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プレトニョフのリサイタル [日録]

 一日遅れましたが、昨夜(2月28日)はミハイル・プレトニョフのリサイタルを聴きに行っていました。しばらく前にマダムが衝動的に入場券を買ったのですが、そのとき一緒に行くかどうかと電話がかかってきたのでした。プログラムがショパンの前奏曲集作品28と、スクリャビンの前奏曲集作品11で、ショパンだけだったらあまり食指が動かなかったのですけれども、スクリャビンを弾くというので私も同行する気になりました。
 スクリャビンの前奏曲はかなりたくさんありますが、いわゆる「24の前奏曲」として、ショパンのと同じく全調で書かれたのは作品11だけで、あとは2~6曲くらいの組になっています。その中には、作品11を作るときに没になったのをあとでまとめたのではないかと思われるものも含まれています。
 作品11の前奏曲集は、譜面も持っていますし、何度か弾こうとしたこともあるのですが、なかなか難儀な曲も多く、弾きこなしたとはとても言えません。いちど生で聴いてみたいとは思っていました。
 午後に仕事が入っていたので、それを済ませたあと、マダムと初台駅で待ち合わせました。オペラシティコンサートホールで開催されたのです。B席ということで、横壁に張りついたような3階席で、演奏者の表情などはほとんどわかりませんが、音は悪くありません。2階席・3階席を含めて、ほぼ満席でした。プレトニョフの人気のほどが窺えます。
 プレトニョフは、ピアニストとしての活動のほか、指揮者や作曲家としても活躍しています。古典派時代の音楽家のように多才な人物です。一旦、2006年にピアニストとしての活動はやめているのですが、7年後の2013年に再開しました。その再開の理由が、素晴らしいピアノに出会ったからだというのですが、そのピアノというのがSHIGERU KAWAIなのだそうです。長らくヤマハの後塵を拝してきたようなカワイ楽器が総力を挙げて作り上げたのがSHIGERU KAWAIモデルですが、世界の第一線レベルのピアニストにもけっこう気に入られたようで、最近は国際的コンクールの使用楽器としても採り上げられています。スタインウェイにはまだ及ばないにしても、ベーゼンドルファーなどよりは好まれている気配があります。凄いのを作ったな、と思わざるを得ません。
 冊子に描かれていた公演スケジュールを見ると、彼は2月22日にこのオペラシティで、24日サントリーホールで、26日Bunkamuraオーチャードホール東フィルを振っています。そして28日にこのリサイタルですから、1日おきに本番をこなしているわけで、異様に精力的です。指揮が続いた最後に独奏会など、精神的にもけっこうきついものがあったのではないでしょうか。

 全体的に、なんとも自由な演奏であると感じました。前半がスクリャビン、後半がショパンという構成でしたが、スクリャビンにしてもショパンにしても、

 ──えっ、ここでこう来るか?

 と驚かされることがちょくちょくありました。その意味ではスクリャビンに関しては、自分で弾くときの参考にはあまりならなかった気がしますが、なるほどこういう弾きかたもあるのだなとうなづかされました。
 具体例を説明するのもなかなか大変なのですが、たとえば曲が「旋律と伴奏」というシンプルなホモフォニーになっていた場合、その旋律の歌いかたがなんとも独特なのです。なんのこともない経過音に妙なアクセントをつけたり、譜面に記された強弱をまったく無視していたり……レッスンに持って行ったら確実に直されるようなことを平然とやっていました。
 テンポも自在に動かしている感じで、作曲者が指定した速度標語などなんぞあらんという態度で速くしたり遅くしたりしています。曲の最後の和音やカデンツは、曲全体のテンポにかかわらず、嘘だろと言いたくなるほどにたっぷりと間をあけて鳴らしていました。
 若干、譜面に書かれていない音を弾いたりもしていました。これはポリーニサンソン・フランソワなんかもやっていたようですが、要するに音を勝手に補っているわけです。ポリーニたちの時代はまだ、「演奏は時代に合わせて変えてゆくべきだ」という考えかたが残っていたのですけれども、現在では「作曲家の求めた音を最大限再現するのが良い演奏だ」というのがもっぱらになっています。それで過剰な原典版主義みたいなことが起こってきているわけですが、音を勝手に補ったりするのは、その風潮に真っ向から抗うような行為でしょう。そういうことを、悪びれもせずに同度とやってしまうのがプレトニョフの持ち味なのかもしれません。
 細かい分散和音などは、はたして音が合っているのか判別がつかないほどに、霞がかかったようなふわふわとした弾きかたをしています。これも現在ではあまり推奨されない奏法でしょう。
 良くも悪くも、個性的な演奏であったと言えそうです。彼の弾きかたを真似しても、たぶん誰もうまくゆかないのではないかと思います。
 アンコールはショパンのもうひとつの前奏曲作品45(嬰ハ短調)と、ノクターン作品9-2でした。ノクターンの最後のカデンツァの同型反復など、いつまで続けるんだと思えてくるほどに長く繰り返していましたし、この曲のラストの和音は、前奏曲集で見られたようなおそろしくもったいをつけた形ではなくて、ごくごくあっさりと済ませていました。やっぱり「自由」としか言いようのない演奏でした。
 面白いリサイタルを聴いたものだと思います。

 前奏曲集という形を誰がはじめたのかはよくわかりません。バッハにも「初心者のための12の小前奏曲」という作品があります。難易度は2声のインヴェンションと同程度です。もう少し進んだ生徒のための「6つの小前奏曲」というのも書かれています。
 前奏曲というと、オペラとか組曲とかの最初に置かれる器楽曲という印象の強い曲種です。「序曲」よりは軽みを感じますが、ヴァーグナーなどはやや定型化していたオペラの序曲を拒絶して、自分のオペラには「前奏曲」をつけたりしました。「前奏」と訳してしまったので「独立した前奏曲とはなんぞ?」と思えてしまうのですが、プレリュードという原語を考えると、大曲の前というよりもむしろ「幕前」というイメージだったのではないかと思われます。オペラや演奏会の幕が開く前に軽く流される小品という感じですね。私も「PIANO MAN」という芝居の劇中音楽に関わった際、開幕の前にさらりと流す小品をいくつか書きました。ラグタイム風のもの、カントリー調のもの、サティっぽいものを流したあと、4曲めの途中で幕が開くという段取りでした。これなんかが本来の「プレリュード」なのではないかと思います。
 だから、必ずしも引き続いてオペラや組曲などがはじまらなくても良く、独立したプレリュードというのもありうるのだと考えるべきでしょう。
 バッハの「小前奏曲」が独立したプレリュードをまとめたものだったわけですが、24の長短調全部で作ってひとまとめにするというのは、有名なものとしてはショパンの作品が最初です。もっと前に誰かがやっていたかもしれませんが、現在では知られていません。
 ただ、もしかしたら橋渡しになっているかな、と思えるのが、ベートーヴェン「2つの前奏曲」です。作品39と中期にさしかかるようなころの番号がついていますが、実際にはかなり若い頃の、ボン時代の作品であるようです。転調のエチュードか、と思われるような曲で、2曲ともハ長調ではじまり、ト長調~ニ長調~イ長調~ホ長調~と五度圏をたどり、最後に変ロ長調~ヘ長調~ハ長調と戻ってきて終わるというけったいなシロモノなのでした。あんまり変な曲なので、私は学生時代、ついついしっかりと練習して神野明先生のレッスンに持って行ったりしました。
 このベートーヴェンの前奏曲は、短調にはなりませんが12の長調をすべて使っているという点で、ショパンの先駆的作品とも言えそうです。バッハの平均律曲集がハ長調~ハ短調~嬰ハ長調~嬰ハ短調~ニ長調~ニ短調と、半音ずつ上昇しながら長短調を並べているのに対して、ショパンの24の前奏曲はハ長調~イ短調~ト長調~ホ短調~ニ長調~ロ短調と五度圏を上昇してゆき、それが原型になって後世の同様の作品でも同じ配列になっています。そのヒントはベートーヴェンの前奏曲にあったかもしれない、などと想像します。
 通奏することを考えると、ショパン式の、並行調と五度圏を組み合わせた形のほうが、曲間がスムーズではあるでしょう。バッハ式の配列は、必ずしも通奏を意識してはいないと思われます。
 ともあれ、ショパンは長短さまざまな小品を組み合わせて、全調による前奏曲集を発表しました。
 これに最初に追随したのが誰なのかもはっきりしません。ただ、ショパンの畏友リストは、ショパンの前奏曲に先んじて、「すべての長短調による48の練習曲」というものを企画していました。これはハ長調~イ短調~ヘ長調~ニ短調~変ロ長調~ト短調と、五度圏を下降する配列になっていたようです。この企画、結局48曲もの練習曲が書かれることはなく、最初の12曲だけが実現しました。リストの演奏会用練習曲の代表作とも呼ばれる「超絶技巧練習曲」がそれです。
 もしかするとショパンはリストからこの腹案を教えられて前奏曲集のインスピレーションを得たのかもしれません。逆に、ショパンに先を越されたので、リストは残りの36曲、せめて12曲を作るモティベーションが失われてしまったとも考えられます。
 スクリャビンの「24の前奏曲集」が刊行されたのは、ショパンの前奏曲集の半世紀ほどあとのことで、そのあいだに誰か追随者が居なかったとも思えません。しかし、有名なのはスクリャビンからでしょう。
 ショスタコーヴィチカバレフスキーなどが同じように「24の前奏曲集」を書いています。わりとロシア人好みのまとめかただったのでしょうか。
 スクリャビンの同級生だったラフマニノフは、24曲でまとめはしませんでしたが、作品3-2である嬰ハ短調前奏曲「鐘」作品23の「10の前奏曲集」、作品35の「13の前奏曲集」を合算して全部で24曲、そして24の調が揃うようになっています。
 ドビュッシーも24曲の前奏曲を書いていますが、第一集12曲では「別々の調」ということをやや意識しているかに見えます。ただし配列はランダムです。第二集の12曲になると、もはや調はどうでもよくなったようです。ドビュッシーは全曲にタイトルをつけていますが、普通は曲頭に記されるべきタイトルが、曲の末尾に、カッコ付きで記されています。

 ──おれはこんな感じで作曲したんだが、別にタイトルにこだわらなくても構わんぞ。好きにイメージを作ってくれ。

 という意思表示であると私は解釈していますが、タイトルにこだわった指導をする先生はいまだに多いようです。
 あと手許にある楽譜では、フィンランドの作曲家パルムグレンの前奏曲集なども面白いですね。ドビュッシー同様ほとんどの曲にタイトルをつけています。調の順番はランダムですが、いちおう24調揃っています。
 ドビュッシーやパルムグレンになると、もはや「幕前の音楽」というプレリュード本来の印象はほとんど無くなります。単に「性格的小品集」ではないか、という気がしますが、ともかくショパンの影響は長く続いたということでしょう。

 なおスクリャビンの前奏曲は、今回演奏された作品11のほか、作品13(6つの前奏曲)、作品15(5つの前奏曲)、作品16(5つの前奏曲)、作品22(4つの前奏曲)、作品27(2つの前奏曲)、作品33(4つの前奏曲)、作品37(4つの前奏曲)、作品48(4つの前奏曲)、作品67(2つの前奏曲)、作品74(5つの前奏曲)と続きます。比較的若い頃の作品が多いのですが、作品74などは最晩年で、ほぼ生涯をかけて作曲していたと言って良さそうです。あと作品11に先立って、左手だけのための作品9の1曲めも前奏曲と題されています。
 このうち作品13、15、16までは、最初に書いたとおり、おそらく作品11をまとめるときに没にした曲なのではないかと思われます。作品13はハ長調~イ短調~ト長調~ホ短調~ニ長調~ロ短調、作品15はイ長調~嬰ヘ短調~ホ長調~ホ長調~嬰ハ短調、作品16はロ長調~嬰ト短調~変ト長調~変ホ短調~嬰へ長調と、調の配列が作品11に酷似しているのでした。いくつも作ってみて、通奏に適った並べかたが可能なものを作品11としたのではないでしょうか。没にした曲も、不出来というわけではないので棄てるに偲びず、あとで少しずつ発表したのでしょう。後半の変ニ長調~ニ短調が見られないのは、そのあたりはスペアが無かったものと思われます。作品11にしても、どちらかというと後半が軽い印象があり、いくつも作ったものから選び抜いたという気がしません。
 中期作品である作品37や作品48は、ポエム(詩曲)とそれほどスタイル上の差は無い感じです。そして後期作品である作品67と作品74は無調性や神秘和音を多用し、プロコフィエフなどに通じるモダンな響きとなっています。スクリャビンのピアノ作品の中心たるものは10曲のピアノソナタであることに疑いは得ませんが、前奏曲もまた、彼の様式の変化をよりヴィヴィッドな形で示しているようで、興味深いものがあります。作品11以外の前奏曲をまとめて扱ってくれる演奏会は無いものかと思っています。

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