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墓参行と遊園地(1) [旅日記]

 コロナ禍で、お盆の里帰りも断念した人が多い中、いささか気がとがめないでもありませんが、わが家恒例の墓参り旅行に行ってきました。
 高尾にある私の父方の祖父母のお墓と、前橋にあるマダムの父方の祖父母のお墓を一緒に参ってくるというものです。最初は夏休み中に山梨県の温泉施設に泊まりに行って、そのときに使った青春18きっぷの余り分を消費する目的もあってはじめたことでしたが、その後恒例化し、前橋で1泊するのがお決まりになっています。去年は夏休み中には実施できず、晩秋になって他の用事とひっかけて前橋のほうだけ行きました。高尾のほうに行けなかったのが少々心残りになっていました。
 まあ、田舎の親族を訪ねるというわけではなく、広大な墓地に参るだけですので、感染拡大に寄与するということもないでしょう。
 ただ、コロナ禍のせいで5月の連休を含めしばらく遠出できず、いくぶん当方の気分も鬱していたため、今回は少し足を伸ばして、2泊の旅をしてくることにしました。
 いつものパターンだと、1日目に高尾と前橋の両方のお墓に参り、2日目にまっすぐ帰らず少し遠回りするというようなのが多かったのですが、1日目がけっこうあわただしいのが欠点でした。高尾と言い前橋と言っても、駅から近いわけではなく、そこからの移動にそれなりに時間を食いますので、両方を一日に廻ろうとすると、朝7時半くらいに出かけなければなりません。それで、今年はもう少しのんびりしたいと考えました。
 1日目は少し遅めに出て高尾だけ参り、その日は前橋に移動してゆっくり定宿に宿泊し、2日目の午前中に墓参りをしてそのまま足を伸ばしてもう1泊、という計画を立てたのでした。
 マダムが那須へ行きたい、と言い出したので、そのあたりで泊まるつもりで宿を探しました。義母が何度か那須へ行って泊まっているそうで、マダムが挙げたのはおおむね義母が泊まったホテルだったのですが、そのあたりはハイシーズンにはなかなか高額になっていて二の足を踏みます。今年は客足が鈍いだろうから少しは安くなっていないかとも思ったのですが、あんまり変わりはないようでした。
 那須温泉郷のほうではなく、隣接した板室温泉郷の側でしたが、良さそうな宿を見つけました。英国式にこだわった部屋だそうで、写真を見るとたいへん居心地が良さそうです。小さいながらいちおう温泉になっている浴室もあり、夕食は英国式でなく(良かった……)フレンチのフルコースなのだそうです。宿泊料もまあまあ手頃で、マダムに聞いてみると即座に賛意を表明したので、すぐに予約を取りました。
 この宿、那須ハイランドパークの近くであったようです。ついでに那須ハイランドパークで遊んでこようかとマダムに諮ると、これも喜びましたので、3日目の行動も決まりました。
 ただこのプランだと、青春18きっぷの元が取れるかどうかが微妙です。1日目、高尾に立ち寄って前橋に行くだけだと、元が取れるラインである2410円に達しないのはわかっているため、今回は1日目には使用しないことにしましたが、2日目は前橋から黒磯までの移動、3日目は黒磯から帰還するためにしか使いません。調べてみると、どちらもかろうじて2410円は上回るようでしたが、あんまり得をした気がしないのでした。まあ、普通に切符を買うよりはいくぶんかましという程度なので、青春18きっぷのオールドユーザーとしては少々もやもやします。

 さて、ともあれ10日(月)の朝、9時過ぎに家を出ました。いつもよりは1時間半くらい遅い出発で、気分的にもだいぶ楽でした。
 この日は青春18きっぷを使わないので、高尾までは京王線で行くことにしました。JR1本で行くよりも、新宿から京王線に乗り換えたほうがずっと安くつくのですから困ったものです。京王が頑張ってくれているとも言えますが、高尾までの所要時間は、現在の主力である準特急だと、中央線の特快よりちょっと余計にかかるようです。準特急が高尾線内に入ると各停になってしまうのが原因でしょう。
 しかし、私たちが乗ったのは、いまやかなりレアとなった急行電車でした。最近の京王線は、区間急行と準特急が大増殖して、急行はきわめて影が薄くなりました。日中にはほとんど走っておらず、朝夕だけみたいになっています。休日10時00分発の高尾山口行きが残っているのは驚きで、調べていてこれを発見したときは、ぜひ乗りたいと思ってしまったほどでした。鉄ちゃんというのはこんなところで感激してしまう生き物なのでした。
 急行は基本的には準特急の下位種別で、本線内では桜上水・つつじヶ丘・東府中に余計に停まりますが、高尾線内では地位が逆転し、各停になってしまう準特急に対して、特急と同じくめじろ台と高尾だけ停車するようになっています。最近は高尾線に入る特急もほとんど無くなったため、この急行は高尾線内を通過運転するきわめてレアな電車と言えます。
 電車はずっとすいていました。緊急事態宣言が解除されてから、朝のラッシュアワーはかなり戻ってきてしまっているようですが、日中の電車は以前に較べてずいぶんすいているような気がします。お年寄りが外出しなくなったせいかもしれません。高尾に近づくと若干ハイキング客らしき姿もちらほら見かけるようになりましたが、混んでいる印象は最後まで受けませんでした。
 高尾という駅は、いつ立ち寄ってもちぐはぐな感じで、京王線側はいかにも新興住宅地といった雰囲気なのですが、JR側は「峠の茶屋」を思わせるようなひなびた感じになっています。そのひなびた感じのほうに出てバスに乗るのですが、いつものバスターミナルが無くなっていたので一瞬ぎょっとしました。なんでも駅前の再開発をするようで、バスターミナルは少し離れた位置に移動していたのでした。この分だと、もしかしたら「峠の茶屋」然としたJRの高尾駅も今後変貌してゆくのかもしれません。それはそれで寂しい気もします。
 仮置きのバスターミナルまで少し距離があったので、予定していたバスに乗れないかもしれないと少々焦りましたが、なんとか乗ることができました。まあ、墓地の最寄りバス停である霊園正門を通る便は数多く、何分か待てばすぐ次のが来るのですが。
 10分ほどで霊園正門に着きます。そこから歩きですが、山の斜面を削って造成した墓地なので、坂道が多いのが難点です。特に帰りは登り道が続いて、マダムはかなりしんどそうで、
 「あと何年来られるか……」
 などと年寄りじみた愚痴をこぼしていました。
 まあ、くじ運の悪いわが一族が、珍しく高倍率を突破して引き当てた公営墓地ですので、文句を言う筋合いはありません。公営だけに管理もしっかりしていて、広大な芝生はいつもきちんと刈られており、草むしりなどがまったく必要ないのはありがたい限りです。
 お昼近くなって、かなり暑かったので、墓参りはさっさと済ませました。水をかけ、花を供え、コーヒー好きだった祖父を偲んで缶コーヒーなどを供え、線香に着火して挿し、手を合わせて、
 「それじゃまた、来年」
 と声をかけて退散です。バス停まで戻るだけで相当に汗をかきました。

 高尾駅に戻り、また京王線に乗ります。予定していた時刻よりはだいぶ早かったので、電車も何本か前のに乗れました。各停でしたので、北野京王八王子から来る特急に乗り換えました。
 新宿に戻って、軽い昼食を摂り、バスタ新宿に向かいます。前橋までは高速バスで行くことにしたのでした。JRより若干安くつきます。去年の晩秋の前橋の墓参りからの帰りに使ってみて、なかなか良いと思ったのです。青春18きっぷがからまない場合は、こちらをメインルートにしても良いと考えたほどでした。
 ただ、この路線は予約はできるものの事前発券はできません。実は先週、発券して貰おうと思ってバスタまで出かけたのですが、乗ったときに直接運賃を払ってくださいと言われ、無駄足となってしまいました。当然、座席も指定されません。
 乗ってみると、すべての座席に×マークが貼られ、ここには着席しないでくださいと書かれていたので面食らいました。通路側の座席がNGで、窓側の座席だけ使うようにという意味だと理解するまで、若干の時間を要しました。ソーシャルディスタンスの確保のためとはわかりますが、定員が事実上半数になっているわけで、バス会社は利益が上がっているのだろうかと心配になりました。
 その半数の定員もいっぱいになってはおらず、乗客は10人足らずでした。乗る側としてはゆったりと坐れて気分が良かったものの、あまり利用度が少ないと減便されたり廃止されたりしそうです。
 池袋でひとり、川越的場でひとり乗客を拾って、関越道を北上します。降車ポイントはいくつかありますが、事前の申し出の無いところは立ち寄らないようでした。高崎駅Nパーキング日高新前橋駅だけ停車しました。Nパーキングというのは街中にある駐車場で、Nは運営会社である日本中央バスの頭文字でしょうか。そこで下りて駐車場に入って行った人が居たので、自分のクルマを駐車場に駐めてバスに乗るという、いわゆるパークアンドライドをしていたようです。そういう利用をすると、駐車場代かバス代かが割引されるというようなサービスがあるのかもしれません。
 新前橋駅で最後の相客が下り、前橋駅まで乗ったのは私たちふたりだけでした。17時半頃の到着でしたが、前橋駅というのは、県都の中心駅であるくせに、いつ立ち寄っても賑わいというものの感じられないところです。こんなにいつも閑散とした都道府県庁所在地駅というのは、他にはあんまり無いのではないかと思います。
 去年このバスに乗る前に立ち寄った、駅前のエスニック食糧品店にまた寄りました。マダムが気に入って、再訪したいと言っていたのです。もしかして無くなっていたらどうしようかと心配していましたが、幸い健在でした。ただ、去年は店でマサラティーなどをイートインできていたのですが、今年は感染を案じてかやっていませんでした。
 定宿のコンフォートホテル前橋に投宿します。いつもこの宿に泊まって、数軒先の天然温泉ゆ~ゆで入浴するのを定番にしていますが、数年前に道を挟んでドーミーイン前橋が建ち、こちらはホテル内に天然温泉(ボーリング温泉ですが)があることを売りにしています。わざわざゆ~ゆに足を運ばなくても良いわけなので、そちらに泊まっても良いかもしれない、と思いはじめています。ずっと世話になっているコンフォートにも義理を感じたりするのですが。
 夕食は、最初の頃は駅前ビルの中の店で食べていたのですが、駅前ビルからテナントがなぜか次々と撤退し、幽霊屋敷のようになってきたので、一昨年からは駅から少し離れたショッピングモールであるけやきウォークまで足を運んで、その中の登利平という店で食べています。登利平は鶏めしを主とする店で、高崎駅構内にも店があり、マダムが毎度入りたがっていたのに、いつも時間が合わなかったりなんだりで立ち寄れずにいました。それがけやきウォークの中に支店ができたというので大喜びで、毎回ここまで食事をしに来るようになったのでした。
 駅からは1キロちょっとで、歩くと少し遠いのでしたが、去年来たときに、いつも前橋から中央前橋まで乗っているシャトルバスが、けやきウォークまで路線を延ばしたことを知ったので、今回はそのシャトルバスに乗って行ってみました。非常に楽でしたが、かなり広大なけやきウォークの外周をかなりまわったところでようやく入場し、こんどは内周をかなりまわってやっと停留所に到着します。なんだか距離を無駄にしている観があります。
 いくらかの買い物をしたのち、登利平で食事をして、帰りは歩きました。はじめてけやきウォークに行ったときに較べると、道に馴れたせいか、だいぶ近く感じるようになりました。
 一旦宿に戻り、天然温泉ゆ~ゆへ。そういえばコロナ禍のこともあって、この種のスーパー銭湯にも最近は全然行っていなかったなと思います。毎年正月恒例だった、川口七福神めぐりからの「七福の湯」立ち寄りも、今年は柴又七福神めぐりにしたためにやっていませんでした。去年の秋の墓参行で、このゆ~ゆに寄って以来だったかもしれません。
 入浴施設は警戒する人が多いようで、ゆ~ゆもいつもに較べるとずっとすいていました。
 マッサージなどは受け付けていないようでしたので、浴室前に並んでいるマッサージ椅子を試してみました。こういうものも久しぶりだったせいか、とても快適だったのですが、宿で寝ようとしたら、急に脚が攣(つ)って難儀しました。久しぶりのマッサージ椅子のせいであったかどうかはわからないのですが、いままで攣ったことのないスネの部分が急に痛み出し、しかも先に痛み出した右脚を、左の足指やくるぶしなどで押しているうちに、今度は左脚が同じように痛み出し、右脚は治ったかと思えば左脚が楽になると共にまた痛み出したりして、しばらくうめいていました。
 歩けなかったりしたらどうしようかと心配しましたが、マダムがスマホで調べてくれたツボを押したりしているうちに、なんとなく治ったようです。旅行中、ぶり返すこともありませんでした。なんだったのだろうかと思います。

 翌朝、ビュッフェで朝食を摂ってから、早めにチェックアウトしました。那須への移動時間のこともありましたが、朝の、まだ気温が上がらないうちに墓参りを済ませてしまおうという魂胆でした。
 ところが、外へ出てみると、朝から大変な陽射しです。この日(11日)、関東地方は猛烈な熱波に襲われていたのですが、朝のうちにはまだそんなこととはわかりません。前橋は朝から暑いな、と思いながら、シャトルバスで中央前橋駅に行き、上毛電鉄の電車に乗りました。
 13分ほどで最寄り駅の心臓血管センターに着きます。お墓までは10分あまり歩かなければならず、そのほとんどの部分がぎらぎらした日なたになっていて、早くも汗だくです。
 こちらは高尾の霊園ほどの管理はされておらず、草むしりなどは参拝者がしなくてはなりませんが、一昨年マダムの伯父が亡くなって同じお墓に入ったせいか、その子供たち(マダムのイトコたち)がちょくちょく訪れるようになったようで、そんなに雑草が茂っているようでもありません。あまりに暑いこともあって草むしりは省略し、高尾と同じくさっさとお参りを済ませました。
 それからまた駅に戻り、上毛電鉄とシャトルバスを乗り継いで前橋駅に行ったわけですが、もう着ているものがびっしょりと濡れていて閉口します。9時台からこの暑さとはどうしたことでしょう。昔、小学校に通っていた時分、夏休みの心得として、
 「朝の涼しいうちに勉強を済ませましょう」
 とよく言われたものでしたが、こんな朝ではとてもとても勉強に打ち込める涼しさがあろうとは思えません。
 実はこの日、前橋の隣の伊勢崎市、そしてそのまた隣の桐生市で、40度超えの熱暑となったのでした。40度というインパクトがこの両市にあったせいで、前橋のことはニュースでも言及されなかったようですが、隣り合った街ですから、前橋でも38~39度くらいまでは達していたと思われます。なお私の住んでいる川口市も38度まで上がったそうで、家に居なくて良かったと思いました。
 墓参りのあと、前橋に戻らず、上毛電鉄でそのまま桐生まで抜けるルートも考えていたのですが、そんなことをしなくて良かったと言うべきでしょうか。
 両毛線小山に抜け、そこから東北線を乗り継いで黒磯まで行ったわけですけれども、沿線はいずれも暑く、電車の冷房も効きが悪いようでした。コロナ感染防止のため、電車の窓は降雨時以外は少しずつ開けておくことになっており、そのせいもあったでしょう。車外から取りこまれる熱気が、冷房の能力を上回っていたのです。
 こんなことなら、昔の、冷房が無かった頃の列車のように、窓を全開にして自然の風を取りこんだほうがよっぽどましかもしれない、と思いました。時速60キロで列車が走るとすれば、窓から手を出していれば時速60キロ、つまり風速14メートルの風を感じることができるわけで、それだけでかなり涼しくなります。
 熱暑の墓参りと、そのあとの電車内の生ぬるい空気に、私はだいぶバテ気味になっていました。黒磯で下りる前だったか、マダムが、
 「調子悪そうだけど、晩のフレンチフルコースが食べられないようだったら、わたしが食べてあげるからね」
 と、優しいんだかがめついんだかよくわからない言葉をかけてきました。私としてもそうなると残念なので、なんとか体調を戻したいと思います。高原に登るわけなので、少しは過ごしやすい空気になるでしょうか。ともかく14時37分、黒磯に到着しました。

 この項、続きます。

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