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「ソルフェージュ」を考える [いろいろ]

 久々に視唱の教科書というのを見てみました。
 視唱というのは、ソルフェージュという科目の中のひとつです。ソルフェージュというのが何かというと、またいろいろと定義があってややこしいのですが、私が理解しているところで言えば、

 ──楽譜上の音符と実際の音を正確に対応させるためのメソッド

 というようなものです。
 よく勘違いされますが、楽譜というのは音楽そのものではありません。それは戯曲が演劇そのものでないのと同様です。作曲家というのは楽譜を書くことを仕事にしているわけではなく、本来は音楽を作っているわけです。従って本当は少なくとも初演までは、演奏者に付き添って、楽譜に書ききれない意図などをしっかり伝えるべきです。ほんのわずかな息遣いの違いとか、音色の変化などといったことは、楽譜に全部書けるものではありませんし、もし書けたとしても煩雑でわけがわからないものになるでしょう。演奏者によっては、作曲家に脇に立たれていちいち指図されるのを好まない人も居ますが、実のところそういう人は新曲の初演など向いていないと言えるでしょう。
 ともあれ、作曲家というのは思い浮かんだメロディーやコードを譜面に書き起こさなければならないわけですので、当然ソルフェージュの能力が求められます。
 一方、演奏者の側では、譜面を見てそれを音にすることになりますから、「この音符が実際にはどういう高さの音になるか」ということを瞬時にイメージできなければなりません。声楽家には特に必要な能力ですが、器楽でも同じことです。演奏者は楽譜に書かれた音符を見て、それを実際に音にしたところを克明に想像し、それから声を出したり楽器を手に取ったりするわけです。
 音符を見て現実の音をイメージするのですから、やはりソルフェージュ能力は必須と言えます。言い換えれば、ソルフェージュは専攻にかかわらず、音楽家にとっては基礎的な素養ということになります。
 もちろん、世の中には楽譜を用いない音楽だっていくらでもあります。民謡などは口伝えであることが多いでしょう。アフリカあたりの太鼓の音楽なども楽譜があるとは思えません。最近ではコンピュータで楽譜を介さずに音を作ってしまっている人も少なくありません。しかしまあ、いわゆる西洋音楽ではソルフェージュが必須になると言えます。
 そのため、音楽大学の入試にソルフェージュは含まれますし、その入試を突破して入学しても、2、3年はソルフェージュの授業が必修となっています。西洋音楽を志した以上、ソルフェージュから逃れることはできないのです。

 ソルフェージュの勉強で具体的に何をやるかというと、冒頭に触れた「視唱」と、そして「聴音」が二本柱です。派生的にはほかにもいろいろありますが、まずこの二本柱が最重要です。
 「視唱」は音符から音への、「聴音」は音から音符への瞬時の変換を旨とします。つまり「視唱」は楽譜を見て、あまり時間をかけずにすぐに「唱う」訓練であり、「聴音」は音を聴いて、その場で音符として書きとってゆくという訓練です。
 聴音は、子供のころに音楽教室などでよくやる「音当て」の延長と言えます。子供のうちは、先生がピアノなどで弾いた音や和音を答えてゆくという方式が普通ですが、音大の入試レベルになると、「単旋律」「複旋律」「和声」などに分かれます。
 単旋律は、8~12小節くらいのメロディーを聴きとって、それを楽譜に書きとります。たいてい5回くらい、あいだをあけて演奏され(録音を用いることも多い)、そのあいだに書くことになります。前半と後半を分けたりすることもよくあります。
 複旋律は、やはり8小節程度のものが多いのですが、たいていはト音記号とヘ音記号の2段譜に書きとることになります。
 和声は、ほとんどの場合は2分音符が並びます。やはり8小節くらいです。3声から4声の音が同時に鳴ります。まったくランダムに鳴るということはまず無く、たいていは和声法の規則に従った配置になっているので、和声法をかじっているとだいぶ楽になります。その点では、入試段階ですでに和声法の基本はマスターしていることが求められる作曲科には有利な科目です。
 私は子供のころの音当ての段階から聴音は得意で、ほとんど苦労した記憶がありません。しかし何人かの受験生を教えた経験からすると、普通はなかなか苦労するものであるようです。絶対音感が強くて、たとえばミ#の音がどうしてもファにしか聴こえず、そこをファと書いたばかりにそのあとが全部間違ってしまう、なんて子も居ました。
 これに対し、視唱のほうは、ある程度の声楽的素養も必要になるので、それほど簡単ではありません。音の名前はすぐにわかるし、音程のイメージもできているのに、声がついてゆかない、ということがありえます。特に高校生男子などは、学校で合唱などをやっていない限り、どうしても思った音程が歌えない、というケースがよくあるのでした。
 視唱の入門書としては、有名な「コールユーブンゲン」というのがあります。この本の3分の2くらいのところまで程度はやっておかないと、入試の視唱のテストは難しいかもしれません。使っている音域は1オクターブ半くらいなものですが、人によってはそれがなかなか大変なのでした。私はいちおう最後まで勉強しました(最初のほうをだいぶすっ飛ばしましたが)。ラストの2題などは入門書の範疇を軽く超えるような難しさですが、作曲科志望仲間ではそれを暗譜で歌い合ったりしていました。

 さて入学すると、いきなりソルフェージュのクラス分けテストがおこなわれました。入試とは段違いに難しい聴音課題が科され、私もだいぶ間違えた自覚があります。
 だいぶ間違えたにもかかわらず、私はA1という最上位のクラスに入れられました。このクラスには、作曲科からはあと、寺嶋陸也三河正典山田武彦の3人が属していました。次点のA2クラスにも作曲科学生が多く、やはり作曲科は一体にソルフェージュが強かったようです。ほかの専攻では、指揮科とピアノ科が目立ちました。指揮科はまあ当然として、ピアノ科が多かったのは、自力で和音を作れる楽器だからではないかと思われます。弦楽器にしろ管楽器にしろ、基本的には単音を奏する楽器であるため、聴音の複旋律課題や和声課題ではあまり良い点を取れなかったのでしょう。
 このとき指導してくださった先生が、時を経てマダムの恩師でもあったあたり、音楽家の世界は狭いなあと実感したわけなのですが、この先生はいちおう作曲家でありつつ、むしろソルフェージュ専門家という立場が大きかったひとでした。
 ソルフェージュ専門家というのは、スポーツで言えばスポーツ整体専門家とか、演劇で言えばイントネーション専門家とか、いずれも表舞台で大事なことではあるものの、それ自体は裏方に近い役割であるような気がします。音楽の基礎のところを固めるわけですが、それ自体を音楽家と呼べるかというと、少々首を傾げたくなります。と言って音楽評論家とか音楽学者と呼ばれる人たちのような「周辺」感は無く、他ジャンルの人に説明するのが難しいような存在感を持っていると言えるでしょう。
 ソルフェージュは西洋音楽に楽譜というものが生まれて以来、考えかたそのものはずっと存在していましたが、組織化しメソッド化されたのはパリ音楽院が中心となったフランスでのことです。ソルフェージュという言葉そのものもフランス語ですし、ソルフェージュを学ぼうという人はたいていフランスに留学しました。むしろ日本のソルフェージュ教育は、和声学や対位法ともども、パリ音楽院のものをそのまんま移植したようなものと言えます。パリ音楽院式のほかにも、ハンガリーコダーイ・システムとか、北欧系のメソッドとかもいろいろあるのですが、わが国ではあまり定着していません。
 私のソルフェージュの先生も、ご多分に漏れずパリに留学して勉強してきており、そのためフランス音楽についても造詣が深く、マダムはむしろフランス音楽を学ぶ上で先生に拠るところが大きかったようです。
 授業では、入試よりもっと難しい課題をいろいろ与えられました。聴音では無調のものがあったり、あるいはピアノ以外の楽器を用いた問題であったりしました。弦楽器や管楽器の音で聴音をすると、ときにより調が違って聞こえたりすることもありますし、それどころかオクターブが違って聞こえることもあって、それまでずっとピアノの音で聴音課題をやっていた身としては面食らうこともあったのでした。
 そして視唱のほうは、さまざまな音部記号を瞬時に読み替えるという訓練をさせられました。

 音部記号というのは、五線の左端に書いてある記号のことで、五線のどの線がどの音にあたるのかを指定する役割を持っています。有名なのはト音記号とヘ音記号ですね。ト音記号とは、第2線(下から2番目の線)がソの音に当たるということを示しています。またヘ音記号は、第4線(上から2番目の線)がファの音に当たります。ソ(ト音)やファ(ヘ音)を基準としているのでト音記号、ヘ音記号と呼ばれるわけです。記号のデザインも、G(ソ)、F(ファ)の文字を変形させています。ヘ音記号のほうはよく見ているとFの字の変形とわかってくる気がしますが、ト音記号にGの字を読み取るのはなかなか困難でしょう。
 このほか、ハ音記号というのがあります。これはハ音(ド)の位置を基準とした記号で、ヴィオラの譜面に通常使われています。また、チェロやファゴット、トロンボーンなどにも使われることがあります。
 ただし、ヴィオラに使われているハ音記号は、第3線が中央のドとなっており、これをアルト記号とも呼びます。チェロやファゴットに使われるほうは、第4線が中央のドになります。テノール記号と呼ばれます。このように、ハ音記号はいろいろな場所に移動して使われるのが特徴です。
 アルト記号、テノール記号があるのなら、ソプラノ記号もあるのかと言えば、あります。第1線(いちばん下の線)が中央のドになります。しかしこれは現代の譜面では使われません。バロック期くらいまでの声楽譜に使われていることがあります。
 バス記号もあります。実はこれがヘ音記号です。ト音記号・ヘ音記号は、中央のドが五線をはみ出して加線が必要な場所になってしまうので、やむなくド以外の音を基準にしているのであって、歴史的にはハ音記号のほうが古くから使われているのでした。
 私は和声学を、テオドール・デュボワの教科書で学びましたが、この本は四声体のソプラノ・アルト・テノール・バスを、それぞれの音部記号で書く様式になっていました。つまり各パートの音域が適度になるように配慮されていたわけです。そのため、ソプラノ記号・アルト記号・テノール記号という、ハ音記号の読みかたを、早い時期から修得していました。日本で編纂された和声学の教科書、いわゆる「藝大和声(三巻本)はト音記号とヘ音記号の大譜表で勉強するようになっているため、こちらで最初に学んだ人は、ハ音記号になかなか馴れなかったのではないかと思います。
 さて、視唱の難しい課題になると、このハ音記号が随所に出てくるのでした。ト音記号からアルト記号へ、そこからヘ音記号を経てテノール記号、そしてソプラノ記号へと、どんどん変わってゆきます。こちらは記号の変化にまどわされず、ひとつながりのメロディーを歌ってゆかなければなりません。
 これには、さすがのA1クラスの学生たちも、四苦八苦していました。このクラスは附属高校(いわゆる藝高)から上がってきた学生も多かったのですが、高校ではここまではやっていなかったようです。
 さらに進むと、メッツォソプラノ記号やらバリトン記号やらいうのも出てきました。これらは私も馴染みが無かったので、馴れるまでだいぶ苦労しました。メッツォソプラノ記号は第2線が中央のドとなったハ音記号です。バリトン記号は第5線が中央のドなのですが、なぜかハ音記号が使われず、ヘ音記号が1線分ずれた配置で使われます。事実上、これがいちばん厄介でした。ヘ音記号はバス記号、という思い込みがあって、そのつもりで歌うとメロディーが変なことになり、あわてて見直すとバリトン記号だった、ということが多かったのです。
 今日、マダムの持っていた視唱の教科書を、まったく徒然にぱらぱらと弾き歌ってみたら、それらの音部記号、後半にはメッツォやバリトン記号まで出てきて、懐かしい想いにひたりました。それとともに、アルト記号やテノール記号はまだ問題なく歌えるのに、ソプラノ記号はいささか苦労し、メッツォやバリトンに至っては何度か見直さないと歌えなかったので、だいぶ力が落ちたなあと慨嘆もしました。まあ、楽譜を書いていて、アルト記号はヴィオラで、テノール記号もチェロ・ファゴット・トロンボーンなどで実際に使うわけですが、ソプラノ記号以降を使うことはまずありません。使わなければ衰えるという、あたりまえの結果が出たわけなのでした。

 しかし、実際に使いもしない記号で歌うことを、なぜ求められるのでしょうか。
 それは、移調楽器というものの存在によります。
 クラリネット、サクソフォン、ホルンなどは、通常使うのが移調楽器です。オーボエは移調楽器ではありませんが、しばしばオーボエ奏者が持ち替えて使うコール・アングレは移調楽器となっています。トランペットは実音で書かれることもありますが、奏者はD管、B管などのように移調して書いて貰ったほうが楽であるようです。
 B管であれば、普通にドレミファソラシドと吹くと、実際に出てくるのはシ♭ドレミ♭ファソラシ♭という音になります。実音でドレミファソラシドと出させたければ、楽譜上ではニ長調、レミファ#ソラシド#レと書いておかなければなりません。なんでそんな面倒くさいことになっているのかと文句を言ってもはじまりません。いろいろな歴史的事情により、そういうことになってしまっているのです。
 さて、実音のドが、楽譜上ではレの位置に来るのですから、これはテノール記号と同じ配置であるわけです。オクターブは楽器によって異なりますが、テノール記号を読めるようにしておけば、クラリネットやテノール・サクソフォン、トランペットなどの譜面がさくさく読めることになります。
 ホルンはF管ですから、実音のドはト音記号でソの位置、つまり第2線です。メッツォソプラノ記号と同じことになります。
 同様に、D管楽器(一部のトランペットなど)はアルト記号、A管楽器(一部のクラリネットやオーボエ・ダモーレなど)はソプラノ記号、Es管楽器(ピッコロ・クラリネットやアルト・サクソフォンなど)はバス記号(ヘ音記号)と同じように読めることになります。
 つまり、各音部記号での音符の読みかたをマスターすれば、オーケストラで使われる移調楽器の音が全部読めるようになり、そうするとオーケストラのスコアを見ただけで、鳴る音が想像できるようになり、最終的にはオーケストラのスコアを見ながらそれをピアノで弾けるまでになります。これをスコア・リーディングと言って、作曲家や、特に指揮者はぜび身につけるべきとされているスキルです。ソルフェージュの最終目標とも言えるでしょう。
 まあもっとも、いまどき移調楽器の読みかたをいちいちソプラノ記号だのテノール記号だのに換算して考える人はあんまり居なさそうです。むしろソルフェージュの上級クラスで、テノール記号を読まされるときに
 「ええと、これはB管で読めば良いわけだな」
 と逆に考える人のほうが多いかもしれません。
 そうであってみれば、私が授業でやらされ、マダムの教科書に載っていたような、音部記号が頻繁に切り替わる視唱課題というものが、現代においてそれほど有用であるかどうかは疑問なのですが、ときどきやってみると頭の体操にはなるようです。この場合、ピアノの伴奏を他人に弾いて貰って歌だけ歌うのではなく、自分で弾き歌いするというのが重要とも思われます。またいずれ、課題を探してやってみようかと思いました。

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