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オリンピック近づく [世の中]

 一年延期されたオリンピックが近づいてきました。
 今年もまた中止になる、いや中止にしろという声も多く挙がっていましたが、すでに選手団が来日している国もあり、さすがにもう中止は無いでしょう。あとは観客をどうするかという問題です。
 コロナウイルス蔓延防止対策下では、イベントの観客数は1万人を上限とするという規定があり、特に客が大声で叫ぶことになるようなイベントの場合は、もう少し条件が厳しくなりそうです。新国立競技場の収容人数は6万8000人だそうですから、この「最大1万人」の規定が適用されるとなると、だいぶガラガラな観客席になると思われます。それともオリンピックに限った特別措置が執られるのか、そのあたりまだはっきりと決まってはいないようです。
 なんにしても、スタジアムでの大規模クラスター発生などということが起こらないよう、万全の対策を施した上での開催にして貰いたいと念じているのは、私ばかりではありますまい。

 今回の東京オリンピックは、そもそも当初からいろいろケチのついた大会でした。
 メインステージである新国立競技場の建設からして、グダグダな感じでした。大々的にデザインの国際コンペをおこなったのはまあ良いとして、採用されたザハ・ハディド氏のデザインが、試算してみると計画を大幅に超える建設費を要することがわかって、開閉式の屋根をとりあえずつけないことにするとか、客席を可動式にして取り外せるようにするとか、いろいろ姑息なマイナーチェンジ案が出た挙句に白紙に戻されてしまう、というていたらくになってしまいました。
 これはザハ氏に対して非礼なことであるのはもちろん、国際的に見ても日本の迷走ぶりを見せてしまう結果となりました。ザハ氏はこの撤回で気落ちしたのかどうか、それはわかりませんが、コンペから4年後の2016年に65歳で亡くなりました。大規模建築のデザイナーとして多くの仕事をしていた人ですので、新国立競技場が最後の大仕事というわけでもなかったのでしょうが、やはり大いにがっかりしたに違いありません。コンペに落ちたのであればともかく、一旦採用されたものが費用がかかりすぎるからと撤回されるというのは、よりつらいものがあったでしょう。
 それにしても、こういう大規模建築のコンペというのは、予算上限というものを示さないのだろうかと私などは不思議に思いました。予算の枠にとらわれない自由なデザインを求めたいというのであれば、審査する側でそこをきちんと締めておくべきでしょう。最終審査での着眼点は「未来を示すデザイン」「スポーツ・イベントの際の実現性」「技術的チャレンジ」「実現性」の4点であったそうで、予算については最後の「実現性」に含まれそうですが、その点をあまりシビアに審査したとは思えないようでもあります。
 ザハ氏のデザインが撤回となったのち、コンペで次点となったデザインが浮上したわけでもなく、あらたに指標を示した基準による国内コンペがおこなわれて、現在の隈研吾氏のデザインに落ち着いたわけですが、はたから見ていると、まったく何をやってるんだか、という印象です。他国から見れば、国際コンペをやったのは茶番みたいなもので、もともと国内の建築家に任せるつもりだったのだ、と思われても仕方のない結末となったのでした。
 スタジアムについては、このほかにも旧国立競技場の解体工事などでもいろいろもめています。入札したら、すべての業者が予算を上回る額を出してきてしまったとか、再度入札のときは最低額を提示した業者が不正をしていたとか、とにかく「グダグダ」のひとことです。

 そしてエンブレムの騒動もありました。
 これもコンペがおこなわれ、佐野研二郎氏のデザインが採用されたのでしたが、それが一般には「喪章みたいだ」「なんだか不吉だ」などと不評でした。さらに困ったことに、そのデザインが剽窃ではないかという疑いが持ち上がったのでした。ベルギーリエージュ劇場のロゴにそっくりだったのです。そのロゴの作者であるドビ氏による、エンブレム不使用を求めた訴訟も起こされました。
 ドビ氏のデザインとそっくりだという指摘に対し、佐野氏本人も、他のデザイン関係者たちも、当初は「ちっとも似てはいない」「似ているとしても剽窃とは考えられない」と口をそろえました。ここの角度が違うとか、ここの離れかたが違うとか、いかに両デザインが似ていないかということについて、枝葉末節をあげつらうコメントが乱れ飛びました。なんだか、浮気現場を押さえられた人が、ものすごく早口で弁解しているかのような印象でした。「ドビ氏は、訴訟を起こすことで売名を狙っているのではないか」などという失礼きわまる勘繰りもおこなわれました。
 この話がネットで広まり、そもそも佐野研二郎とはどんな作品を作っていたデザイナーなのだろうかと調べる人が増えました。すると、主に海外のデザイナーの作品とそっくりなものが、次から次へと発見されたのでした。最初は
 「こんなのは盗作と呼ぶべきではない」
 「コラージュという技法を知らないのか、素人ども」
 「多少似ているが、リスペクトというものだろう」
 などと擁護していた同業のデザイナーたちも、検証が進むにつれて、

 ──あ、こりゃダメだ。

 と思ったらしく、次々と手のひらを返しはじめたのでした。中にはタオルデザインで有名な俣野温子さんのトレードマークのような、「覗き込む黒猫」のモティーフそっくりなものさえ発見され、さすがにもう弁護の余地が無くなったようです。ちなみに俣野さんは盗作と決めつけはしなかったものの、

 ──佐野さんは、少しご自分に甘いのではないでしょうか。

 とブログに書いておられました。実は相当怒っていたのではないかと思われます。
 掩護射撃のつもりがフレンドリーファイアとなってしまったような斯界の重鎮からの発言などもありましたが、結局、佐野氏デザインのエンブレムは取り下げとなりました。表向きは、「エンブレムの掲示サンプル」に使われた渋谷羽田などの写真が、外国人のブログから無許可で拝借したものだったことが判明し(「そんなところまでパクるのか」「そのくらい自分で撮りに行けよ」とこれもネットで大騒ぎでした)、その責任をとって引き下がった形になっています。しかし事実上は、多くの剽窃行為を認めたも同然でしょう。

 デザインがらみではほかにもあります。大会スタッフのユニフォームとして最初に挙げられたのが、その形と言い色合いと言い、李氏朝鮮の門衛の衣裳そっくりなシロモノだったのです。機能性もいまいちな感じですし、日本らしさみたいなものも皆無です。舛添要一前都知事は絶賛していたのですが、これも非常に評判が悪く、早い時期に取り下げられました。
 それから、デザインの話ではありませんが、市場移転のグダグダぶりもありました。
 築地中央卸売市場が老朽化したので、豊洲に移転するという話は前からあったわけですが、反対派もまた多く、地下水の安全性とかそんなことまであげつらって移転反対を叫んでいました。そして、舛添氏に代わって都知事となった小池百合子氏は、この反対派に与していたのです。
 おかげで移転は一旦白紙に戻りました。しかし築地の劣化した立地をそのままにするわけにはゆかず、また豊洲以外の適当な移転先も見つからず、小池都知事は選挙前にあれだけ反対していた豊洲移転にゴーサインを出さざるを得ませんでした。
 この騒動によって移転が数年遅延したわけですが、これが東京オリンピックに響いてきたのでした。
 つまり、当初の予定では、築地市場の跡地を利用して環状二号線を敷設することになっていました。そして、この新しい道路をオリンピックの際の動線(選手・スタッフの移動や搬入用車輌の通行路)として用いることで、会期中の都内の交通に支障が出ないようにするつもりだったわけです。
 ところが、移転が遅れたために、道路の敷設が間に合わず、当然ながらオリンピックのための動線を確保するには至りませんでした。去年も今年も、スポーツの日山の日といった祝日がオリンピック前後に移動させられたのはそのためです。動線が確保できないので、休日にしてしまって事業用車輌などの行き来を減らそうとしたのです。コロナ禍が無かったら、その程度の策で都内のクルマが減ったかどうか、まったくもって心許ないものがあります。
 こう次々とケチがついては、なんだか天が東京オリンピックの開催を悦んでいないのではないかと疑いたくもなります。
 大体、今回の東京大会は、大震災からの復興を象徴し、規模的にも予算的にもコンパクトな運営をおこなって、そのありかたを世界に示すというのが当初のコンセプトだったような気がするのですが、私の記憶違いでしょうか。近年、オリンピック開催にかかる費用がものすごく増大し、開催できる国が限られてきているという事実があります。東京オリンピックは、経済規模のそれほど大きくない国でも、充分に感動的なイベントを開催できるということを示すはずではなかったでしょうか。
 しかし、今回のオリンピックの予算は、すでに莫大なものにふくれ上がっています。昨年末時点で、予算額は実に1兆6440億円。コンパクトな開催どころか、小国の国家予算を上回る、史上最大規模の数字となってしまいました。ちなみにスリランカの歳出額が1兆5千億円くらいです。
 予算がふくれ上がった背景には、デザインのやり直しの費用なども含まれていることでしょう。そしてもちろん、コロナ禍で延期になったことによる追加費用も大変なものだったと思われます。入場券の払い戻しだけでも、その手間と費用はおそるべきものだったのではないでしょうか。そして今年、もし観客1万人ということになったら、定員の6分の1以下ということですから、入場料でペイすることはまったく期待できません。
 とにかく、いろいろな意味でケチがつき過ぎです。
 私は、去年延期になった時点では、もうすっぱりと中止にしてしまえば良いと思っていました。いままでかけた経費が無駄になるということはあったでしょうが、そこで引き返せないのでは大東亜戦争の二の舞です。勇気を持って損切りし、その姿をこそ世界に示すべきだと考えたのでした。
 しかし、意外と多くの国が、大会を延期しても開催することに決めた日本を応援しているらしいということを知り、それならば疫病流行中の大会としてどれほどのことができるのかを示すのも悪くない、と思うようになりました。
 とはいえ、私はコロナ禍以前からずっと主張しているのですが、日程についてはなんとかできないものかといまでも思っています。まあ今さら変えるわけにもゆかないでしょうが、去年延期になった時点でまじめに考えて貰いたいところでした。それは、東京の夏にオリンピックを開催することの無謀さということです。
 東京の夏の、熱帯都市並みの高温多湿な気候は、アスリートたちにとっても観客たちにとっても、あまりといえば苛酷な環境です。アフリカの砂漠地帯から来た人が熱中症で倒れてしまうような気候なのです。体調を崩す人が必ず出るでしょう。アスリートたちはそれでも鍛え上げているのでなんとか無事かもしれませんが、観客の中には熱中症で倒れたり、脳の血管が切れて命を失ったりする人が少なからず居そうです。ただでさえスポーツ観戦というのは頭に血が昇りやすいものですし。
 選手たちにしても、体調を崩すまでは行かなくとも、あまり目覚ましい記録は期待できない気がします。その意味では見ごたえの無い大会になりそうです。
 なぜ前回1964年のオリンピックのように、10月開催ということにできなかったのか。10月なら東京はまことに過ごしやすい気候となります。天気も比較的安定します。
 これも何度も書いたとおり、USAのテレビ局の意向です。10月には野球やフットボールのワールドシリーズなどがあるため、オリンピック中継に割けるリソースが少ないので、そういうイベントの少ない8月開催を要求したのでした。IOCとしても、大スポンサー様の意向を無視することはできず、オリンピックは8月ということに決めてしまったわけです。
 去年の開催延期は、こういう悪しき慣例を断ち切る良い機会でもあったはずです。選手たちの健康のためという大義名分もありました。
 それが、なんの検討も無くただ翌年の同時期に延期としたのでは、なんの問題提起にもならないわけで、そこはがっかりしたと言わざるを得ません。結論としては、私は開催に反対ではないものの、かなり冷ややかに見ており、あまり期待もしていないというところです。

 それにしても、結果的に史上最大規模とも言われる予算をかけざるを得なくなった今回のオリンピックのていたらくを見て、もうオリンピックの「持ち回り制度」はやめても良いのじゃないか、と私は思うようになっています。
 昔は、オリンピックを開催することで国威を発揚する、オリンピックで景気を浮揚させて一挙に稼ぐ、といった要因も大きかったでしょうが、もはやそんな時代でもなさそうです。オリンピック景気どころか、経費がかかり過ぎた結果のオリンピック貧乏まで見られるようになりました。規模が大きくなり過ぎ、見た目が派手になり過ぎて、もうなまなかな国ではオリンピックなど開けなくなってしまいました。
 これはオリンピックというものの精神とはかけ離れてきたと言わざるを得ません。
 私は、オリンピックはその発祥の地であるアテネに返してはどうかと考えています。
 IOCはいままで稼いだカネを全部つぎ込んで、アテネに立派な競技場を作れば良いと思うのです。そこで4年に1回、国際的なスポーツ大会を開くというのはどうでしょう。つまり、オリンピックは毎回アテネで開くということにするのです。もちろん運営にあたっては各国で経費を分担します。
 高校野球の最終目的が甲子園であるがごとく、高校ラグビーの最終目的が花園であるがごとく、世界のアスリートたちの最終目的をアテネということにするのです。
 いろいろと経済的に大変なギリシャにとっても、悪くない話でしょう。
 毎回同じ競技場を使うので、記録についてもより公平感が増します。初期費用はかかりますが、あとはメンテナンス費用だけで充分であって、経費削減にもなります。専用の動画チャンネルを設置し各国に配信すれば、もはやUSAのテレビ局なんてものに掣肘される必要もありません。
 回り持ちのオリンピックは、すでにその役目を終えたということで、思いきってそんな改革をしてみるのも一興ではないでしょうか。

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ぱぐすぴ

ユニフォームの件、メダル授与式のユニフォームの事ですか?居酒屋の店員の様な。
他にフィールドキャストのとシティキャストのがそれぞれあります。
私が活動している東京都の街なか観光ボランティア(現在休止中)のユニフォームは、都知事が舛添氏から小池氏に変わった時に一新しました。そういう二重の出費は、大変無駄な気もしますし、先輩ボランティアの中には、ユニフォームが一新されて良かった、と思ってらっしゃる方もいらっしゃると思いますし。難しいですね!
by ぱぐすぴ (2021-07-14 23:56) 

コンビニ作曲家MIC

#ぱぐすぴ様
居酒屋の店員ではなく、李氏朝鮮の衛兵そっくりのヤツですね。
青いチョッキに青白縞のネクタイ、紅白ひもをかけた黒いとんがり帽子……というヤツです。
わりと早い時期に引っ込められました。
参考までに……↓

http://philosophy7136.blog.fc2.com/img/6dade608.png/
by コンビニ作曲家MIC (2021-07-15 01:26) 

ぱぐすぴ

舛添氏がという事だったので、もしやと思いましたが、これは、東京都の街なか観光ボランティアの旧ユニフォームです。
私は、街なかから団体枠でシティキャストに応募(実際には辞退)街なかのユニフォームでオリンピックもやるのかと思っていたのですが、オリンピックは別に採寸しましたよ。
更にフィールド、シティ、メダル授与式とユニフォームにそんなに種類がある事にも驚きです。

by ぱぐすぴ (2021-07-15 06:45) 

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