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宮城谷昌光『劉邦』を読んで [趣味]

 宮城谷昌光氏の『劉邦』を読みました。毎日新聞に連載されたものが文春文庫から出たのでした。『湖底の城』の続きも気になっているのですが、『劉邦』はこの7、8月に2巻ずつ刊行されて、すでに全4巻が完結しています。こちらの校訂などを済ませてから『湖底の城』の続刊というタイミングだったのかな、と思いました。
 宮城谷作品で楚漢戦争を扱ったものとしては、すでに長編『香乱記』があります。それから短編集『長城のかげ』、史伝集『楚漢名臣列伝』なども出ています。劉邦は当然ながらそのいずれにも登場していますが、彼自身を主人公として書いたものはまだありませんでした。
 楚漢戦争については、司馬遼太郎『項羽と劉邦』という名作があり、宮城谷氏自身が絶賛しています。私自身も中国史に開眼させられた作品であり、新潮文庫のカバーが破れ去り、表紙もとれかかるまで何度も愛読しました。基本は『史記』の記事をなぞりつつ、さまざまな登場人物の生きかたを深彫りし、一章一章ごとに感動と長い余韻があって心揺さぶられる小説でした。谷沢栄一氏は「『人望』とは何かということを語り尽くした大作」と評していました。
 『項羽と劉邦』と同じ時代を扱うにあたって、宮城谷氏としても、緊褌一番という気持ちがあったに違いありません。司馬作品の二番煎じにならないように、登場人物の描写にも細心の注意を払ったことでしょう。読んでいると、筆者がいかに『項羽と劉邦』でのキャラクター評価をなぞらないように苦心しているかが見て取れます。

 『香乱記』では、いわば第三勢力であったの田家三兄弟、とりわけ田横を主人公として扱っています。何度も項羽と戦って負けながら、決して従おうとしなかった不羈奔放な一族が斉の田氏で、劉邦の使臣である酈食其(れきいき)の説得に乗って劉邦と同盟を結ぼうとします。ところがそれによって武装を解いたところへ、劉邦の部将である韓信が攻め寄せて、あっという間に城を落として斉の地を占領してしまうのでした。背信に怒った田氏は一転して項羽と結びますが、援軍としてよこされた将軍竜且「半渡の計」により韓信に惨敗して斬られてしまいます。田氏の中でただひとり残った田横は、それでも戦い続けますが、ついに率いる軍勢がわずか500人となり、渤海の島に逃れます。そのうち劉邦が項羽を破って天下を取り、万策尽きた田横は劉邦に降りますが、長安へ赴く途中で自殺します。このとき従っていた500人の兵が、ひとり残らず殉死したというのですから、よほど慕われていたのでしょう。
 田横はもちろん『項羽と劉邦』にも登場します。しかしいわば点景で、歴史の大きな流れに押し流された人物のような描写でした。そんな人々の中にも、これほど好い男が居たのだということを描きたくて『香乱記』が書かれたのだろうと思います。
 『香乱記』に出てくる劉邦は、詐欺的行為を平然とおこなうことのできる梟雄としての側面を強調されていました。確かに田氏の立場から見ればそういうことになるでしょう。韓信の行為は彼の独断ではあったでしょうが、
 「酈食其を遣わしたので、斉への進軍はしばらく見合わせるように」
 という劉邦からの命令は届いていなかったようです。これについては、劉邦も韓信がそれほど早く斉への侵攻を開始できるとは思っていなかったからだという見かたがありますが、それにしても劉邦の手落ちであるには違いありません。
 また劉邦は、配下におさめようとした陳余から、陳余の元畏友でその後不倶戴天の敵となった張耳の首を要求され、張耳によく似た罪人の首を斬って渡したという、いささか子供じみた詐略をおこなったこともあります。その時点で張耳を失うわけにもゆかなかったのでしょうが、もう少しやりようがあったような気もします。そんなところも梟雄ぶりの一環として描かれました。

 ただし劉邦、すなわち漢の高祖という人物については、いまだにその全貌がつかめていないふしがあります。とりとめないほどに寛容であるかと思えばえらく猜疑心が強いところもあり、愚鈍であるように見えて意外に聡明であり、戦争に弱いようでいて意外と将としても有能だったりして、単純なキャラクター造型の中におさまってしまうような人物ではなさそうです。
 私もはっきりとはつかめませんが、ただひとつ言えるとすれば、

 ──自分よりすぐれた者の才能や業績に、素直に感心できる人

 であったように思われます。この特質は、言うは易くおこなうは難しといったもので、特に組織のトップに居ながらこの特質を持ち続けられた人というのは、歴史を見てもごく稀にしか見受けられません。史書を読んでおそらく劉邦に倣ったと思われるの太祖・朱元璋などは、天下をとるや否や猜疑心のかたまりとなり、功臣を片端から粛正しました。確かに劉邦も皇帝になったのち、韓信や、彭越黥布といった部将たちを粛正していますが、そう闇雲にたたきつぶしたわけではありません。
 ともあれ、小説の登場人物とする場合、劉邦というのは、その巨大な多面体のうちのどの側面を強調するかによって、ずいぶんと読んだイメージが違うことになりそうです。
 『長城のかげ』に収められた各篇は、高祖・劉邦という人物のさまざまな面を観察してみようとしたかに思われます。各篇の主人公は、項羽配下の猛将だった季布、漢王朝の儀礼を創始した儒者叔孫通(しゅくそんとう)、劉邦の幼馴染みで最大の忠臣でもあった廬綰(ろわん)、劉邦のお伽衆のような存在だった儒者陸賈(りくか)、劉邦の庶長子でのち斉王となった劉肥といった人々ですが、むしろそれぞれの立場から見た劉邦という人物を手探りしながら捉えようとしているかに、私には読み取れました。全篇通しての「影の主人公」が劉邦だったのです。
 それをいよいよ「表の主人公」に据えたのがこのたびの『劉邦』だったと言えるでしょう。

 かつて『香乱記』で、まったく信用ならない詐欺漢のような描きかたをした劉邦を、よく主人公に据える気になったな、というのが読む前の感触でした。
 いままで宮城谷作品を読んできた感じからすると、主人公に据えた人物にはかなりの「主人公補正」がかかるようです。大河ドラマの主役などについてよく指摘される点で、功罪の功については過剰に持ち上げ、罪のほうは過少に見積もるかもしくは誰か他人のせいにしてしまうことで、主人公の有能さや善良さを大きく見せる仕掛けのことです。
 宮城谷作品で言えば、もとから伝説的な人物である太公望は別としても、士会にしろ子産にしろ楽毅にしろ、氏が書いたほどの図抜けた超人であったかどうかは微妙なところです。実際にはいろいろ失敗とか、性格上の難点とかもあったことでしょう。楽毅は確かに戦国期を通じてもトップクラスの名将でしかもすぐれた行政官でもあったとは思いますが、彼の仕えた昭王の後継者である恵王から、殺されかねないほどに憎まれたについては、必ずしも恵王が、讒言を信じるどうしようもない暗愚の君主であったという理由だけではないでしょう。やはりどうしても馬の合わない何かがあったに違いありません。
 ともあれそういう「主人公補正」を考えると、意外と劉邦についても、『香乱記』とはてのひらを返して、かなり持ち上げて書いてあるかもしれないぞ、と思いました。
 読みはじめると、実際そんな気配があります。とにかく民を守りたいという気持ちが第一にあって、詐略などもその気持ちの上でおこなわれているという書きぶりになっていました。確かに劉邦にはそういう思想を思わせる発言も伝えられていますが、しかしまあ民を守る云々というのは革命家なら誰でも言うことで、劉邦以外の人物が言ったのは偽りで劉邦の言葉だけが真実であったとは誰にも断言できません。普通に考えれば、兵を募るためにその母体である民衆を保護したというところでしょうが、敵役である項羽にそういう面が薄かったことから、劉邦を稀有な愛民家として描いてもさほど違和感は無いのでした。
 また、劉邦がかなり能動的に動く人で、戦術家としても戦闘指揮官としても、実はなかなか有能であるという描写をしています。司馬版の劉邦を見ていると、自分自身はまるで能無しだけれども、献策者に恵まれ、その献策の良否を見抜く眼が確かであり、つねに神輿の上に担がれている人というイメージになるのですが、宮城谷氏はその従来のイメージを脱しようとしているかに見えました。まあ、『項羽と劉邦』はタイトルどおりダブル主人公として書かれており、きわめて能動的で直截的で、戦術眼もすぐれ個人的戦闘力は無敵クラス、という項羽との対比だったから「無能な担がれ者」という劉邦の人物造型が活きたわけです。劉邦を単独主人公とした場合は、それだけでは少々物足りなさがあったのでしょう。
 実際、『劉邦』はほとんどの出来事を、劉邦自身か、その周囲の人間たちの視線で捉えた描写になっており、そのほかの場面は非常に簡略化されています。始皇帝の逝去も、その後の胡亥の即位も、陳勝呉広の挙兵も、項梁の挙兵やその死も、いずれも簡単に記されるかあるいは伝聞としてもたらされるだけになっています。楚漢戦争の面白いところをいろいろ思いきって切り捨て、ひたすら劉邦に寄り添って記述するという方法に集中しているわけです。この辺にも、司馬作品と違ったアプローチをしてみようという意識が感じられます。
 作家にとって、自分がすごいと思ってしまった先人の作品と同じ題材に挑むのは、並々ならぬ畏れと高揚感が伴うのではないでしょうか。先人の作品を超えたいという想い、超えがたいという戦慄。そこからせめて、違うアプローチを探してみようとするのも、無理のない行動と言えましょう。
 おそらく司馬遼太郎氏自身も、『燃えよ剣』などを書く前、子母澤寛『新撰組始末記』に対して、似たような畏れと高揚感を覚えただろうと思います。司馬氏もこの作品を絶賛しており、新撰組に関してはこの本を読めばそれだけで充分だとさえ発言しています。自分自身が新撰組ネタの小説を書こうとしたときに、意識の前に立ちはだかる『新撰組始末記』をどうすれば良いのか、司馬氏も相当に思い悩んだことでしょう。そういう「想い」は受け継がれてゆくものだと感じます。

 劉邦の周辺の人物については、『項羽と劉邦』と較べると設定などがだいぶ異なっているのに気がつきます。周苛などについてはまるで違っていて、『項羽と劉邦』ではかなり遅い時期に、親友の紀信と共に劉邦軍に参加し、ふたりして地味に兵卒として働いていたところ、滎陽(けいよう)の籠城戦でにわかに取り立てられ、ふたりともに壮絶な死を遂げるという物語になっていました。しかし『劉邦』では周苛のほうは最初から沛県の上級吏員で劉邦と昵懇しており、歴戦の将になっています。紀信のほうは「どこの出身だかわからない」と雑な扱いになっていました。たぶん、史書には紀信の出自については書かれていないのでしょう。滎陽の籠城戦で、脱出する劉邦の身代わりになって項羽のところに赴き、焼き殺されたという事跡だけが書かれているので、司馬遼太郎は同じ滎陽の殊勲者であった周苛と組み合わせて、同郷の親友ということにし、宮城谷昌光はそういう設定をおこなわなかった、という違いだろうと思われます。実は私は『項羽と劉邦』の中で、この周苛と紀信のエピソードがいちばん好きなところなので、『劉邦』での扱いには少々拍子抜けしてしまった次第です。

 あと鴻門の会の前に劉邦を裏切る左司馬の曹無傷が、最初のほうから出てきていて、戦闘シーンでもしばしば活躍しているのが面白く読めました。実はこの名前、私は高校の漢文の教科書で見ています。まさに鴻門の会の場面が載っていて、ラストの

 ──沛公(劉邦)は陣へ帰り着くと、たちどころに曹無傷を誅殺した。

 というくだりが妙に頭に残っていたのです。曹無傷の名は『史記』にはここにしか出てこないようです。しかし左司馬というと軍中ではけっこうな重職であり、そういう人物が裏切ったということについて、宮城谷氏はかなり前から伏線を張っておいたのだと思われました。

 ところで劉邦こと高祖という人は、皇帝になってからもいろいろとエピソードがあって面白いのですが、ただ上記の粛正劇などもあってやや色合いが暗くなってしまうかもしれません。そのため、司馬氏も宮城谷氏も、ほぼ項羽が死んだところで筆を擱いています。『項羽と劉邦』のほうは片方の主人公が死んだところで終わるのはまあ良いのですが、『劉邦』であればもう少し先まで書いて欲しかった気もします。
 まあ、成功者の物語というのは、成功したあとは書きづらいものかもしれません。そういえば司馬氏は、『新史太閤記』でも、賤ヶ岳の合戦で終わらせています。豊臣秀吉の才走った躍動感あふれる活躍と言えばそのあたりまでで、そのあとは暗色が目立つようになると判断したためでしょう。秀吉という人の、闇の部分をも含めた全貌を見ようと思えば、むしろそのあとが読みたい気もするのですが、小説としては秀吉の明色の部分だけで切っておこうという判断もわからないではありません。
 そういえば劉邦と秀吉は、「人たらし」な面ではちょっと似ています。それぞれの軍師であった張良竹中半兵衛を比較してみた文章を書いたことがありますが、こちらはおそらく、半兵衛が意識して張良を真似たのではないかと私はにらんでいます。だとすると、半兵衛が秀吉を、劉邦と対比させて見ていたかもしれないと想像するのも無理ではないでしょう。
 ちなみに陳舜臣安能務は、楚漢戦争期を書くにあたって、張良の視点から記述しています。安能氏が張良を「二流」の「大軍師」と規定していたのはなかなか興味深いものがありました。安能氏に言わせると「一流の軍師」というのは例えば斉の桓公に仕えた管仲のように、主君もまた一歩下がって頭を下げざるを得ないような格の高い存在なんだそうです。言い換えると「一流の軍師」が存在するためには桓公のような「一流の主君」が必要なのであって、楚漢戦争の時代にはそんな見事な「主君」が居ないために、「一流の軍師」は存在し得ない、従って張良といえども二流だが、その中での「大」軍師であるというわけでした。軍師というものをだいぶ窮屈に考えているようでもあります。
 『劉邦』での張良は、それほど神がかった感じはありませんでした。ただ、劉邦が張良の献策を容れて作戦を実行するとつねに大当たりするのに、他の人間(例えば韓王成)が同じことをしたときには必ずしもうまくゆかないのを、劉邦が不思議がる、という場面はありました。この辺、掘り下げるとけっこう興味深い「主君と軍師の物語」になりそうな気もしますが、この小説ではわりとさらりと流してしまった印象です。

 以上、『劉邦』の読後感を、他の本とからめて記してみました。他の宮城谷作品と較べていくぶん薄味に思えたのは、やはり『項羽と劉邦』の味付けに私が馴れていたせいなのかもしれません。

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