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仕事漬けの10連休 [日録]

 ようやくひと息つける状況となり、安堵しております。
 5月1日草津温泉から帰ってきて日誌を書きましたが、それ以来本当に忙しく、日誌を含めて他のことを顧みる余裕がまったくとれませんでした。
 世間では10連休とかで、滅多にない大型連休を満喫した向きも多いと思いますが、私の連休は、ほぼほぼ仕事で埋め尽くされていた観があります。
 初日である4月27日(土)は、まだ多少の余裕がありました。この日はChorus STボランティアコンサートがあり、いつもの中野富士見町の特養ホームに行っていました。春のボラコンなので、私の作った春の歌メドレー『春の情景』を中心として、「バラが咲いた」「また逢う日まで」といったナツメロなどを歌ってきました。いつもよりもお年寄りたちのノリが良かった気がします。『春の情景』など素人にはちょっと歌いにくい音域に移調してある歌もあるのに、入居者が一緒に歌っている気配が濃厚に感じられました。
 15時過ぎという、比較的早い終演ではあり、いつも寄って打ち上げをしていたそば屋が廃業してしまったこともあり、近くの喫茶店で軽くお茶を飲んだだけで解散しました。その喫茶店も16時には店を閉めるということで、なかばせかされた感じです。新宿あたりで打ち上げ直そうかという話もありましたが、清水雅彦マエストロも、団長の田川くんも急ぎの用があって先に帰ってしまったとあって、なんとなくそのまま流れ解散となりました。私が帰宅後作業を進めていたのは言うまでもありません。

 翌28日(日)は、本来土曜日に入っているピアノ教室でのレッスンが、ボランティアコンサートのため潰れてしまったので、その振り替えということで教室に出かけました。現在、レッスン時間そのものは3時間ほどであることが普通ですが、何度か日誌でも書いたとおり、家と同じ市内なのに交通が不便で、往復とも1時間ずつくらい見なければなりません。合計5時間を、忙しい時期に割かれるのは、けっこうつらいものがありますけれども、私にも生活がかかっていますのでやむを得ません。
 急ぎの仕事のひとつであった映画音楽のオーケストレーションのほうはともかく、『セーラ』のほうは「仕事」として見ればまるで割の合わないものです。それは私だけでなく、歌い手も楽器奏者もスタッフも、全員が割の合わないことをしてようやく成り立っている舞台であるわけで、少し態勢を見直したほうが良いと感じながらも、予算額が増えない限り見直しようもないという残念な現実に突き当たらざるを得ないのでした。


 29日(月・昭和の日)は、マダムが友人の結婚&新築祝いに出かけてゆき、私はひたすら作業を進めました。翌日と翌々日に草津温泉へ行くので、それまでになんとかメドをつけたいという気持ちでしたが、『セーラ』の第三幕第一場を終わらせるところまでが精一杯でした。最後の第二場は、5月に、そして令和に持ち越されることになったわけです。
 第三幕第二場というのは、オペラ冒頭と同じ形ではじまり、後半は序曲に含まれていた「新しき世は来たり」の合唱がそのまま再現され、そこに終結部が付け足されて終わる構造になっており、長さも他のシーンに較べて格段に短くなっています。それゆえ、そんなに日数をかけずに仕上げられるはずだと皮算用していました。しかしそれにしても、1日でできるとは思えません。この時点で、連休はもう潰れざるを得ないだろうと覚悟しました。

 30日(火)5月1日(水)は、前のエントリーで書いたとおり、草津温泉へ旅行して参りました。雨に祟られ、人も多くてくたびれましたが、いわば強制的に仕事から離れたのは、精神衛生上よろしかったかもしれません。これが無かったら、連休が完全に仕事に埋め尽くされて、私の気分が保たなかった可能性があります。
 とはいえ、やはり仕事の終わりが2日間延びてしまったことも事実です。
 2日(木)は身内の食事会があって、昼間に出かけました。坂茂氏という、紙の筒を多用して、仮設住宅などを紙で作ってしまった建築家が居ますが、その坂氏が内装を担当した店で昼食をとりました。マダムの提案です。なるほど椅子や壁などが紙筒でできています。紙筒というと弱そうに感じられますが、ものすごく分厚くて硬いラップの芯みたいなもので、強度の点ではまず申し分ないように思われました。しかし火災などに対してはどうなのでしょうか。
 食事会のあと、マダムが都庁へ行きたいというのでつき合いました。都庁の展望台に、草間彌生氏がラッピングデザインをおこなったピアノがあって、誰でも自由に弾いて良いということになっているそうです。フランスの空港などによくピアノが置いてあって、自由に弾かせているそうですが、それを真似たというところでしょうか。
 都民でなくなって久しいこともあり、都庁へはまだ行ったことがありませんでしたが、展望台へのエレベーターの前には長蛇の列ができています。いや、前どころではなく、ぐるりと壁をまわって、入口からはみ出して、さらに外の通路に蜿蜒と行列が連なっています。はたしていつエレベーターに乗れるのかわかりません。東京タワースカイツリーと違って、展望台に昇るための料金の必要がなく、無料で昇れるので、人が集中してしまうのでしょう。行列の半分以上が外国人であったような気がします。
 しかし、思ったよりは列がサクサクと進み、一時間も待たずして上へ昇ることができました。エレベーターを下りると、いきなり「残酷な天使のテーゼ」(アニメ「エヴァンゲリオン」のテーマ曲)をピアノでガンガン弾きまくっているのが耳に飛び込んできました。なるほど、黄色い地に黒い水玉模様がぎっしりと並んだ、いかにも草間作品らしいラッピングのなされたピアノが一角に置かれ、若い兄ちゃんがそれを弾いていました。
 去年、丸ノ内でやはりラッピングピアノのイベントがあり、弾いてみたいというマダムにつき合って出かけたことがありましたが、そちらではいきなりリストスペイン狂詩曲などという、15分以上かかる曲をフルに弾きまくる兄さんが居たりして閉口しました。都庁のピアノは、近くに職員が立っていて、1回5分以内、連続しての演奏はNGということで制限を設けていました。それで弾く人が次々代わったのは良かったと思います。もっともエヴァンゲリオンの兄ちゃんは弾きたくてたまらないらしく、誰か他の人が弾くとすぐそのあとに続き、何曲も披露していました。
 マダムが進み出て楽譜を拡げましたが、ラッピングが傷つくことを案じてか、楽譜を置くのはダメだと言われました。本だとダメだけれどもコピー譜なら良いような口ぶりで、あとでマダムは
 「東京都の職員が楽譜のコピーを推奨するなんて、著作権をどう考えているのかしら」
 と憤慨していました。
 楽譜を見て弾くつもりが急に暗譜になったので、演奏がところどころ微妙になってしまい、マダムは欲求不満の面持ちでした。
 誰もがピアノを弾きに来ていたわけではないので、ときどき妙なインターバルが入ります。ピアノの椅子に坐って写真だけ撮るという人もおおぜい居ました。で、私も何か弾け、と言われました。そのつもりで来ていないので、急に暗譜せざるを得なくなったマダムよりもっと面食らいます。練習しなくてもいつでも弾ける、本当の意味でのレパートリーはごく限られていて、そのひとつを弾いてみました。エヴァンゲリオンの兄ちゃんがガンガン弾いていたときには周囲はざわざわし続けていたのが、私がクラシック曲を弾き始めると急に静まったようでした。これがクラシックの力かと驚きました。
 マダムと私は、その後もう1回ずつ弾いて、展望台をあとにしました。その後、「伝バンクシー作」の落書きを2階で見てから、都庁を出ました。防潮扉だったかにあったネズミの絵の落書きが、高名なストリートアーティスト、バンクシーの作品ではないかと騒ぎになり、いまだ真偽は不明だそうですが、東京都ではこれを都庁の一角で保存公開することにしたのでした。これもマダムがニュースで知って、見てゆきたいと言ったのでした。マダムのこの種の情報に対するアンテナの鋭敏さには感心します。
 都庁からそのまま帰るつもりだったのですが、マダムが翌3日(金)から恒例のラ・フォル・ジュルネに通う予定で、そのパンフレットを入手したいというので、有楽町にもまわりました。開催場所が国際フォーラムなのです。去年は池袋芸術劇場でもいくつかのイベントをやっていたと思いますが、今年はまた国際フォーラムだけに戻ったようでした。

 そんなこんなで2日も半日以上遊んでしまいました。
 いままで中断していた映画音楽のオーケストレーションに着手したのは、翌日からでした。「スター・ウォーズ」のテーマをやりはじめましたが、参考にと送られてきたピアノ譜が、簡単アレンジすぎて全然役に立ちません。全部耳コピとなるとどれだけ手間取るかわからず、途方に暮れてネットで調べていたら、ヤマハぷりんと楽譜で、ピアノ連弾用で難易度が高くなっている譜面を見つけ、迷わずダウンロードしました。貰った音源とサイズも同じくなっており、ほとんどの音が拾われていて、非常に助かります。多少費用がかかりますが、この際やむを得ません。
 3日から5日まで、マダムは毎日ラ・フォル・ジュルネに通い、私はひたすら譜面づくりに没頭しました。マダムが不在だったので、むしろ専念できてありがたかったかもしれません。
 映画音楽は3人ほどで分担して編曲していたのですが、私の担当で残っていた5曲のうち、2曲をほかのふたりが受け持ってくれることで話がつき、私はあと「スター・ウォーズ」を含む3曲を仕上げれば良いということになりました。これは非常にありがたい話でした。当然ながらギャラはその分引かれますが、そうでもしないと身動きがとれないような状態になりつつあったのでした。
 かなり長い「スター・ウォーズ」を済ませてから、『セーラ』のラストシーンに取り掛かります。気分を切り替えるだけでも大変です。 
 これまた、思ったより手間がかかりました。確かに第一幕からのコピペで済む部分もあったのですが、最後の盛り上がりの部分、オーケストラがほぼ常時テュッティ(総奏)で鳴っているもので、音符の数が半端でないのでした。かなり焦りを覚えました。

 6日(月)は連休最後の日です。この日には川口第九を歌う会の伴奏仕事を入れてしまっていました。4時間の集中練習です。合唱団員と高橋誠也先生は、4日から3日間連続でやっていたそうで、それもまたご苦労様なことですが、私もこの状況で4時間割かれるのは少々しんどいものがありました。しかし、3日間の集中練習を3人の練習ピアニストで分担することになっていたわけだし、スケジュールを出したときには6日ともなれば大体大変なところは済んでいるだろうとたかをくくっていたのでした。自分で蒔いたタネですから仕方がありません。
 なんとかかんとか『セーラ』のオーケストレーションを終わらせます。しかしまだパート譜づくりや印刷製本が残っています。とりあえずそれはおいといて、映画音楽の残りにとりかかります。あとは「サイコ」「ジョーズ」です。これらは「スター・ウォーズ」に較べれば短いのですが、どちらも無調性に近いので耳コピは大変です。
 「スター・ウォーズ」で味をしめた私は、この2曲についてもぷりんと楽譜で探してみましたが、そううまくはゆきません。貰ってあった参考譜よりも詳しそうなものは無いようでした。
 とりあえず「サイコ」に関しては、モティーフがそんなに多くなく、参考譜で読み取れる音を、音源によって敷衍して、なんとか切り抜けました。後半は参考譜にまったく記されていなかったり、そもそも肝心の主要モティーフが、音源を注意深く聴いてみると参考譜と違っていたりして、力が抜けそうになることも何度かありましたが、いちおうまとめられたと思います。原曲がおそらく弦楽合奏だけの編成であったことも助かりました。

 しかし「ジョーズ」のほうはモティーフが複雑で、耳コピだけではどうにもならなさそうです。絶望的な気分でネットをさまよっていたところ、驚くべきものが見つかりました。なんと、「ジョーズ」のテーマをやはりピアノ連弾にしたものを、youtubeで流しており、しかも、曲の進行に伴って、その部分の譜面を動画として表示していたのです。世に言う「神動画」とはこれではあるまいかと狂喜しました。アレンジレベルは「スター・ウォーズ」の連弾版に近く、ほとんどの構成音が拾われています。多少違うように思われた箇所はありますが、そこは音源からの耳コピでなんとか補えます。
 「神動画」のおかげで手数を大幅に省略でき、8日(水)の晩には映画音楽のオーケストレーションの仕事を完了することができました。締め切りが12日(日)であったので、そんなことならもう1曲くらいやったらどうだ、と担当仲間に思われそうでしたが、私のスケジュールとしてはぎりぎりいっぱいでした。

 ホッとする間もなく、『セーラ』のパート譜づくりにかかります。第二幕まではすでにできていましたが、第三幕がまだでした。いままでの経験から、1場ぶんのパート譜を揃えるのに、どうも丸一日では済まないのです。
 それに加えて、通常の仕事も再開しています。連休中は、コーロ・ステラクール・アルエットも練習がありませんでした。Chorus STも休みになっていました。ピアノ教室も休みにしていました。
 それらが、第2週に入るや否や、一斉にはじまってしまったのでした。コーロ・ステラなどは3週かひと月に1回というペースなのに、よりによって7日(火)に担当が入っていました。さらに9日(木)の晩には住んでいるマンションの理事会があり、管理組合の理事長の役に就いている私が出席しないわけにはゆきません。そんなこんなで、連休明けの第2週は、まったくもっててんやわんやな一週間だったのでした。

 パート譜づくりを終え、それをインペク(オーケストラのマネージャー)にPDFデータを送信して、それで終わりかと思えばそうではなく、今年は印刷・製本も私がやることになっています。まあ、キンコーズで頼めば実際の作業はやってくれることがわかりましたが、「ファイルをそのまま印刷すれば製本できる状態になっている」ところまでは私がやってゆかなければなりません。PDFファイルをあれこれくっつけ、譜めくりを考慮して必要な箇所には白紙を入れ……などのファイル操作がけっこう面倒くさく、ようやくキンコーズに出かけたのは12日(日)の昼過ぎのことでした。
 ファイルを入れたUSBメモリをキンコーズの担当者に渡し、データを落として貰って、あとはお任せで良いらしいのでホッとしましたが、製本した現物を受け取り、それをインペクに送る作業が残っています。ひとりひとりの奏者に送る作業はインペクがやってくれるので助かりますが、そこまで私がやらなければならないとなっていたら、しまいには暴れ出したかもしれません。
 私のほうにも、フルスコアのデータを調えてもういちどキンコーズに持ってゆき、こんどは指揮者に送るという作業がまだ残っています。それでも、まあいちおう『セーラ』のオーケストレーションに関する仕事はほぼ済んだと考えて良いでしょう。

 しかしながら、『セーラ』に関しては、これから宣伝広報活動をしなくてはなりません。気がつけばもう公演まで1ヶ月と少々を残すばかりで、かなり差し迫ってきています。オーケストレーションが仕上がるまでは、とてもそんなことに自分のリソースをまわす余裕が無かったのですが、急がなくてはなりません。それから字幕を制作するという作業も受け持っています。まあこれは、1日あれば済むと思いますが。
 他の仕事もいろいろあります。私自身の心憶えのために記しておくと、『星空のレジェンド』のオーケストレーションの後半、これは7月はじめまで。
 ストラヴィンスキー『春の祭典』第2部の2台8手連弾用編曲、これは6月中旬くらいまで。
 群馬県の民謡を採譜したものをfinaleで打ち込んで作譜する仕事、これは5月中くらい。
 以前に書いたオペレッタの出版の話があることは書きましたが、一般向けに刊行するには伴奏のピアノパートが少々難しすぎるので、少し易しく書き直した版を作ることになっています。この作業がやはり5月中くらい。
 というわけで、まだまだ忙しい日々は続きそうですが、ここ2週間のてんてこまいよりは楽になると思います。少なくとも日誌を書くくらいの余裕はできそうですので、読者のかたがたには見放されませぬよう、お願い申し上げます。

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