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餃子放談 [いろいろ]

 今夜の夕食はマダムのリクエストで、パスタと餃子というメニューでした。なんだか妙な組み合わせと思われるかもしれませんが、いずれも彼女の大好物であり、5歳の誕生日のときにこの組み合わせのメニューにして貰って以来、何やら特別感のあるものになっている様子です。
 私もどちらも好きな食べ物ではありますが、餃子を食べるなら白飯が欲しい気はします。最近はあまりやりませんが、餃子を熱々のごはんに乗せ、箸で崩して醤油をかけ混ぜて食べるというのがけっこう好きでした。
 まあ、イタリアンのコースで、パスタはプリモ・ピアット(ひと皿め)として扱われるわけで、セコンド・ピアット(ふた皿め)つまりメインのほうはいろんなタイプの料理が宛てられます。カプレーゼ(トマトとモッツァレラチーズのスライス)などもセコンド・ピアットとして扱われ、日本人などはパスタまででかなりおなかがいっぱいになってしまうことが多く、そういう場合にはセコンドにはカプレーゼがお奨めです。そのように、なんでもありな雰囲気のあるセコンド・ピアットですので、そこが餃子になったと考えても良いのかもしれません。

 餃子は欧米でも食べられています。イタリアではどうか知りませんが、マダムがフランスに住んでいたころにはちょくちょく食べていたようです。ラヴィオリ・シノワ(中国のラヴィオリ)と呼ばれていたとのこと。最近では日本語の「ギョーザ」がそのままの発音で呼ばれるようになっているとも聞きました。
 ラヴィオリはやはりパスタの一種で、板状に作ったパスタ生地に、挽肉、みじん切りの野菜、チーズなどを包んだものですから、確かに餃子によく似ています。餃子の影響を受けているのかと言えばそうではなく、中世に、カブ(イタリア語でrapa)の薄切りに似たような具材を挟んだという料理があり、それに似ているから名付けられたのだそうです。
 ロシアに旅行に行ったときには、ペリメニというのを食べました。これは水餃子に酷似した料理で、壺の中で蒸して作ります。食べるときにはサワークリームをかけますが、一緒に行った義母はこれが苦手だったようでほとんど食べませんでした。マダムは普通に食べていましたが、あとで聞くと、
 「酢醤油持ってこーい、と思いながら食べていた」
 とのことです。
 ロシアはかなり長期間、モンゴルの影響を受けていた土地ですので、ペリメニと餃子には親類関係があるように思えます。中国でも、シュウマイが南部で食べられていたのに対し、餃子は華北だそうですので、元ネタはモンゴル、というか北方遊牧民なのではないかという気がします。小麦粉の生地に肉などを包んで蒸したり茹でたりした料理が遊牧民のあいだにあって、それが中国に伝わって餃子になり、ロシアに伝わってペリメニになったというのではないかと思うのですが、別にちゃんと考証したわけでもないので読み飛ばして下さい。

 その餃子が日本に入ってきたのは案外新しく、戦後のことであるようです。前にもちょっと書きましたが、内田百閒『阿房列車』の中で、同行者のヒマラヤ山系君岡山駅で駅売りの餃子を買ってきたのを見て、百閒が不思議がるシーンがあります。岡山の新名物なのかと訊ねたり、山羊の糞みたいだとくさしたり、奨められても食べずに「妙な物を食ふね貴君は」とあきれたりしています。いま確認したら、このやりとりは阿房列車でも最後にあたる「列車寝台の猿」の中でのことで、これは昭和30年に旅したときの紀行文です。そのくらいの時期でも、餃子など見たことが無いという人が居たようです。
 たぶん、大東亜戦争のときに出征して華北に行った兵隊さんたちが現地で接し、帰国してからこちらで作ったというのが日本での餃子のはじまりだったのではないでしょうか。
 そのためかどうか、日本で餃子といえばまず焼き餃子を思い浮かべます。実は本場である中国では、餃子は蒸籠に入れて蒸した、いわゆる蒸し餃子が主流なのですが、そのお余りを下げ渡された使用人などが、翌朝それを焼いて温め直して食べたというのが焼き餃子の発祥であるようです。それで、焼き餃子など下賤の食べものであるという意識があるのだと思われます。
 しかし、下っ端の兵隊などが現地で食べたのは、この下げ渡しの焼き餃子だったでしょう。それを持ち帰ってきて評判になったので、日本の餃子は「焼き」が主流となりました。
 もちろん、蒸し餃子を温め直した「本場の」焼き餃子は、皮も劣化しているでしょうし、味も落ちていることでしょう。日本では最初から焼き餃子を作るわけで、その製法にもいろいろと工夫が加えられ、中国のものとはかなり別趣の料理となっています。ラーメンと同じく、日本に伝わってきてから相当に独自の変化を遂げた中華料理と考えて良いと思います。それだからフランスでも、ラヴィオリ・シノワという名称がいつの間にかギョーザとなっていたのでしょう。中国式発音の「チャォツ」ではないところがミソです。
 日本の中華料理屋でも、銀座アスター龍苑なんかの高級なところでは蒸し餃子が出てきますが、中級以下の店なら焼き餃子が普通で、とりわけラーメン屋では定番のサイドメニューになっています。マダムもラーメン屋に入るとほぼ必ず餃子を注文します。

 私自身は、実は家で自分で作る餃子がいちばん口に合うと感じています。店で食べる餃子は、おいしいことはもちろんあるのですが、どうも口に合わないという場合もあり、当たりはずれが大きいと言うべきでしょう。
 何をもって当たりはずれが生まれるのか、ずっと不思議に思っていましたが、最近納得しました。
 それというのも、私は実を言うと白菜という食べものが極度に苦手なのです。これを人に言うと、一様に驚かれます。
 「なんであんなものが嫌いなの?」
 「だいたい、好き嫌いを言えるほど個性のある味じゃないでしょう」
 「チンゲンサイとか大丈夫なんだよね。似たようなものだと思うけど……」
 いろいろ言われますが、苦手なものは苦手なのであって、理窟ではありません。
 「鍋物とかどうしてるんですか」
 とも訊かれます。自分で作る鍋には白菜は入れませんし、外で食べるときに大鍋であれば白菜はよけて食べ、あてがいぶちの小鍋であれば食べ残します。鍋物だろうと漬け物だろうとどうしてものどを通りません。当然キムチも大嫌いです。八宝菜や中華丼なども、味は好きなのですが、店で食べるとまず確実に白菜が大量に入っているので注文しません。
 さて、餃子にはみじん切りにした野菜が包まれているわけですが、店によって、白菜ベースのところと、キャベツベースのところがあるようです。私が、どうもこの店の餃子は口に合わないな、と感じたところは、どうやら白菜ベースだったと思われるのでした。みじん切りにして正体も定かでなくなったような状態でも、苦手な食べものは舌がちゃんと見分けてしまうらしいのです。
 もちろんその他にも、挽肉と野菜の割合とか、焼き油の質とか、味にかかわる要素はいろいろあることでしょうが、私にとってはいちばんのポイントは、メインの野菜が白菜であるかキャベツであるかという点だったようです。一緒に食べているマダムが絶賛しているのに、私の口には合わないことがあるのを不思議に思っていましたが、この点に気づいて大いに納得したのでした。
 自分で作る餃子には、もちろん白菜は使いません。キャベツがメインです。
 キャベツとニラとニンニクをみじん切りにして、挽肉と混ぜ合わせ、醤油と酒とみりんで味を調えます。いままでゴマ油も加えていましたが、今日うっかりゴマ油を加え忘れた状態で作ってみたら、むしろおいしくなりました。
 野菜はこのところ面倒なのでフードプロセッサーにかけていたのですが、どうも手動でみじん切りにしたほうが味は良いようです。繊維が残りやすく、歯ごたえが良いのでしょう。
 そうやって作ったタネを皮に包む作業は、子供のころからやっており、けっこう手際は良いと思います。最初は叔母の家で、従弟と一緒になって包んだ記憶があります。その後自分の家でも、餃子を包む作業はやらせて貰うようになったのではなかったかな。
 ただ私が包むと、どうもタネが少なめになるようです。中身をたくさん入れて、なおかつはみ出させないように包むコツがよくわかりません。乗せ方の問題でしょうか。まあ、おかげで数は食べられるのですが。
 家で作るときはたいてい50個くらい包みます。市販の皮が50枚入りだったりするためでもあります。で、それをふたりで一気に食べきります。驚くことはないので、店で出てくるような餃子に較べればだいぶサイズが小さく、しかも使う油なども少ないので、いくらでも食べられます。
 半分は焼き餃子にし、もう半分は水餃子にして食べることが多いのでした。マダムは最初のころ
 「焼き・揚げ・水(すい)」
 と言って3種類食べたがりましたが、揚げ餃子は作るのも面倒くさいし、あんまりたくさん食べられません。最近は「焼き・水」だけになっています。
 「焼き・揚げ・水」というのは宇都宮「みんみん」でのいわばフルコースの食べかたのようです。というか「みんみん」にはメニューがそれだけしかありません。「みんみん」の餃子は白菜系なので私は少々苦手なほうですが、マダムに乞われて食べに行ったことがあります。確かに「焼き・揚げ・水」と頼んでいる人は私たち以外にもけっこう居ました。
 ちなみに宇都宮駅ビル内の餃子横丁にある「宇昧屋」に行くと、フライ餃子というのも食べられます。コロモをつけて揚げた餃子で、人により好き嫌いはあるかもしれませんが、私たちはおいしいと思いました。手間のかかりぐあいを考えると、家ではまずやりそうもない調理法ですから、お奨めしておきたいと考えます。

 皮とタネをちょうど使いきるということはなかなか無く、どちらかが余るというケースが普通です。タネが余った場合、そのまま丸めてスープの具にするのも悪くありません。ばらけないように、片栗粉を多めに振っておくのが良いでしょう。
 マダムは余った餃子のタネを使い、ファルシという料理をときどき作ってくれます。南仏の詰め物料理で、トマトなどの中身をくりぬき、そこにタネを詰めてオーブンで焼くというものです。トマトではなくキャベツとかナスとかでも良く、あるいはかたまり肉などをガワに使うこともあるようです。フランスのスーパーマーケットに行くと、調理済みのタネのほうだけ売っていたりするそうです。自分で好きなものの中に詰め込んで焼いて食えということでしょう。トマトの酸味が加わってこれもなかなか美味です。なお中国では、意外なことにトマトがよく食べられており、日本の中華料理屋のメニューを見た中国人たちの反応で目立つのは
 「なんで『トマトと卵の炒め物』が無いんだ? あんなうまい料理は無いのに!」
 というものでした。それなら、ファルシも今後はやるかもしれませんね。
 今夜は、余ったタネを、そのままパスタソースに放りこみました。餃子を包むだけでけっこう手間取ると思ったので、パスタソースは既成のレトルトパックに手を加えるだけにとどめています。ふだんから、レトルトのソースにはお世話になっているのですが、ただ一体に具材が少ないので、タマネギやベーコンなどを刻んで加えるようにしています。そのほうがボリューム感も出るのでした。今日も、ナポリタンと称するレトルトソースにタマネギとベーコンを加えて煮ている最中、ふと思いついて餃子のタネの余りを入れてしまったのでした。その結果、マダムはミートソースだとばかり思ったようでした。確かに、思ったより挽肉のつぶつぶ感が出て、ミートソースのように思える出来になっていました。ふとした思いつきが成功したようです。
 皮が余った場合には、チーズやソーセージをくるんで揚げる(もしくは油焼き)というのが定番で、そのままフィンガーフーズや弁当のおかずになります。昔、よく母が弁当に入れてくれた記憶があります。最近では、マダムがいろんなものをくるむ試みをしています。アスパラガスなどは大ヒットでした。

 今日は自分で作りましたが、スーパーなどで出来合い、あるいは半既製品の餃子を買ってくるということもよくあります。というか頻度としてはそのほうが多く、ここ最近も、半既製品の餃子が少し連続してしまっていて、それで今日マダムから餃子をリクエストされたので、久しぶりに自分で作ってみる気になったというのが正直なところです。
 自分で作ってみれば、出来合いより半既製品より店のより、いちばん自分の口には合うと感じます。マダムも私の作った餃子を、自分の中のベスト5くらいには入れてくれているようです。それならばもっと頻繁に作りたいと思うのですが、野菜のみじん切り作業が面倒くさく、皮に包む作業も面倒くさく、ついつい出来合いを買いに行ってしまいます。
 店に行って食べるのを外食というのに対して、食材を用意して家で自分で作るのを内食というそうです。そして、出来合いを買ってきて家で食べるのは中食(なかしょく)というらしいのですが、うちはこの中食の割合が多い気がします。ふたりとも忙しいことが多いせいですが、もう少し自分で料理する機会を多くしたほうが良さそうです。

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