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雨降り候 [いろいろ]

 最近、天気予報があまりあてにならないような気がします。まあ雨が降ると言えばたいてい降っているのですが、その時間帯とか雨量とかが、予報と実際がだいぶずれているように思えるのです。晩から降ると言われていたのに昼過ぎから降り出したり、昼でほぼ止むと言われていたのに夜まで降り続いたり、そんなことが多いようです。
 もっとも、天気予報というのは昔は当たらないものというのが一般的な観念でした。私の子供の頃はまだ天気予報に対する信頼度がそれほど高くなかったように記憶しています。私より9歳下のマダムでさえ、小学校だったか中学校だったかで、先生から
 「天気予報ってのはな、気象台で職員が下駄を放って出してるんだよ」
 という話を聞いたと言っています。下駄を飛ばして明日の天気を占う、というのも昔は子供たちがよくやっていたようです。下駄が運動靴になって、あんまりそういう風習も無くなったかもしれません。ともかくそのくらい、天気予報とはあてにならないもの、とみんなが思っていたわけです。
 夕焼けが美しければ翌日は晴れとか、逆に朝焼けが鮮やかだと雨になるとか、ツバメが低く飛ぶと雨とか、猫が顔を洗うと雨とか、古来天気に関わることわざや俗信はやたらとたくさんあります。誰もが気にするけれども、誰もはっきりとは断言できないことであったという事情を反映しているのでしょう。

 江戸時代にも、司天台と言って、気象を観測したり天気予報を出したりする役所がありました。とはいえ当時のことですから、それらのことわざや俗信以上の何かの成果が得られていたかどうか、心許ないものがあります。できることはいろいろな気象情報を記録することしか無かったと思われます。記録が積み重ねられてゆけば、雲や風がどういう状態であればどういう天気になる、という因果関係の精度は上がってゆくでしょう。しかし、その因果関係というのもあくまでも確率的な問題です。現在でも確率でしか言えないことですから、外れることも多かったでしょう。
 しかし、あまり外していたのでは、司天台など潰してしまえという声が高まるでしょう。予算が割かれなくなる可能性もあります。今も昔も、役人というのは自分の職場と予算を保持するためであれば、ありとあらゆる手練手管を使いまくるものです。
 そこで、司天台の役人たちは、すばらしいレトリックを生み出しました。これは井上ひさし氏の随筆に書かれていた話で、井上センセイは「これぞ役人的レトリックの粋である」と感嘆これを久しくして(皮肉)いました。

 ──明日は雨降り候天気には御座なく候

 というのがそのレトリックです。
 この文章のすばらしいところは、明日がどんな天気であっても、間違いにはならないという点です。
 雨が降ったとすれば、
 「明日は雨降り候。天気には御座なく候」
 と発表したことにします。
 「明日は雨が降りますよ。お天気にはなりませんよ」
 という意味です。
 一方、雨が降らなかったとすれば、
 「明日は『雨降り候天気』には御座なく候」
 と言ったことにするのです。
 「明日は『雨が降るような天気』ではありませんよ」
 という意味になります。
 当時の公的な文章が基本的には句読点をつけないものであったこと、「候」という助動詞が終止形としても連体形としても使えるものであること、「天気」というのが「weather」と「good weather」の両方を意味する言葉であること、等々の、日本語の抜け穴を駆使したとてつもなく巧妙なレトリックなのです。まるで反対の事象を同じ文で表現してしまっているわけで、言葉遊びの大好きな井上氏が絶賛(皮肉)したのもむべなるかななのでした。
 ともあれ、「明日は雨降り候天気には御座なく候」という文は、どう転んでも言い逃れが利くという絶妙な言い回しであったわけですが、もちろん天気予報としてはなんの役にも立ちません。「どんな状態に対しても成立する文」というのは、事実上なんの情報も持っていないのと同じです。
 「盗まれた宝石は、まだこの家の中にあるか、あるいは外に運び出されたかのいずれかです」
 そんなヘボ探偵の発言と似たようなものですね。

 新田次郎の短編小説に「赤毛の司天台」というのがあります。これは役所としての司天台の話ではなくて、市井の天気予報名人の物語です。新田氏の小説は、まるっきり架空ということは少なくて、ある程度元になる実話がある場合が多いのですが、これも元ネタはあるのかもしれません。やたらと天気予報の的中率の高い浪人が居て、役所のメンツが丸潰れになっているというのが発端です。
 その浪人がどうやって天気を予測しているのか、いろいろ調べてみると、どうやらフンドシの湿り具合でわかるのだとか。要するにえらく不潔な生活をしていて、それが天気予報の的中率を上げることになっているらしいと判明し、役人たちは自分らのメンツを保つため、その浪人に妻をあてがって清潔にさせ、天気予報ができないようにしてやろうともくろみます。
 しかし不潔で変人なその浪人に嫁ごうという女性もなかなか居らず、赤毛で縮れ毛の、行き遅れの娘がようやく見つかりました。浪人は彼女と結婚して清潔な生活となり、確かに的中率は非常に下がったものの、別に天気予報で食っていたわけでもないので、本人は一向に困らず、むしろはじめてと言って良い快適な生活に大いに喜んでいました。また当時としては不美人の要素であった妻の赤毛や縮れ毛もまったく気にしないたちでした。
 しかしある雨の日、妻が櫛の通りが悪いとこぼしているのを聞いて、彼の天気への関心がよみがえります。現在で言う毛髪湿度計の原理に気づいたのでした。彼は妻に髪油を使うことを禁じ、その髪の毛の状態からまた天気の予測をはじめるようになります。
 浪人の死後も、妻は亡夫の研究を引き継いで自分の髪の毛による天気予報を続け、人々から「赤毛の司天台」と呼ばれた……という物語なのでした。
 この小説のどこまでが実話かはわかりませんが、役所としての司天台が天候の観測に専念していたのに対し、別の原理、つまり湿度変化によって天気が予測できることに気がついた市井の研究者が居たかもしれない、ということは充分に考えられます。

 明治に入ってからは、欧米で発達してきた気象学を採り入れ、近代的な気象予測がおこなわれるようになりました。いちおう公的に出された最初の天気予報は、明治17年1884年6月1日付で、その内容は、

 ──全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ

 というものでした。テレビはもちろんラジオもまだ無い時代で、一日3回の天気予報は全国の交番にいちいち掲示されたそうです。なお東京気象台が設置されたのはこのちょうど9年前の明治8年1875年6月1日であり、最初の予報を出すまでの9年間、ひたすらデータを集積し続けていたのでしょう。ちなみに6月1日は気象記念日とされています。
 それだけ必死にデータを集めてみても、天気予報というのはやっぱり当たらなかったようです。そして戦後に至るまで、天気予報とはあてにならないものの代表例みたいな言われかたをしていました。
 昭和41年1966年)に刊行された科学エッセイで、気象学に関しては法則Lも条件Cも充分に解明されていないのだから、天気予報など当たるはずもない、と書かれていました。昭和も後半に入っても、まだそんな状態だったのです。
 天気予報がある程度信頼されるものとなったのは、やはり気象衛星を打ち上げてからだろうと思います。宇宙の高みから雲を俯瞰し、その動きがダイレクトに視認できるようになって、ようやく予測に必要な要素がかなり高精度で入手できるようになったのでした。
 初代「ひまわり」が打ち上げられたのは昭和52年1977年)です。打ち上げられたからと言ってすぐに役に立つわけではなく、しばらくはデータの集積を続けなければいけません。3年後の昭和55年1980年)から確率予報がはじまりました。最初の頃は「確率」の意味がわからなかったものです。一定区域のうちで雨が降る地域の割合のことだ、などとも説明されました。つまり降雨確率が60%であれば、その地域の60%に相当する面積で雨が降り、40%の部分では降らないのだ、というのですが、もちろんそういうことではありません。
 いずれにせよ「ひまわり」が活躍しはじめてから、天気予報の的中率はずいぶん上がったと思います。とりわけ長期予報に関してはだいぶ信頼できるようになりました。今年の夏は暑くなるとか、暖冬になるとか、そういった予測が外れた年は滅多に無さそうです。
 しかし、ピンポイント予報となると完全的中というわけにもゆかないようです。最近は、以前よりも当たらなくなってきているような気がするのです。
 気候が微妙に変化しているのでしょうか。気候のトレンドが変化しているとなると、いままで積み重ねてきたデータが必ずしも役に立たなくなります。同じ条件のもとであれば、同じ形のデータからは同じ結果が導かれるので、予測は当たりやすいわけですが、条件が変われば結果も変わってきます。その条件の変化というのが、昨今かまびすしいCO2のせいであるのか、それとも海流のせいであるのか、われわれにわかっていない原因があるのか、それはまだなんとも言えません。
 「明日は雨降り候天気には御座なく候」という、なんの情報も含まれていない「予報」を出していた頃から、われわれはどのくらい進歩しているのか──ずいぶん目覚ましい進歩があったようでもあるし、意外とさほど進んでいないような気もします。天気という、ひとりひとりの生活に密着した自然現象についても、まだまだわからないことがいくらでもあるというのが、心許ないようでもあり、面白くてならないようでもあるのでした。

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