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Chorus ST第14回演奏会 [日録]

 一日遅れになりましたが、昨日(2月12日)、Chorus ST第14回演奏会がありました。
 前回の第13回が、コロナ禍にふりまわされて二転三転した経緯があり、今回もその懸念があったのですが、予定どおりに開催できて、まずはひと安心です。
 第13回は、当初2020年5月に開催を予定されていました。Chorus STの30周年ということで、有志の記念合唱団を組織したり、詩や作曲を委嘱したりと、いろいろ鳴り物入りの催しだったのですが、緊急事態宣言が発令されて、開催を見送らざるを得なくなってしまったのでした。
 現在に較べれば、新規感染者も国内で日に数十人から数百人というところで、全然気にすることも無さそうな状況でしたが、当時はとにかく新型コロナウイルスというのがどんなものだかよくわかっておらず、しかも初期型は重症化しやすくて、有名人が何人も亡くなったりしていましたから、国を挙げて警戒するのもやむを得なかったのです。
 Chorus ST本体より大人数となっていた記念合唱団に事情を連絡したりするのは大変だったと思われますが、ともかく演奏会は1年延期となり、2021年5月の開催予定となりました。内容も少し差し替え、チラシなども作り直し、記念合唱団のメンバーにももういちど出演意思を確認し……など、数々の手間をかけて復活公演に臨んだのでした。
 ところが、その予定日の1週間ほど前になって、またもや緊急事態宣言発令となりました。第4次であったかと記憶します。予定していた会場からは、早々と使用中止を告げられました。
 もう多くの人に入場券を売ってしまっていた段階で、それらを収拾するのに各自てんてこまいだったと思われますが、再度延期したところで予定どおり行くかどうかはまったく予断できないということで、まだ使用中止になっていない場所を探して、公式には「無観客公演」ということで無理矢理開催してしまいました。場所は千城台千葉都市モノレールの終点が最寄り駅の千葉市若葉文化ホールというところでした。そんなところでも聴きに行きたい、という奇特なお客には、「見学者」という建前で来て貰いました。公演の様子は専門の会社に頼んで動画撮影をして貰い、あとで配信という形で公開したのでした。
 そんなてんやわんやの第13回のあとでしたが、そうあいだを置かずに第14回の企画がはじまったのは、わがChorus STもなかなか意欲的であったと言えるでしょう。ひとつには第13回演奏会のあと、なぜか新入団員が増えたのです。それまでずっと団員の獲得を課題としながら一向に動きが無く、混声四部合唱の成立すら危ない状態で長いこと続いてきて、私もたまりかねて「混声三部合唱」の可能性をさぐりはじめて『花と木のことば』を作曲したりしてきたわけですが、ここへ来て急に増えはじめ、その新入団員がまた別の人を勧誘したりして、練習会場が賑やかになってきたのでした。
 昨日オンステした21人のうち、Chorus STの演奏会に初参加というメンバーが7人も居たのですから、大したものです。さらにふたりほど、かつて一旦退団していたのに、前回の記念合唱団に参加したのを契機に出戻ったという人も居ました。パートが揃うか怪しかったほどの小合唱団が、一挙に20人規模の中型合唱団となったので、これならいけるんじゃないかと企画が起ち上がったのも自然な流れであったかもしれません。
 かくて、1年9ヶ月ぶりの演奏会開催となりました。場所は渋谷大和田さくらホールで、かつて「ガリシア物語」に出演したときに乗ったところです。またもう少し前に、マーラー「嘆きの歌」2台ピアノ版を発表した会場でもあります。
 なおかつ今回は、ハンドベル演奏を交えることにしました。前に第一生命ホールでジョイントしたHandbell Ensemble YDという団体です。ここの代表である中尾幹さんが、うちの指揮者である清水雅彦さんとはツーカーで……というよりほとんど清水さんの秘書ではあるまいかと思われるくらいにいろんな用事を引き受けている人で、その面でも協力が得られやすいという事情がありました。ひとつには新入団員が増えたChorus STが、フルステージを充たせるだけの曲を準備できるか心許ない、ということもありましたが、なんと言ってもハンドベル演奏が入ると、視覚的にも聴覚的にもとても華やかになるので、暗い材料の多い昨今、少しでもお客を元気づけられるのではないかという意見がものを言いました。

 全体は三部構成で、第一部はスイス(イタリアとの二重国籍)の作曲家イーヴォ・アントニーニの作品を3曲演奏しました。この人の作品、実はかなり前から練習はしていて、東京都北区の合唱祭などでも披露してきましたが、まだ演奏会に乗せてはいなかったのです。本当は前回の演奏会に乗せる予定だったのですが、延期になったときにプログラム変更のあおりを受け、沙汰止みとなりました。
 そろそろアントニーニも飽きた、という向きも無いではなかったのですけれども、私が
 「いちど演奏会に乗せてけりをつけておかないと、今後何度でも『アントニーニはやらないのか』って蒸し返されるぞ」
 と指摘したところ、すんなりと決まったのでした。
 3曲とも宗教音楽であって、テキストはラテン語です。まあ外国語の中では比較的扱いやすい言葉と言えましょう。「O filii et filiæ」「Beati omnes」「O magnum mysterium」の3曲ですが、2曲めなどはわずか2行の歌詞に過ぎません。3曲めも、クリスマス聖歌としていろんな作曲家が付曲しているテキストで、プーランク『クリスマスのための4つのモテット』の第1曲にもなっており、比較的馴染みやすいものです。
 アントニーニは1963年生まれなので私のひとつ上ということになります。その意味ではまごうことなき現代作曲家なのですが、作風は穏やかなもので、耳にも心地良いので、最近ではあちこちで歌われているようです。最初はジャズを志したらしく、そのせいか付加音の使いかたに特徴があり、いくぶんKen-P氏の和音遣いを連想しました。
 古株団員は、どの曲も合唱祭で歌ってはいるので、今回もさほど苦労しなかったと思いますが、新入団員は憶えるのが大変だったのではないかと思います。

 第2部は「越境するアンセム──日本語に着替えた欧州唱歌」というステージで、指揮者の山田和樹氏が発案し、信長貴富くんが構成・編曲した「アンセム・プロジェクト」シリーズのうちのひとつです。世界の愛唱歌を集めてメドレーにしようという企画で、いろんなテーマに基づいて7集作られました。その第6集が「越境するアンセム」です。アンセムというのは国歌であったり、英国国教会の聖歌であったり、民謡であったりと、さまざまな意味合いを持つ言葉ですが、ここではたぶんいちばん広い意味で考えられているのだろうと思います。
 「むすんでひらいて」のメロディーが、なかば主題であるかのように何度も登場します。「ちょうちょう」などと共にジャン=ジャック・ルソーが作曲したメロディーですが、歌詞はいろいろつけられているようで、「むすんでひらいて」というのは日本で戦後つけられた歌詞のひとつに過ぎません。戦前に知られていたのが柴田清煕作詞の「見わたせば」という歌詞で、このメドレーではそれが採られています。また、「箱根八里」の作詞者である鳥居忱が作詞した軍歌調の勇ましい歌詞もあり、途中でそれも歌われます。こちらも「見わたせば」からはじまるので、柴田詞をパロったものであるような気もします。
 そのあと「霞か雲か」「故郷を離るる歌」「故郷の空」と、昔の教科書に載っていたようなポピュラーな歌が続きます。「故郷の空」の原曲はスコットランド民謡「麦畑」で、本来は農民の男女の逢引きの様子をはやし立てる、艶笑的な歌詞です。ドリフだったかのネタの「誰かさんと誰かさんが麦畑、チュッチュチュッチュしている、ええじゃないか」というのが案外的を射た訳詞なのでした。こんな歌を望郷の絶唱にしてしまった大和田建樹の力業には恐れ入ります。大和田は「鉄道唱歌」の作詞者でもありますね。
 それからドヴォルジャーク「新世界より」の第二楽章が来ますが、人口に膾炙した「遠き山に陽は落ちて」の「家路」ではなく、もっと前になんと宮澤賢治が作詞した「種山ヶ原」なるテキストが採用されています。山田さんが見つけたのか信長くんが見つけたのか知りませんが、よく探し出したものだと思います。
 「ロンドンデリーの歌」は私も使用した津川主一訳詞のもの。戦士として旅立つ息子を見送る母の心情を詠った歌詞ですが、これに続けて、やはり戦場へ向かう若者と恋人の別離を詠う「ともしび」が置かれ、さらに前述の鳥居忱版の「見わたせば」(楽譜では「進撃」と記されている)が続く構成になっているあたりはたぶん信長くんの意向でしょう。軍靴の音が聞こえる、というヤツですね。このメドレーを作ったときには思いもよらなかったことでしょうが、その後ロシアがどう言い繕いようもない侵略戦争をはじめてしまい、「ともしび」が冗談では済まないような状況になってきてしまいました。イサコフスキーがこの原詩を書いたときのロシアは、ナチスドイツに攻め込まれての防衛戦を戦っていましたが、いまやロシア自身がそのナチスドイツと同じ立場になっています。「ともしび」の歌詞は強烈な皮肉となってロシアに突き刺さりつつあります。その意味ではものすごくタイムリーだったとも言えそうです。
 戦い済んで家に帰り、「埴生の宿」が歌われます。清貧を称えるような内容の詩が、かつての日本人には人気でしたが、いまの日本人にとってはどんなものでしょうか。争ってタワーマンションに住みたがるような連中に清貧などと言っても鼻で笑われてしまうかもしれません。
 最後にもういちど柴田版の「見わたせば」の前半が歌われて終わりになります。ピアノを伴うメドレーですが、ピアノはあんまり「伴奏」という感じではなく、無伴奏の合唱にピアノが自由にからみつくような作りかたになっています。そのため、練習のときも無伴奏ということが多かったように思います。

 第3部がハンドベルとの合同ステージで、まず「Let Your Light Shine!」という曲を演奏しました。これはハンドベル・合唱・ピアノという編成によるオリジナル曲だそうで、クレイグ・コートニーという人が作曲しました。この人も1961年生まれというので、アントニーニや私などともほぼ同世代なのですが、2020年に亡くなったそうです。テキストの英語の意味をあまり検証しないままに練習していましたが、歌詞カードを作ることになって、訳詞を調べてみてびっくり。新約聖書マタイ伝第5章の一部の英訳を、そのまま使っていたのです。テキストに現れる「You」は「あなた」ではなく複数の「あなたがた」で、イエスが弟子たちのことを呼ぶ言葉だったのでした。そう言われてみれば「あなたがたは世の光である」「あなたがたは地の塩である」といった言い回しにはなんとなく見覚えがありました。ちなみに、歌詞カードを作ってから、私は急激にこの曲の暗譜がはかどりました。やはり意味を把握せずに歌っていると、記憶に残らないようです。
 続いて合唱だけの演奏で千原英喜「寂庵の祈り」木下牧子「そのひとがうたうとき」
 寂庵というのは一昨年亡くなった瀬戸内寂聴嵯峨野に結んだ庵ですね。作家瀬戸内晴美としてはドロドロの愛欲劇を繰り広げ、出家してからもいろいろお騒がせ人間で、晩年も妙に「パヨク」的な発言が目立ってネット民から不評を買っていたりしましたが、憎まれっ子が世にはばかって、99歳まで長生きしました。あれだけ好き勝手やっていれば長生きもするよな、と言いたくなるような生涯を送った人ではあります。
 「寂庵の祈り」は寂聴が庵を訪れる人と一緒に唱えた文言だそうです。短い言葉ですが、曲は静謐な無伴奏からピアノが加わって、最後えらく壮大な印象の音楽となります。この曲も、昨年の秋にいちど合唱祭で歌っているので、暗譜などの手間は要りませんでした。
 「そのひとがうたうとき」は谷川俊太郎氏の詩によるものですが、

 ──こんなに省略しちゃって、怒られない?

 と心配になるほど大量に文をカットして作曲しています。聞くところによると谷川氏は、JASRACの分配とか、出版されるときの取り分さえ正当に確保できれば、自分の詩を作曲家がどう使おうが一切文句を言わない詩人であるらしいのですが、詩の扱いで詩人と揉めたことのある私としてはどうも気になります。こちらはいままで舞台上で発表したことが無く、暗譜するのにいささか苦労しました。
 ここで合唱は一旦ひっこみ、ハンドベル単独の演奏となります。1曲めの「Blessed Assurance」フィービー・P・ナップ作曲の讃美歌を、シンシア・ドブリンスキがハンドベル用に編曲したものですが、前奏や間奏に「主よ 人の望みの喜びよ」を引用しています。原曲の讃美歌も「人の望みの」も同じく9/8拍子であったところからの発想かもしれません。
 ところでドブリンスキ女史も一昨年亡くなっています。曲目解説を書くためにネットで検索したら、あちこちのハンドベル団体から追悼の辞が述べられているので驚きました。ハンドベル界では大変に有名な作曲家であったようです。寂聴もドブリンスキも2021年の死去、コートニーは2020年の死去と、今回の曲目は最近亡くなった人がらみが多いですね。コロナで亡くなったわけではないと思いたいですが……。
 それからSMAPの「夜空ノムコウ」。これは中尾さんがどこぞで依頼されてアレンジしたものだそうです。
 ふたたび合唱が登場し、「いのちの歌」を歌います。NHKの朝ドラ「だんだん」の主題歌で、確か板橋のファミリー音楽会でも誰かが歌ったと記憶します。変にシンコペーションがかかったような歌でないため、扱いやすいのでしょう。これも合唱祭で歌ったことがありました。
 最後に合唱とハンドベルのアンサンブルで「春の情景」。この春の歌メドレーの原型ができてから、もう30年以上経つのだなと慨嘆します。最初は千葉の八千代かどこかで開いた演奏会のために頼まれて、三重唱とヴァイオリンとピアノのために作ったのでしたが、そのときは「茶摘」で終わっていました。Chorus STの第2回演奏会(1994年)のときに、混声合唱と連弾ピアノ用に作り直した際、「茶摘」をカットして「朧月夜」で終わらせるようにし、またいくつかの無理のある部分を改稿したのだったと思います。
 その後、ピアノをひとり用にしたり、二重唱用にしたりと、いろんな形にしてきました。今回はハンドベルを加えると共に、全部やるとかなり長いので何曲かカットしました。本来は「春は名のみの風の寒さ」の「早春賦」、春を待ち望む「春よ来い」、春が生まれだす「どこかで春が」、春が訪れた「春が来た」、春を満喫する「春の小川」「さくら さくら」そして「花」、そして晩春の霞がかった「朧月夜」と、だいたい季節を追った構成になっているのですが、このたびは「春よ来い」「春が来た」「春の小川」の3曲を省略したのでした。
 なぜこの3曲をカットしたかというと、実は「春の情景」にはもうひとつ仕掛けがあって、それは器楽曲をもメドレーに加えていることです。たぶん、「花」とベートーヴェン「春のソナタ」が妙によく合うというあたりから発想したのではないかと思いますが、ヴィヴァルディ「春」メンデルスゾーン「春の歌」宮城道雄「春の海」などもピアノにお目見えしています。最初のヴァージョンでは、ヨハン・シュトラウス「春の声」シューマンの交響曲「春」なども入れていた思いますが、だんだんと整理する過程で削除されました。
 最初の「早春賦」と最後の「朧月夜」はさすがに外せないとして、あとは器楽曲が伴奏にからんでいるものだけをピックアップしたのでした。「どこかで春が」の伴奏には「春の歌」が使われていますし、「さくら さくら」の伴奏には「春の海」が流れます。そして上述の「花」と「春のソナタ」。これらを活かそうとしたので、器楽曲がからんでいない3曲が割りを食ったのでした。
 合唱とハンドベルというと、第一生命ホールでの演奏会のときに、「天と地とが」という曲を書き下ろしていますが、なんと言ってもハンドベルの奏法などについては私は詳しくないので、今回は中尾さんに相談して、演奏会のフィナーレにふさわしい豪華な音を加えてみました。最後の音の切りかたなど、指揮の清水さんもだいぶ試行錯誤したようです。またハンドベルチームのほうも、演奏する機会はわりと小さな会場であることが多く、いいところ教会の聖堂くらいで、大きなホールでやることは少ないため、勝手が違って戸惑うこともあったようです。しかしまあ、気持ちの良いフィニッシュを決められたのではないかと思います。

 これでプログラムは全部ですが、最後にアンコールがあります。やはりハンドベル・合唱・ピアノという編成で、コンラッド・コーチャーという人が作った「For the Beauty of the Earth」です。楽譜を見ると「Setting by JOEL RANEY」と書いてあるのですが、このジョエル・レイニーという人が合唱編曲をしたのか、あるいはハンドベルまでつけたのかはよくわかりません。
 「For the Beauty of the Earth」といえば、合唱界ではジョン・ラターの作品が有名で、Chorus STでも歌ったことがあります。しかし同じテキストを用いたこの曲は、どこがどうというのでなく、きわめて憶えづらい歌になっていて、最後まで暗譜できる気がしなかったものでした。本来、アンコールというのは、歌い慣れた曲を宛てるべきだよなあ、と何度も愚痴を言いました。
 これも結局、歌詞カードを作ってみたらなんとか憶えられました。アンコール曲ですので公式には出しませんが、憶えられなさにたまりかねて自分用に歌詞カードを作ったのです。訳詞も試みましたが、これは難物でした。メンバーの中に英語の先生も居るので訊いてみましたが、彼にも訳詞は難しいようでした。詩文なので倒置などもたくさん用いられて解釈が困難なのでしょう。ネットで訳詞を探してみましたが、あまり満足のゆくような訳は見つけられませんでした。
 そんなわけで「意味をわかって歌う」というところまではできませんでしたが、なんとかギリギリ暗譜して、楽譜を持たずにオンステすることができました。一緒にオンステしたマダムは、残念ながら何曲かの暗譜は断念して譜持ちで立ったようです。ただ、つくづく舞台は魔物で、どの曲であったかなぜか急に男声パートを歌いはじめてしまって動揺したとか。譜面を持っていなかったらたぶん起こらなかったアクシデントでしょう。

 今回、また印刷関係はほとんど私が担当しました。チラシやチケットの枚数の読みが難しく、最初2000枚刷って貰ったチラシが足りなくて1000枚追加したりしました。チケットは印刷屋に頼まず自分のところでプリントしたのですが、これも最初は内輪の枚数を刷っておいたところ、何度か増刷の必要に迫られました。増刷と言っても、チケットに関しては客席数以上刷るわけにはゆかないのですが、その客席数にかなり近い枚数まで刷ることになったのでした。Handbell Ensemble YDから何度も追加の注文が来てびっくりしたものです。下手をするとChorus STより売っているのではないかと思いたくなるようなペースでした。
 そのおかげもあって、大和田さくらホールの客席は、ずいぶん埋まって見えました。Chorus STの演奏会でここまで客席が埋まっていたことは、いままで無かったように思います。コロナがここしばらくだいぶ落ち着いていること、当日は2月にしては暖かく快晴であったこと、なども手伝ったでしょうが、やはりYD効果が半端でなかったことを窺わせます。
 次回、引き続いてハンドベルとコラボなどということにはならないと思いますが、そうするとChorus ST単独で客席を埋めなければなりません。なかなか大変そうです。次がいつになるかはまだ決まっていませんが、人数が増えて勢いがついたので、またそう遠くないうちに実現したいものです。
 コロナ禍がまだ終熄してはいない折りとて、打ち上げは見送られました。帰宅してからZOOMでリモート打ち上げみたいなことはやりました。気持ち良く飲めるのはいつの日のことでしょうか。

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