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札幌・弘前公演行(2)ロングシートと夜の船 [旅日記]

 札幌弘前で連続して仕事があって、11月11日(金)に出発した私は、常磐線特急「ひたち3号」仙台まで行き、そのあと仙石線仙石東北ラインに乗って、14時34分に塩釜に着きました。そこからはひたすらに普通電車を乗り継いで北上することになります。
 まだ14時台だというのに、空の色がなんとなく夕暮れっぽく感じられました。冬至まであと1か月ちょっと、北に来て東にも来ているので、東京近辺よりも夕方が早く訪れるのでしょう。
 昔は、「仙台~青森」などという、東北本線を悠然と走り抜ける長距離鈍行なども多数走っていたものでしたが、最近はご多分に漏れず運転が分断されてしまっています。私は本八戸までの切符を持っていましたが、この先小牛田・一ノ関・盛岡・八戸で乗り換えなければなりませんでした。そして、腹の立つことに、最後の八戸線のディーゼルカーを除く4本の電車は、すべてオールロングシートだったのです。
 すれ違う列車などを見ると、全列車がオールロングシートかというとそんなことも無く、特に距離の長かった盛岡~八戸のIGRいわて銀河鉄道青い森鉄道には、クロスシートの車輛もけっこう走っているようでした。ある程度の覚悟はしてきたとはいえ、なんで私の乗る列車に限って全部ロングシートばかりなんだと抗議したくなりました。
 田舎に行くと、ロングシートの列車のほうが「都会っぽい」というので人気がある、なんて話も聞きますが、短距離ならともかく、1時間以上乗り続ける場合にロングシートというのはかなりしんどいものがあります。ずうっと山手線に乗り続けているようなものです。車窓の景色も見づらいし、飲食をするのもはばかられます。コロナ禍の折り、車内での飲食はご遠慮くださいというのが鉄道会社の本音でしょうが、列車の中で飲み食いするというのは、やはり旅の楽しみのひとつと言わなければなりません。
 クロスシートに坐れば、窓際に飲み物を置いたりしてくつろげるのですが、ロングシートでは望むべくもないのでした。
 塩釜~小牛田間28分、小牛田~一ノ関間47分、一ノ関~盛岡間93分、盛岡~八戸間110分と、合計4時間半以上もロングシートに揺られ続けて、乗り鉄の私といえどもさすがにうんざりしました。しかし、新幹線を使わずに鉄道で八戸へ行こうとすれば、これらの鈍行を乗り継いでゆくしか仕方がないのです。快速すら定期列車としてはほとんど走っていません。朝の下りだけ単区間ですが「アテルイ」というのがあるのと、釜石線を走る快速「はまゆり」花巻~盛岡に乗り入れてきているのがせいぜいです。IGRや青い森鉄道には、以前はなかなか飛ばす快速電車が走っていましたが、なぜかやめてしまいました。新幹線に乗らなくても良いと思わせるほどのスピードだったので、JR東日本からクレームが入ったのではないかと邪推しています。

 さて、愚痴はこのくらいにして、塩釜で小牛田行き2541Mに乗ったところに戻ります。
 東北本線は、松島を過ぎると海から離れ、内陸に入りこんでゆきます。北上山地の末端をまわりこむようにして、北上川の流域に入ってゆくのでした。だんだん山が迫ってきますが、しばらくは平野で、田園風景が続きます。なんの変哲もない風景で、「あたりまえが幸せ」とは言うもののだんだん飽きてきます。
 小牛田着15時20分。小牛田は東に石巻線、西に陸羽東線を分ける交通の要衝で、昔は急行は確実に、特急もその多くが停車する大きな駅でした。後背の街がそれほど大きくないのに鉄道の要衝駅になっているところは、どこも独特の味があったものです。小牛田のほか、岩見沢新津直江津塩尻亀山などが該当しました。蒸気機関車の煤煙が、プラットフォームや柱にしみついて黒ずんでいるような印象です。駅弁を買いたくなる駅でもありました。
 しかしいずこも変わりました。特に小牛田などは、「こんな駅だっけ?」と眼を疑うような平凡な構えに成り下がっていました。プラットフォームは2面4線だけになっています。中の2線が東北本線、西側の1線が陸羽東線、東側の1線が石巻線の発着場となっていて、確かに合理的ではあるのですが、鉄道の要衝どころか、どうにもお手軽な郊外駅といった雰囲気になってしまっていました。いまだにたくさんある側線に列車が停まって、一種の操車場のようになっているあたりだけが、かつての要衝駅の名残りと言えるでしょうか。
 15分後に接続する一ノ関行き555Mには、同一プラットフォームでの乗り換えはできず、跨線橋を渡って隣のプラットフォームに行かなければなりません。なんだか不便です。どうせ短編成なのだから、同じプラットフォームの北側と南側に停めて乗り換えの便宜を図る、などやっても良さそうに思えました。
 その555M、15時27分に到着する上り552Mの折り返し列車のはずなのですが、時間になっても552Mが現れません。そのうち、10分ほど遅れているとアナウンスがありました。こんな短区間で、接続する支線なども無いし、行き違いや通過待ちなども考えなくて良いようなところで、なぜ10分も遅れるのかと思います。踏切事故などだったら逆に10分では済まないでしょう。
 ともかく遅れているようなので、小牛田駅のプラットフォームで待っていました。だんだん寒くなってきました。
 ところで、555Mは本来のダイヤだと、16時22分に一ノ関に到着するのですが、それに接続する盛岡行き1545Mは16時26分の発車、つまり一ノ関では4分しか乗り換え時間がありません。555Mが遅れた場合、ちゃんと待っていてくれるのか、やや心配です。待ってくれないで次の列車に乗るとなると、およそ1時間後になり、それだと八戸港からの船に間に合わなくなるおそれがあるのでした。仙石線に寄り道していたため、塩釜から先はすべて、乗り遅れるわけにはゆかない接続ばかりになったのでした。
 私が塩釜から乗ってきた2541Mは、小牛田で折り返しの2548Mとなって仙台に戻りますが、遅れている552Mを待っているようです。たぶん一ノ関で1545Mも待ってくれるとは思いますけれども、遅れが拡がったりするとどうなるかわかりません。
 結局アナウンスのとおり、552Mは10分遅れで、15時37分に到着しました。すぐに乗り込みます。折り返しのときに少し急いだようで、555Mとしては7分遅れで小牛田を出発しました。
 県境越えを含むので輸送需要が低くなるのか、555Mはたった2輌編成です。輸送の大動脈だった東北本線もみすぼらしくなったものだと嘆息します。
 最初のうちは多かった乗客もだんだんと下りてゆき、県境手前の石越ではかなり閑散となりました。私がうしろの車輛に乗っていたせいでもあります。555Mはワンマンカーで、途中駅もほとんど無人駅になってしまっているため、下車するときは運転席に近い前の車輛の最前方の扉からと決められているのでした。そうであってみれば、空いていればわざわざうしろの車輛にまでやってくる理由がありません。
 一ノ関近くなるとまた少し乗ってきましたが、さほど混むわけでもなく、また7分の遅れはあんまり取り戻せないまま終着駅に着きました。各駅停車なのでしょっちゅう停まらなければならず、その中で後れを取り戻すのはなかなか大変なのでしょう。しかも東北本線の北のほうは、もともとの設定時速がかなり速いのです。

 一ノ関の乗り換えも、同一プラットフォームでできるようにはなっていませんでした。1545Mに乗り換えるには跨線橋を渡らなければなりません。幸い1545Mは待っていてくれましたが、駅のアナウンスでも、また跨線橋の昇り口にも駅員が立って、
 「盛岡行きお乗り換えのかたはお急ぎください」
 とせかします。あわててエスカレーターに飛び乗り、スーツケースを下げて駆けあがったら、途中で見事にすっ転んでしまいました。その場でけつまずいただけで、エスカレーターを転げ落ちなかったのは僥倖でしたが、私も少しは齢を考えなければなりませんね。
 1545Mは5分遅れで一ノ関を出発しました。こんどは4輌編成です。いちばん前の車輛まで行ってロングシートに腰を掛けました。運転席にはふたり入っていて、停車や発車のシークエンスのときに聞こえてくる声の様子だと、新人の研修を兼ねているようでもありました。
 時刻は16時半を過ぎ、車窓はもう真っ暗です。もう少し明るくとも良さそうな頃合いですが、北上山地と奥羽山脈にはさまれていて山が近いあたりを走っているので、夕陽が早々と山かげに入ってしまったのでしょう。
 陽が暮れてしまうと、車窓を眺める楽しみも無くなります。途中で停まる駅だけがアクセントとなり、ほかは闇の中を走っているようなもので、山手線というよりも地下鉄に乗っているような気分になりました。
 時刻表と時計を見較べるくらいしかやることがなくなります。1545Mは、感心なことに徐々に遅れを取り戻しつつありました。5分遅れだったのが4分となり、3分となります。遅れが縮まる都度、運転士は「○○駅を×分遅れで発車いたしました」とアナウンスしましたが、いくぶん誇らしげに聞こえたのは私の思い過ごしでしょうか。
 そして盛岡の2駅前、岩手飯岡に至って、ついに
 「岩手飯岡駅を定刻に発車いたしました」
 とアナウンスがありました。定刻に発車したことなど、別にアナウンスしなくとも良いのですが、やはり5分の遅れを取り戻したのが得意だったのに違いありません。小牛田~一ノ関間の倍以上の時間を走り続けてこその回復でしょうが、よく頑張ったな、と電車に声をかけてやりたくなりました。

 盛岡で、JRとIGRの乗り継ぎをしたことは何度かあるはずなのですが、こんなことになっていたのだったかとあらためて驚きました。
 まず、一旦改札口を出なければなりません。そして駅ビルの中をしばらく歩き、その先、駅構内の片隅と言っても良いようなところに設けられたIGRの改札に入り直します。昔は山田線のディーゼルカーでも発着していたのかな、と思わせるような、本当に片隅なのでした。盛岡駅のプラットフォームが足りないなどということは無いので、経営体が変わったからと言ってこんなにあからさまに追い出さなくとも良いだろうと言いたくなります。
 駅ビルのNEWDAYSでおにぎりとお茶を買います。この日はそれまで、家から持ってきたパンを食いつないできただけで、昼食というほどのものを摂っておらず、いささかおなかが減っていました。
 IGRの改札のところで、ちょっとトラブりました。私の持っている切符の券面には、「東京都区内→本八戸」と記されているのですが、それを見た改札の女の子が、
 「あれっ、この切符じゃあこっちには乗れないんじゃ……」
 と言い出したのです。
 そう言い出した理由は私にも見当がついていて、この区間であれば、普通なら新幹線を使うはずなのです。そして、盛岡までなら新幹線と在来線が同じ企業体(JR東日本)の運営だから問題ないのですが、その先、八戸まではJRとIGR(&青い森鉄道)に経営が分かれてしまいます。すると、新幹線、つまりJRを使うようになっている切符だと、IGRなどには乗れないことになるわけです。
 しかし、すぐに女の子の上役らしき駅員が出てきて、券面をもういちど精読しました。
 「おっ、ここに『目時』って書いてある。乗れるよ」
 と、上役は細かく書かれた「経由」の欄を指さしました。その欄には、「常磐線・東北線・目時・八戸線」と書かれていたのです。目時というのはIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の境界となる駅で、山の中の小駅であり、もちろん新幹線の駅はありません。経由欄に目時と書かれているということは、IGRと青い森鉄道を経由するという意味で、新幹線は使わないよ、という意思表示になります。それにしても経由欄は非常に小さい活字で記載されており、馴れていない駅員だと見逃してしまいそうです。
 無事に無罪放免となり、また2輌編成の電車4539Mに乗り込みました。4本めのオールロングシート車です。上にも書いたとおり、IGRや青い森鉄道には、クロスシートの車輛もありましたから、オールロングシートに当たってしまったのは私の運の無さと言って良いでしょう。
 18時15分盛岡発。もうすっかり夜汽車の趣きです。
 夕方に県都から出発する列車なので、最初はけっこう混んでおり、立ち客も目立ちましたが、駅に着くたびに下りてゆきます。新たに乗ってくる客はあまり居ません。
 車窓を見ても闇が拡がっているばかりで、私は何やら修行でもしているような気分でロングシートに揺られていました。だんだん時間の進行が早くなってきた気がします。だいたい4~6分おきくらいに駅に停車するのですが、発車したと思ったらすぐに次の駅に着いているように感じられるのです。地下鉄に長時間乗っていたりするとそういう現象が起こりやすいようで、地下鉄まがいのロングシートの夜汽車でも、同じような現象が発生しているのでしょう。
 一戸など、昔はたいていの特急が停車する駅でしたが、いまはただの小駅にしか思えません。次の二戸のほうが乗降客が多かったようです。金田一温泉を過ぎると県境を越えます。経営の変わる目時では、乗ってくる人も下りる人も居ませんでした。
 三戸では残っていた客も大半が下り、残るは私を含めてたった3人となりました。
 この三戸で、ちょっとしたアクシデントがありました。私の近くに坐っていたおっさんもここで下りたのでしたが、そのときに
 「領収書を出して貰えんかね」
 と運転士に要求したのでした。
 ローカル線でそんなことを要求する客は滅多に居ないので、運転士も面食らった様子でした。普通なら駅で手配することですが、あいにくとIGRや青い森鉄道では、ほとんどの途中駅を無人にしてしまっています。私が乗っていた4539Mでも、発駅の盛岡と終着駅の八戸以外、「乗車券や運賃は、駅の改札口でお出しください」とアナウンスのあった駅はひとつもありませんでした。かつて特急や急行で賑わった三戸も、いまや寂しい無人駅なのでした。
 それで、領収書なども運転士が発行しなければなりません。領収書綴りを取り出したり、必要事項を記入したりするのにもなんだか手間取っています。またおっさんのほうも、何やら面倒くさい記載を求めているようです。
 片が付くのにずいぶん時間がかかり、電車は三戸駅を7分遅れで発車しました。なるほど、ローカル線が遅れるのには、悪天候とか事故とか以外に、こんな理由もあるのだな、と納得しました。小牛田に向かう552Mでも、あるいはこんなことがあったのでしょうか。
 しかし、この遅れを、青い森鉄道の電車は、八戸までの40分あまりのあいだに、ほぼ取り戻してしまいました。JRよりも速度の縛りがゆるいのかもしれません。途中駅では下りる客も乗る客もまったく居なかったので、停車時間を切り詰めたようでもあります。いやお見事でした。

 終着駅・八戸で下りたのは3人だけでした。ここは盛岡と逆に、青い森鉄道のほうが幅を利かせている感じです。新幹線は別として、JRの八戸線の乗り場が、片隅という風になっています。
 八戸線には、ほんの2駅だけ乗ります。2駅めの本八戸が、私の切符の目的地でした。
 もともと本八戸が「八戸」という駅名で、いまの八戸駅は「尻内」と言いました。昭和40年代なかばくらいまでは尻内駅であったと思います。いつの間にかその尻内駅が八戸という駅名を僭称し、もとの八戸には「本」がつけられて本八戸となりました。
 たぶん「尻」の字が雅ならざることで地元が気に食わなかったのではないかと思います。いまの北上駅ももとは黒沢尻という駅名でした。東北地方には「尻」のつく地名がたくさんあったとおぼしいのですが、駅名からはほぼ追放されてしまいました。
 駅名は奪っても、八戸市の中心街というべきエリアはやはり本八戸のほうで、八戸は駅前もひっそりとした、ただの分岐駅に過ぎませんでした。新幹線が通ってから、ようやく独自の発展が見られるようになった気配があります。
 八戸の港もまた、本八戸に近い場所にあります。本八戸駅からフェリーターミナルまでのシャトルバスが出ているというので、私は八戸ではなく本八戸への切符を入手したのでした。
 八戸線は非電化路線です。列車は2輌編成で、最近のJR東日本のディーゼルカーの基本レイアウトというべき、片側2列、片側1列のクロスシートになっていました。なぜこのレイアウトを電車にも使わないかと思います。鈍行乗り継ぎの旅の最後だけ、わずかな区間のみクロスシートに坐って、私は憮然としました。
 途中駅の長苗代は片面駅でしたが、本八戸は島式1面2線の、郊外駅のようなたたずまいの駅でした。高架にもなっています。なんだかローカル線の駅とは思えないような結構です。駅舎も立派なもので、「本八戸駅」と毛筆体のような堂々たる駅名が掲げられていました。
 駅前のバスターミナルにはあんまりひと気はありませんが、向こうのほうを透かして見ると明らかに商店街のような通りが見え、大いに賑わっているようでした。本八戸駅周辺は、いまなお八戸市の主要部分であることが窺われました。
 しばらく待っていると、シャトルバスが到着しました。見てみると、どうやら八戸駅から走ってきたようでしたが、本八戸まで来たことを後悔はしません。
 このシャトルバス、早朝とこの夜間の2便しか走っていません。苫小牧へのフェリーは一日4便就航しているのですが、昼間の便のためには走らせていないのでした。ならばほかの路線を使うのかと思うと、フェリーターミナルまで行っている路線はほかには皆無です。昼間の船に乗ろうとすると、タクシーでも使うしか仕方がないのでした。もともとフェリーであって、クルマで来る客がメインターゲットなので、文句を言う人も少ないのでしょう。
 本八戸駅から15分ほど、停留所にはいちども停まらずにフェリーターミナルに着きます。21時05分着といったところ。フェリーの出港は22時00分ですが、案内を見ると
 「徒歩のかたは60分前までに手続きをお済ませください」
 と書いています。シャトルバスの時刻を考えると、60分前というのは物理的に不可能です。窓口へ行って、「もう時間切れです」と言われたらどうしようかと思いましたが、そんなことはなく、普通に対応して貰えました。
 うちでプリントアウトして持って行った予約票を出すと、船客名簿に記入する手間が省けます。乗船券と、個室のカードキーを渡されました。船旅に出る実感が湧いてきます。
 もっとも、乗船前に売店で買い物をしていたときに、うっかり肝心の乗船券とカードキーを落としてしまったらしく、いざ乗船しようとすると見当たらず、泡を食ってターミナルに戻ると、名前を呼ばれました。拾っておいてくれたようです。いや肝が冷えました。
 川崎近海汽船運航のカーフェリー、シルバーエイト。1万トンあまりのなかなか大きな船です。私は二等寝台を予約していました。窓の無い狭い部屋に二段ベッドが置かれています。混むときは相部屋になることもあるのでしょうか。正直寝るだけなので構わないとはいえ、微妙に息が詰まりそうな部屋ではありました。
 たぶん一等寝台だと窓のある部屋になるのでしょう。特等室というのもあって、いろいろアメニティなども揃っているようです。
 個室でない、二等の大部屋もありましたが、大部屋と言ってもかつての青函連絡船の床席のようなものではなく、開放型の二段ベッドが並んでいました。
 青函連絡船は、約4時間かけて青森函館を結んでいましたが、この八戸~苫小牧便は8時間かかります。いままで国内で乗った船では、中学生のころに竹芝~苫小牧の船で2泊したのが最長ですが、8時間というのはそれに次ぐ長さです。青函連絡船の4時間というのは、寝るつもりになると少々短く、いつも寝不足で港に下り立っていたものでしたが、8時間あればぐっすりと眠れるというものです。
 JRの連絡船こそ無くなりましたが、青函間の民間フェリーはまだ運航しています。ただ青森側も函館側も、駅からはやや不便で、クルマが無いとなかなか乗りにくく、まだ一度も使っていません(函館~大間の便には乗りましたが)。今回も夜行便の青函フェリーを最初は使おうとしたものの、函館港から函館駅へ移動し、そこから札幌まで列車に乗ったりしていると、いろいろ面倒くさいし、10時からのリハーサルに間に合うかも微妙でした。
 6時に苫小牧港に着き、そこから札幌に直行する高速バスに乗ると、8時半ごろに札幌駅に着けます。朝食やその他朝の支度を済ませてリハーサル会場に向かえば、ちょうど良い頃合いでしょう。このルートに気がついたときには、思わずガッツポーズをとったものです。時間的にちょうど良いばかりでなく、充分な睡眠時間もとれ、しかも運賃はさほどのこともありません。二等寝台だと、同じ区間をJRの鈍行で行くよりも安いくらいなのです。
 出港したあとで甲板に出てみたりしましたが、寒いのですぐに部屋に戻り、ぐっすりと眠りました。
 5時くらいに眼が醒めて、その後眠れなくなったので起き出しましたが、寝不足な感じはありません。勘定してみると7時間近く眠ったわけですから、充分です。

 定刻6時に苫小牧港に着きました。6時45分に「高速とまこまい号」なるバスが出ます。久しぶりの北海道の空気は、思ったより冷たくありませんでした。まあ天気予報でも、自宅周辺とそれほど違った気温というわけでもなさそうでした。14日、札幌を発つ日に急激に気温が下がるようです。
 「高速とまこまい号」に乗るときにスーツケースをトランクに預け、手回り品だけ持って座席について、その手回り品やコートなどを隣に置いていると、運転士から
 「お荷物は座席に置かないでください」
 と言われました。その意味はやがて判明しました。
 この高速バスは、高速道路(道央道)に乗るまで、苫小牧駅をはじめとして市内のいろんな停留所に、けっこうこまめに停車するのでした。そしてその停留所から、またけっこうお客が乗ってきて、ほぼ満席近くなったのでした。
 札幌に就業前に到着できる便なので、港だけでなく市内からの利用者がかなり多かったようです。JRはどうかというと、苫小牧~南千歳間というのはあんまり便利ではありません。南千歳以北では、新千歳空港発着の列車がわんさか走っているのですが、以南では便数が激減します。鈍行では坐れるかどうかわかりませんし、特急料金を払う気にもなれない……となると、苫小牧から札幌に仕事で出かけるには、この高速バスが便利ということになりそうです。
 途中の道路状況で、大幅に遅れるかもしれない、などと脅かされましたが、道央道も一般道もごく閑散としています。考えてみれば土曜の朝ですから、それも自然な話です。
 ほぼ時間どおりの8時半、札幌駅前に到着しました。札幌というところは、あいかわらず朝の遅い街で、以前にも早朝に到着した場合、ちょっとしたモーニングセットなどを食べられる喫茶店のたぐいすら無くて閉口したものでした。いままで旅していて、名古屋でも京都でも大阪でも、そんなことはいちども無く、札幌は人口が増えて大都会のような顔をしているけれども、そのあたりがやっぱりまだ田舎なんだなあ、と慨嘆しました。
 早朝とは言えない8時半くらいになっても、開いている店はごくわずかで、そのうちの一軒のベーカリーカフェで、えらく高いサンドイッチなどを食べて朝食としました。
 店は開いていないのに、行列ができています。いったいなんの行列かと思ったら、カフェで隣に坐っていた男女がそのことについて話していました。同じビルに入っているLoftで、クルトガというシャープペンシルを売り出すので、それを入手しようと並んでいたのだそうです。書いていると芯がクルクルまわって勝手にとがってくれるというシャープペンシルで、確かに便利ではありますが、そんなに大行列を作るほどのものかという気がしました。
 ときに、私はマスクの下につけるフレームを忘れてきていました。これを装着しないと、歌ったりするときに、息を吸った瞬間マスクの布が口に張りついたりして、思わぬ事故が起こりやすいのでした。出がけに家の近くのコンビニで買おうとしましたが、コンビニでは置いていないようです。マダムにLINEで訊いてみると、百円ショップで売っているとのことだったので、札幌に着いたら行ってみようと考えていました。
 同じビルの地下2階にキャンドゥが入っていて、そこは9時から開いているというので、朝食を食べ終わってから行こうとしたのですが、地下2階に通じる階段がどこにも見当たりません。階段は地下1階の食品街の中にあるらしいのですが、そこは10時開店らしく入ることができないのでした。なんだか、ゲームで隠し階段を見つけるミッションでも遂行しているような気分になりました。
 その辺に居た警備員に訊いてみると、非常に大回りをして、ビルの反対側と言って良いほうまで行ってエスカレーターを下りたら、キャンドゥの入り口があると教えられました。
 目的の品はすぐに見つけられましたが、それにしてもなんでこんなに不便なことになっているのだろうかとあきれました。
 さて、これでもう準備は万端です。リハーサル会場は札幌駅の北口から7,8分のところにあります。いよいよそちらに向かうとしましょう。
 この項、続きます。

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