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沖縄公演行(2) [旅日記]

 沖縄でのコンサートのため、8月5日(金)那覇入りしました。
 コンサート会場は那覇ではありません。6日(土)沖縄市7日(日)嘉手納町で連日公演します。沖縄市と嘉手納町は隣り合っていると言って良いロケーションで、それならその近くに宿をとったほうが良かったようでもありますが、そこはやはり事務所のほうで多少の観光要素を加えてくれたということでもあるのでしょう。土産物を買うにしろ飲みに行くにしろ、沖縄市や嘉手納町では那覇とは較べものにならないくらい選択肢が狭まるのだと思います。
 先月の島根公演のときは、室内オケとはいえ16、7人か一斉に移動するので、宿から会場の往復にはバスをチャーターしていましたが、今回の楽器は5人だけです。弦楽四重奏とピアノだけ、いわゆるピアノ五重奏編成です。この編成はシューマンフランクに有名な曲がありますが、大学受験前にさんざん書かされたため、あまり良い印象がありません。
 ともあれそういうコンパクトな編成なので、バスを頼むほどのことはなく、毎回タクシーに分乗して往復しました。メーターを見ていたら片道だけで5000円近くかかっていたので、交通費がすごいことになっているだろうと思います。

 さて、まずは沖縄市での公演です。沖縄県沖縄市だけれども県庁所在地ではない、という、栃木山梨などと同様の事情です。昔はコザという市名で、当時としては珍しいカタカナ市名であったことからも、そのままにしておいたほうがインパクトがあったと思います。市民にとって何かイヤなイメージや想い出があったわけでもないはずで、市内にはコザの名を冠する道路や施設がいまだにたくさんあります。
 沖縄県唯一の高速道路、沖縄自動車道に乗って20分ほど、沖縄南インターチェンジで下りると、ほどなく会場の沖縄市民会館に到着します。
 ここのホールは、1500人以上を収容できるという、県庁所在地でもない地方都市としては非常に大きなもので、しかも2階席というものが無く、すべての座席が平間に並んでいます。そのため、舞台から客席を見ると、おそろしく広く感じられました。私がよく使っている板橋区文化会館の大ホールにしても、川口リリアのメインホールにしても、収容人数はそれほど差が無いのですけれども、2階席(リリアは3階席も)があるために、ほどの良い広さという印象を与えられます。平間だけの1500席というのはなかなかの迫力でした。普段はどんな使われかたをしているのだろうかと思いました。
 八重島公園という緑地に隣接しています。暑くない季節ならちょうど良い散策コースになりそうです。例によって待機時間が長いので、少し歩いてこようかとも思ったのですが、首都圏の猛暑日よりはしのぎやすいとはいえやっぱり暑く、本番前にあんまり汗をかきたくないので、断念しました。
 会館に属しているのか公園に属しているのか知りませんが、一本の高いポールが建っていて、その上に巨大なシーサーがあたりを睥睨していました。沖縄と言えばシーサーを連想する感じではありますが、私はシーサーは屋根の上に居るヤツで、民家や商業施設などの玄関前に居るのは狛犬なのかと思っていました。いま調べたら、狛犬は寺社などの宗教施設の前に居るヤツのことで、沖縄で玄関前に居るのはほぼシーサーと呼んで良いそうです。
 土曜日なのに19時開演の遅い時間のコンサートでしたが、1500以上の客席はほぼ埋まっていました。コロナ対策で、県外からの客は断っていたそうですが、大した客入りです。私は知らなかったのですが、コザは昔から「音楽の街」として知られていたとのこと。コンサートなどに対する食いつきも良いのかもしれません。
 終演は21時過ぎでした。途中休憩が無いのでトイレの心配をしていましたが、本番前になるべく飲み物を控えること、開演直前に済ませること、などの対策の効あって、最後まで漏らす気配無く終えられました。
 着替えて、またタクシーに分乗して、那覇のホテルに戻ると、もう22時過ぎです。私は近くのスーパーマーケットまで、飲み物とデザートだけ買いに行き、コンサートのケータリングで出た弁当で遅い夕食を済ませました。ちなみに、今回の旅公演では3泊しましたが、3回の朝食はホテルのビュッフェ、中2日の昼食と夕食はケータリング弁当でしたので、自分の好きなように食べられたのは事実上初日の夕食だけでした。

 その晩は、わりとすぐに寝入ったのですが、3時半ごろに一旦眼が醒めてから、どうしたわけかなかなか寝付けませんでした。公演はもう一日あるのだから、眠っておかないときつい、と意識したのがかえって悪かったかもしれません。5時過ぎになって、大浴場が再開する時間になったので、ひと風呂浴びてきて、ようやく少し眠れました。しかし総計しても4時間半くらいしか眠っておらず、少々心許ないものがあります。
 7日は嘉手納町でのコンサートです。この日はマチネ(昼公演)なので、会場入りも早くなります。やはりタクシーに分乗して会場に向かいました。
 前の日に高速道路の出口で、「沖縄市・嘉手納町方面」とあったので、この日も高速に乗るのかと思いきや、クルマは一般道(国道58号)を走りました。道幅は充分広いのですが、やたらと信号機があります。運転手さんに聞くと、昔はこんなに信号機は無かったのだが、暴走族対策で増やしたということでした。いつ頃の話でしょうか。最近はあんまり暴走族というのは聞きませんし、暴走族という字面がカッコ良すぎるというのでネットで広まった「珍走団」の名称がけっこう一般化しており、バイクで群れて爆走するなどというのは「ダサい」という認識が普通になっているように思います。
 宜野湾市北谷(ちゃたん)を抜けて嘉手納町に入ると、さすがに基地の町、雰囲気が日本離れしてきます。なんだかフロリダあたりを走っているような気分になってきました。街路樹が南国らしく檳榔(びんろう)樹であるせいもあるでしょうが、道沿いの店なども英語表記が多いのでした。
 町域の8割以上を基地が占めているのだそうで、当然ながら面白くない気分があるには違いありませんが、かと言って町の人々の商売なども基地の存在を前提としておこなわれているケースが多いはずで、無くなってくれても困るというところかもしれません。痛し痒しとはこのことでしょう。
 しばらくアメリカンな気分を味わったあたりで、嘉手納町役場に着きました。会場のかでな文化センターは役場に隣接しています。
 市ではない、町レベルの役場にしてはずいぶん立派ですし、文化センターのホールも800人あまりを収容できるかなりの規模です。これも基地があるために投じられている補助金の余徳というところかもしれず、外部の人間が一概にヤンキーゴーホームなどと叫ぶのは無責任であろう、と思わざるを得ません。
 楽屋は嬉しいことに畳敷きでした。しばらく横になっていると、眠りはしなかったもののいくぶんすっきりした気がしました。
 この日も客席はほぼ満員になっていました。前日の沖縄市公演から連続で来た人も少なからず居たようです。
 マチネとはいえ、暑い時間帯を避けたのか、16時開演となっていました。そういえばこの前の平塚の演奏会も16時開演で、最近はそういうのが増えているのでしょうか。
 従って終演は18時過ぎです。明るいうちにホテルに帰り着きました。ちょうど海が見えるあたりで日没になって、同乗者と共に感動しながら眺めていました。
 コロナ禍という時節柄、関係者全員での打ち上げといったことはおこなわれませんでしたが、楽器の5人だけでお疲れ会をしよう、という話になりました。私だけ酒が飲めないのですが、さすがにこれまで断るのも感じが悪いでしょう。同行することにしました。
 結局あとからスタッフの一部も合流したりしたのですが、まあそれほど「密」にはなっていなかったと思います。私は寝不足に加えて本番でだいぶくたびれていたので、途中で失礼しましたが、ほかの皆さんはそれからさらに2時間くらい飲んでいたようです。旅公演に馴れている人たちはスタミナが違うなあ、と感心しました。

 翌朝も5時前に眼が醒めて、寝直そうにも寝付けません。この日の予定は飛行機に乗って帰るだけなので、寝不足でもいいや、と考え、思いきって起きて、荷物の整理などをはじめました。
 6時半からオープンする朝食ビュッフェに早々と足を運び、けっこう満腹になって、7時過ぎにチェックアウトしました。本当は8時頃にチェックアウトするつもりだったのですが。
 実は10時にタクシーが来てくれることになっていたのですけれども、私はこの日は最初から別行動をとるつもりで、クルマに同乗する予定だった人に前もって伝えてありました。
 なぜ別行動したかったかというと、ゆいレールを完乗したかったのです。
 ゆいレールは延長17キロ、全線乗っても37分ですが、10時前に往復してこられるかというと少々心許なく、また一箇所くらい途中下車してみたい気持ちもありました。それで、空港にも直行できるわけですから、クルマに乗る必要は無かったのでした。
 前回来たときも今回も、牧志旭橋間しか乗っていません。次に沖縄に来られるのがいつになるかもわかりません。「鉄」のはしくれとして、こんなところに未乗の路線が残っているのは、なんとも気分が悪いのでした。
 ホテルをチェックアウトした私は、那覇バスターミナルの横を抜けて旭橋駅に向かいました。
 券売機で、一日券を購入します。旭橋から終点のてだこ浦西まで行って、那覇空港に戻るだけでは、元が取れないのですが、一箇所でも途中下車すれば、初乗り運賃が230円とそこそこ高いので、採算が合うのでした。
 券売機に料金を投入したあとで、ふと下を見ると、一日券が落ちていました。しかも、この朝早い時刻なのに、この日の日付になっています。誰かが落としたのか捨てたのか、とにかくそれを拾っておけば、自分でお金を払わなくとも良かったようです。しまった、と思いましたが、乗り鉄の心得として、正当な運賃や料金を支払うべきであろう、という気持ちもあります。惜しい気がしましたが、落ちていた一日券はそのままにして改札を通りました。
 小型の車輛が2輌連なっただけの、可愛らしいモノレールですが、現在3輌編成化の計画があるそうです。利用者はかなり多いのでしょう。実際、朝の下り方向はガラガラでしたが、上り方向は昼近くなっても立ち客がずいぶん居たほどでした。クルマ社会にどっぷり漬かりきった沖縄では、モノレールなど作っても利用者はろくに居ないだろう、などと事前には言われていましたが、少なくとも那覇市民にとっては、すでに生活の一部となっているように見受けられます。
 赤字だとは聞きましたが、償却費がほとんどでしょう。償却後は黒字になるのではないでしょうか。また、コロナで利用者が減り、便数を減らしたとも聞きました。これもいずれは元に戻ると思います。
 将来的には、それこそ沖縄市あたりくらいまで延長したいという気では居るようです。いつのことになるかわかりませんが、気長に待っていようと考えています。
 基本的にはロングシートですが、両端の運転席のうしろだけ、前向きの座席があります。私はそこに陣取って、運転士の背後から前方を眺めました。コンクリートのレールが、けっこう上下にぐにゃぐにゃと波打っているのが見えて、なかなか面白かったりします。
 首里で一旦下車しました。首里城は前に来たときに観光したし、まだ再建もされていないので、特に今回見る予定は無かったのですが、どこかで途中下車するとなると首里くらいしか思いつかなかったのでした。
 駅の後方に歩くと、首里城の登り口に着きます。守礼門などとは反対側の、いわば裏口にあたるところであるようです。朝早くて、まだ入場料を取る区画は開いていないらしく、道路も封鎖されていましたが、少し脇へ回ると、歩行者用の階段がありました。そちらは別に通行止めにはなっていません。
 首里城を再訪する気は無いにせよ、城壁に沿って朝の散歩を愉しむくらいはできるかな、と思い、その階段を昇りました。朝とはいえ南国の陽射しはじりじりと強く、階段を昇りきると汗だくになっていました。
 散歩している人はほかにも居たので、不法侵入したわけではないとわかって安心しました。
 日陰を歩いている分にはそんなに暑くなく、風が通り過ぎると実にさわやかで気分が良かったのですが、日向の暑さはかないません。歩いてゆくと、太陽の方向的に、まったく日陰というものの無い区間もあったりして、汗をだらだら流しながら先へ進みました。バッグも肩に食い込むようで、こんなことなら首里駅のコインロッカーに預けてくれば良かったと後悔しました。
 とはいえ、最高地点から眺めた、街の向こうに見える海の景色は素晴らしいものがありました。私はあんまり風景を写真に撮るという趣味は無いのですが、そこでは思わずスマホのカメラを構えました。
 1キロ足らずで、前回からおなじみの首里杜館(すいむいかん)にたどり着きました。首里城観光の基地となるような建物です。しかしまだ閉まっています。門衛のようなおじさんが、
 「8時半に開きますから」
 と言いました。あと15分ほどです。
 日陰になっているベンチに坐って、首里杜館が開くのを待ちました。この建物の中を通らないと、出口までかなり迂回しなければなりません。それに首里杜館の中にある食堂で、アイスクリームでも食べたい気分でした。
 8時半になり、首里杜館はオープンしましたが、食堂はまだ開いていないようです。よく見ると開店は9時からだということがわかりました。マップ情報では8時半~となっていたので、がっかりしましたが、あと30分待っている気にもなれません。
 持っていた土産物の紙袋の手が切れそうになっていたので、持っていたレジ袋の中に紙袋ごと入れて、持ちやすくしました。それで早々に首里杜館をあとにしました。
 首里杜館の1階から外に出ると、首里駅に戻るよりも、その隣の儀保(ぎぼ)駅に行くほうが近いようでしたので、スマホのマップを見ながら歩きました。なるべく日陰を通りたいと思うのですが、なかなか思うに任せません。ここも距離としては1キロも無さそうだったのに、暑さでだいぶ疲れました。
 儀保からゆいレールに再び乗り、今度こそ終点のてだこ浦西に向かいます。那覇市から浦添市域に入ると、なんとなくあたりが田舎っぽくなりました。道路にはたくさんクルマが走っていますし、建物の密度もそう低くはありません。にもかかわらず、どこがどうというのでなく、都会ではなくなったという印象が感じられてなりませんでした。
 浦添前田からてだこ浦西までの、最後の1区間には、かなり長いトンネルがありました。おやおや、てだこ浦西駅は地下駅なのかな、と思いましたが、そうではなく、トンネルを抜けて再び高架となって終点に到着しました。
 先のほうを眺めてみると、いつでも延長はできるようになっているようです。何かに突き当たっているということはありませんでした。
 そしててだこ浦西駅自体も、周囲に何があるでもなく、単に工事がここで一旦中断したからたまたま終点になっただけという感じの駅でした。下りてみると広いロータリーになっていましたが、バスもクルマもあんまり見当たりません。
 この駅附近の喫茶店にでも入ってひと息入れようと考えてきたのですが、喫茶店など影も形もないのでした。ふたたびスマホのマップで調べてみると、いちばん近いコーヒーショップでも相当に離れたところにしか無いようです。
 なんにもすることが無く、その辺のベンチに坐って文字通り「ひと息つき」、9時半の列車で戻ることにしました。
 また運転席のうしろのクロスシートに陣取りましたが、上り列車の場合は、停まる駅ごとにどんどん乗客があり、途中からは立ち客も増えてきました。子供たちが運転席うしろに群がって、私の坐っている席に坐りたそうな顔をしていましたが、私は知らん顔で前を眺めていました。
 10時07分に那覇空港に到着しました。空港のターミナルビルに直接通路がつながっています。確かにこれは便利です。
 この朝、私はだいぶ活動したような気がしていますが、考えてみると事務所が予約していた送迎のタクシーは10時にホテルを出るはずです。空港に着くのは10時20分くらいでしょうか。飛行機は12時05分なので、ずいぶんとまた時間があるなあ、と思ったものでしたが、それより前に空港に着いてしまいました。やはり8時くらいから行動開始したほうが良かったかもしれません。ただそうなると、首里城の散策路などはさらに暑くなっていたことでしょう。
 てだこ浦西駅になんにもなかったのも当て外れで、空港に早く着きすぎたのもやむを得ません。
 しかも飛行機は、那覇到着が少し遅れた関係で出発も遅れ、20分ばかり遅くなってしまいました。この遅れはフライト中には取り戻せず、羽田に着いたのも20分遅れでした。
 往路とは違い、おおむね晴れていて、雲の下もよく見えましたが、那覇便は大部分は海上を飛ぶので、さほど面白くはありません。しかし着陸態勢に入ったころから陸地が見えはじめます。
 海岸線を見ても、どこなのかさっぱりわかりませんでした。最初、「駿河湾か?」などと思ったのですが、その後の様子を見るとそうではないようです。どうも房総半島であったらしい。やがてスカイツリーが見えてきたのに、それに対して見えている海岸線が、どのあたりなのかがさっぱりわからないのでした。葛西臨海公園のあたりかな、と思いましたが、あの大観覧車の姿が見えません。
 そうこうするうちに、高度が下がり、滑走路に着陸しました。
 飛行機から通路に出た途端、もわっとした熱気が襲ってきました。やっぱり沖縄のほうが過ごしやすかった、と私は思ったのでした。

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