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国葬終了 [世の中]

 昨日(9月27日)の安倍晋三元首相の国葬が、無事開催されて何よりでした。最近雨模様が多かったのに、昨日は天気も悪くなく、良かったと思います。荒天だったりしたら、また天罰だとかなんとか、いろいろ言う手合いがひきもきらなかったでしょう。
 歴代最長の在任期間というだけでも出色の首相でしたが、もちろん長ければ良いというものでもありません。各方面できちんと結果を残した政治家であったこと、特に外交・安全保障のジャンルでは凄腕を発揮し、民主党政権下で最低近くまで落ち込んでいた日本のプレゼンスを、世界に伍するところまで復活させた点だけでも、国葬という扱いにふさわしかったと思います。
 第二期のはじめの頃などは、実にめまぐるしく海外に歴訪して、大半の国のトップと友誼を結びました。トランプ氏やドゥテルテ氏などのアクの強い人物とも、瞬く間に信頼関係を築き上げた手腕は、見事としか言いようがありません。
 劇的と言っても良いほどの悲運の最期をとげたのち、世界各国から弔問の申し出が殺到したのも当然です。各国の大物がやってくるとなると、個別に対応していては、接待の面でも警備の面でもえらい手間になってしまいます。その点でも、国葬という場でまとめて受け容れるのは、良い判断であったと考えます。

 首相経験者の国葬がおこなわれたのは、吉田茂以来55年ぶりだそうです。
 安倍晋三に吉田茂ほどの功績があったかどうかを疑問視する向きもあるようですが、政治家の評価というのは棺を覆ってから何十年か経って、はじめて定まるものではないかと思います。吉田茂だって、在任中は囂々たる批難を浴び続けました。内田百閒が吉田茂と対談したことがあるのですが、それについて百閒は、いまの世に吉田さんほど嫌われている人は居ない、一体に人が嫌う人というのは話すと面白いものだ、と書いています。同時代の人々は、よもや吉田茂が、後世では隠れも無い大宰相と見なされるようになるとは、思ってもいなかったことでしょう。
 田中角栄だって、在任中はロッキード事件などでさんざんな悪評でした。私などはその時代を知っているので、近年になって角さんが再評価されているのを見ると、案外な気分になると共に、隔世の感を覚えるようでもあります。
 逆に在任中何かと受けの良かった小泉純一郎なんかは、最近ではだいぶ評判を落としています。まあ、退任後の反原発などの胡散臭い言動のせいもあって自業自得でもあるのですが、冷静に振り返ってみると、彼の政策が日本社会にむしろ悪い影響を残したということが、時が経ってはっきりしてきたということであろうと思います。
 ことほどさように、政治家の評価というのは同時代には難しいもので、同時代の批判者が多いからと言って無能であったわけでもないし、その逆もしかりです。
 だから安倍晋三という政治家に関しても、私個人としては外交と安全保障での功績を認めていますけれども、真価はもっと後にならないとわからないだろうと考えています。
 真価がわからないのになぜ国葬なのかといえば、上にも書いたように外国の大物がたくさん弔問にやってくるからです。安倍氏の好き嫌いとか肯定否定ということには関係なく、弔問客を一堂に会して警備などの手間を軽減することが必要でした。
 またたいていどこの国でも、安倍氏クラスの政治家が亡くなれば、国葬がおこなわれるのが普通のことであって、それをやらないとなると日本が奇異の眼で見られかねません。つまり今回の国葬は、外交上・政治上のイベントなのであって、それで良いのだと思っています。
 それを、憲法違反だとか、弔意を強制されるのはけしからんとか、まったくうるさいことです。

 国葬反対デモといったものはすでに何度もおこなわれていましたし、当日にも気勢を上げている連中が居たようです。
 中には大学生くらいの若者も居て、テレビのインタビューに、
 「安倍さんが何をしたかを考えれば、やっぱり反対しなくてはいけないと思いました」
 なんてことを言っていましたが、安倍氏のしたことの何が気に食わなくてそんな風に思うのかがよくわかりません。そのくらいの年齢で、安倍氏の政策から直接迷惑をこうむった経験があるとも考えられないのです。
 安全保障関連法テロ等準備罪などの制定のとき、「戦争ができる国になる」「奥さんがたが井戸端会議をしていても逮捕される」などとさんざん騒がれましたが、そのあたりを鵜呑みにしてしまったのかもしれません。実際のところ、ロシアウクライナ侵攻などの事件が現実に起きてみれば、これらの法律があのとき制定されていて本当に良かった、まさにギリギリのタイミングだった、と評価する人が多いのですが、「アベ政治を許さない」とか息巻いていた人たちは、こんなことも安倍氏の功績とは認めたくないのでしょう。
 もちろん安倍氏といえども、すべての政策が肯定的に評価されるというわけではありません。失敗もいろいろありました。しかし、それを措いても、外交・安全保障上の功績はたがえようもないほどに明らかで、「アベ政治を許さない」人たちも、少なくともその点だけは認める……という気になれないものだろうかと思います。
 どうも最近、人の意見や業績を否定するとなると、全否定してしまわなければ済まないような風潮になっているのが、何やら息苦しくてなりません。是々非々という態度がとれなくなっている人が多いのではないでしょうか。
 まあ、選挙のときなど、「外交や安全保障は票にならない」とよく言われます。そういったことを公約にしても、有権者にはあまり響かないというのですが、本当に国民が「政治家の外交や安全保障上の業績は評価しない」ということになっているとすれば、ちょっと寂しいというか、日本の将来が心配になる風潮です。
 ともあれ、長期政権であったればこそ、それらの「票にならない」課題について本腰を入れて取り組めたということでもあるでしょう。

 安倍氏を暗殺した山上徹也は、母親が統一協会にはまって、家庭を崩壊させたことで統一協会を恨み、それに関係している政治家でいちばん有名な人物として安倍晋三を殺そうと思った、と述べています。調べが進んでも、大筋で別の動機は出てきていないようなので、おそらくそれが事実なのでしょう。
 その後、統一協会と関係のあった自民党政治家がごろごろ出てきて、週刊誌やワイドショーなどの格好の餌食となっています。最近は野党政治家も関係していたことが明らかになりつつあります。
 「何が悪いのかわからない」などと発言した政治家も居ますけれども、統一協会が集団強制結婚やら霊感商法やらでいろいろ問題を取り沙汰されていたカルト宗教団体であったのは明らかなので、さすがにこの発言は能天気過ぎたと言うべきでしょう。
 私らの世代では、統一協会の下部組織である原理研究会の被害が大きかったので、余計にこの団体には不信感を抱いています。
 大学のキャンパスなどを歩いていると、ひょこひょこと近づいてきて、お茶会などに誘われるのです。どうせ暇だし行ってみるか、などと考えたが最後、密室に連れ込まれビデオなどを見せられて洗脳を施され、熱心な信者と化してしまうのでした。ひとたび信者となると、なぜかみんなおんなじ顔つきになるので、馴れてくるとすぐに見分けられるようになるのでした。東大駒場キャンパスなどはまさに猖獗していて、人呼んで「原理ストリート」なる通路もあったほどです。私は高校時代に駒場キャンパスに近い学校に通っていて、ときおり東大の生協に本を買いに行ったりもしていたので、何度も勧誘されました。幸い切り抜けられましたが、「ハマるとみんな同じ顔つきになる」というだけでも、底知れぬ怖さを感じたものです。
 こんなあやしげな宗教団体と、なぜ多くの政治家がつながりを持ったのか、いまだに不思議です。
 しかも、教主の文鮮民という男は強烈な反日思想の持ち主で、強制結婚も日本女性に「贖罪」させるため、霊感商法も日本人から財産を巻き上げるためということがはっきりしており、保守系の政治家なら決して近づかないと思われるのですが……
 文鮮民は「国際勝共連合」なる組織も起ち上げており、たぶんそちらの関係なのだろうと思います。勝共連合とは文字どおり「共産主義に勝つ」ための団体であり、この方針を信じた人が多かったのではないでしょうか。当時、キューバヴェトナムカンボジアと、共産主義を奉じる国は徐々に増えつつあり、また国内でも共産主義、社会主義を「カッコ良い」と見なす風潮が拡がっていて、保守系の政治家が危機感を覚えていたと想像されます。それで、共産主義勢力に対抗するため、自由主義諸国も国際的に連帯しなくてはならないと焦っているところに、あたかも国際的反共組織であるかのように偽装した勝共連合に賛同してしまったというところでしょうか。
 それにしても文鮮民の舌先三寸にひっかかりすぎだろうと、いまとなっては思えるのですが、何かほかの要因もあったのかもしれません。とにかくそのつながりで、縁を切れなくなった大物政治家が何人も居り、その子分や派閥構成員にも、つながりを切らないよう指示したのだと考えられます。勝共連合などのまやかしにごまかされなくなった世代の政治家にも、いまだに統一協会との関係を云々される人が多いのは、そのためでしょう。
 ともあれ、一般の国民からすると統一協会はカルトそのものであり、集団結婚も霊感商法も唾棄すべき事柄です。
 そのためか、山上の行為に理解を示すかのような論調も少しずつ増えてきました。
 当初は「民主主義への挑戦だ」「民主主義の冒涜だ」などと断言していた論者たちが、だんだんと山上の事情に共感を示しはじめ、統一協会などと関わりのあった政治家のほうが悪いみたいなことを言いはじめました。それによりだんだんと、安倍晋三氏が殺されたのもある程度やむを得ない、というような方向へ持ってゆこうとする手合いがぼちぼち見られるようになってきたことに、なんとも気持ちの悪さを感じます。
 中国北朝鮮以外の共産主義国がほぼ脅威とは言えなくなった現在(中国や北朝鮮だって、本当に共産主義イデオロギーの国であるかどうかと考えるとかなり怪しいですが)、勝共連合とか統一協会とかとは、わが国の政治家はきれいさっぱり縁を切って貰いたいものです。それが安倍氏の供養にもなるのではないでしょうか。

 安倍氏の死に際し、インドオーストラリアは議会が喪に服しましたし、黙祷をおこなった国はたくさんあります。半旗を掲げたところも少なくありませんでした。現職でもない2代前の、しかも国家元首ではなく首相に過ぎない役職の人物に対して、世界が示した弔意は実に大きなものでした。これほどの人物を、その所属国が悼まなくてどうするのでしょうか。反対派の人々も、当日はとにかく静かに故人を見送って貰いたかったところですが、そういう配慮が日本人から失われているとすれば哀しいことです。

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