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「私鉄の特急」を考える(2) [趣味]

 前回、首都圏の私鉄の特急列車について考えてみました。今回はそれ以外の地域について。
 とはいえ私は首都圏の私鉄に関しては、ある程度実感を持って語れるのですが、ほかの地方については、旅行者としての体験しか無いので、いろいろ語ることが的を射ているかどうかはわかりません。
 しかし、私鉄を乗り回すだけのために関西や中京圏にわざわざ出かけてゆくなんてこともしているので、少しは語る資格もあるかな、と思う次第です。

 まずはかつて「私鉄王国」と言われた関西圏。首都圏にも私鉄はたくさん通っているのに、なぜ関西圏が私鉄王国と呼ばれたかというと、国鉄何するものぞという気概のある会社が多かったこと、その気概に伴う実力も充分にあったからと言えるでしょう。
 たとえばターミナル駅ひとつとっても、阪急梅田南海難波近鉄上本町など、堂々たる構えと規模を持つ「これぞターミナル」と言いたくなる駅舎がいくつもありました。東京でこれらに匹敵するのは以前の東急東横線渋谷駅くらいなもので、東武のターミナル浅草も、西武のターミナル池袋も、小田急京王のターミナル新宿も、関西の私鉄ターミナルとは比較にならないくらいしょぼいものでした。
 もちろんそれには、地価の高さなどのやむを得ぬ事情もあったわけですが、首都圏の私鉄は、どこか国鉄の補完的存在という位置づけがあったように思えます。国鉄のほうからも、ふくれ上がるばかりの利用客をある程度肩代わりし、電車の混雑緩和に役立ってくれているという見えかただったようですし、私鉄側もいくぶんそれに甘んじているところがありました。この状態では、国鉄に真っ向から喧嘩を売るような体質にはなりません。
 これに対し、関西の私鉄は、国鉄の補完などという役割に満足してはいませんでした。隙あらば国鉄の客を奪うべく、「国鉄より良い」ところをアピールし続けました。阪神のフリークエンシー(運転頻度)、阪急の運転速度、京阪の車輛グレードなど、それぞれに得意技があり、その限りにおいては常に国鉄を凌駕していました。南海は戦前のある時期までは阪和間の輸送を独占していましたし、近鉄はその巨大なネットワークを活かした利便性が強みでした。そのアピールのために豪壮なターミナルを打ち建て、大きな百貨店を所有し、プロ野球チームを抱え、高速・豪華な看板列車たる特急を走らせました。「私鉄王国」の名は、そういう気概、独立心に向けての称賛の言葉であったように思うのです。
 それはもちろん、いまでも失われたとは思いませんが、しかし国鉄がJRになってからの捲き返しがものすごく、各会社の精彩もいまひとつすぐれなくなっているようにも感じられます。各社の特急を見較べつつ、そんなことも考えてゆきたいと思います。

 近畿日本鉄道の特急は、日本の私鉄の中では唯一「特急ネットワーク」を形成しています。
 複数の路線に特急を走らせている鉄道はいくつもありますが、せいぜい2、3線というところで、しかも各路線の特急の乗り換え便宜を図ったりはしていないところがほとんどです。それに対し、近鉄の特急は大阪線・名古屋線・山田線・鳥羽線・志摩線・湯の山線・京都線・橿原線・難波線・奈良線・京都線・南大阪線・吉野線ときわめて広範囲に走っています。まあこの中には、工事の都合による延長路線を別の名前で呼んでいるだけ(たとえば、山田・鳥羽・志摩線は実質的には1本の路線)というものもありますが、とにかく絢爛たるものです。
 奈良線特急のように比較的運行が独立しているところもあるものの、複数の特急の乗り換えの便宜を図っていることがけっこうあるのが近鉄の凄みでしょう。たとえば大阪上本町から伊勢志摩方面行き特急に乗ると、伊勢中川名古屋行きの特急に乗り換えられるようになっているのです。名阪特急という、大阪と名古屋を直通する列車もたくさん走っているのですが、もしそれに乗り損ねても、伊勢中川で乗り換えれば両都を行き来するのは用意です。しかも、伊勢中川の乗り換えがまたうまく考えられていて、ほとんどの場合は階段を上り下りすることなく乗り換えられるのでした。
 また京都から吉野へ行く場合、京都・橿原線と吉野線の線路の軌間が異なるため、橿原神宮前での乗り換えが必須となりますが、これも南大阪線から来る吉野特急との接続がたいへん便利に設定されています。つまり、近鉄の路線は、特急で行けるところなら、どこからどこへ向かうにしてもほとんどストレス無く移動できると言って良いでしょう。
 大阪線・名古屋線・伊勢志摩方面については、2段階の特急が走ります。甲特急・乙特急と呼び分けられています。甲特急は「超特急」と呼んでも良さそうですが、そうするでもなく、A特急B特急のようにするでもなく、甲乙というのが近鉄らしさというものかもしれません。最近は「観光特急しまかぜ」「観光特急あをによし」などと愛称のついた列車も走っています。こういう名前付きのは、使用車輛や停車パターンなどが、普通の特急とは異なることが多く、また若干の追加料金を徴収されるようです。名阪甲特急などは、以前は普通の特急料金で乗れましたが、現在は「ひのとり」というハイグレード車輛で走るようになって、いくぶん値上がりしました。これは「甲特急料金」というわけではなく、乙特急でも「ひのとり」使用列車は高くなっています。
 京都~賢島を走るいわゆる京伊特急は、私鉄最長の走行距離(195.2キロ)です。2位の東武~野岩鉄道~会津鉄道を走る「リバティ会津」(190.7キロ)をわずかに上回ります。
 とにかく、近鉄の特急は、JRをはるかに上回る柔軟さと利便性を持っていると言えます。新幹線嫌いな私は、名阪間の移動にはよく近鉄特急を使うのでした。甲特急が少し高くなったので悩ましいところですが、新幹線の特急料金に較べればたかが知れています。

 南海電鉄の特急は、どちらかというと高野線に力が入っていたような気がします。私の子供の頃は「ズームカー」というのが走っていました。本線の特急は「四国連絡特急」などと呼ばれていましたが、特別な車輛は使わず、つまり特快型特急であることが長かったように思います。本線は通勤客をさばくのに精一杯で、豪華特急を走らせる余裕が無かったのかもしれません。
 高野線のほうには特急料金をとる専用車輛の特急型特急が走っていたわけですが、現在は「こうや」「りんかん」に分かれ、「りんかん」のほうはホームライナー的な列車として難波橋本間のみ運転しています。「こうや」は平日には1日4往復しかありません。土休日にはだいぶ増えますので、やはり観光列車としての意味合いが大きいのでしょう。
 本線特急は「サザン」と名付けられていますが、全車輛が特別なのではなく、特別車輛が連結されているという形です。グリーン車のようなものです。従って、特急券ではなく座席指定券が必要で、以前の名鉄と同じシステムです。特別車輛以外は一般車輛を用いています。特快型でも特急型でもなく、強いて言えば「湘南新宿ライン型」でしょうか。かつての四国連絡特急の名残りを受けて和歌山港まで走っているのは、平日3往復・土休日2往復に過ぎず、ほとんどは和歌山市発着です。和歌山港から四国へ渡るなどという客は、いまどき少ないのでしょう。
 本線では「サザン」よりも、「ラピート」が幅を利かせています。その特異な風貌からしても、「ラピート」の存在感は南海の中で屹立しています。関西空港発着の特急ですね。堺・岸和田を通過するαと、停車するβがありますが、αのほうは夜間を中心に運転されており、特に土休日の下りには1便もありません。
 なお、泉北高速鉄道に乗り入れる特急「泉北ライナー」が高野線の難波~中百舌鳥間を走っています。朝と夕方以降の運転であること、高野線の大駅である堺東を通過すること、泉北線内は深井以外の全駅に停車することなどから、ホームライナー型の列車と考えて良いでしょうが、土休日も同じくらいの便数走っています。

 京阪電鉄の特急は、昔はテレビカーという、車内でテレビが見られるような車輛を使っていたり、その後も二階建て車輛を投入したり、豪華な特別車輛で有名でした。しかもそれに乗るために特急料金は不要という太っ腹さです。料金不要列車としては常に日本最高峰であったのが京阪特急でした。
 基本は京阪間ノンストップで、京都市内、大阪市内に入ってからちょくちょく停まる、という停車パターンであることが続きました。しかし、JRが新快速に力を入れて捲き返し始めると、阪急もそうでしたが、ノンストップは不利という認識になったようです。つまり、速度ではかなわなくなってしまったのです。京阪は阪急京都線とは違って、JRと特に並行してはいないのですが、それだけに余計、所要時間の差が響いてきて、ノンストップの特急では対抗できなくなったのでした。それで、まずは宇治線との分岐駅である中書島に停まり、次いで交野線との分岐駅である枚方市に停まり……と、だんだん停車駅が増えました。JRと違うルートである強みを活かして、途中駅からの客をこまめに確保しようという戦略となったのです。
 ノンストップ特急の名残りであるK特急と、主要駅停車型の一般特急とを分けたりしたこともありました。その時期は、一般特急は特快型、つまり一般車輛を用いることも多かったようです。枚方市から特急に乗って、ロングシート車だったのでがっかりした記憶があります。
 現在は、特急は中書島と枚方市のほか、丹波橋樟葉にも停まるようになっています。ただし、かつてのノンストップ特急の伝統を継ぐ、快速特急「洛楽」がときどき走ります。平日大阪行き3便京都行き2便、土休日大阪行き5便京都行き4便ですから、ごく少ない便数ではありますが、初心を忘れていないようで微笑ましく思います。何しろ京阪は、戦前の話とはいえ国鉄の向こうを張って、大阪から名古屋までの電気鉄道を敷こうとしていた気宇壮大な鉄道なので、小さくまとまって貰いたくはない気がするのです。
 特別料金不要が京阪特急の売りでしたが、現在はプレミアムカーという特別車輛が連結され、そこだけは料金が必要となっています。また朝夕には「ライナー」と称する列車が走ります。停車パターンは特急と同じですが、全車指定席でライナー料金が必要です。プレミアムカーはもちろん高級感のある車輛となっていますけれども、京阪特急の伝統として、特急は普通車も相当にグレードが高く、首都圏在住の身としては、その上プレミアムカーにまで料金を払って乗る必要ある?……と言いたくなるほどです。なお、快速急行にも特急用車輛が使われています。

 阪急電鉄は、伝統的に京都線のみ新快速型特急、つまり料金不要のクロスシート専用車輛を宛てています。神戸線宝塚線に較べると運転距離が長いためと思われます。国鉄=JRとの対抗を考えるならば、宝塚線はともかく神戸線に新快速型特急を走らせない理由は無さそうなのですが、なぜかやっていません。
 京都線特急から考えると、これも京阪同様、昔はノンストップで走っていました。十三を出ると大宮まで無停車だったのです。しかしこちらも、JRの新快速がぐんぐん追い上げてくると太刀打ちできなくなりました。阪急京都線は、もともと「私鉄新幹線」とも言うべき新京阪電鉄だったのですから、線形などはきわめて良い路線なのですが、いかんせん複線に過ぎません。複々線を自在に突っ走るJR新快速のスピードにはかなわないのでした。
 それで高槻市に停まり、茨木市に停まり、淡路長岡天神にも停まるようになり、ほぼかつての急行並みの停車パターンになってしまいました。JRに対して、新快速をこれ以上スピードアップしないでくれと泣きついたなんて噂も流れ、あの阪急がなんと情けないざまをさらしていることかと慨嘆したものです。
 途中駅の乗客を拾う方針に変えた特急でしたが、その後、土休日に限って「京とれいん 雅洛」という豪華列車を、快速特急として運転することにしたのでした。これは私もはじめて乗ったときにはびっくりしてしまい、特別料金が要るのではないかと眼を泳がせてしまったほどでした。個室あり展望席あり、凝りに凝りまくった雅やかな座席と内装、まるでJR九州「ななつ星」のような高級感あふれる車輛で、それなのに特別料金不要という、首都圏では絶対あり得ないような大盤振る舞いの列車だったのです。
 「京とれいん 雅洛」はつい最近、通年土休日運転を取りやめ、現在では指定日運転となっていますが、料金不要列車として京阪特急をも上回る豪華快速特急に乗れる機会はまだまだあるはずです。
 この不定期快速特急を除くと、京都線には特急の眷属として、ほかに準特急通勤特急があります。準特急は京王から無くなったと思えば阪急に出現していたのでした。ただしどちらも、停車パターンは特急と大差ありません。特急停車駅に加えて西院と大宮に停車するのが準特急、そのうち淡路を通過するのが通勤特急で、いずれも朝晩だけの運転です。
 神戸線の特急は、駅数がそう多くないだけに、その他の種別と較べてさほど懸絶感が無かったのが、専用車輛を用いられなかった理由かもしれません。何しろ両端を加えても全部で16駅、井の頭線よりも駅数が少ないのです。
 こちらは昔の停車パターンの記憶があいまいなのですが、十三・西宮北口・岡本あたりは昔から変わらないのではないでしょうか。夙川はあとから停車になったのだったかどうだか。
 こちらにも準特急と通勤特急が走っています。しかしこれも差は少なく、塚口に停車するのが通勤特急、さらに六甲にも停車するのが準特急で、やはり朝晩だけの運転です。
 宝塚線の特急は、阪急の特急というよりは能勢電鉄の特急と呼ぶべきかもしれません。川西能勢口から能勢電鉄に乗り入れ、しかも能勢電鉄の本線格である妙見線ではなく、山下で分岐する日生線に入って、その終点である日生中央まで走ります。平日の通勤時間帯のみの運転ですが、いちおう「日生エクスプレス」という愛称がつけられています。また、平日朝の上りのみ、宝塚線内だけを走る通勤特急も運転されています。とはいえ川西能勢口発だけであって、宝塚に発着する特急というのは1本も存在しません。宝塚線に本格的に特急が走らないのは、川西能勢口~宝塚間の駅にさほどの規模差や乗降客数差が見られないこと、それから緩急接続のできる設備を持つ駅が線内にひとつも無いこと、などが理由とされています。

 阪神電鉄の特急は、長いこと特快型特急の典型とされてきました。実は各停用車輛と特急・急行型車輛の使い分けは確かにあって、たとえば有名なジェットカーというのは各停用だったわけですが、どちらもロングシート車であったために、利用者からすると同じような車輛に感じられたのです。阪神間という短区間を走る阪神電鉄は、社是としてクロスシート車は導入しないのだ、とも言われていました。
 別に社是というわけではなかったようで、山陽電鉄とのスルー運転がはじまり、直通特急が走り出すと、阪神も山陽電鉄の特急に合わせてクロスシート車主体の9300系を走らせるようになりました。阪神は、クロスシートにすると大阪側の混雑がひどくなるのではないかと心配したようですが、乗り入れてくる山陽特急で別に混乱が起こっていないのを見て、ついに投入に踏み切ったようです。
 一時期は、姫路などで特急に乗ろうと待っていた客が、ロングシートの阪神車輛が現れてがっかりする、なんて光景も見られたようですが、現在は直通特急はほぼすべてクロスシートになったのではないかと思います。直通でない特急はどうなのか、そこまでは調べられていません。
 直通特急でない特急は、山陽電鉄の須磨浦公園まで乗り入れることがありますが、三宮以西は各駅停車となります。平日朝の上りだけ区間特急が走りますが、この「区間」は「運転区間」と「通過区間」の両方の意味があるようです。つまり、運転区間は御影梅田間のみで、魚崎香櫨園間が各駅停車となります。ただし中間駅では最大である西宮を通過し、特急と千鳥停車をおこなっています。なお特急系はみんな停車する御影を快速急行は通過するなど、阪神は停車パターンのバラエティがなかなか豊富です。

 その阪神の直通特急が走る山陽電鉄は、昔から専用車輛の特急を走らせています。山陽電鉄にはもうひとつ「S特急」というのがあり、東二見以西が各停になったり、専用車輛でなく一般車輛だったり、通過区間でも特急より停車駅が多かったりと、どちらかというと急行や快速など別の名称を与えたほうが良いような存在です。山陽電鉄も昔は普通に、特急・急行・準急などがあったらしいのですが、なぜS特急という名称にこだわっているのか不思議です。
 私は西のほうとの行き来に、山陽特急はけっこう何度も使っています。姫路から豊橋まで、JRを一切使わずに移動したということもありました。新幹線でかっ飛ばすよりも楽しいと思うのですが。

 あと関西圏の私鉄特急というと、京都丹後鉄道に触れておかなくてはならないでしょう。赤字線として廃止対象になった国鉄宮津線を、第三セクターとして引き継いだ北近畿タンゴ鉄道が、名前を変えて京都丹後鉄道となりました。宮津線は、西舞鶴豊岡という不便なところを結んでいたために大赤字だったわけですが、第三セクター化し、さらに建造途中だった宮福線を開通させることで、天橋立などへの短絡線ができ、営業成績もけっこう良くなったのでした。
 当初からJRの特急が乗り入れていましたが、自社の特急も走らせていました。最初は「タンゴエクスプローラー」と称していましたが、現在は「たんごリレー」となっています。ハイデッカー車輛で、JRよりも格が高い観があります。
 JRの乗り入れ特急は、当初は西舞鶴側と福知山側の両方から入っていましたが、現在は西舞鶴側からの乗り入れは無くなり、福知山側から「はしだて」が直通しています。
 「たんごリレー」も「はしだて」も、一部列車は末端が快速列車として運転します。宮津以遠は、特急として走る場合でもほとんど各駅停車になってしまうのですが、わざわざそのまた末端を快速にする(つまり、特急料金をとらない)料簡はよくわかりません。昔は国鉄=JRにもよくあったのですが、最近はここだけではないでしょうか。停車パターンを見ると、小天橋に停まるかどうかが、快速と特急の差になっているようです。けちくさい真似をせず、宮津以遠は一律快速にしてしまえば良さそうなものですが、微妙な採算ラインのようなものがあるのかもしれません。

 首都圏以外の私鉄特急をまとめるつもりが、関西圏だけでえらくふくれ上がってしまいました。これは関西圏私鉄の特急の充実ぶりによるものとご理解ください。残る名鉄・西鉄とその他地方鉄道の特急についても、近いうちに考えてみたいと思います。

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