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「メリー・ウィドウ」公演 [日録]

 例年だったら板橋ファミリー音楽会が開催される頃合いなのですが、今年はやらないことになりました。その代わり、オペレッタ「メリー・ウィドウ」を上演することになったのでした。
 去年、4月~9月くらいまでのあいだ、改装工事のため、いつも会場にしている板橋区立文化会館が使えなかったことが関係していることは確かなのですが、ファミリー音楽会をやめてオペレッタ公演にしたいきさつがどうも思い出せません。いつも6月ごろにやっているオペラ公演が去年は流れてしまったのでそうなったのだったか、オペラ公演に付随してやっている「いたばし区民参加プロジェクト」を続けるためにやらざるを得なかったのだったか。「メリー・ウィドウ」案を出したのはどうも私だったような気もするのですが、そのあたり、ずいぶん前のことでもあって記憶があいまいです。
 ともあれ、その「メリー・ウィドウ」本番がありました。この演目は、14年前の2009年にいちど上演したことがあります。板橋のオペラ公演では、複数回上演している演目もいくつかあるのですが、14年ぶりというのはかなり間があいたほうではないかと思います。
 ひとつにはこのオペレッタは、男性の出演者が多くて、慢性的男性歌手不足の板橋区演奏家協会では扱いづらかったという事情もあります。男7人による「七重唱行進曲」なんてのもありますし、そのほかにも男声合唱がけっこう活躍します。女声合唱のほうはどちらかというと賑やかしといった印象です。また女性出演者も多いには多いのですが、これも普通のオペラで言えば「アンサンブル」扱い程度でしかなく、本格的に歌うのはハンナヴァランシェンヌくらいなものなのでした。それで逆に、慢性的女性歌手過剰の板橋区演奏家協会では扱いづらい、ということもありました。
 ただ、『セーラ』初演のころから、オペラ公演では、協会の中では足りない人材を、外部の歌い手にオーディションを受けて貰って補うという方法を導入しています。今回もそういう方法を併用したりして男性歌手を集めたようです。
 いつもの、6月ごろのオペラ公演と違って、新春と言って良い時期の公演で、かえってほかのイベントとバッティングしている人が少なくて、人が集まりやすかったということもあったのかもしれません。とにかく華やかな舞台となりました。
 ところでこの芝居、男爵(ツェータ)と子爵(カスカーダ)と伯爵(ダニロ)が出てくるのですが、役柄を見るとどう考えても男爵がいちばんえらそうで、子爵がそれに次ぎ、伯爵が下っ端のように見えます。爵位と地位がまったく逆転しているなどということは、当時(19世紀と20世紀の変わり目の頃)はよくあったのでしょうか。ボグダノヴィッチやらプリチッチュやら、へんてこな名前が多いのは「架空の国の話」だからという説明がよくされますけれども、もしかしたら「この(架空の)国では爵位も普通とは逆なんだよ」という設定なのかもしれませんね。

 さて、オーケストラのほうも、人が集まりやすかったのでしょうか、あるいはインペク(オケメンを集める係)がとても張り切ったのかもしれませんが、常に無いほどの規模となりました。
 木管セクションなどは、なんと原曲よりも人数が多かったりしたのです。つまり、原曲はフルート・オーボエ・クラリネット・ファゴットが2本ずつのいわゆる二管編成で、人数は8名であるわけですが、いつもはファゴットが集まりづらく、代わりにサクソフォン(テノールとバリトン)が入ったりしていたのです。ところが、今回もそのつもりでいたところ、あとになってファゴットが1本加わると知らされたのでした。
 もちろん、サックスとファゴットの音色はまったく違いますので、和音の一部として用いるならともかく、ファゴットのソロ的な部分では、代用品でないファゴットを使えるのは非常にありがたい話です。しかし木管セクションが原曲よりも多い9名となってしまったのは驚くべき事態でした。木管低音部を、サックス2本とファゴットに割り振る必要が出てきて、アレンジャーとしては多少頭を使いました。
 今回のサックスは、原曲のファゴットパートよりも、むしろホルンを補う場面が多かったかもしれません。原曲のホルンは4本なのですが、今回集められたのは2本だけでした。しかも「メリー・ウィドウ」のスコアを見てゆくと、ホルン4本でいわゆる「ホルン・ブランケット」と呼ばれる背景和音を鳴らすところがかなり多く、2本だけではちょっと音が不足だったのです。それでサックスに手伝って貰うことが多くなりました。木管のカテゴリーなれど金属製楽器であるサックスは、ホルンと組み合わせてもわりに違和感がありません。
 トランペットは原曲も2本、集められたのも2本なのでそのまま使えます。トロンボーンは原曲が3本のところ2本だったのでやや不足気味ですが、しかしほとんどは和音としての使いかたばかりだったので、なんとかほかの楽器で補うことができました。
 打楽器はティンパニを含めて3名。原曲は、スコアには何人という指示がはっきり示されていませんが、たぶん最低4名を要するのではないかと思われます。「グランカッサ(大太鼓)」「合わせシンバル」「スネアドラム(小太鼓)」という3種が同時に出てくることが多いのでした。この3種のどれか2種をひとりで演奏するというのは無理です。合わせシンバル(クラッシュ・シンバル)が吊りシンバル(サスペンデッド・シンバル)ならば不可能ではなさそうですが、あいにくと合わせシンバルと吊りシンバルの音色はかなり違うのでした。
 ただし大太鼓と合わせシンバルは同じ動きをしているところがほとんどで、大太鼓をほとんど省略してしまうことにしました。なにしろ大音量なので、弦セクションの人数が少ない今回のオケでは、常時大太鼓が鳴っていてはかえってうるさいだろうという判断です。あとはトライアングルやグロッケンシュピール(鉄琴)が登場しましたが、これらは持ち替えで対処できます。
 弦セクションが少ないのは、集める手間からも、ギャラの予算からも、仕方のないところがあります。理想的には、第一ヴァイオリン・第二ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスが、プルトというふたりひと組の単位で、5・4・3・2・1(人数で言えば10・8・6・4・2)などとなっているのが好ましいのですが、今回は人数で3・3・2・2・1に過ぎませんでした。とはいえ、全パートが揃っているだけでも、昔のことを考えればありがたい話です。14年前のスコアを見たら、なんと弦はヴァイオリンが1挺だけでした。その代わりサックスが充実していて、弦楽合奏の役割をサックスアンサンブルに託していたことを思い出します。
 人数は少ないものの、みんなしっかり弾いてくれていて、しょぼい感じはしませんでした。特にコントラバスは、全体で多用されているワルツの部分などになると、単独でベースを担わなければならないことが多かったのですが、しっかりオーケストラを支えていたと思います。本来は、チェロが一緒に低音を支えるはずなのですが、レハールのオーケストレーションでは、チェロは第一ヴァイオリンのオクターブ下で旋律を重ねたり、あるいは対旋律を奏でたりといった役割が多くて、あんまりベースに参加してくれないのでした。また「ヴィリアの歌」などでは、ヴァイオリンのソロが4人必要となります。3人の第一ヴァイオリン奏者を第1~第3ソリストとして使い切り、さらに第二ヴァイオリンからもひとりを第4ソリストとしてひっこぬき、残るふたりはdivisi(パート分割)となっていて、結局6人ともソロになってしまった、なんてこともありました。
 それにしても、この曲のヴァイオリンは重音が非常に多く、オケの中でこんなに重音を使って良いのかと眼を瞠るほどでした。
 アレンジは去年の10~11月におこないましたが、そのころの日誌に特に記載していないのは、特に頭をしぼらなければならなかった箇所があまり無かったからかもしれません。原曲の編成とかなり似てきているので、アレンジをしているというよりも、写譜をしているという気分のほうがまさっていた気がします。弦セクションなどはほとんど写すだけでしたし、木管の大半(フルート、オーボエ、クラリネット)も同様。打楽器も大太鼓を抜いたくらいでほぼそのままです。上に書いたように、金管の一部とサックスをからませるあたりにしか、編曲者としての創意は活かせませんでした。
 むしろ、細かい原譜の音符を読んで写し取る作業が、老眼が進みつつある身にはしんどかった、という慨嘆が大きかったようです。
 原譜はドブリンガー社から出ているスタディスコアを用いました。A4判とB5判のあいだくらいのサイズです。B5判かもっと小さい、いわゆるミニチュア・スコアは出ていません。そもそも「メリー・ウィドウ」のスコアというのはなかなか入手しづらく、前回も分担して編曲した鈴木典子さんがどこかの音大の図書館で見つけてきてくれたものでした。「メリー・ウィドウ」に限らず、オペレッタのスコアというのはちゃんと作られていないことが多いのでした。上演の都度いろいろな箇所が変わったりするため、決定版が作られにくいようなのです。
 「メリー・ウィドウ」の場合も、レハールが自分で書いたスコアというのは現存しておらず、ドブリンガー社から出ているスコアも、誰かが手書きのパート譜や音源から「復元」したものに過ぎません。そのため、よく見るとけっこう怪しい箇所があります。まったく同じフレーズなのにスラーのかかりかたが違っていたり、スタカートがついていたりいなかったり、臨時記号が落ちていたりなどなど。今回のリハーサルにあたっても、不審に思った奏者から質問されたところが、「原譜でもそうなってる」と答えざるを得なかったことが何度もありました。
 そのように信用度が低い上に印刷が細かいので、まったく眼に悪かったと思います。指揮者が使用する大判のスコアもあったのですが、なんと4万円以上するので入手は断念しました。私の使ったスタディスコアですら1万2300円だかで、さすがに私費で購入するのはきつく、協会の予算で買って貰いました。だからこのスコアは私が協会から借りているだけということになります。まあ私以外に使う人は居なさそうですが、将来私が引退してから、誰かもっと若い協会員のアレンジャーがこの曲を手掛けることになったら、そのときは返却することになるのでしょう。

 演出上、原曲に含まれない曲も何曲もあって、そちらのほうも編成に合わせたアレンジが必要であり、むしろそちらに手間取ったようでもあります。レハールが生きていたころも、台本の都合で書き足したりしなければならなかったりしたのだろうな、と想像しました。「ヴィリアの歌」をそのまま間奏曲として使ったり、ほかの曲の一部を中途半端に引用したりしている箇所がけっこうあるのです。そういう部分の大半は今回はカットしていますが、代わりにほかの曲が入れられたのでした。
 第一幕のイントロダクションのあとに「ハッピーバースデイ」をくっつけたり、その直後のギャグの関係でズッコケ音楽をでっち上げたりしたのは、まあシャレみたいなものでしたが、第二幕の冒頭ではかなり大規模な「ガラコンサート」がおこなわれる演出になっていました。そのうち、「こうもり」の第三幕導入部と、ヘンデル『エジプトのジュリアス・シーザー』の中のアリアは、数年前にアレンジしたものを手直しするだけで済んだものの、「ウイーンの森の物語」全曲を入れるとなるとえらい騒ぎです。ヨハン・シュトラウス二世のワルツの中でも、500小節近い最大規模と言える作品で、なんだか書いても書いても終わらないような気がしたものでした。所要時間も長いし、全体のバランスとしてどうなんだろうかと思います。ワルツを演奏するなら、レハール自身の「金と銀」あたりにしておけば良いものを……と考えましたが、私は演出会議に招かれていないので仕方がありません。ちなみに「金と銀」は私が小学校時代の「お昼の放送」の最初と最後に必ずかかっていたので、懐かしさがあります。
 それから第三幕の「シャンソン」に続いて、「天国と地獄」の「例の部分(カステラ1番、電話は2番)」が引用されます。前回以来、ここのフレンチ・カンカンを見せ場にしているので、省略できなくなっています。
 そういえば先日テレビで、二期会公演の「天国と地獄」を見たのですが、あらためて通して観ると、このオペレッタも非常に面白いですね。いずれ板橋でもやってみたいように思えましたけれども、道具などが「こうもり」や「メリー・ウィドウ」どころではなく大変かもしれません。

 前回は私も合唱の一員として出演したのでしたが、今回はアレンジとオケリハーサル以外にはあまり関わっていませんでした。しかし、照明のキュー出しを頼まれたので、昨日のゲネプロと今日の本番、小部屋に詰めていました。キュー出しは前にもやったことがあり、そのときは調光室で、ほかの照明スタッフのかたがたと談笑しながらやっていた記憶があるのですが、今回はその隣の映写室にただひとり陣取って、インカムを頭につけてキューを出していました。なんでも、私がやっていないあいだに、ひとりのほうが気が散らなくて集中できるという意見が出たようです。キュー出しというのは何よりも集中力を要する仕事なので、それもやむを得ないでしょう。また調光室のコンソールが以前より大きくなったのか、楽譜や台本を拡げるスペースも無くなっていました。
 小部屋は客席の後方にあり、窓から舞台が見えます。しかしその窓から客席側に光が漏れては大変なため、真っ暗で、譜面台ライトの光だけが頼りです。インカムでスタッフとつながっているとはいえ、いささか陰気な作業であったと言えましょう。陰気なばかりか、昨日も今日も、第三幕あたりになると異様に寒くなってきて、コートを着込んでキュー出しをしていました。調光室だと暖房が入るのですが、映写室には暖房のスイッチらしきものが見当たらなかったのです。映写機は熱を発するし、フィルムが暖房のせいで傷むということもあるでしょうから、もしかしたらそもそも暖房は入らないようになっていたのかもしれません。
 私のキューでいきなり照明が変わるというわけではなく、そこからシークエンスがはじまるというだけなので、あんまり実感が得られません。はたして自分は役に立っているのだろうかとときどき疑問が脳裡をよぎりましたが、なんとか孤独な作業を破綻なく終えることができたと思います。寂しい仕事ではありましたが、途中、サス明かり(スポットライト)を操作しているふたりの女の子の声がちょくちょくインカムに入ってきて、
 「え~、ここどうすればいいの」
 「あれっ、この人たちこんなに離れてたっけ」
 「とりあえずこっちのほう追います」
 等々と言い合っているのを聴いていると、なんとなく癒されました。
 からだは特に疲れませんでしたが、集中が続いて、精神的にはいささか疲れていたようです。だいぶ肩がこっていました。しかし、裏方とはいえ、本番に参加できたという気分にはなれました。
 実は今年は、6月には通常のオペラ公演でまた「こうもり」をやります。何しろ忙しい話で、アレンジは前回のを手直しする程度で済めば良いのですが、さてどうなることやら。

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