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鉄道150年 [世の中]

 昨日・10月14日鉄道の日でしたが、今年は鉄道開業150周年ということで、JRの駅や電車の中でも催し物などを盛んに喧伝していますし、新聞にも特集記事が組まれたりしています。
 以前はこういう周年事業のときは、著名人が一日駅長や一日機関士をやるイベントがあったように思いますが、最近はあんまりやらないようです。私の好きな内田百閒は、80周年(昭和27年)のときに一日東京駅長をやりました。もともとそういう子供だましみたいなイベントは好まない人なのですが、駅長業務の中に、特急「はと」の出発合図をするというのがあったのでつい引き受けてしまったという、根っからの鉄道マニアだったのでした。しかも百閒は、お気に入りの「はと」が出発してゆくのを便々と見ていることなどできるものかと言うので、しばらく前から悪だくみをして、「はと」が出発するときにデッキに飛び乗り、熱海までそのまま「視察」しに乗って行ってしまったのでした。いろいろおおらかな時代ではあったようです。
 それから70年を経て、国鉄=JRをめぐる環境や状況もずいぶんと変わりました。新幹線と大都市の通勤路線こそまだまだ健在で、まだまだ不断の進化を求められていますが、それ以外はいろいろと厳しい話ばかり聞こえてきます。ローカル線の存廃なども、一時期は落ち着いていましたが、近年になってまたかまびすしくなってきました。
  「鉄道の時代は去った」というようなことは、昭和30~40年代くらいにもよく言われていたことです。その後新幹線の活躍で、その見かたも過去のものとなったとされてきましたが、在来線については依然として楽観できないものがあります。鉄道なんか無くても、クルマがあれば事足りるという考えかたの人は、いまだかなりの割合で存在すると見て良いでしょう。
 水害で不通になっていた只見線は、JR東日本としては廃止する気満々だったようです。諮問委員会なども、鉄道は廃止してバスに代替するのが好ましいという提言を出しました。しかし、福島県および沿線町村が頑張って、鉄道として存続することが決まりました。ただし、線路や駅は県が所有し、その上をJRの列車が走るという、いわゆる上下分離式ということにせざるを得ませんでした。線路や駅の維持、あるいは固定資産税の支払いなどは、いままでJRの負担でしたが、これを県が負担することになります。JR単体でローカル線を維持することはなかなか難しくなっており、今後はこのような上下分離式、つまり沿線の自治体もそれなりに負担を受け持つという形が増えそうです。
 同じように目下、この夏の颱風の影響で肥薩線が不通になっています。車窓のきわだった美しさで知られ、途中のループ線は代表的な鉄道名所にもなっています。ここもJR九州は、鉄道としての復活に消極的だと聞きました。只見線流に、上下分離式にしてくれれば考えないでもない、というところであるようです。しかし、只見線の不通箇所が福島県内であったのと違って、肥薩線の不通箇所は八代から吉松に及んでおり、熊本県鹿児島県にまたがっています。こうなると、なかなかお互いの利害が一致せず、負担額の分担などでも意見が食い違いがちであって、話がまとまりづらくなります。熊本県と鹿児島県は、新幹線が通ったあとの鹿児島本線を、肥薩おれんじ鉄道という、全国でも珍しい2県にまたがった第三セクター鉄道として成立させた実績がありますので、もし肥薩線が上下分離式になるとしても、うまく話をつけて貰えればと思わずにはいられません。
 今朝の新聞には、JR西日本の芸備線についても書かれていました。ここは不通になっているわけではないのですが、とにかく客が減ってしまって、維持が難しいということになっているようです。
 通学の中学・高校生などは昔から鉄道のお得意様であって、それが少子化で利用減となることは残念ながら避けられない現実です。本来ならば、その現実を見据えて、もっと早くから対策を立てておくべきでした。それをずるずると放置したあげくに、降って湧いたコロナ禍でさらに利用が急減し、にっちもさっちも行かなくなったというのが現状なのだと思います。
 ただ、コロナ禍で減ったからやってゆけない、というのではなく、コロナ禍で輸送力に余裕ができたいまこそ、何か抜本的な改革を考えるべきときなのではないでしょうか。

 ヨーロッパ諸国などでは、鉄道は地域インフラの一種という考えかたが主流になっているようです。それで、線路は地方自治体や国が所有し、そこを使用料をとって民間会社に列車を走らせることになります。つまり上下分離式が普通になっています。
 ただしこれは最近の考えではなく、線路の所有者と列車の運行会社が別というのは、ヨーロッパには古くからありました。
 アガサ・クリスティの小説で有名なオリエント急行は、多くの国を経由して走る国際列車ですが、別に各国の国鉄や鉄道会社が共同運営しているわけではありませんでした。「オリエント急行を運行する会社」というものがあり、それが各国の線路を使用して列車を走らせていたわけです。
 「オリエント急行の殺人」では、エルキュール・ポワロは中東で起きた事件を解決した帰りにこの列車に乗ろうとして、満席で断られてしまいます。しかしたまたま居合わせた重役が知人であったので、そのつてで車室を確保して貰うのでした。あえて空けてあったその車室にポワロが入ってしまったことで、犯人の思惑が狂うことになるのですが、それはともかく……
 この重役というのは、鉄道会社の重役ではなく、「オリエント急行の運行会社」の重役であることがおわかりでしょうか。「線路・駅」というインフラと、そこを走る「列車」とは、別の企業であったわけで、まさに上下分離式です。
 オリエント急行以外にも、この種の国際列車は何本も走っていました。もちろん、一国内だけのローカル列車(ヨーロッパには、九州並みとか北海道並みとかの広さしかない狭い国がたくさんあります)はその国の国鉄などが運行していたりしたかもしれませんが、国際列車はたいてい、列車ごとに運行会社があるのでした。
 日本の鉄道は、従来とにかく輸送密度が高く、そんな余計な列車のダイヤを押し込む余裕などまったくありませんでした。すべての列車は国鉄が細部に至るまでコントロールして、10秒刻みで走らせなければなりませんでした。だから、「線路」と「列車」が別運営というイメージが、なかなか湧きづらいかもしれません。国鉄=JRだけではなく、東武の線路の上は東武の列車が、近鉄の線路の上は近鉄の列車が走るのがあたりまえでした。
 近年は相互乗り入れが多くなり、東武の線路の上を東京メトロ東急の列車が走ったり、近鉄の線路の上を阪神の電車が走ったりすることも珍しくなくなりましたが、それでもいまのところ「車輛」の直通にとどまっています。相互乗り入れをしても、分界点の駅、たとえば押上北千住難波などで、運転士も車掌も入れ替えになり、東武の線路の上は厳然として東武の職員が運行しているのでした。これが「別運営の列車」とは少々言いがたいように思えます。
 京成電鉄の先っぽのほうにある芝山鉄道は、線路と駅、駅員、それに若干の車輛を保有しています。芝山鉄道所属の車輛というのがあるのですが、京成の電車とまったく同じ形なので、一般の乗客には区別がつきません。そして、芝山鉄道には乗務職員が居ません。電車の運行は京成に完全に任せています。こちらになると、明らかに上下分離式という感じになります。
 別運営というのがもっとはっきりしているのは、JR貨物でしょう。ここは、若干の自社線も持っていますが、ほとんどの場合はほかのJRグループの線路の上を走っています。旅客列車と貨物列車の運転方法はまったく異なるため、JR貨物の列車に旅客鉄道各社の職員が乗務することはまずありません。これがいちばんわかりやすい上下分離でしょう。私は、夜行列車などもJR貨物と同じような別会社にすべきだったのではないかと思っています。
 このように、「線路・駅」と「列車」を別運営にすることで、いろいろな可能性が生まれてくるのではないかと考えられるのです。

 たとえば、現在のJR路線の大半を、都道府県、あるいは何県か合弁の線路保有企業に払い下げたとしたらどうでしょうか。線路を、道路などと同じ基礎インフラとして考えるのです。保線や駅舎の整備などは線路保有企業の責任となります。そして、その上を通る列車から通行料をとり、それが収入となります。
 自分たちの税金が投入されるわけですから、周辺住民も、もう少し鉄道を大事にしようという気持ちになるのではないでしょうか。まあ、「税金が使われるくらいなら、線路なんか要らん」と言い出す手合いも出てくるかもしれませんが、廃止反対運動を起こすくらいなら廃止されないよう智慧をしぼれ、と周辺住民に発破をかけることにも正当性が生まれるというものです。廃止反対を、「これこれをして欲しい」という受け身の形ではなく、「これこれをやりたい」という、よりアクティブな形で展開することが求められます。
 もっと夢のある方法もあります。つまり、線路が自治体の所有になるならば、それを使わせるのは別にJRに限ったことでもなくなるということです。ほかの鉄道会社の列車を走らせることも可能になるのです。これは、「民鉄がJRに乗り入れる」のとはまったく違います。この場合、JRが莫大な線路使用料を巻き上げるので、かつては全国にけっこうあった乗り入れがいまではほとんど無くなってしまいましたが、上下分離が徹底されれば、JRとほかの鉄道会社が、ともに「自社路線」として同一の区間を分け合うということが起こり得ます。
 実際、成田空港高速鉄道にはふたつの鉄道会社が乗り入れています。この鉄道会社の名を聞いたことのある人は多くないでしょうが、いわゆる第三種鉄道事業者であって自前の列車はありません。この会社の所有する線路に、JR東日本と京成電鉄が乗り入れて、成田空港へ向かうのです。空港第2ビル駅と成田空港駅は、JR東日本の路線図にも、京成の路線図にも、自社線の駅として記されています。なお関西国際空港も、りんくうタウンから先は新関西国際空港という会社の保有で、そこにJR西日本南海電鉄が乗り入れています。短距離とはいえ、複数の会社がほぼ同格で相乗りしている路線はすでに存在するのです。
 まあその先駆として、神戸高速鉄道というのがあり、自前の列車は持たずに阪神・阪急・山陽電鉄・神戸電鉄の電車を乗り入れさせていますが、路線図などでは神戸高速鉄道のエリアは色分けされており、成田空港高速鉄道のように一般人に知られていない会社というわけではなさそうです。
 何分かおきにひっきりなしに電車がやってくるようなところでは無理でしょうが、たとえば土佐くろしお鉄道が、中村・宿毛線ごめん・なはり線を直通する列車を走らせるために、高知県の所有となった御免窪川間を使用するなんてことは充分可能となります。土佐くろしお鉄道はもともと高知県も出資している第三セクターですので、土讃線が高知県の所有となれば、JRよりむしろ土佐くろしお鉄道を優先させた運行をすることもできるでしょう。
 JRがあまり積極的でないところに、地域の都合でレールバスなどを走らせることもできるようになります。既存列車のダイヤを妨害しないように注意さえすれば、かなり自由に設定できそうです。いわば、コミュニティバスの鉄道版です。
 JRは新幹線と大都市近郊路線に注力して貰って、それ以外のところは線路その他の設備を自治体の所有にするというのは、現時点では決して悪い手ではないように思えます。

 この前も、JR東日本が赤字路線・赤字区間を公表して話題になりました。最悪の赤字区間が、なんと首都圏である千葉県久留里線の先っぽであることが判明したりして、なかなか興味深い資料でしたが、赤字「区間」のデータを出しても仕方がないのではないか、という気もしました。
 羽越本線の各所に大赤字区間があるらしいのですが、その多くは県境だったりして交通量が少なく、また豪雪地帯でもあるので保線代がかさむという問題もあって、収支が釣り合わないだろうことは容易に想像できます。しかし、だからといってその赤字区間を廃止などしてしまったら、羽越本線の重要な使命……新潟庄内地方そして秋田を直結するという役割が果たせなくなります。多くの幹線には、地域交通という側面のほか、都市間を結ぶという機能があるわけで、最近のJRはその点を軽視しているきらいがあります。その機能は新幹線に任せれば良いと考えているのかもしれませんが、たとえば仙山線が無かったとしたら、仙台山形を行き来するには福島まわりしなければならなくなり、いくら新幹線を使ったところで面倒なことおびただしいはめになります。幸い仙山線は幹線に分類されて経営状態は良いので廃止はされそうにありませんが、しかし作並から山寺あたりまでの収支をとればかなりの赤字になっているでしょう。ひとつながりになった路線の一部分の赤字を云々してもはじまらないのです。
 とはいえ、上に書いた芸備線のように、都市間連絡をしているのに経営が成り立たないという路線も無いではありません。というか、国鉄改革のときに盲腸線がだいぶ減り、いまは通り抜け型の路線が大半を占めるようになっているのに、収支が思わしくないというところがほとんどです。
 これはひとえに、「遅いから」と思われます。なぜ遅いかというと、線路の線形が悪く、レールや路盤が貧弱で、列車のスピードが出せないからです。線形が悪いので延長距離が長くなり、そのために時間がかかるということもあります。青森県大湊線など、沿線人口は少なく、通り抜け路線でもない盲腸線で、条件は非常に悪いはずなのですが、線形が良くほとんど直線で敷かれているためにスピードが出せます。だから並行する道路を尻目に、たいていの便でかなりの乗車率をマークしています。ローカル線にしては快速列車が多いのも高ポイントでしょう。
 スピードさえ出せれば、鉄道を使おうという人はまだまだ居るのです。智頭急行や、北陸新幹線開通前のほくほく線なども、高速の特急が走っていたため利用度は高いものでした。
 たいていの路線でそれができないのは、計画が立てられたのが戦前で、戦前の鉄道建設思想によって大半の部分が建設されていたからです。戦前は建主改従主義というのがはびこっていて、低規格であってもとにかく線路を敷いてしまえ、という考えかたが主流でした。通り抜け路線というのは、起点側と終点側の両方から工事が進められるのが普通で、真ん中あたりは山越えなどで難工事になることが多く、そこは戦後に持ち越されたというケースが多いのです。つまり両側の大半の部分が、戦前の低規格路線として敷かれてしまっていたわけです。
 昭和40年ごろに、鉄道建設思想がガラッと変わりました。国鉄がそろそろ息切れして、新線建設が困難になってきたため、鉄建公団という別組織が起ち上げられたのと、ほぼ時を同じくします。
 鉄建公団の方針は、ローカル線と言えども、既設幹線のバイパスとして使えるよう、なるべく高規格で線路を敷くというものでした。山があればトンネルでぶち抜き、川がうねっていれば大規模な鉄橋を架け、なるべく直線に近く、つまり最短距離で起点と終点を結ぶということになったのでした。もちろんその背後には、トンネル掘鑿技術や架橋技術が飛躍的に発達したということがあったでしょう。また、土地の値段が上がって、買収が大変になったという事情もあったと思われます。
 智頭急行やほくほく線などは、最初からそういう方針で建設されたため、高速特急を走らせることができ、現在でも意気軒昂です。三陸鉄道京都丹後鉄道宮福線など、国鉄の未成線を開通させて開業した第三セクター鉄道はそういうところが多くなっています。
 しかし、何年か前に廃止された三江線のように、高規格なのは真ん中だけ、そこに取りつく両側は戦前の低規格……という路線があまりに多いのでした。これでは、スピードが出せず高速特急など走らせられませんし、線路はなるべく地形に逆らわずに曲折して敷かれているので距離が長くなります。三江線も、直線距離ならせいぜい60キロ程度の三次江津間を、蜿蜒108キロかけて結んでいました。もし直線距離に近い70キロ程度なら、仙山線と同じくらいの長さでそんなには長く感じなかったでしょうし、高規格路線で特急、少なくとも快速が走っていれば1時間ちょっとくらいで結べていたと思われます。しかし、大部分低規格だった三江線を走る列車は、108キロを走るのに実に3時間半もかかっていたのです。これでは、利用者が居なかったのもうなづけます。廃止されても仕方がなかったと言えましょう。
 線路を敷くのには大変な費用と時間がかかります。特に、低規格路線を高規格に敷き直すなどという工事は技術的にも容易なことではありません。戦後に実現したのは福知山線くらいなものではないでしょうか。しかし、これからの鉄道を考えると、このまま衰退することを避けたいのならば、いつかはやらなければならないことだと考えます。その「やらなければならない」主体も、そろそろ鉄道会社任せではなく、地域社会が積極的に関わってゆかなければならない時代にさしかかっているのに違いありません。

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