なければならないので、感染拡大を予防する意味合いでは工期の延長が奨励されていそうです。また折衝や打ち合わせなども延期になりがちです。もともと数年後に予定されたオケ版初演とはいえ、予定どおりにできるかどうかは今後の情勢次第ということになりそうです。

 『星空のレジェンド』はミュージカル版も作られることになっています。実際には原曲の筋書きを下敷きにしたスピンオフみたいなストーリーで、音楽は大半が新しく作らなければなりません。年明けくらいから少しずつ作曲していますが、これも稽古が不可能になっていまのところペンディング状態です。7月下旬に初演予定でしたけれども、この時期に全然稽古ができないのでは、延期もやむを得ません。とりあえず作曲も一旦止めています。初演がいつになるにせよ、そろそろ先を進めても良いかもしれません。
 しかしその前に、もうひとつ編曲仕事を済ませてしまおうと思っています。ピアノ教室の発表会が4月5日に予定されていたのが、当然ながら中止になったわけですが、次がすでに決まっています。来年の8月です。この発表会では毎回、生徒たちによる8手連弾のステージがあり、弾くほうも聴くほうもけっこう期待しているふしがあります。
 4月の会では、『くるみ割り人形』の8手版をやるつもりでしたが、これはしばらく前にすでに演奏したものでしたので、次に持ち越さなくても良いだろうということになりました。それでこんどは何をやるかと考えたのでした。いっそ『田園』でも挑戦してみるかと冗談混じりに言ったら、「ベートーヴェンは怖い」という人も居ましたが、おおむね歓迎ムードでしたので、決めてしまいました。
 この仕事も、はっきりした締め切りがあるわけではないのですが、なるべく早く欲しいというのが生徒たちの気持ちであり、曲の内容的にも規模的にもしっかりレッスンを繰り返したほうが良いとも思いますので、これもこの機会に編曲をしてしまうことにした次第です。
 実は『田園』のピアノ編曲には因縁があります。私が編曲ということを生まれてはじめてやろうとしたのが『田園』だったのです。いつ頃だったか記憶があいまいですが、使っていた五線紙(ノート)を憶えていますので、そこから考えると私は小学生だったのではないでしょうか。
 その頃買って貰ったラジカセで、テレビの「名曲アルバム」などを録音していたのですが、何かの機会に『田園』を録音し、それを聴きながら、ピアノで弾けるように書いてみたのです。スコアはまだ入手しておらず、耳コピでの作業でした。カセットテープを何度も止めたり巻き戻したりしながら書き進めました。
 第一楽章の呈示部の最後くらいまでは書いたのではないかと思います。この曲はやたらと同じ音型の繰り返しが多いので、手書きであった当時のこと、かなりうんざりした記憶があります。展開部に入るとさらに繰り返しが多くなり、そのあたりで心を折ってしまったのでしょう。しかもその繰り返しが、ピアノで実際に弾いてみるとなんとも退屈で、その意味でも飽きてしまったとおぼしいのでした。私が「音色の変化の面白さ」ということにはじめて気づいた瞬間であったかもしれません。
 8手連弾とはいえピアノ用に『田園』をアレンジするというのは、言ってみれば約半世紀を隔ててのリベンジみたいなものです。あれから私も経験を積み、すでに『田園』を作曲した頃のベートーヴェンよりずっと歳上となり、ピアノについてもオーケストラについても熟達しました。しかも演奏機会も決まっているわけですので、今度こそ最後までやりとげることができるでしょう。

 久しぶりに『田園』のスコアをじっくり読むことになりましたが、あらためて思うのはこの曲が『運命』と並行して書かれたという事実です。『運命』は作品67、『田園』は作品68と続いており、初演も1808年12月22日に同時におこなわれました。ちなみにこの日には、ピアノ協奏曲第4番の初演もおこなわれており、やたらと盛りだくさんの濃い演奏会であったことが偲ばれます。
 交響曲第5番『運命』と第6番『田園』が同時進行で作曲されていたことは、ベートーヴェンの手帳などを見ても明らかで、実際、ふたつの交響曲はその手法の上で非常に共通点がたくさんあります。素人さんからすると、片方は「運命が扉を叩く」深刻きわまりない曲想、片方は余暇を満喫しているかのような太平楽な曲想で、おそろしく対照的な2曲だと思うことでしょうが、作曲技法という観点から見ると、2曲はむしろ双子のようによく似ているのです。
 第一楽章はいずれも2/4拍子で、冒頭に現れる第一主題には大きな休止点(フェルマータ)が含まれています。第二主題はどちらも走句的でその後あまり活躍しません。第一主題から導き出された音型モティーフをひたすらに繰り返すことで音楽が進んでゆき、使われている要素は非常に限られています。無駄な音を極限まで省いた、ソナタ形式のエッセンスのような構造です。再現される第一主題が、けっこう長い単旋律の結尾を伴っているのも同じです。
 第二楽章(緩徐楽章)も要素は厳選されており決して多くありません。冒頭の主題のあと一旦完全終止がおこなわれるのも共通します。
 第三楽章(スケルツォ)も数少ない素材で効果的に組み立てられている点が共通しています。また再現部がきわめて圧縮されてあっさりしているのも同じで、最後に終止せず後続の楽章に休み無しで突っ込む(attacca)形になっているところも両方でおこなわれています。
 『田園』はこのあと間奏曲的な第四楽章をはさんだのちに終楽章に入り、『運命』はそのまま終楽章に入るという差はありますが、双方の終楽章を較べると、いずれも分散和音によって紡がれる主題モティーフを持っています。
 ベートーヴェンは決して『運命』を仕上げてから『田園』に取りかかったり、その逆であったりはしていません。2曲は本当に「同時進行」されているのです。人によっては裏切られたような気分になるかもしれません。ベートーヴェンは『運命』を書きながら、次第に失われる聴覚におびえつつ、その恐怖に雄々しく立ち向かうべく、わが身に襲い来る不幸と血みどろの格闘をしていたはずではなかったのでしょうか。それが、同時進行で『田園』ののどかで平和きわまる音の世界に遊んでいたとは、「格闘」はどこへ行ったのか、おれの感動を返せ……と言いたくなりそうです。
 実は昨日だかの新聞のコラム欄で、『運命』の深刻さや気高さをことさらに称揚している記事を眼にしたので、やや水を差したい気分になっているところです。深刻で闘争的な作品を書いている作者が、実生活でも深刻で闘争的な日常を送っているかと言えば、必ずしもそうでもないような気がするわけです。
 『運命』を書いているときのベートーヴェンは、髪を振り乱し寝食も忘れ、鬼気迫る形相で五線紙に向かっていた……などと空想したくなりますけれども、それは交響曲第5番という音楽を、あまりに「標題音楽」的にとらえすぎていると思うのです。そんな執筆状況であれば、『田園』を同時進行する精神的な余地など生まれようもないのです。
 実作者の立場から想像してみるならば、ベートーヴェンは「同じような手法で曲想のまるで違う2曲を同時に作曲する」ことを心から愉しんでいたに違いありません。書きかけのふたつの作品の楽譜を別々の机に拡げ、その場の興の赴くままにどちらかにペンを走らせ、ときどきニンマリする……というような光景さえ思い浮かびます。熱中して寝食くらいは忘れたかもしれませんが、ここには決して「鬼気迫る形相」などは似合いません。
 ベートーヴェンは古典派の作曲家です。ロマン派の人たちとは違い、自分の内なる心象を音楽にたたきつけるというような習慣は持っていません。われわれは同時に作曲された交響曲第5番と第6番を聴いて、極限まで贅肉をそぎ落とした精緻な構成美にこそ感動すべきだと思います。作曲者の境遇や生涯をそこに投影するのは自由だし、人それぞれの聴きかたを否定はしませんが、佐村河内守氏の欺瞞にひっかかったのはそういう聴きかたをしている人たちが多かったのではないかと思う次第です。
 同じように、『田園』の素晴らしさは、何もナイチンゲールやウズラやカッコウの声を巧みに模しているところにあるわけではなく、やはりバランスの取れた構成美にあると考えます。まあこれに関しては、多くの先人も指摘しています。『田園』は交響曲の中で唯一作曲者自身がつけた標題であり、各楽章にも「小川のほとりの風景」(第二楽章)とか「田舎者たちの楽しい集い」(第三楽章)とかタイトルがついてはいますが、作曲者は別に「そういう光景」を「音楽化しよう」と考えたわけではなく、ちょっとした曲想のヒントとしてつけているわけです。実際に編曲にかかって、そのことがよくわかりました。
 なお、ベートーヴェンの交響曲は、9曲すべてリストがピアノ独奏用に編曲しています。その中で、もっとも演奏困難なのが『田園』の第二楽章と言われています。確かに、8手ですら「指が足りない」ように思われたほどですので、それもむべなるかなです。要素はきわめて少ないのに、その少ない要素がきわめて複雑にからみあって、容易に解きほぐせない感じなのでした。独奏だけで効果的に聴かせるには、まさにリスト並みの天才が必要であるかもしれません。
 8手あるのは気が楽ですが、いちおう生徒たちの技倆に合わせて各パートを調整する必要があるので、必ずしも簡単な作業というわけではありません。さて、弾いて楽しい、聴いて楽しいアレンジになるかどうか。

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