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マダムの石 [日録]

 この前の水曜日(9月14日)、夕方ごろになって、朝から仕事に出ていたマダムが、家の電話にかけてきました。
 最近はマダムとのやりとりはすっかりLINEを介することが多くなり、電話などはよほど緊急のときしか使わなくなりましたが、その緊急の用件であるようです。
 仕事の帰りに、彼女はお気に入りのカフェに立ち寄ってひと休みしていたのですが、そこで急におなかが痛くなり、迎えに来て欲しいとのことでした。
 迎えに来て、と言っても、マダムは自転車で出かけており、私もクルマは持っていないので自転車で行かざるを得ず、結局併走するくらいしか仕方がないのですが、とにかく声にも張りが無くて相当しんどそうでしたので、何はさておき迎えに出ました。カフェまでは家から15分程度のところです。
 マダムは前から左下腹あたりの痛みを訴えることが多く、7年ほど前には神田駅まで呼び出されたことがあります。やはり急な腹痛で、駅の事務室で休ませてもらっているとのことでした。私はちょうどオペラ『セーラ』の初演の稽古中で、板橋に居ましたので、池袋に出て丸の内線に乗り換え、御茶ノ水から中央線にひと駅乗って駆けつけました。たぶんそれが最短ルートであったと思います。マダムを回収し、タクシーを拾って帰宅しました。予想したより運賃が安かったのでおやおやと思いました。
 そのときは婦人科系の病気かと思われたので、翌日そちらのクリニックに行って診察を受けました。軽い内膜症と軽い筋腫が見つかったものの、そんなにひどい痛みが出るとは思われない感じで、結局原因はよくわからなかったようです。しかし軽い病変があったのは事実なので、マダムはそれから何ヶ月かにいっぺん、そのクリニックに足を運ぶことになりました。
 左下腹の裏側にあたる腰の痛みがあることも多く、かなり前にぎっくり腰をやっているので、その再発とも思われました。ある年末に急に痛み出したので、救急担当医になっている整形外科で診てもらったところ(ものすごく時間がかかりましたが)、第何腰骨だかが潰れているというような診断でした。それでマダムは現在もときどき整形外科に通って干渉波を当てたりしています。
 左下腹もしくはその裏側の腰の痛みというのは、そんな具合にいろんな症状が考えられます。大腸の末端部もそちらを通っているので、ひどい宿便があるような場合も同じようなところが痛むそうです。
 今回はどこが悪いのかわかりませんが、とにかくかなり大変なようなので、ことによるとマダムの自転車をカフェの駐輪場に置き去りにさせて貰って、タクシーを呼んでマダムを乗せ、私は自分の自転車で帰り、後日マダムの自転車を回収にくる、などしなければならないかな、と考えながら、だいぶ暗くなった道路を走りました。
 カフェに到着する直前に、出てきたマダムと行き会いました。私が思ったより時間がかかったためか、待ちきれなくなって出発したようです。しかしペダルをこぐ足にも力が入らないらしく、ふらふらしながら走っていました。
 先に行かせてうしろについて走りましたが、しきりに片手で脇腹のあたりを押さえたりさすったりしながら走っているので、えらく危なく見えてはらはらしました。
 ふだんの倍くらいの時間をかけて家に戻ってきて、マダムはすぐにベッドに横になりましたが、痛みはますますひどくなっているようです。
 これは病院に連れて行ったほうが良さそうです。しかしもう時刻は19時くらいになっていて、普通のクリニックなどだととっくに閉院しているでしょう。夜間診療をしている、大きめの病院でなければ診てくれないと思われます。
 とりあえず、救急相談、#7119に電話してみました。いろいろ訊かれましたが、結論としてはすぐ診察を受けたほうが良いということで、ふたつばかり夜間診療をしている病院を紹介されました。
 その片方は、私がずっと前に入院したことのある病院で、マダムもいちど乗っていたバスが乗用車に追突されてほかのお客と共に診察を受けたことがあるところでした。家からそれほど遠くもないし、ともかくそこに連れてゆくことにしました。電話して、受け入れてくれることを確認してから、タクシーを頼みました。なんだかこの日は混み合っていたようで、最初に電話したタクシー会社は全車出払っており、次のところは応答もありません。3番めに電話していると、マダムは私が手間取っていると思ったようで、
 「なんで救急車呼んでくれないの」
 と恨みがましく言いました。救急車なら救急受付に乗り付けてすぐ診て貰えるという利点はありますが、タクシーを呼ぶより早いとも限りませんし、乗るときにいちいち説明しなければなりません。
 幸い、3番めの会社はすぐに配車してくれることになりました。マダムは脇腹を押さえながら荷物を用意しはじめました。やたらと大きな荷物になっていましたが、入院になることも考えていたようです。荷物の中にはお気に入りのクマのぬいぐるみが2体も入っていたので、少々ジト眼で見てしまいました。
 タクシーで病院に乗りつけます。そう遠くないとはいえ、迎車料金も含めるとけっこう取られました。

 救急搬送口のほうから入ってしまいましたが、本来は正面入り口にまわって、インターフォンで受付の宿直員に頼んで入れて貰わらなければならなかったようです。しかしマダムはすぐに処置室に入れられました。私はあらためて受付を済ませます。問診票のようなものを渡されて記入しましたが、あとから考えると日付を一日間違えていたようです。
 マダムが追突事故で診察を受けたのは、もう10年以上前でしたが、いちおうデータは残っていたようです。しかしそのとき診察券を作成していなかったようで、とりあえず受付で作ってくれました。年配の宿直員が、裏の事務室にまわって作業していると、受付うしろのプリンターが急に動き出して、診察券らしきものが出てきたので、ははあ、ああやって作るのか、と思いました。
 1時間はかからなかったと思いますが、やがて処置室に呼ばれました。マダムが寝台に横になっています。家では非常に顔色が悪く、土気色というのがぴったりな様子でしたが、少し赤みが戻ってきていました。血液検査とCTスキャンをおこなったようです。血液採取のとき、体温が下がっていて血管も収縮していたらしく、うまく肘から採れなかったようで、手首のあたりに採血器をつけていました。もともとマダムは血管が細めで、採血のときはいつも手間取るようです。
 まだ検査結果は出ていないようでしたが、わりと若い女医が来て言うには、尿管結石であろうとのこと。
 さもありなん、と納得しました。婦人科系にしても整形外科系にしても、重症ではないのでそんなに激痛が襲ってくるとは思えません。便通のほうは順調だったらしいので消化器系でもなさそうです。残るは腎臓系で、それなら腹痛と腰痛が同時に起こるのも納得できます。

 そして尿管結石は私も四半世紀ほど前にやらかして、その痛さは自分の感覚としてわかっています。朝起きると脇腹と腰に激痛があり、たまたま来ていた母に救急車を呼んでくれるように頼みました。母のほうが動顛して、
 「え~、救急車って何番だっけ?」
 などとうろたえたことを言っていました。そのときに運ばれたのが、今回マダムを連れて行ったその病院です。私もCTスキャンを撮られましたが、撮影中も痛くてかなわず、
 「少しだけ我慢してください」
 と医師が言うのに、
 「む、む、無理です」
 と答えたほどでした。採尿もしましたが鮮やかな真っ赤な血尿で、自分でも感動しました。
 このとき私は、あとにも先にも、これまでの人生で唯一の麻薬──モルヒネを打たれました。打ってからしばらくして、看護師が
 「そろそろ眠くなってきたでしょう」
 と訊いてきました。
 「いえ、全然」
 「はあ、それじゃよほど痛かったんですね。普通ならモルヒネを打てばそろそろ眠くなるはずなんですけど」
 私の石は、石というにはごく小粒で、むしろ砂粒くらいのサイズでした。ただ、結石というのは小さいほうが痛みが激しいとされています。小さい結石は形がごつごつしていて角が多く、その角が尿管の内側に当たると傷をつけて激痛になるわけです。大きくなった石のほうが、生成過程で全体的に丸くなり、ひっかかるところが無くなるので痛みは少ないとか。
 さてマダムの石は、6ミリくらいだろうとのことでした。中型というところでしょうか。あとで調べたところでは、直径が1センチを超えると、超音波を当てて砕いてしまうという処置がとられるそうです。また4ミリ以下だと、薬などで排出をうながすのが普通であるようです。6ミリというのは微妙な大きさなのでした。
 ともあれ、この日の段階では何も処置がとれず、痛み止めを出すくらいしかできないというのでした。
 「明日、なるべく早く、泌尿器科のお医者さんに診てもらってください」
 と言われました。この病院では、翌日(15日)は泌尿器科の先生は出勤していないらしいのでした。その場で泌尿器科のあるクリニックを探してもくれていましたが、私らの住所の近くではすぐには見つけられなかったらしく、結局丸投げされました。
 この日は、痛み止めの処方箋を貰って、はす向かいにある薬局で買い求め、バスで帰りました。マダムは特に処置もされていないのに、痛みがおさまったようで、帰り道の徒歩も平然と歩いていました。まあ、石というのは発作が起こっていないときは、ケロッとしているものです。
 帰宅するとまた少し痛み出したようだったので、買ってきた座薬を早速入れました。座薬も内服薬も、あとひとつずつしかありません。あくまでも泌尿器科で診て貰うまでのつなぎのつもりで出してくれたようです。

 さて、そのあと泌尿器科のあるクリニックを探してみたら、H医院という、マダムがいちど行ったことのあるところがひっかかりました。マダムはそのときは呼吸器内科で受診したようで、泌尿器科もやっているというのはまったく意識に無かったようです。わかっていればそこを伝えたのに、とあとで悔やむことになります。
 平日は8時15分から開いているというので、マダムは珍しく早々と出かけました。いつも、婦人科とか内科とか整形外科とかの受診日には、朝早く行くようなことを直前まで言っているのに、結局昼近くなってから行くということが多いのですが、さすがに待っていられなかったのでしょう。最初は私も同行して欲しいような雲行きでしたが、前の晩の病院の精算の電話がかかってくることになっていたので、私は家に居なければなりませんでした。夜間は会計のできる職員が居ないので、預り金を渡して、精算は翌朝、というのでした。
 精算の電話はつつがなく受けました。いつでもご都合のよろしい時に、という話でしたが、あまり持ち越すのもイヤなので、その日のうちに精算に行こうと考えました。
 と、マダムが予想よりはるかに早く帰ってきました。
 なんでも、検査データも紹介状も無いのに、できることは無いと言われたそうです。6ミリの石などと口で言われただけでは、なんともしようがないとのこと。まあ確かにその通りではあります。追加の痛み止めだけ出されてすぐに帰されてきたようでした。
 それで、私はそれから前夜の病院に出かけ、精算すると共に、データと紹介状を貰ってくることにしました。どちらもお金がかかると思われますが、それは仕方がありません。
 総合病院の常で、精算が済むまでかなり待たされましたが、それとは別に検査データと紹介状については、事務の女性がけっこう身を入れてあちこち連絡してくれたようでした。結果としては、血液検査の結果は無料で出せるが、CTスキャンの画像はCD-ROMに焼かなければならないので料金がかかるということ。そして紹介状は、前夜診てくれた若い女医が、その朝はもう病院に居らず、発行できないとのことでした。ほかの先生に書いて貰おうにも、自分で診察していない患者についての紹介状などは出せないというので、確かにそれももっともな話です。
 とにかく検査データは入手できたので、H医院にまた電話をかけ、データを届けて見て貰うわけにはゆかないだろうかと訊ねました。
 すると、紹介状が必須であることを伝えられました。まずは紹介状を受け取ること、すべてはそれからだというような口ぶりでした。そうしないと確かに引き継げたということにならず、何かトラブルが起こったときに困るのだろうとは思います。しかし融通の利かないことだと思いました。
 とりあえず総合病院のほうにまた電話をかけ、クリニックから紹介状を求められていると言いました。
 相手はいちおう調べてくれたようですが、前夜マダムを診てくれた女医は非常勤だそうで、今月はもう登院しないというのでした。また、来月のローテーションはまだ組まれておらず、月末にならないと、その女医がいつ居ることになるのかわからない由。
 なんとも八方塞がりな話で、とにかく月末にもういちど訊いてみると伝えて電話を切ったものの、まだ半月もあるのに痛み止めだけで持たせられるのか、非常に心許ない状態です。
 女医が「明日の朝泌尿器科で診て貰ってください」と言ったときに、なぜ紹介状を書いてくれなかったのかと、あとから憤慨したりもしましたが、その時点では検査結果も出ていないし、どこのクリニックに行くのかも判明していなかったので、紹介状の書きようもなかったろうとは理解できます。それにしても、いとも気軽に出された指示が、こんなに厄介なことになるとは、本人も思っていなかったろうな、と想像しました。

 それから数日、マダムは何度か、主に晩になると痛みを訴え、痛み止めを服んで抑える、ということを続けました。
 しかし、土曜(17日)の夜半にまた痛み出して、普通一日3回とされている痛み止めの4回めを服用したばかりか、翌朝、つまり今朝になっても痛みがあり、最初の日と同じくらいつらいと訴えます。
 日曜ですので、普通のクリニックは開いていません。休日当番医を調べてみると、なんとH医院の名前が挙がっていました。明日の祝日になると、H医院ではなくほかのクリニックが当番医となっています。その後もH医院が当番になっている日は当分無いようでした。
 嘘みたいな偶然です。開院するや否や電話をかけ、時間を指定して貰って出かけました。今回は私も同行します。もちろん検査結果を持参します。総合病院からの引継ぎでなく、実際に症状が出ているところを、休日当番医として診察を受けるわけですので、紹介状とかそんなことはどうでも良くなっているわけです。
 実際、紹介状が無いと受け取るわけにゆかないみたいなことを言っていた検査データもすぐに受け取ってくれました。考えてみればそのデータはすでに私らが「買った」ものですので、診療を「引き継ぐ」わけではなく単に患者からのデータ提供と見れば、受け取らない理由も無さそうなものなのでした。
 結局、石ができていたのは事実で、CTの画像はマダム自身が見せて貰ったそうです。直径は「6ミリ弱」とこれまた微妙な大きさでした。クリニックの医師は、前回は
 「6ミリもあっちゃ、自然には出てこないよ」
 と断言したそうですが、「6ミリ弱」という表現には、

 ──ひょっとしたら自然に出てくるかも……?

 という「微妙さ」が顕れているようです。ともあれ、今度は痛み止めのほか、尿の排出を促す薬も追加されました。いちおう、砕くのではなく排出させるという方針になったのでした。

 ともあれ、痛みの原因が判明したことで、大いに安心した次第です。
 いままで、婦人科とか整形外科にかかっていたわけですが、どちらも「軽い病変」が見られたものの、そんなにひどく痛むとは思えない症状でした。結局泌尿器科が正解だったわけです。いままでときどきひどい痛みがあったのも、どうも腎臓系の症状であったのではないかと考えられるのでした。
 「レントゲンとか撮ってるのに、どうしていままでわからなかったんだろう。MRIまで撮ったのに『異状なし』だったんだよ」
 とマダムがふくれていましたが、どれもピントを合わせる場所が違うので、それはやむを得ないでしょう。腰骨を撮ったX線写真に尿管の様子が写っているわけも無いのでした。それにしても、結石という可能性を考えた医師がいままで居なかったのが不思議です。どの科でもちょっとずつ悪いところが見つかっているため、マダムは高齢者のごとく大量の薬を毎日服用しているのですが、半分くらいは必要ないものであったのかもしれません。
 結石は、症状ではありますが病気とは言い切れないもので、安静にしていてもさほど意味が無いようです。ビールでもしこたま飲んで飛び跳ねていればそのうち出てくる、などと乱暴な説がおこなわれているとおり、痛みが無いときにはまったく普通に生活していられます。仕事を休む必要もない、とH医院でお墨付きを貰って、マダムはたいへん喜んでいました。さらに、
 「痛み止めの薬なんか、日に6回くらい服んでも、ちょっと胃を傷めるくらいだから」
 と豪快すぎる助言も受けたようです。
 いつ排出されるかはまったくわかりませんが、しばらくは痛みと血尿、そして痛み止めの服用というサイクルが繰り返されるのでしょう。ものすごく痛いのは事実なので気の毒ではあるものの、早く石が出てくることを心より祈ります。
 クリニックと調剤薬局の用事は、11時頃までに全部終わりました。実はこの日、朝からふたりで出かける予定があったのですが、こんな騒ぎがあって、予定は流れたものと私は認識していたのですが、マダムは平気な顔で、
 「え、これから行くでしょ」
 と言い切りました。私は大いに驚いたのですが、さて予定がどうなったか、それはまた別の話になります。

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