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島根県公演行(1) [旅日記]

 少し長め(3泊4日)の地方公演、一名ドサ廻りに参加してきました。
 もともと私の後輩が主にやっていた仕事だったのですが、何年か前からときどき代役を頼まれるようになり、岐阜とか新潟とかに行っていたのですが、いままでは全部日帰り公演でした。タイトなことこの上ないスケジュールだったわけです。
 その後輩が、去年だったか急逝してしまったのです。それで事務所のほうが、私に直接打診してきたのでした。
 公演のひとつが隠岐島だというので、旅心がうずきました。幸い予定も空けられそうだったので、すぐにOKの返事をしました。
 演奏会自体については、ここで事細かに触れて良いものかわかりませんし、今回については私が演奏に参加する曲目がそう多くなかったということもあり、詳細は省きます。この日誌では、旅という側面から書きたいと思います。
 ドサ廻りというのは、あんまり時間的余裕が無く、観光したりする暇がとれないことも多いのですが、今回はけっこう愉しめました。事務所の入っている仕事ですから、旅費はかかりませんし、食事代もかなり節約できました。さらにギャラも貰えたわけなので言うこと無しです。

 7月14日(木)、11時35分のJAL機羽田を発ちました。ジャンボ機でもあり旅情も何もあったものではありませんが、わずか1時間ほどで大阪伊丹空港に到着します。東京~大阪間のシェアは新幹線が大半を占めていますが、飛行機利用客もまだ少なくはなく、ほぼ満席でした。チェックインや荷物検査などの手間や時間をかけてなお、新幹線の3分の1の所要時間というところに惹かれる人が多いということでしょう。
 伊丹空港で乗り換え、隠岐島に向かいます。こんどの飛行機はE170という小型機で、座席は4列しかありません。外国ではもっと小さな飛行機に乗ったこともありますが、国内でこんな小型機に乗ったことが無いので驚きました。というより、私がいままでに乗った国内線の飛行機は、羽田~千歳便羽田~那覇便だけで、どちらも幹線中の幹線と言って良いような路線ですから、大型機しか就航していないのでした。
 そして飛行時間はわずかに約35分。14時20分には隠岐世界ジオパーク空港に到着しました。この日は全国的に天気が悪く、飛行中はほとんど雲しか見えない状態でしたが、その雲をつっきって海が見えたかと思うと、島の断崖絶壁が現れ、その崖の上が空港になっていたのでした。
 この空港もまたえらくこぢんまりとした造りです。飛行機と同様、外国ではこぢんまりとした空港に何回か乗り下りした経験がありますが、国内では羽田、成田新千歳といった巨大なターミナル空港しか知らなかったので、新鮮な気分です。隠岐世界ジオパーク空港に定期的に発着する路線はふたつだけで、ひとつがいま乗ってきた伊丹便、もうひとつは出雲縁結び空港とのあいだを飛ぶ短距離便です。離島とはいえ、同一県内発着なのですからまさに短距離です。
 一日に2機しか飛行機が来ないのですから、空港の建物もそれに応じて小さく、ちょっとした主要駅といった感じの構えでした。しかし、乗り下りの通路はちゃんと備えられていて、雨の中を走ったりしなくて済みました。
 それにしても羽田を発って3時間足らずで隠岐島まで到達してしまうのだからあきれます。私が個人的旅行として旅程を立てれば、たぶん米子松江まで寝台特急「サンライズ出雲」で11時間半ほど、JR境港線に乗り換えるかバスに乗るかして境港七類港に行き、そこから船ということにするでしょう。船は高速船でも1時間半ほど、フェリーだと2時間半ほどかかります。まあ接続が良くても15時間くらいはかかることになりそうです。あらためて、飛行機という乗り物はとんでもないな、と思います。

 隠岐とひとことで言っても、島前(どうぜん)と島後(どうご)に分かれていることは知っている人が多いでしょう。島後は円形に近いわりに大きな島で、全域が隠岐の島町となっています。島前のほうは単独の島ではなく、西ノ島・知夫里島・中ノ島の3島を主とする群島です。
 空港は島後の南端にあり、私たちはそこから貸切バスで島後の主要部である西郷へと向かいました。高速船やフェリーの発着する大きな港があり、いかにも地方の中心集落らしい飲食店などが軒を連ねています。このあたりに泊まるのかな、と思いましたが、バスは西郷の集落を通り抜け、もう少し先に行ったところにある一軒宿で停止しました。この宿を、今回の出演者だけで借り切ったようです。
 島後は西郷のところで大きな湾が切れ込み、その湾が大きく東西に分かれています。宿は、東側の湾に突き出た岬のようなところにあり、風光明媚ではあるのですが、西郷から2キロ近く離れており、まわりにはぽつぽつと民家が見えるばかりで店などは全然ありません。
 実はこの晩は、出演者やスタッフが集まった懇親会がおこなわれる予定だったのですが、コロナの第7波が蔓延してきて、島の居酒屋などでは「島外のかたお断り」になってしまい、中止となりました。それはやむを得ないのですが、さて夕食をどこで済まそうかと途方に暮れました。宿では朝食は供しますが夕食は出しません。
 夕食以前に、私は家を出る前に小さなパンを食べただけで、昼食もとりはぐれています。正直言ってかなりおなかがすいてきました。
 ともかく部屋に落ち着いて、さきざきのことを考えるしかありません。部屋は決まっておらず、宿の人がひとりひとりに適当に鍵を渡しています。私も手を出して鍵を貰いましたが、さてその鍵の番号の部屋へ行ってみると、やたらと広いので驚きました。家族用といったところでしょうか、16畳もあります。真ん中にちゃぶ台が置いてあり、その片側にすでに布団が敷かれていました。
 舞台衣装をハンガーに掛けたり、必要な荷物を取り出したりして、考えてみましたがなかなからちがあきません。とりあえず暇なうちに土産物くらい買っておくかと思って宿の売店に行ってみました。もしかするとパンとかカップ麺とか、食べ物にありつけるかもしれないとも思ったのです。
 売店にはそういった日用的な商品は一切無く、純然たる土産物屋でした。いくつか買って部屋に戻りましたが、空腹の問題は依然として解決しません。
 そのうちなんだか眠くなってきたので、すでに布団が敷かれているのを幸い、横になりました。

 何時間か眠ったようです。18時近くなっていましたが、だいぶ西のほうに来ているので、まだ空は夕方というほどもないくらいに明るいのでした。
 とりあえず風呂に入りました。温泉ではありませんが、大浴場があります。手足を伸ばしてくつろげます。ほかの人たちはどこへ行ったのか、ほとんど気配がありません。全部で30人以上居るはずなのですが、宿の中は森閑としています。あとで聞いたら、レンタカーを借りて島後一周なんてことをしていたグループが居たり、宿の人に頼んでクルマを出して貰って西郷に出たグループが居たりしたようです。代役参加みたいで、特に親しい人も居ない私にはお声がかからなかったわけでした。
 風呂から上がって、さてどうしようかと考えました。スマホの地図で近辺の飲食店を探してみると、600~700メートルほど離れたところに中華料理屋があるようだったので、そこまで歩くことにしました。全然隠岐島らしい食事ではありませんが、やむを得ません。
 昼間は雨が降っていましたが、夕方には止んでいました。すがすがしい空気と言いたいところですが、雨上がり特有の湿気が立ち昇っているようで、少し歩くと汗が噴き出してきます。
 道にもほとんど人は通りません。あたりの雰囲気は離島と言うより、ごく平凡な海辺の村落といった感じでした。あとでほかのメンバーが、
 「案外普通っていうか。屋久島みたいに、下り立った途端に何か迫ってくるみたいな島ではないですよね」
 と言っていました。確かにそんな風で、隠岐というのは自然よりも、歴史的な意味合いが大きな島であると思います。
 道に歩いている人はほとんど居ませんでしたが、店に入るとけっこう客が入っていますし、私のあとからも何組も訪れました。オーケストラや合唱団のメンバーは居ませんでしたが。
 カウンター席に坐って、もやしラーメンを注文しました。卵とじのもやしを大量に載せたラーメンの味は良かったし、全体の分量もさすがに田舎らしく値段に比してたくさんありましたが、なぜはるばるここまで来てこれを食べなければならないのかという気分はぬぐえません。
 ゆっくり食べて、またゆっくり宿に帰ります。宿の手前に、小舟がたくさん繋留されている入り江があって、そのたたずまいは悪くありません。20時近いのに、まだ残照があることに驚きます。西に来たのだなあとあらためて思います。
 部屋に帰ると、もうやることがなくなりました。テレビを見たりする気にもなれず、寝たり起きたりを繰り返して、いつの間にか深夜となり、朝となったようです。

 7月15日(金)は第1回の公演の日ですが、平日なのでソワレ(夜公演)であり、会場入りするまでにやたらと時間があります。なんと昼過ぎにようやく移動となるのでした。
 宿の朝食を終えてしまうと、もう時間をもてあまします。散歩でもしてこようかと思ったのですが、宿のサンルームに差し込んでいる陽射しが、すでにじりじりするほど暑く、本番前にあまり汗をかいたり疲れたりするのも考えものです。
 結局午前中は、部屋にこもって、しばらく手つかずであった作曲の仕事をしました。特に締め切りというものが設定されていないことをいいことに、ずっと放置していたのです。音を出せるキーボードのようなものは持ってきていないので、あとでちゃんと音の確認をしなければなりませんが、あたりが静かなのでわりにはかどりました。
 13時半近くなってようやく出発です。この日の昼食は、会場に行ってから弁当が用意されていました。
 会場は隠岐島文化会館というところで、宿からはわりと近いようです。地図を確認すると、前の晩に私がラーメンを食べに行った中華料理屋への道をそのまま3キロほど辿れば着くようでしたが、移動の便をとってくれたバスはそのルートを使わず、一旦西郷の集落に出てから文化会館に向かいました。中型のバスでしたが、通りにくい箇所などあったのでしょうか。
 文化会館と称していますが、まあ要するに公民館に毛が生えたくらいのところです。ホールもそれほど大きくはありません。舞台袖が下手にしか無く、全員が下手出、下手ハケとなるくらいなものでした。とはいえほとんど満席だったのだからありがたい話です。バスの便くらいあるのかもしれませんが、ほとんどマイカーしか交通手段は無い場所でしょう。会館の前のかなりだだっ広い駐車場がいっぱいになっていました。
 夕食も弁当が出ましたが、これは本番前に食べる余裕も無く、宿に持って帰って食べました。21時半くらいになっていました。

 翌7月16日(土)は移動日です。第2回の公演をおこなう松江市へと移動するのです。
 8時出発ということでぶうぶう言うメンバーが多かったのですが、高速船が8時35分に出てしまうので仕方がありません。高速船のほかフェリーもありますが、それはもっと早く8時30分出航です。次の便は昼過ぎになります。
 高速船は2階建てで、乗船率はかなり高いようでした。ほぼ1時間半で、本土の境港とのあいだを結びます。ただし、それはこの便が直行するからで、島前の港に立ち寄る便もあり、そちらだともちろんもっと時間がかかります。この便は西郷港に来る前に島前をめぐってくるのですが、西郷で下りる船客もかなり多かったので意外に思いました。島前と島後は、案外と人の行き来があるようです。
 乗り込むと、座席のシートベルトを締めるよう指示されます。海面から3メートルほど水中翼で浮上し、時速74キロで突っ走るのだそうです。ちょっとした急行列車並みです。
 このスピードだと、海上の浮遊物とか、クジラなどの海洋生物との衝突を避けるために急に舵を切ったりすると、乗客は相当よろけることになるようです。シートベルトはそのための安全策なのでした。案内で本当に「クジラなどの海洋生物」と言っていたので、思わず笑いそうになりました。
 島後から本土までは、直線距離で65キロほどです。この距離では当然、島影も本土の姿も見えない、海のただ中ということも多いわけで、隠岐に流された後鳥羽上皇後醍醐天皇はさぞ心細かったろうと思わざるを得ません。
 そのただ中に、なんだかわからない人工物がありました。カタカナのロの字をふたつ並べたような構造物で、上にクレーンのようなものがついています。油田のプラットフォームか、あるいは試掘でもしているのかと思われましたが、石油の専門家である父に帰ってから写真を見せても首を傾げるばかりでした。気になるので、ご存じの向きはご教示願います。
 本土にだいぶ近づくと、また海中の人工物が眼につきます。こちらは美保関沖の御前と呼ばれる神社で、豆粒のような小島の上に鳥居が立っています。
 その美保関から、島根半島の南側に回り込みます。島根半島は、ごく狭い海峡(境水道)で弓ヶ浜半島と隔てられており、船からは両側の陸地が見て取れます。ほとんど大きな川でも遡っているかのようです。高速船の時速74キロというスピードは、周りに何も見えない海のただ中ではあまりピンときませんでしたが、右手に島根半島、左手に弓ヶ浜半島の家々や工場などが見えるところに来ると、景色が飛ぶように過ぎてゆくのを実感します。本当にちょっとした急行列車にでも乗っている気分です。
 境水道の真ん中くらいの弓ヶ浜半島側に、境港があります。波は穏やかだし、水路で中海宍道湖にもつながり、古来から交易港として大変に栄えてきた港町です。ごく狭い町域であるのに、かなり早い時期(昭和31年)から市制が敷かれました。境港市は鳥取県で4つしかない市のひとつ(あとは鳥取市・倉吉市・米子市)であり、面積は中国地方の市で最小、かつ山陰で最大の人口密度を持つという、なかなか特色ある市なのでした。
 最近では、物故したマンガ家水木しげる氏の故郷としても知られています。朝ドラの「ゲゲゲの女房」で境港を知ったという人も多いでしょう。中心街には、水木しげるロードとか水木しげる会館などもありますし、市域に存在する米子空港はいまや「米子鬼太郎空港」を名乗っています。
 オーケストラのメンバーの中にも、水木しげるロードを観光したいので、宿へ行くバスには乗らないという人も何人か居ました。大きな荷物だけ運んで貰えるよう交渉していたようです。
 数人欠けた状態で、バスは出発しました。今度は大型のバスで、全員が座席を独占してもまだ空席がある状態です。隠岐島で乗ったバスでは何人かは座席を共有しなければならず、楽器などを持っているとやや窮屈だったのでした。
 バスは少し走ると、大きな橋を渡り、中海に浮かぶ江島・大根島という大きな島を経て、対岸に渡ります。中海というのは私は湾だとばかり思っていたのですが、分類上は湖だそうです。境港・米子・安来・松江の4市に囲まれており、注ぎ込む川なども多くて、海よりも塩気が少ないらしく、宍道湖と同様「汽水湖」ということになっています。
 対岸に渡ってもしばらくは山の中を走りますが、やがて松江市街に入ります。
 中海と宍道湖は大橋川という大きな川で連結されており、松江大橋・宍道湖大橋などもこの川に懸かっています。ほかにもいくつか細い水路はありますが、水上のメインストリートとも言うべきこの大橋川にほど近い宿に、40分ほどかけて到着しました。
 と言っても、まだ11時です。宿へのチェックインすらもできません。ただ大きな荷物を預かってもらう交渉はしてあったようで、みんな食堂に荷物を置いて、思い思いに出かけてゆきました。この日はもう何もなく、思う存分観光できるわけです。
 私はまた、ひとりで行動することにしました。さてどこへ行こうか、宿のフロントの前のラックで貰ってきた松江市内のガイド冊子を開いて考えました。
 この項、続きます。

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