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打ち上げ復活 [世の中]

 先日、コーロ・ステラの演奏会で、久方ぶりに打ち上げをしたということを書きましたが、昨日もちょっとした演奏会があり、Chorus STが出演して、こちらでも久々に打ち上げをおこないました。
 ご承知のとおり、コロナ禍以来、大勢で集まって飲み食いすることは避けられていました。自分たちが避けるというだけでなく、そんなことをしていると周囲から冷たい眼で見られたものでした。飲食店にはひとりひとり区切るためのアクリル板が置かれました。あのアクリル板も、置きっ放しでかえって不潔ではないかと思われないでもないところが少なからずあったものですが、とにかく演奏会後の打ち上げなどはとんでもないと考えられることが続いていました。
 私の実家では、記念日などにときどき集まって外食をすることがありましたが、両親と妹とマダムと私の5人で席を予約しようとすると、はねられることが何度もありました。4人までなら良いのですが、5人だと店のほうが拒否するのです。ちょっと神経質すぎないかと思いましたが、そういう社会情勢だったので仕方がありません。
 コロナ禍の最初のころ、合唱の練習でクラスターが起こることは無い、と言われていました。しかし、岐阜だったかでそれが発生し、一挙に練習を自粛するところが増えたのでした。練習を自粛するどころか、そのまま解団に至ってしまったところもあり、私の指導していたクール・アルエットなどもそのひとつです。

 もっとも、岐阜のその合唱団は、練習そのものではなく、練習後にみんなでお茶を飲みに行ったりしていて、そのせいでクラスターが発生したのだという説も流れました。本当のところはわかりません。
 確かに合唱団というのは、合唱の練習もさることながら、練習が終わったあとのお茶会なり飲み会などが愉しい、という面もあります。コーロ・ステラのクラブソングである「ステラの四季」松永知子さん作詞、MIC作曲)の中にも、

 ──集まってお茶でも飲みながら ワイワイガヤガヤ おしゃべりしましょう♪

 という一節があります。また、Chorus STもかつて、

 ──練習の後のビールが旨い! ビールの前の練習が旨い!

 という標語を謳っていたことがありました。前者は昼間に練習している(比較的年配の)女声コーラスであり、後者は晩に活動している(その当時は若かった)混声コーラスなので、お茶とビールの差異はあるものの、アフターレッスンの愉しさには共通するものがあったわけです。
 それが、一切中止となりました。

 練習後がそうであれば、演奏会後などはさらに自粛ムードです。演奏会後はみんなとりわけテンションが上がりまくっていて、しゃべり声もどうしたって大きくなりますし、乾杯のために人々が行き交ったりもします。
 この自粛期間のあいだ、コーロ・ステラは自主演奏会が1回と、合唱祭などへの参加が2回ありました。Chorus STは自主演奏会が2回、合唱祭への参加が5回です。コロナ禍以前であれば、たいてい打ち上げが持たれていました。
 打ち上げは楽しいものですが、特に、舞台初参加だったりする人たちと親睦を深められるという利点もあります。初参加の人は、これまた例外なく、格別にテンションが上がっていて、はじめて舞台を踏んだ(ほかの団体で歌っていたことがあるケースもあるにせよ)感激にひたっているものです。打ち上げで古株メンバーと杯を交わすことで、その感激がさらに昂まり、帰属意識を持って貰える可能性が増えるのでした。
 それらが一切無くなるというのは、合唱団の維持という点でもなかなか不利であったのではないかと思います。まあ、「無くなったにもかかわらず」新人が続けてくれるとすれば、そんな親睦要素が無くとも団を気に入ってくれたということでもあるので、団体の質としてはむしろ良い方向なのかもしれませんが。

 そして、コーロ・ステラもChorus STも、このコロナ禍中に加わった新入団員が、案外と多かったのでした。3年にも及ぶ自粛期間だから、それなりに多いのも当然だろうと思われるかもしれませんが、どちらの合唱団も、それまで何年も、団員不足に悩まされていたのです。なんとか団員を増やさないと、団の運営的にも苦しいほどでした。団費を上げるか、指導者に来て貰う回数を調整するか、といったことを真剣に論じる状況になっていました。むしろ、コロナ禍の3年間に増えた人数が予想外に多かったと言わなければなりません。
 コーロ・ステラでも、この前の演奏会後の打ち上げの際、初舞台の人にひとことずつコメントして貰ったら、4、5人も居てびっくりしたものでした。私は通常、3~4週にいちどしか指導に行かないもので、新人が居ればその都度紹介はして貰えるにせよ、そんなに増えているという実感は無かったのです。私の振った『続・TOKYO物語』は案外と声も響きもしっかりしていた印象があるのですが、この曲は基本が2声で作られているので、各パートの人数が10人以上だったことになり、それは充実した響きになったはずだと納得しました。
 Chorus STはもっと劇的です。まず、2021年に開催した第13回演奏会で、以前にChorus STに属していたOBや有志の人々に声をかけて「30周年記念合唱団」として賛助出演して貰ったのでしたが、そこに参加したOB(女性なのでOGと言うべきか)がふたり、団員として戻ってきてくれました。そしてそのひとりが、家族ぐるみでつきあいのあった人を誘ってくれたのです。そういう場合普通は奥さんのほうを誘いそうですが、入団したのはご亭主のほうでした。そのご亭主が、また知り合いに声をかけてくれたのです。
 また、演奏の動画をyoutubeに上げたり、SNSに力を入れたりした結果として、入団希望してくれる人もぼちぼち出はじめました。今年の2月に開催した第14回演奏会では、なんと7人が演奏会初出演だったのです。ちなみにこのときの全出演者は21人です。実に3分の1が新人であったわけです。男声の人数が少なくなりすぎて、「混声三部合唱」という形態の曲でまとめざるを得なかった2018年第12回演奏会から考えると、わずか5年とはいえ隔世の感を覚えます。
 第14回演奏会の出演者のうち、昨日の舞台に出演できなかった人が2名居ます。しかし総勢は20名でした。つまり第14回のあとで入ってくれた人がさらにひとり居たということになります。流れができるというのはおそろしいものだと思いました。
 上に書いたように、コロナ禍の自粛期間中に、潰れてしまった合唱団がいくつもあったことも、このところの団員増加に与っているかもしれません。潰れた団の残党が流れてきたということではなく、合唱団に入ろうとした場合の選択肢が狭まったという意味合いで。

 いずれにしろ、そうして団員が増えると、以前にはたいていその都度歓迎会(という名目でのお茶会や飲み会)が開かれていたものですが、そういったこともずっと自粛されてきました。私はほとんど酒を飲まないこともあって、あんまり飲み会が重なるのも敬遠したいほうではありますが、さすがに練習後ただちに帰途に就くということが3年も続くと、いささか寂しい気もしていました。
 それで、コロナが第5類感染症に指定され直し、さまざまな規制や縛りが解除されて、演奏会のあとの打ち上げが、罪悪感無しにおこなわれるようになったのは、やはり嬉しいことであると感じました。もちろんクラスターが発生する危険が弱まったというわけでもなんでもないわけですが、クラスターが発生しても大したことは無い、という認識になったということでしょう。最初に岐阜でクラスターが発生したときに較べ、現在のオミクロン株ははるかに症状が軽くなっています。とはいえインフルエンザのような特効治療薬はまだできていないので、油断は禁物ですが……。
 コーロ・ステラの演奏会の打ち上げは、予定を超過して3時間にも及び、団員である母の帰りが遅いのを心配した私の妹が、店に電話をするほどの騒ぎでした。母が去年大怪我をして、杖が手放せない生活になっていたからではありますが、当の母は平然としたものでした。
 昨日のChorus STの打ち上げもなかなか盛会でした。都合があって出席できなかった人も数人居たとはいえ、ほとんどの新人は出てきており、彼らにおのおの感想を言って貰えたのはとても嬉しく思いました。私自身も、普段はそういう席ではノンアルコール飲料ばかり頼んでいるのに、昨日はアルコールの入ったものを2杯も注文しました。アルコールが久しぶりということもあって、もっと気分が悪くなるかとも按じたのですが、最後まで気持ち良く過ごせました。

 このあと、また感染が増えてくれば、再び自粛ムードが訪れることになるのかもしれません。全数調査をしなくなって、現在は週に一度、しかも大病院などでの定点観測だけになったので、細かい動向はわからなくなりましたが、コロナ感染症は実際のところ微増状態にあるようです。オミクロン株は症状は軽いものの感染力は侮れませんから、これから夏に向けて急増する可能性はなきにしもあらずです。
 そうなれば、アフターレッスン、アフターコンサートの愉しみであるお茶会飲み会も、以前のように遠慮せざるを得なくなるということも起こり得ます。それはそれで寂しいことではありますが、とりあえずは今を楽しめれば、という気持ちです。

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