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どうなる渋谷駅 [世の中]

 年明けの1月7日8日に、渋谷駅の工事があるため、山手線の外回り線が運休になるという広告が、電車の車内や駅に掲示されていました。大崎から池袋まで止めるようです。そのあいだの各駅の利用者は、内回り線か振替交通機関を使うようにとのことでした。
 この2日間に山手線を使う用事は無かったなと思いましたが、そういえば8日には尾山台に行くのであったと思い出しました。うちからだと京浜東北線大井町に出て、東急大井町線に乗り換えれば楽に行けるのですが、帰りに渋谷だの目黒だのから山手線に乗り換える気にならないとも限らないので、いちおう気に留めておかなければならない、と考えました。
 それにしても渋谷という駅は、あまりに変貌が激しくて、いったい最終的な形をどうするつもりだろうかと首を傾げたくなります。いままでのところ、手を加えれば加えるほど不便になっているという気がしてなりません。今回の工事は、これまで二面二線であった山手線のプラットフォームを、一面二線に組み替える、つまり外回りと内回りを同じプラットフォームにするということらしいのですが、それでこれまでより格段に利便性が上がるとは、どうも思えないのでした。むしろ渋谷のような乗降客数の多い駅では、双方向のプラットフォームを分けておいた方が混雑が抑えられるのではないかと思ったりします。

 渋谷は、昔はなかなか使い勝手の良い駅でした。幼少時代を渋谷で過ごし、長じても井の頭線沿線に住んでいた宮脇俊三氏もそうおっしゃっています。複雑でわかりづらいと批判する人に、

 ──あそこは、慣れると実に使いやすい駅なのですよ。

 と反論することもしばしばだったとか。私も同感です。
 宮脇氏は、どこがどう使いやすいのかという説明を、文中ではしていませんでしたが、私が補うとすれば、

 ──どの路線からどの路線へ乗り換えるのでも、ほとんどストレスが無かった。

 ということになります。
 そのころ渋谷駅に集結していたのは、国鉄(=JR山手線京王帝都(=京王井の頭線東急東横線営団(=メトロ銀座線でした。もう少し前には東急玉川線玉電)も走っていました。国鉄こそ単独駅でしたが、ほかに私鉄が3~4路線も集まっているのは、当時の東京都内では数えるほどしかなく、交通の要衝と言って良かったでしょう。
 そして、これら各線を乗り換える動線が、非常にうまくできていたのです。
 私も井の頭線沿線にしばらく住んでいたので、井の頭線からほかの路線への乗り換えについては実感を持って述べることができます。まず山手線ですが、外回り線には階段無しで乗り継ぐことができました。外回り線に面した玉川改札が、乗り換え通路と同一平面に存在したのです。これは非常に便利で、私は特に井の頭線から外回りに乗り継ぐことが多かったので、まさにストレスフリーでした。
 内回り線に乗るには、「渋そば」の脇の階段を昇らなければなりませんでしたが、ここはそんなに長い階段ではなく、せいぜい1階分です。昇った先に中央改札があり、内回り線にはそこから乗ることができました。もちろん、地上に下りてハチ公口などから入る方法もありましたが、渋谷駅の地上は、いまほどではなくてもごった返していて、あまり使う気にはなりませんでした。
 その中央改札を横手に見て、そのまま通路を進めば、東横線乗り場につながっていました。その頃は、井の頭線から東横線に乗り換えるのがいちばん遠かったはずですが、それほどは歩かされず、比較的楽に乗り換えができたと記憶しています。
 さらに銀座線。戦前から

 ──東京の渋谷じゃ地下鉄が、ビルヂングの3階から出入りする、ハハのんきだネ

 と歌われていた高架駅でした。昔の地下鉄はそんなに深いところを通れず、銀座線は宮益坂を突き破って渋谷の空中に出て来ざるを得なかったのです。しかし山手線の直上を直交する形で駅が設けられたため、西側の井の頭線にも、東側の東横線にも、直接下りられるようになっていたのでした。もちろん山手線の中央改札からは同一平面で乗り換えができました。
 玉電のターミナルがどのあたりにあったのか、昭和44年に廃止されたので私自身の記憶としては残っていませんが、おおかた現在の西口バスターミナル附近ではないかと思います。山手線が高架線であったために、その下をくぐることで、東口側からもそう面倒でなく乗り換えられたはずです。
 つまり渋谷駅は、地上階に玉電、2階に山手線・井の頭線・東横線、3階に銀座線があって、相互の連絡がきわめて楽な構造をしていたわけです。小田急と京王が同じ側にあり、なおかつ地下鉄丸ノ内線の乗り場とかなり離れている新宿駅などと較べれば、使い勝手の良いことおびただしかったと言って良いと思います。

 その後、昭和52年に、東急新玉川線(現田園都市線)が開通しました。そして地下鉄半蔵門線と直通することになりました。
 新玉川線と半蔵門線は、直通しているのでもちろん至便でした。こちらは銀座線とは違い、地下鉄らしく地下に駅ができたのです。
 この新駅も、山手線と直交する形で設けられたので、井の頭線側からも東横線側からも、わりに簡単に乗り換えができました。銀座線とは3階差が生じたのでちょっと乗り換えづらくなりました(当初はエスカレーターやエレベーターは設けられなかった)が、隣駅表参道で、銀座線と半蔵門線が同方向同一プラットフォームで乗り換えられるようになっていたので、事実上は問題ありませんでした。銀座線はいつ乗っても混んでいるため、ぜひとも始発駅である渋谷から乗りたい、と切望する人以外は、渋谷で乗り換える必要が無かったのです。
 そんなわけで、新玉川線と半蔵門線が乗り入れてきても、渋谷駅の利便性はまだ保たれていました。

 それが怪しくなってきたのは、およそ20年後、平成8年に、埼京線恵比寿まで延伸になったころからです。
 最初は池袋発着であった埼京線は、その後山手貨物線を利用して新宿まで延伸しました。しばらくは新宿発着でしたが、貨物線をさらに先まで活用し、恵比寿に発着することになったわけです。
 埼京線は山手線西側の快速相当列車として扱われているので、代々木原宿には停車しませんでしたが、さすがに交通の要衝たる渋谷を通過するわけにはゆかず、プラットフォームが設置されました。ただ、貨物線は山手線の東側を通っており、そちらには東横線のターミナルが、ほとんど隙間無しに並んでいます。
 東横線の渋谷ターミナルは、五面四線を持つ堂々たるものでした。東京の私鉄のターミナルは、関西のそれ──たとえば阪急梅田駅、南海難波駅などに較べ、土地代などの関係もあって貧弱なものが多いのですが、ただ東横線の渋谷駅だけは、関西のターミナルに匹敵する風格を備えていると言われていました。しかし、それがあるために、埼京線のプラットフォームは、山手線のプラットフォームに並べて設置するわけにはゆきませんでした。それだけのスペースがとれなかったのです。
 それで、ずっと南にずらし、東横線のターミナルビルが途切れたあたりに埼京線を停めることにしたのでした。山手線から乗り換えるためには、長い通路を歩かなければなりません。途中には動く歩道が2基も設置されたほどでした。
 埼京線のプラットフォームから直結する改札口(新南口)も据えられましたが、そこからは渋谷駅の南側に出られるというだけで、ほかの私鉄線との連絡はまったく図られていませんでした。新南口近くにJR直営のホテルメッツが建ってからは多少利用者も増えましたが、それまではなんのためにある改札かわからないくらいで、大多数の乗客は長い通路を歩いて中央改札を出入りしていたのです。つまり、ほかのどの路線とも、その長い通路分だけ乗り換えが不便になったわけです。
 それでも、「埼京線だけ遠い」ことに眼をつぶれば、渋谷駅の使いやすさはまだ失われていませんでした。

 暗雲が垂れ込め始めたのは──といささか大げさな表現で言いますが──、翌平成9年の暮れからでしょう。
 このとき、井の頭線の改札が100メートルほど後退しました。数年後に渋谷マークシティが完成する予定で、そちらに乗客を誘導する意図であったと思われます。ターミナル駅の乗り場を引き下げて、そこに商業施設を並べて客にお金を落として貰おうと画策するのは、あちこちの鉄道会社がやっています。阪急の梅田駅なども同じことをしていましたし、もう無くなった十和田観光電鉄十和田市駅なんてところでさえ試みていました。買い物客には良いのかもしれませんが、通勤客にはおおむね不評です。100メートルを歩くためには、かなりの速足であっても1分、普通の歩きかたなら1分半はかかります。わずかなものと思われるでしょうが、通勤時にそれだけ余計に歩かされることになるのは、けっこうなストレスなのです。
 ともあれこれにより、井の頭線とほかの路線との距離が開きました。
 しばらくはこの状態で推移しましたが、平成25年、東急東横線とメトロ副都心線の直通運転が開始されました。このあたりから、渋谷駅の「迷宮化」がはじまります。
 東急は、東京で唯一、関西の私鉄ターミナルに比肩しうる存在であった東横線渋谷ターミナルを放棄し、渋谷駅をメトロと直通するための地下駅として作り直しました。このとき、同じ会社である田園都市線=半蔵門線とは、改札を通ることなく乗り換えられるようにしたのですが、その乗り換え通路はかなりややこしく、自分がどちらを向いてどのあたりに居るのかがよくわからなくなりました。まして、ほかの路線との乗り換えはそれに輪をかけてわかりづらくなったのです。
 渋谷地下駅が、もとの東横線ターミナルの直下にでも造られていれば、まだわかりやすかったでしょう。しかし、地下駅は東横線ターミナルのさらに東側、明治通りの下に設置されたのです。これにより、単純に言っても距離が伸びたわけです。そして距離が伸びた分を、ただ直進しないで妙に折れ曲がった道でつないでいるために、さらに道のりが長くなりました。
 井の頭線・東横線ともに、山手線から離れたわけです。
 さて、東横線ターミナルが無くなったので、埼京線プラットフォームを山手線の隣に作るスペースを空けることができました。それで、山手線と埼京線のプラットフォームを並列させる工事がはじまりました。
 工事は令和2年に完成したのですが、この年にはいろいろなことが起こっています。
 井の頭線側からせっかく同一平面で乗り換えられていた玉川改札が、なぜか廃止されました。井の頭線から山手線に乗るためには、階段上り下りが必須となったのです。
 さらに、銀座線の駅が東側に移動しました。これにより、東横線=副都心線との距離は若干近くなりましたが、井の頭線側からダイレクトに乗り換えるということが困難になりました。要するに、井の頭線は自分が駅を後退させたばかりでなく、ほかの接続路線からいずれも距離をとられてしまったということになります。
 現在のところ、山手線と銀座線は比較的乗り換えやすい位置にありますが、東横線=副都心線と銀座線は、平面距離では多少近づいたとしても、3階と地下3階という関係で、乗り換えは至って面倒くさくなっています。せめてダイレクトにつながるエスカレーターでもあれば良いのですが、そんなものはありません。
 かつて、どの路線からどの路線に乗り換えるのでも、ほとんどストレスを感じなかった渋谷駅は、いまやどの路線からどの路線に乗り換えるのにもえらく歩かされる、しかもどう歩いているのかを実感しづらい、迷宮のような駅となってしまったのです。井の頭線の後退よりのち、渋谷駅は手を加えれば加えるほど、使いにくい不便な駅になってゆきました。

 私の実家の最寄り駅は井の頭線の新代田です。自宅から新代田へ向かう場合、新宿から京王線に乗って明大前で乗り換えるという方法と、渋谷までJRで行って井の頭線に乗り換えるという方法がありました。後者のほうが乗換は少ないのですが、運賃が高くなります。それでしばらく、渋谷駅をあまり使わない時期がありました。
 最近になって、渋谷駅を使う機会が増えたのですが、連絡通路などの様子が、私の知っている渋谷駅ではなくなっていたので大いに驚きました。とにかく、山手線から井の頭線への乗り換えがえらく面倒くさくなったイメージでした。たぶん、以前は途中に通過していた東急東横店が無くなったため、その部分が見慣れぬ通路となって、私の記憶にある渋谷駅と食い違っているのでしょう。
 山手線だけでなく、メトロから井の頭線への乗り換え機会も増えました。母が5月に怪我をして以来、週末などに実家に立ち寄ることが多くなり、土曜日だとピアノ教室から直行することになります。それだと、戸塚安行から埼玉高速鉄道に乗り、そのままメトロ南北線に直通して、銀座線か半蔵門線に乗り換えて渋谷へ向かうというルートをとることになります。
 南北線と銀座線の乗換駅である溜池山王は非常にうまくできていて、途中の乗り換え通路もほとんど無く、ただ階段やエスカレーターを上り下りするだけで乗り換えられます。だから最初のうちは銀座線に乗り換えていました。
 ところが上記のとおり、銀座線と井の頭線の乗り換えは、お互い駅を後退させたため、妙に遠くなってしまいました。
 その後、永田町で半蔵門線に乗り換えてみたら、意外なことに、このほうが乗り換えがしやすい印象だったのです。永田町の乗り換えは溜池山王に較べればだいぶ遠いのですが、渋谷駅の乗り換えは、地下街の東急フードショウを経由すると、驚くほど楽でした。フードショウの中を通ってマークシティの地下1階に出ると、エスカレーターやエレベーターがあって、井の頭線の改札のすぐ近くに出ることができます。歩く距離は銀座線の場合とさほど変わらないのかもしれませんが、通路に店が並んでいるので気がまぎれるということもあるのでしょう。そうでなくとも、階段を使う部分が非常に少なくて済むのはストレスフリーです。
 井の頭線と乗り換えるのにいちばん楽なのが、田園都市線=半蔵門線ということになってしまっているとは、正直たまげました。
 私の妹は田園都市線沿線に住んでおり、実家に行くときはまさにこの乗り換えを利用しています。渋谷駅でこの乗り換えがいちばん楽になった、と私が言うと、彼女も賛同しました。
 渋谷駅の形がいちおう落ち着くのは、2027年令和9年)予定なのだそうです。それまでは工事中ということで、不便が続くであろうことはまあ良いとして、はたして各事業者や都市計画者が、渋谷駅をどうしようとしているのか、いまのところさっぱりわかりません。完成予想図のようなものもあまり見た憶えがないのでした。
 「ごちゃごちゃしているようだけれども、慣れるととても使いやすい」駅であった渋谷。各路線がうまく有機的に組み合わさっていたはずの渋谷駅は、いまや各路線てんでんばらばらの印象を受けるものになっています。いったい、渋谷駅はどこへ向かおうとしているのでしょうか。
 年明けの工事で、山手線のプラットフォームがひとつになります。すでに玉川改札が廃止され、外回りのプラットフォームが西側にある意味はなくなっているので、これによって利便性がそう大きく変化するということはなさそうですが、イメージとして、「またひとつ不便になるのか……」と思えてしまうのはやむを得ないと思います。いじればいじるほど不便になってゆく駅という汚名を払拭できる日は訪れるのでしょうか。はらはらしながら見守ってゆくしかなさそうです。

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