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コロナ渦中のファミリー音楽会 [日録]

 緊急事態宣言下ですが、わが板橋区演奏家協会では、恒例のファミリー音楽会を開催しました。「強行しました」と一瞬書こうとしてしまいましたが、やや印象が悪い気がしたので自粛しました。
 もちろん客入りは期待できません。私自身のことを考えても、そもそも前売りチケットを買ってくれた人が例年の3分の1くらいしか居ませんでした。いつもならふたつ返事で買ってくれる相手が、今年に限っては
 「すみません、今回はちょっと……」
 と言葉を濁すばかりだったのです。まあ、仕方のないことです。
 あとのことになりますが、買ってくれた奇特な人も、結局そのほとんどが姿を見せませんでした。前売りチケットは千円なので、その程度だとチケットを買ってあっても、当日の状況によっては出かけるのをやめてしまっても、そんなに損した気分にはならないかもしれません。
 他の人も苦戦していたようです。こういう時期に演奏会をやろうとする以上、予想はされたことでした。それでも、われわれは健在であるということをアピールする必要もありますし、息の詰まるような毎日の中で少しでも人々に楽しい気分になって貰いたいという想いもあります。それで、今回のファミリー音楽会については、中止にしようというような議論は企画進行中一度も起こりませんでした。出演のエントリーをしたメンバーもふだんより多いくらいだったし、その中で懸念を表明する人もほとんど出ませんでした。そのあたりの肚の据えかたは、やはりプロ団体だなと頼もしく思いました。
 私は例によって編曲で関わっただけで、本番当日の今日は特にすることもありませんので、人手不足を予想された受付業務のサポートをおこないました。受付の仕事は何度もやっているので、業務上の問題はありませんでしたが、コロナ対応で少し特殊なやりかたが導入されていました。演奏家協会の事業としては、すでに去年9月と12月のライブリーコンサートが開催されているので、もう3度目のコロナ対応になるわけですが、私はその2回には関わらなかったので、興味深く見ていました。
 まず、ふたりが入口のところに立って、訪れるお客の検温をおこないます。検温はいろんなところでやっていますし、検温器を当てられたことも何度もありますけれども、自分で検温器を手に取ってみたのははじめてです。自分の額に向けてボタンを捺すと、「36.4℃」と表示されました。ひとまず私は平熱だったようです。
 お客に自分でチケットもぎりをして貰います。いろんな人の手が触れないようにという配慮です。実は板橋区文化会館の催し物のチケットは半券がふたつあり、左側の半券は本来チケットを売ったときに切り離して、売れた枚数を確認するためのものです。右側の半券が通常の意味の半券で、入場するときにもぎります。左側の半券を切り離して売っている人が少なかったので、最初のうちもぎる半券がまぎらわしく、少々混乱がありましたが、じきに落ち着きました。
 プログラムも、積んである山から、お客が自分で持ってゆきます。もっとも、それまでチラシ挟み込みなどのためにわれわれ受付要員がさんざん触れているので、あくまで気休め程度のことではあります。
 また今回は、公式な開場時刻である14時半のさらに30分前である14時から、ロビー開場をおこないました。外は寒いのに、毎回、ずいぶん早い時間から行列ができていたりするため、心苦しくはあったのですが、ロビー開場をしたのは今回がはじめてです。ロビーには入って貰いますが、ホールの扉は締め切っていて入れなくなっているわけです。あんまり早く来ても好き勝手な座席を確保できるかどうかはわからないということですので、もしかしたら毎回ロビー開場にすれば、とんでもなく早い時間から並ぶ人も減るかもしれない、と思いました。
 ともあれ今日はお客がどっと押し寄せるという時間帯があったわけでもなく、ぱらぱらと入ってくる感じでした。それは予想のうちでしたが、はたして何人くらい入ったのでしょうか。
 私はときどきホール内に入って様子を見ていましたが、200人くらいは居たように思います。例年だと600~700人というところですので、もちろんはるかに少ない数字ではありますが、この状況下で200人というのは、まあまあ集まったほうではないでしょうか。電車に乗ってまで聴きにきた人は多くなかったかもしれませんが、近場の人はやってきたのだと思います。見ていると、当日券を買い求める人もそこそこ居た様子でした。
 ネットで音楽を配信する人も増え、それなりに視聴者も多くなっているようですが、やはり生の音楽は良いですねえ、と感想を言ってゆくお客も少なくありませんでした。演奏者と聴客とが一体になって創り出す演奏会という空間は、なんだかんだ言ったところで、モニター越しでは決して味わえない現場感があり、人類がそれを不要と感じるまでにはまだしばらくの時が必要でしょう。
 こういう状況下での演奏会を「強行」したことについて、批判する人は居るかもしれませんが、やはり開催して良かったと思います。

 さて内容ですが、今回は去年秋の編曲作業中にそのことについて書いていないので、制作過程から少し詳しめに記しておきます。
 冒頭はこのところ恒例の「10分間で名曲」シリーズです。一昨年からはじめており、「新世界より」「惑星」に続き、今回は「運命」を採り上げました。去年大晦日の東急ジルベスターコンサートのカウントダウン曲が「運命」だったので、偶然の一致に思わず笑ってしまいましたが、まあ去年はベートーヴェンの生誕250周年だったので、ベートーヴェンが扱われるのは不思議ではありません。本来なら交響曲全曲演奏会とか、ピアノソナタ全曲演奏会なんてのも開催されてしかるべき年だったのに、コロナのせいで低調に終わってしまったのは、ベートーヴェンにとっても気の毒な話でした。
 この「10分間で名曲」シリーズは、著名なオーケストラ曲を切り貼りして10分程度に圧縮するという点でも頭を使わされますが、さらに合唱を入れなければならないという縛りがあります。出演者全員参加という建前なのでそうなってしまいます。歌い手たちも参加させなければならないのです。
 「新世界より」の場合は、第二楽章が「家路」として歌詞がつけられ歌われているので、まあ楽だったほうです。しかしそれだけでは足りなかったので、第三楽章のトリオ部分、そして第四楽章にも、私が歌詞をでっち上げて歌わせることにしました。第三楽章のほうは、新年をことほぐみたいな歌詞をつけましたが、第四楽章ではもうネタが無くなり、苦し紛れに板橋区のキャッチフレーズである「緑と文化の輝くまち」をパラフレーズして使いました。それが案外受けたもので、もう毎年これにしてやろうとひそかに決めました。
 「惑星」では終曲の「海王星」にもともと女声合唱がついていますが、歌詞は無くヴォカリーズだけです。そこでここにまた「緑と文化」を乗せてしまい、あとは「木星」平原綾香の歌った「ジュピター」の歌詞を乗せました。そのほか何箇所かにハミングなどをつけています。
 さて「運命」です。今までの2曲と違い、これは純器楽曲であり、歌詞をつけて歌われたという話も聞きません。もし歌詞をつけるのなら、全面的に私がでっち上げなければならない情勢です。
 強いて言えば、第二楽章は非常にメロディックで、ここに歌を乗せるのは可能でしょう。どうしようかあれこれ考えましたが、初の独唱を導入してみました。

 ──(男声)この地に生まれ育ち 生きてゆく喜び 大地に捧げよう 感謝を
 ──(女声)あなたと出逢い 共に生きてゆく幸せ 夜空に捧げよう 祈りを

 と、ちょっと照れ臭いような歌詞をつけて、主題のメロディに乗せます。それに続いて合唱が入り、

 ──讃えよう いま この運命

 と、ここでタイトルテーマを入れたのでした。
 切りかたとしては、第一楽章の提示部を完全な形でオーケストラで奏し、そのあと短いツナギを入れていきなり第二楽章に突入します。第一楽章の提示部は変ホ長調で終わり、第二楽章は変ホ長調の下属調である変イ長調ですので、わりに簡単に転調できるのです。
 第二楽章は流れの中でハ長調に転調するところがあるので、2度目にそれが来たとき、そのまま第三楽章に移ることにしました。ただし第三楽章はハ短調で、曲想的にも第二楽章とそのままではつながりません。そこで、ハ長調のトリオ(中間部)の部分を先に持ってくることにしました。この方法は「新世界より」でも使っています。ここは動きが細かいので器楽だけにし、そのあとで入る主要主題のところでまた合唱が入ります。恒例の「緑と文化」はここで登場します。もっとも、最近板橋区のサイトを見たら、前は出ていた「緑と文化」のキャッチフレーズが掲載されていません。やめてしまったのか、それとも緊急事態対応のためなのかよくわかりませんが、区内の公園などにある立て看板にはまだ記されています。
 第三楽章の主要部分から第四楽章へのツナギは、原曲の第四楽章の再現部前に、突然第三楽章のモティーフが回想される部分があるので、そこを活用して移行しました。第四楽章は基本的に再現部を使い、第二主題のあとをかなり省略して急速な終結部に入ってしまいます。終結部はフルな形で使い、合唱も多用しました。なにげに「第九」の合唱の最後のところを思わせるような雰囲気になり、これはこれで悪くないような気がしました。
 ともかく、昨日のリハーサルを聴いていて、

 ──ベートーヴェンはやっぱりいいなあ。

 と思いました。指揮者の成田くんも大いに同感だったようで、
 「いや、楽しいですね」
 と述懐していました。

 異色の“合唱付き”「運命」のあと、モンテルデ「闘牛士のマンボ」が演奏されました。こちらの編曲は私ではなく、オーボエ奏者の下羽南くんです。下羽くんは今日はオーボエだけでなく、ファゴットの腕前も披露していました。
 そのあとが恒例の「お笑いグランドオペラ」シリーズです。これは「10分間で名曲」よりさらに歴史があり、「ああ椿姫」「おおカルメン」「やや!蝶々夫人」「ラララ・ボエーム」に続きすでに5回目なのでした。今回は単一のオペラではなく、歌舞伎の「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのゑひざめ)になぞらえて、いろんなオペラの死にキャラのアリアをメンバーが次々に歌い、歌い終わると佐野次郎左衛門役の小仁所良一くんに片っ端から斬られてゆくという趣向でした。曲目や出演順がプログラムに記されていないので、少々わかりづらかったかもしれません。斬られっぷりは人それぞれで、なかなか愉しめたのではないでしょうか。出演者たちはわざわざ歌舞伎の所作を教わりに行ったとも聞いています。かなり手も込んでいて、みんな大変だったと思われます。
 大変だったのは実は私も同様で、何せこの前の火曜日のリハーサルに向かう途上で、いきなり「出囃子」を作ってくれまいかと依頼されたのでした。フルート2本と打楽器を使って貰いたいとのこと。せめて前日に言っておいてくれれば、家で作ってリハに持って行ったのに、突然の無茶振りで大いに面食らいました。たまたま五線紙を持って行っていたから良かったようなものの、持っていなかったらどうなっていたことやら。
 サンプルとして、実際の歌舞伎の出囃子の動画を見せられ、
 「このまんまコピーでもいいから」
 と言われたのですが、本来の出囃子は三味線の伴奏のついた謡であって、それにときどき笛がかぶさるといったものです。それをフルート2本と打楽器では、コピーどころか発想の参考にもならないのでした。
 要するに短いとはいえれっきとした作曲をしなければなりません。ホールの中ではリハーサルがおこなわれていて、楽音がガンガン鳴りまくりの中で作曲をする能力は私にはさすがにありませんから、ホールの外の廊下に置いてあった会議用のテーブルに五線紙を拡げました。雪の降りそうな寒い日で、コートを着込んで作曲に臨みましたが、しばしば指がかじかんで思った位置に音符が書けず難儀しました。
 音を確認する方法もありません。まるっきり宙で作曲するとは、なんだか大学受験のときを思い出します。
 1時間くらいで、なんとかそれっぽい曲を書き上げて、フルート奏者などに楽譜を渡しました。吉原友惠さんなどは付き合いが古く、私の手書き譜時代もよく知っていますが、最近はパソコン作譜になっていたので、しばらくぶりの手書き譜による新曲ということになります。
 さすがに初見ではだいぶ混乱していましたが、3回くらい合わせるとそこそこまとまってきました。さすがにプロだなと感心します。5日後の今日になると、すっかり堂に入った出囃子となっていました。

 前半はそれで終わりで、後半は例によってお楽しみステージから開始されます。例年は、プログラムでは曲名を伏せていましたが、今回は表示していました。おなじみのナポリ民謡「フニクリ・フニクラ」です。フニクリというのはケーブルカーのことで、イタリアでケーブルカーに乗ったときに、駅にちゃんと「Funiculi」と看板がかかっていたので感動したことがあります。それで日本では「登山電車」というタイトルでもよく知られていました。ヴェスヴィオス火山にケーブルカーが敷かれたときに作られた歌だそうですが、この路線は残念ながら現在では廃線になっているとか。
 このステージは毎回私が編曲していますが、今回、1番はナポリ語で、2番は日本語で歌うことにしました。そして3番ではぐっとテンポを落とし、伴奏も拍子抜けするようなユーモラスな形にして、替え歌の「鬼のパンツ」をフリ付きで歌いました。最近はこの「鬼のパンツ」しか知らない人も多いようです。私も小学生のみぎりこの替え歌を友達から教わりましたが、「公式」な歌詞とは少し違っていたようでした。
 リフレインを繰り返すところからナポリ語に戻り、かつテンポも戻ります。そして終わりの張り上げるところで、むちゃくちゃに長いフェルマータを置きました。あまりに長くて、歌い手が次々に脱落してゆき、最後にひとりだけ残ったところで、最後の4小節を早口言葉のように歌って終わる、という趣向にしておきました。
 それに引き続き歌い手のひとりが「撤収!」と叫び、次いで「盆回し」を演奏します。昔ドリフターズのコントで舞台転換するときに流された曲で、このステージでは毎回使っています。亡くなったたかしまあきひこ氏も、こんなところで使われているとは思わなかったかもしれません。

 プログラムはそのあと、佐藤俊会長の独奏でショパンのエチュードとポロネーズ、吉川英子副会長の独唱で「神よ平和を与えたまえ~運命の力」と進み、イベールの木管三重奏曲、トレヴィノのパーカッション二重奏曲をはさんで、器楽奏者全員でヨハン・シュトラウスのポルカ「観光列車」とワルツ「春の声」が演奏されました。「観光列車」は、目下停止させられていますがGo To トラベルキャンペーンへの協賛でもありましょうか。
 最後がまた全員参加によるステージで、これも毎年恒例で私が編曲しています。今回は「生きもの地球紀行」のテーマソングであった杉本竜一「Tomorrow」でした。音楽会全体の副題が「明日へ」だったので、この選曲はほぼ一瞬で決まりました。もっとも、歌い手の中にはこの歌を知らない人もけっこう居たようで、意外な気がしました。現在ではむしろ合唱曲として知られているようで、編曲の参考にしようとして原曲の音源をyoutubeで探したら、なぜか合唱の動画ばかり出てきて困ったものでした。
 原曲ではサクソフォンでやっているらしき間奏のソロを、トランペットにやって貰うことにしたら、これがまあ、かっちょええのなんの。関根志郎くんどうもありがとうございます。そういえば去年はクラリネットの藤田成美さんに活躍して貰うシーンが多かったのですが、毎年誰かにスポットを当てて頑張って貰おうかな、などと思いつきました。

 だいたい2時間半の予定で、それほどオーバーせずに終えることができました。お客こそ少なかったものの、充実した時間を過ごせたように思えます。来年はもう、コロナなど気にせず開催できることを祈るばかりです。

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