SSブログ

さんざんな一年でした [いろいろ]

 なんだかあっという間に年末になってしまいました。前回の更新からもあっという間でしたし、そもそも2020年のはじまりからもあっという間であった気がします。クリスマス前後にツリーを出したのですが、

 ──あれ? このツリー、ついこのあいだしまわなかったっけ?

 と思えてなりませんでした。別にずっと出しっぱなしにしていたわけではなく、普通に昨年の年末に片づけたはずです。それが「ついこのあいだ」に感じるほどに、今年一年の流れが速かったということになりそうです。
 たぶん、例年はさまざまな本番や行事があって、そういうものが一種のピリオドとなって時間の経過を感覚づけていたものを、今年はコロナ禍のためにそれらがほとんど流れてしまい、当方もそれにつれて流されてしまっていたのでしょう。行事が相次いだとしても、年齢を重ねるにつれ時間の、そして年月の経過は速く感じられるようになるものですが、それを考えた上であっても今年の過ぎかたは異常だったように思われます。
 本来予定されていた私が関係する行事がどのくらい流れたかは、前にもまとめたことがありますが、もういちどおさらいしてみます。
 板橋区演奏家協会のオペラ公演(6月)。今年は「ラ・ボエーム」の公演が予定されていましたが、まあ当然のように延期されてしまいました。メンバーの問題というよりも、ホール側として開催するわけにゆかなかったろうと思います。
 この公演は、来年6月20日にそのまま持ち越されました。私の作業としては、編曲も全部済んでいるし、別個仰せつかっていた字幕制作も終わっているので、来年することはそんなにありません。編曲済みのスコアからパート譜を抽出し、それを印刷するくらいなものでしょう。そして当日は字幕操作を担当する予定です。
 演奏家協会ではオペラ公演のほか、2月にファミリー音楽会、それから3月・9月・12月にライブリーコンサートが組まれていました。ファミリー音楽会はまだコロナ騒ぎが起こる前なので、平常開催となりました。3回のライブリーコンサートは、私は直接関わっていませんでしたが、3月のは中止、9月のは趣向を変えた形で開催、12月はほぼ計画どおりの形で開催されています。年明けの1月17日にまたファミリー音楽会が予定されており、来年はとにかくそれを皮切りに、いろいろ復活して貰いたいものだと思っています。

 Chorus STの第13回演奏会(5月)。東京文化会館小ホールという、言ってみれば檜舞台みたいなところでの公演を予定されており、いろいろな意味で楽しみな演奏会でした。私の『続・TOKYO物語』混声版の初演がおこなわれるはずで、この演奏会に合わせて楽譜も刊行され、初演の場で販売されることになっていました。それが流れてしまい、初演と同時の楽譜販売という私の夢もついえました。演奏会は来年5月1日に、内容は同じまま復活公演をおこなうことになりましたが、楽譜のほうは初演以前に出すわけにはゆかないということで、ほぼ校正も終えた状態のままペンディングとなっています。復活公演に合わせて刊行という運びになるとは思いますが、当日ロビーでの物販はたぶん無理でしょう。
 この演奏会では、『続・TOKYO物語』のほか、「詩人フルリーナと三人の作曲家」なるステージが予定されていました。フルリーナさんというのは清水雅彦さんがほかの合唱団で演奏した曲の作詩者(日本人です)で、この演奏会のために幾篇かの詩を書きおろしてくれたのでした。その中から、相澤直人くん、山下祐加さん、それに私の3人が1篇ずつ選んで作曲し、その3曲をまとめて初演するという、なかなか豪華なステージです。ひとりの作曲家の初演ステージというのはよくありますが、ひとりの詩人・3人の作曲家による初演ステージというのは滅多に見られない趣向ではないでしょうか。これも、曲はとっくにできていて、練習もかなり進んだ状態でしたが、演奏会が流れたために宙に浮いています。私はともかくとしても、相澤くんも山下さんも、委嘱作品である以上ほかで初演してしまうわけにもゆかず、じれったい想いをしていたのではないかと思います。
 復活公演は決まったものの、11月から第三波が猛威をふるいはじめ、変異種も見つかってきて、来年5月にどんな状態になっているのかは誰にもわかりません。まあ、ワクチンも出回りつつありますし、暖かくなるに従って感染拡大の勢いも弱まるとは思いますが、こればかりは予測も困難です。復活公演が無観客公演になる可能性も無いわけではないのですが、とりあえずそれでも敢行しようと肚を決めたのでした。

 小樽商大グリークラブOB会の演奏会も流れました。これは札幌公演であったため、私が足を運ぶことになったのかどうかわかりませんが、ともあれ本番を目指して練習を重ねていたわけです。今回は百周年ということで、松下耕さんに新作の男声合唱組曲も委嘱していました。この演奏会は、来年に延期するのかどうかもはっきりしていません。もし委嘱作品が完成していれば、復活公演をおこなうモチベーションにはなったと思うのですが、どうもまだ全然書けていない様子です。聞くところによると、松下先生は曲のイメージをつかむべく小樽へ赴こうとしていたそうですが、当初予定していた昨年11月頃は忙しくなって行けなくなり、それではと再度計画した今年2月末頃は特に北海道でコロナが広まりつつあって断念し、その後も行けていないらしいのでした。それで、曲のほうもまるで進んでいないのだとか。
 そんなわけで復活公演の有無もはっきりせず、練習もまったく再開のメドが立っていません。関東勢の練習をしていたのは、サンシャイン60の57階にある小樽商大の同窓会館だったのですが、何しろ年配のメンバーが多く、池袋に集まって練習することにみんな怖気をふるってしまったようなのでした。確かに池袋駅からは、あの混雑したサンシャイン通りを歩いてくることになるので、消極的になるのもわからないではありません。札幌勢のほうもコロナの蔓延スポットのひとつですので、まだ再開はしていないでしょう。そして私も収入の道をひとつ断たれたっきりということになります。

 これに対し、川口第九を歌う会はほそぼそながら9月から練習を再開しています。しかし12月に予定していた恒例の「第九」公演は取り止めとなり、来年6~7月にやるはずであった自主公演──今回はハイドン『四季』──も流れました。来年の第九はたぶん可能だと思いますし、『四季』も再来年に復活公演ということになるでしょうが、それにしてもしばらく間が抜けてしまった感じで、練習に行っても気勢が上がらない雰囲気です。
 練習場所に使っている公民館などでも、定員を半減したりしているため、人数の多い第九を歌う会は全員入れず、ソプラノ・テノールとアルト・バスとに分けた練習を続けています。本番を迎えるためには全員練習が必須でしょうが、はたして来年のいずれの時点かにそれが可能になるかどうか。

 指導していた女声合唱団クール・アルエットは解団になってしまいました。もともと10人足らずで活動していた合唱団で、もう少しメンバーを増やしたいという話がちょくちょく出ていたのですけれども、2月後半から練習が中止になり、その後も無期延期となり、とうとうそのまま解散ということになってしまったのでした。
 練習が中止になってから、メンバーが3人ほども療養生活に入ってしまったとのことです。これは別にコロナのせいではないようですが、たぶん歌わなくなって体調を崩してしまったのでしょう。歌うことが健康にも良いということを証明したようなものでしたが、だからと言って合唱を続けることには厳しい眼が向けられます。
 ともかく続けられる人が5人かそこらになってしまい、さすがにその人数で続けるのも……というわけで、秋ごろになって解団の報告が私のところへ来たのでした。やむを得ないことではありますが、残念なのは確かです。ここの指導料は私の収入の中でけっこう大きかったので、その意味でも残念なことでした。

 もうひとつの女声合唱団コーロ・ステラは、7月に府中の森芸術劇場で演奏会を予定していました。しかし、直前まで緊急事態宣言発令中で、練習がまったくできていませんでしたので、当然流れてしまいました。
 ところが、コーロ・ステラはなかなかやる気のある合唱団で、緊急事態宣言が撤回された7月から少しずつ練習を再開し、この11月24日に早々と復活公演をやってしまいました。私の関係する「復活公演」としては最初の催しでした。練習期間や1度の練習時間のことも鑑みてステージをひとつ減らし、場所も代々木上原けやきホールと小さなところに変え、平日の昼間というお客の集まりづらい日時に移さざるを得なかったとはいえ、立派に演奏会をやりとげたのでした。ここに関しては、プラマイゼロとは言えないものの軽傷で済んだ感じです。

 日常的に関係している団体はそんなところですが、あと毎年恒例のものとして平塚『星空のレジェンド』公演があります。自分の作品が「毎年恒例」になっているというのは面映ゆいというか照れ臭いというか、とにかくありがたい話ですが、第6回公演となるはずであった今年はやはり実現不可能でした。
 その代わりというかなんというか、オーケストラ版の作成に打ち込むことができたのは、自分としては満足すべきところだったかもしれません。このオーケストラ版の初演はおそらく2023年になると思われます。ずいぶん先の話で、さすがにその頃には演奏会事情も復旧しているでしょうが、それに先立つ2021年と2022年は、現在の合唱指揮者の中村拓紀さんの発案により、打ち込みによるカラオケでの公演となりそうです。そのための音源も作りました。はたしてその音源がカラオケとして充分に使えるかどうかはわかりませんが、とにかく面白い形での公演になりそうです。
 ただし、来年のカラオケ公演構想を中村さんから語られたのは第三波到来前で、現在の状況では来年もどうなることやら。本番のときは大丈夫かもしれませんが、おそらく現在はほとんど練習がおこなわれていないのではないでしょうか。第九と同様人数が多いので、みんな揃っての練習が難しいような気がします。
 『星空のレジェンド』ではもうひとつ、ミュージカル版の制作を進めるはずでした。こちらは本公演第6回の半月あまりあとに予定されていて、実現する流れであれば上半期は相当に忙しくなるはずでした。何しろシナリオが原曲の台本とはまったく違っていて、むしろスピンオフというべき作品となっており、劇中歌も原曲からとるのは2曲程度で、ほとんどは新しい書きおろしの曲になっていました。それらの作曲と、オーケストレーションまでしなければならず、私の作業量はかなり厖大なものになるところだったのです。
 しかし、多くの素人さんを集めた芝居の稽古などということが、3月からのコロナ蔓延状況でできようはずもなく、早々と中止が決まってしまいました。それでも作曲を続けていれば良かったようなものの、私も松下耕さんのことを笑えないようで、すっかりモチベーションが下がってしまい、年頭に何曲か書いたあたりから進展が見られません。

 このほか、あちこちの合唱祭があります。指揮をする予定のものとして新宿区の合唱祭が初夏と秋の2回、自分が歌う予定のものとして夏の東京都合唱祭と秋の北区合唱祭、講評に招かれていたのが秋の世田谷区合唱祭でした。このうち北区合唱祭だけは、かなりおそるおそるという様相ではありましたが、関係各所の決意と覚悟のおかげでかろうじて開催されましたが、あとは全滅です。新宿区の2回はクール・アルエットが出場するはずだったもので、これが中止になったのも、解団のきっかけになったと言えるかもしれません。
 以上、私の関係する10かそれ以上の行事が中止もしくは延期となったことになります。その大半は謝礼などを伴うものなので、その分減収になったということもありますが、それよりも最初に書いたように、これらの「ピリオド」が無かったために時間の流れが単調になり、なんとなく漫然とこの1年を過ごしてしまったというほうが、私にとっては悪影響であったかと思われるのでした。
 アマチュア合唱団の演奏会などに関係するたび、私は、こういう日はアマチュアの人たちにとっては大切な「ハレの日」だけれども、われわれのような音楽をなりわいとする者にとっては、いわば「日常業務」に過ぎないわけだ、などとうそぶいてきましたが、本番とか行事というのは、自分の中では思った以上に生活のリズムというか、句読点をつけられる存在であったのだと思い知らされた気分です。

 コロナのパンデミックはまさに未曽有の事態であって、対応も各国で手探り状態なのはよくわかっていますので、私としては別に政府をとがめだてしたりする気はありません。日本政府は他国に較べれば、先の見えない中ずいぶんよくやっていると思っています。とはいえ、そろそろ何か好転の兆しが見えてこないものかと思わずには居られません。来年は良いことが沢山ありますように!

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。