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颱風余波の墓参行 [旅日記]

 毎年、夏のあいだか、夏が終わるころに、高尾にある私の父方の祖父母と、前橋にあるマダムの父方の祖父母のお墓参りに行っており、毎回いろいろと趣向を考えていますが、今年は前橋にマダムの両親と同行することになりました。
 5年ほど前、私らは「たんばらラベンダー号」に乗って、碓氷鉄道文化むらに立ち寄ったりして前橋に行き、お墓参りを済ませ、定宿にしているコンフォートホテルに投宿しました。そのとき、マダムの両親も同じ宿に泊まって、翌日義父の運転するクルマで富岡製糸場に連れて行って貰ったりしたのでした。そのころはまだ義父も長距離のドライブが可能だったのですが、さすがに最近はそれが心許なく思える様子になってきたようです。
 それでたぶん、前橋へのお墓参りもそれきりだったのではないかと思いますが、私らが毎年出かけているというので、今年は同行する気になったようです。自分で運転せずに行く方法を試したいと考えたのかもしれません。
 予定をすり合わせると、9月の連休の合間、20日21日が都合が良いようでしたので、その日程で宿をとりました。ただし、コンフォートホテルのユニットバスが狭くて義母のお気に召さなかったらしいので、やはり駅近くの、大浴場のある宿をとってみました。私らはコンフォートホテルに泊まっても、入浴はいつも近くの「天然温泉ゆ~ゆ」に行っていたので、あまり気にしていなかったのでした。
 コンフォートホテルの真向かいにドーミーインがあって、ここは「天然温泉」付きなのですが、あいにくと現在、コロナ感染者の療養施設となっており、一般客を泊めていません。温泉ではありませんけれども大浴場があるらしいベルズインを予約しました。
 往路は、最近私たちが好んで使っている高速バスを使うことにしました。日本中央バスの高崎・前橋線です。前橋駅からシャトルバスで中央前橋へ向かい、上毛電鉄で霊園の最寄り駅である心臓血管センターへ、という、いつものルートを披露するつもりです。

 旅程を立てていると、義母からひとつ要望が出て、草庵というそば屋に寄りたいとのことでした。前橋のお墓参りのときには必ず立ち寄っているそうで、そこに寄らないのならばお墓参りなどする気になれないというほどのお気に入りなのでした。
 とはいえ、いつもクルマで行っているわけですから、そこを公共交通機関で行くとするとどうなるのでしょうか。ものすごく不便なことになってやしないかと案じながら、そのそば屋を検索してみると、なんのことはない、心臓血管センターのひとつ先の江木駅から、徒歩5分もかからないほどの至近距離であったことが判明しました。それならちょっと足を延ばせば立ち寄れます。お墓参りの前でも後でも、ひと駅先まで乗ってくれば良いわけです。
 ところが、そう簡単には話が運びませんでした。もう少し調べてみると、草庵は火曜日が定休なのでした。つまり、20日には開いていません。
 それならば、21日に行くしかありません。21日の昼食をそこでとることにして、そのあとは前橋に戻らず、そのまま上電で桐生へ抜けることにしました。桐生はマダムの祖母、つまり義父の母の終(つい)の栖家であり、またマダムの伯母(義父の姉)が住んでいたところでもあります。義父も想い出があるのではないかと思い、この機会に散策してみても良いだろうと考えたのでした。幸い、マダムとふたりで桐生の市街地をある程度歩いたこともあります。
 桐生まで行ったのなら、新桐生に出て東武の特急で帰るのが都合が良さそうです。マダムの両親は常磐線沿線に住んでいるので、北千住で下りれば直通で帰れます。これで旅程は決まりました。

 あいにくと、颱風14号の余波で、天候はあまり良くありません。家を出たときは降っていませんでしたが、雨雲は低く垂れて、いつ降りだすかわかったものではない様子でした。
 いつもはバスタ新宿から乗っていますが、今回は池袋から乗車しました。私の祖父母の墓に参ったあとなら新宿が便利なのですが、家から出るなら池袋のほうが良いし、マダムの両親も同様です。
 バスは定刻どおりに到着しました。まったく空っぽです。池袋から乗ったのも私たち一行だけでした。このあと、練馬区役所の停留所でふたりほど乗ってきましたが、それきりでした。高速道路の途中にある川越的場の停留所で、乗ろうとした女性が居ましたが、どうやら行先を間違えたようです。川越的場はけっこういろんな路線のバスが経由しているのでした。
 乗客が少ないので、停車するところも少なく、高崎駅と前橋駅だけでした。本来なら藤岡インター新前橋駅や、「Nパーキング」と称する駐車場附属の停留所にも停車することになっているのですが、乗っているのは予約した客ばかりで、降車地点もあらかじめわかっているため、ふたつの駅以外はすべてすっ飛ばすことになったわけです。おかげで、予定の正午より10分ほど早く到着しました。
 バスに乗っている途中から、雨が降りだしていました。前橋駅に到着してもまだ降り続いています。この日が晴れるか降るか、何日も前から天気予報をチェックしていたのですが、二転三転した挙句、前日には雨模様になっていました。颱風の通過前後というのは予測がしづらいものであるようです。
 私たちの墓参行はこれで11回目となりますが、残念ながらあまり天候には恵まれていません。むちゃくちゃ猛暑か、雨が降っているか、どちらかが多く、良い天候であったのは数回しかありませんでした。今回も雨中のお墓参りとなりそうです。

 前橋駅構内にあるビストロのような店で昼食をとるつもりだったのですが、なんと休みでした。マダムがとても気に入っていて、両親にも紹介したいと言っていたのですが、連休の狭間なので閉めてしまったのでしょうか。そこがダメだと、駅前にはろくな食事処が見当たらないのがまた困ったものです。北口を出たところのガード下にある居酒屋に入りました。居酒屋のランチタイムメニューというのは案外と当たりであることが多く、そこも値段のわりに量がたっぷりしていて、味も悪くありませんでした。
 しかし洋食屋でのんびり食事するのに較べ、居酒屋のランチタイムはそんなに長居する雰囲気ではありません。予定していたより1本前のシャトルバスに乗ることができました。シャトルバスは上毛電車の発車に合わせて運行しており、バスが1本前ということは電車も1本前になります。上毛電車は日中30分おき運転ですので、つまり30分早く行動することになったわけです。
 中央前橋駅の脇を流れている広瀬川は増水して、いまにもあふれそうです。もっとも、なんだかいつでも増水しているような気がします。
 10年以上通っても、いっこうに変化の無い心臓血管センター駅に下り立ち、15分ほど歩いてお墓に着きます。細い道で、私らが同道しない場合にマダムの両親が迷わず歩けるか不安がっていましたが、霊園まではところどころに案内標識があるので、まあ迷うことは無さそうです。むしろ霊園に入ってからが微妙です。マダムの両親はいつもクルマで本部近くに乗りつけているのですが、心臓血管センター駅から入る側はいわば裏口で、本部までのルートがけっこうわかりづらいのでした。それらしき煙突なんかは遠くからでも見えているので、それを目当てに歩けば良いようなものですが。
 小雨の中、参詣します。風も加わって、折り畳み傘などは簡単に裏返りそうです。
 前は草むしりなどしなければならないことが多かったのですけれども、数年前にマダムの伯父(義父の兄)が亡くなって同じお墓に納骨されて以来、その息子たち(マダムのいとこ)が手配したのか、最近はいつ行っても小ぎれいになっています。手早く供花し、風が強いので線香はひとり1本だけ点火して供え、マダムが持ってきたお供えものを並べ、それぞれに拝しました。
 心臓血管センターに着いてから30分ばかりでお墓参りは済んでしまいました。心臓血管センターは交換駅で、日中は必ず上下線がすれ違います。つまり上下線の発車時刻が同一となっています。乗ってきた電車の30分後に次の上下線が発車するわけですが、これには間に合いません。実際、水桶を返しているころに中央前橋行きの電車が通り過ぎるのが見えました。
 その1本あと、30分後の電車まで待たなければなりません。途中の四阿で休憩したりしてから、ゆっくり歩いてゆくと、案外好い時間の按配となりました。西のほうの空はすっかり晴れているのが見えますので、雨はもうじき止みそうですが、雨上がり間際のせいか雨脚はむしろ強くなりました。天気が好ければ、散策ルートとしては申し分ないのですけれども。

 上電とシャトルバスを乗り継いで前橋駅に戻り、そこから宿へ行ってみると、これも駅からごく近く、信号機の配置などを考えると、コンフォートホテルよりもむしろ便利ではないかという立地でした。ここまでスムーズに運びすぎて、まだ15時前です。ホテルのチェックインというのはたいてい15時からというところが多く、まだチェックインできないのではないかと懸念しましたが、ちゃんと受け付けてくれました。前に、コンフォートホテルにやはり早過ぎる時刻にチェックインしたことがあって、受付はしてくれましたが、部屋のフロアに上がってみるとまだ掃除が済んでいなかったということがあります。
 ひと休みして、とりあえず大浴場に行ってみました。誰も居なくてひとりじめできましたが、「大」浴場というのは少々吹き気味と思われました。洗い場が6つで、「中」浴場くらいの規模です。まあ、ユニットバスに較べれば天と地の差ですので、義母も満足できるのではないかと思いました。

 夕食は、私らが最近いつもひいきにしている、けやきウォーク登利平に行きました。鶏肉料理をメインとする店で、鷄めし弁当なども有名です。高崎や前橋で会議などがある場合に、ここの鷄めし弁当が出ることが多いそうです。
 前橋駅からは1キロくらい離れていて、いつもは歩いて行っていますが、今回は両親同道なので、コミュニティバス「マイバス」を使いました。往復とも使うつもりでしたが、食事の量がかなり多くて、私でもけっこうおなかがいっぱいになったのに、最近めっきり食欲が落ちたという義父が、私より多い分量を完食していたので、少し腹ごなししたほうが良いのではないかと思い、帰りは歩くことにしました。ともあれ登利平は両親のお眼鏡にもかなったようでしたので安心しました。

 翌朝は、別系統のマイバスで、まずスズラン百貨店に行きました。義母が買いたいものがあったようなので予定に組み入れていました。ただし、買い物は考えていたよりあっさり済みました。またマダムが寄りたがっていた漬物屋は閉店してしまっており、ゆるゆる歩いて中央前橋駅に着いたのは、予定よりも1時間も前のことでした。
 なおスズラン百貨店のあたりが、前橋市の古くからの商業地域であるわけですが、かつて前橋に住んでいた義父は、
 「全然変わっちまって、さっぱりわかりませんなあ」
 と述懐していました。かつて、というのは、若いころというよりも幼いころというべき時代ですから、それは変わっていることでしょう。その後も何度も訪れてはいるようなのですが、例によってクルマで近くまで乗りつけてちょっと歩く程度だったようなので、変化を実感するほどではなかったのかもしれません。

 再び上毛電車に乗り、こんどは江木で下車します。義母のこだわりの店「草庵」を訪れるためです。昼食どきには少々早めでしたが、いちおう11時から営業しているので入ることはできるようでした。
 江木駅からは本当にすぐで、クルマでしか来たことの無かったマダムの両親はびっくりしていました。
 この店は非常に細い打ちかたの麺が特徴で、三昧そばと称する三色のそばが売りです。三枚の小さなざるが次々と運ばれてくるので、「三枚」を「三昧」とシャレたのではないかと思いますが、由来はよく知りません。三色の内容は日によって変わるようですが、この日は「中抜き」「胡麻切り」「柚子切り」でした。中抜きというのは中間搾取のことではなく、ソバの実の皮と芯のあいだの甘皮の部分を挽いたもので、ソバの風味がいちばんよく感じられる部位なのだとか。胡麻切りと柚子切りは、文字通りゴマやユズを練りこんだものです。いずれも美味で、なるほど、義母がこだわるのもわかります。
 マダムも両親も、三昧そばのほかに天ぷらを頼んでいたので、驚きました。朝食からまだそんなに時間が経っておらず、私はまだ揚げ物を食べる腹具合にはなっていませんでした。この店は天ぷらもそれなりに売りであるらしく、ここに来るとなると3人とも「そういう胃袋」の状態になるものだったようです。しかし前の晩もそうでしたが、これだけ食べられるのはお齢にしては素晴らしいと言うべきで、まだまだお元気で居られることでしょう。私のほうの両親が、このところすっかり食べられなくなっており、それに較べると頼もしい気がしました。デザートに蒸し羊羹(むら雲、と言うらしい)まで食べました。これは義母が御馳走してくれたのでした。蒸し羊羹ですのでこれまたけっこうおなかにたまります。

 すっかり堪能して、江木駅に戻りました。江木は本来有人駅でしたが、コロナ以来無人となっています。駅の様子を見る限り、コロナが終熄してもそのまま無人駅になってしまいそうです。列車交換もおこなわれない片面駅なので、駅員を配置するほどの意味が無さそうなのです。
 ごく小さい駅舎には、自動券売機も無く、切符は窓口発券していたようです。有人駅のころだったら硬券を買えたかもしれないと、少し残念に思いました。
 西桐生に向かいます。良い感じに満腹で、道中しばしば意識が飛びました。
 桐生では、マダムが大川美術館に行きたがっていましたが、少し前に企画展が終わり、それと共にわりと長い休館期間に入ったようで、この日は開館していませんでした。一方、懐かしさを感じるのではないかと思った義父は、どうもほぼ思い入れが無さそうでした。桐生の街中を歩いたことさえほとんど無いとのことでした。確かに、老母を訪ねるにしてもクルマだったでしょうから、市街地をぶらつくなどということもしなかったかもしれません。
 とりあえず織物記念館へ行ってみると、むしろ義母のほうが食いついていました。なんでも、仲間うちの旅行でここへ来たことがあったのに、体調が悪くて参加できなかったらしいのです。ここの売店で求めたお土産を貰ったとか。
 私らは6年前に来ていたので、様子はだいたいわかっていましたが、再訪するに価する施設であるとは思いました。「機織り体験」など、マダムは前回もやりましたけれども、今回もチャレンジしていました。
 織物記念館を出てから義父に訊いても、特に見たいところは無いということでしたので、そのままぶらぶらとJRの桐生駅に向かいました。そこからタクシーで東武の新桐生駅に行くつもりですが、タクシーもあんまり来ない駅前ロータリーではあります。まだだいぶ時間があるというときに、1台やってきました。しかしそれからマダムが「駅ピアノ」を弾いたりして、さすがにもう居ないだろうと思ったら、まだ停まっていて、運ちゃんはシートを倒して昼寝していました。助かったと思いつつ、窓を叩いて運ちゃんを起こします。
 桐生と新桐生は駅名は似ていますが、タクシーで移動しても千円以上かかる距離で、まったく別ものと考えて良いでしょう。新桐生でも時間がだいぶありましたが、マダムの両親が荷物を振り分けたりしているうちに、なんとなく好い按配となりました。

 16時06分発の「リバティりょうもう34号」で帰途に就きます。リバティタイプの特急にはじめて乗りましたが、室内のアコモデーションはなかなか快適です。ただ3輌編成でしかなく、ローカル線を走っているときは似つかわしいのですが、8輌、10輌といった通勤車輛が行きかうスカイツリーラインに入ると、短編成の特急が一生懸命走っている図を想像するとなかなか微笑ましいというか滑稽な気がします。ともあれ3輌編成単位で小回りが利くというのがリバティの売りなのでした。それは良いのですが、なぜか特急料金が旧来の「りょうもう」やスペーシアなどよりも高いのが納得行きません。運用からして以前の快速電車の置き換えっぽいのですが、だから安くしろとまでは言いませんけれども、特急料金は使用車輛にかかわらず統一して貰いたいものです。
 17時42分、北千住着。千代田線のプラットフォームでマダムの両親と別れました。ご満足いただけたようで何よりでしたが、今後おふたりだけで高速バスや東武特急(今回は桐生に寄りましたが、終点の赤城まで直行して上電に乗り換えればすぐです)などでお墓参りに行くことがあるかどうか、それはなんとも言えません。義父は、やはり自分で運転して行ってくるのに較べ、はるかに楽だったと言っていましたので、いつまでもお元気で旅行などしてくださればと念ずる次第です。

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