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懐かしい人、懐かしい仕事 [お仕事]

 数日前に、非常に懐かしい人からメールが届きました。ほとんど三十数年ぶりの音信でした。
 学生時代に、混声合唱団誠ぐみという団体に属していたことは何度か書きました。東京藝大の学内サークルです。声楽科の学生だけでなく、器楽、楽理、そして作曲などの専攻、時期によっては美術学部の学生なども参加していた、間口の広い合唱団でした。
 卒業してからもこの合唱団の活動は続けていたのですが、だんだんと現役の団員が減り、最後の現役の卒業と共に解団となりました。練習場所が藝大の講義室などであったため、現役の学生が居ないと場所が借りられなかったのです。外で場所を借りてまで続けるモチベーションは無かったようです。
 それがすでに30年以上前のことになります。私は誠ぐみが解散してから、合唱を続けたくてChorus STに入ったのですが、私が入ったのが結成1年半ほどあとのこと、そのChorus STも3年前に30周年を迎えているのですから、どれだけの歳月が流れたかわかろうというものです。
 誠ぐみの終末期のメンバーとは、若干つながりがある人もあったとはいえ、ほとんどはそのまま疎遠になってしまいました。地方へ転出した人も居ました。一時期連狂歌の常連詠み人だった荒尾漆黒斎宗匠はそのひとりです。
 その頃の仲間で、解散以来まったく音信の無かった人からメールが届いたのですから、驚きました。ピアノ科の人で、学生時代は私より1期上であったと記憶しています。ちょっと変わったレパートリーを持つ人で、そういえばクリス・ヘイゼルのブラスアンサンブル作品『三匹の猫』を2台ピアノ用に編曲したのは、その人の示唆によるものであったことを思い出しました。
 年賀状のやりとりなどもしていないので、もちろん私の連絡先などももうわからなくなっていたでしょう。どうやら私の名前をネット検索し、ホームページに辿り着いて、そこのメールリンクから送ってきたものであるようです。
 なんの用件だったかというと、これまたえらく懐かしいというか古い話に関わるのでした。

 千葉県外房海岸に、勝浦という町があります。大きな漁港のあるところで、夏には海水浴場としても賑わいます。
 その勝浦に、国際武道大学という学校があります。
 武道大学ですので、当然ながら授業としても柔道やら剣道やら空手やらといった武道がおこなわれるわけですが、それとは別にクラブ活動としての柔道部や剣道部などもあるようです。授業でやるのと同じことを、さらにクラブ活動としてもやるとはずいぶん酔狂だなと思いますが、考えてみれば音楽大学のクラブ活動として混声合唱団誠ぐみをやっていた私たちも、はたから見ればさほど変わらないかもしれません。
 この、クラブ活動としての剣道部から、クラブソングを作りたいという話が持ち込まれたのでした。
 私に持ち込まれたわけではありません。私の卒業した中学・高校(国立の一貫校でした)に依頼が来たのです。
 というのは、そのときの剣道部の顧問をしていたのが、かつてその中学・高校に体育の先生として勤めていた人だったのでした。
 担任も持っていたので、非常勤というわけではなかったと思います。剣道が専門で、五段の腕前でした。プール掃除のときにふざけていた生徒たちを一列に並べて、ひとりずつビンタをかまして行ったという、いまなら大問題になりそうなこともしたことがありました。良くも悪くも熱血先生であったのだと思います。
 正規の教諭だったのですが、3、4年でお辞めになりました。うちの中高は世間からはたいへんな進学校とされている学校で、内実はそれほどガリガリではないのですけれども、しかしその先生の感覚としては軟弱に過ぎて、指導に情熱を持てなかったのではないかと思われます。
 うちの学校をお辞めになったのち、どうされていたのか存じ上げなかったのですが、当時新設の国際武道大学に奉職し、授業として剣道を教えるかたわら、クラブとしての剣道部の顧問に就かれていたということであったようです。
 クラブソングが欲しいということを学生から依願されたのでしょう。しかし先生は昔から剣道一筋で、歌を作ってくれるような伝手はまったく心当たりが無かったようです。それで窮した挙句、旧職である私の出身校に相談してきたのでした。
 教員会議で話し合った結果、作詞は漢文の先生に決まりました。授業にも毎回和服を着てくるような、いささか癖のある先生でしたが、私の高校時代にもっとも印象的なレポートを課された先生でもありました。任意の漢詩を日本語に訳せ、しかし単なる読み下し文は不可で、日本語の詩として通用するように、というもので、だいぶ頭をひねりました。いまでも自分の訳文を記憶しているほどです。
 高校時代はずいぶんお齢の先生かと思っていましたが、実は私よりひとまわりちょっと上なだけで、授業を受けていた頃はまだ30そこそこであったようです。
 その漢文の先生は、2篇の詞をほどなく書いたようです。えらく格調が高いというか、先生の好みで、旧漢字旧仮名遣いを用いた、いたって古格な文でした。好き勝手書いたわけではなく、使うタームなどは国際武道大学に問い合わせ、大学の方針とか理念とかを聞いて、それを採り入れたようです。
 さて、それで詞のほうはできたものの、問題は曲です。

 音楽の先生は、私もずいぶんお世話になったのですが、本職は声楽家です。ただ毎年おこなわれる学内の合唱祭のために、馴れぬ編曲作業をいつも悲鳴を上げながらやっておられました。それで、楽譜を書くことはできるのだから、というわけで押しつけられたのですが、あいにくと編曲と作曲はまるで違う作業であり、先生は作曲の素養はまるでありません。
 しかし、実に幸いなことに、ちょうどそのとき、学校を出たばかりのぺーぺーのチンピラ作曲家が、非常勤講師としてその学校に在籍していたのです。誰あろう私でした。

 まあ、私の前任の非常勤講師も作曲家であったので、一二年前でも対応はできたと思いますが、その剣道の先生にも漢文の先生にも教えを受けたことがあるということを考えると、卒業生である作曲家がたまたま非常勤講師をしているというタイミングは、九牛の一毛みたいなものではなかったかと思うのです。
 私の上司にあたる音楽の先生は、早速このクラブソングの作曲を、私に丸投げしました。
 私も本当に藝大を出たばかりで(卒業したその年でした)、いきなりそんな大仕事が舞い込んでいくぶん惑乱しました。
 まあ、私の恩師の佐藤眞先生などが若かったころは、あちこちに学校が新設されていた時代で、先生も20代のころから、校歌の作曲の依頼などを受けておられたようですが、私が大学を出たあたりになると、まだ少子化とまでは行かないまでも、出生数などが頭打ちになりつつあり、もうあまり校歌の発注などもありませんでした。そんな中で、クラブソングとはいえ依頼があったのは、嬉しいことでした。
 早速漢文の先生が書いた詞を読み、そして頭を抱えました。
 私もチンピラとはいえ、それなりに意欲もありましたから、ありきたりな校歌っぽい歌にはしたくないと思いました。多少なりとも若い感性を意識させる、新しい味を付け加えたいと考えたのです。
 ところができてきた詞は、上記のとおりむちゃくちゃ古格です。版権的にどうなのかわかりませんが、ちょっとだけ引用すると、

 ──無言の意氣に寒稽古 迷妄越えて道に入り 心を得たり自然體(たい)

 とか、

 ──冷暖自治(れいだんじち)を誰か知る 迷ひを晴らす百錬自得(ひゃくれんじとく) 一如と得たる心技體

 とかいった調子です。使っている字が旧字体や旧仮名遣いというだけではなく、文体も文語体というか、漢文読み下し調というか、非常に古めかしいのでした。これを当時30代の漢文教師が書いているのですから、いま考えても感心……という以上に茫然とします。
 「冷暖自知」とか「百錬自得」とかいう言葉は、たぶん国際武道大学の建学の志みたいなものから借用したのではないかと思いますが、それにしてもこれを歌うのはいくら武道家の卵とはいえいまどきの大学生なのであって、ちゃんと意味がわかるのだろうかと心配になりました。
 そして、こんな詞につける曲を、変にモダンなものにするわけにもゆかないではありませんか。私はあえなく、「よくある校歌風」な曲調をつけざるを得ませんでした。まあ、途中の和音処理などに、そうありきたりでないコード進行をつけたりはしてみましたが。
 詞が2篇作られていたので、両方に作曲しました。片方は明るく威風堂々、毅然、といった曲想、もうひとつはやや暗く、情熱的、といった雰囲気でした。どちらでも好きなほうを採用すれば良い、と考えたわけです。

 しばらくして、それらのお披露目会をするという案内が届きました。作詞者である漢文の先生、作曲者である私と共に、私に丸投げした専科の音楽の先生も招待されました。
 「いや、ぼくは全然関係してないわけだから」
 と音楽の先生は辞退したそうでしたが、お披露目会では学生たちが新しいクラブソングを歌うことになっていたので、その歌唱指導をお願いしたいということで招ばれていたのでした。
 特急「わかしお」で勝浦に向かいました。当時としてはかなり遠いイメージで、仕事でこんな遠くへ呼ばれるというのが、なんだか嬉しかった記憶があります。
 勝浦駅からは学校のクルマで国際武道大学へ。海辺の町なのに、大学はずいぶんと山の上にある印象でした。登り道をうねうねと辿って、真新しい大きな建物が見えてきました。たぶん大学ができて間もなくであったと思います。
 大きな講堂で、お披露目会がおこなわれました。クラブ活動としての剣道部というから、もっとこぢんまりした所帯を想像していたのですが、思った以上に大人数です。聞くと、剣道専攻者はもれなく剣道部にも所属しなければならない仕組みになっていたのだそうです。私などの感覚からすると、なんだか窮屈な気がしますし、現在ではどうなっているのか知りませんが、当時としては、公私ともどもに技を磨き精神を鍛えよう、という理念であったのでしょう。
 なお、私の提出した威風堂々なほうを「部歌」、情熱的なほうを「逍遥歌」と題して、両方とも採用されたようです。逍遥歌というのは当時はよくわからなかったのですが、この前関わった小樽商科大学にもありましたし、かつてはいろんな大学にあった模様です。
 学生は歌を専門にやっているわけでないのはもちろんですが、思いのほかしっかりした声でこの新しいクラブソングを歌っていたので、驚きました。気合をかける関係で、腹の底から大きな声を出すのに馴れていたのでしょう。
 剣道ではなぜか、打つ場所の名前を大声で叫んでいなければ有効打とは見なされないという不思議な慣習があります。また、打たないときでものべつまくなし奇声を発して相手を威嚇し続けていないと注意を受けたりします。「沈黙の剣士」みたいな存在は、現行の剣道では成立しません。そんなこんなで、みんなおなかから声を出すということについてはお手のものであったと思われます。自分の作った歌が、多人数で重厚な響きで歌われるのを聞き、私としても感無量でした。

 さて、それで国際武道大学との縁も終わったのでしたが、それが35年を経て、混声合唱団誠ぐみのかつての仲間からその話を持ち込まれたのだから、私が驚いたのも無理はありますまい。
 その人と国際武道大学の関係についてはよくわかりませんが、ともあれその剣道部の同窓会から相談を受けたようなのでした。例会などで使っている部歌・逍遥歌の音源が劣化してしまって、あらたに録音したいというわけです。
 それで、その昔の仲間がピアノ、その知り合いの歌手が歌唱、ということに決まったは良いものの、35年前に私が提出した楽譜は完全に失われていたのだとか。みんな、歌うにしても耳覚えで、せいぜい歌詞カードを見て歌うだけの状態になっていたのでしょう。
 楽譜が無いのでは、ピアノの人も困ったでしょう。最悪、その劣化した音源から耳コピするしか無いか、とうんざりしかけたところで、ふと歌詞カードに書かれていた作曲者名を見ると、30年前の仲間であった私の名前があった……という次第でした。その瞬間の顔を見てみたかったもので、
 「うそぉ?!」
 とでも叫んだのではないでしょうか。
 メールには久闊を如するとともに、この両曲の音源がもしあれば欲しいこと、音源が無ければ楽譜が欲しいこと、それも無ければ耳コピで適当に拾って演奏することの許可が欲しいこと、が書かれていました。
 そのころはまだ、何につけても音源音源とやたら要求される時代でもなく、お披露目会でみんなで歌った録音なども録っていたかどうかよくわかりません。少なくとも私は貰いませんでしたし、従って音源は持っていません。
 しかし、楽譜なら残っていました。お披露目会のパンフレットと一緒に、手書き譜のファイルの中に入っていたのです。パンフレットを見ると、漢文の先生、音楽の先生、そして私の写真も印刷されていましたが、私の写真は大学を出たばかりどころか、どうも高校の卒業アルバムか何かから提供されたらしく、若いと言うより何やら子供っぽい感じです。
 楽譜のコピーをとって郵送したりするのも面倒なので、この際どちらの歌もパソコンで打ち込んで、データで送ることにしました。そのほうが、前の楽譜のように紛失することも無いでしょう。それから、ピアノ伴奏つきの楽譜だけでなく、歌だけの譜面も添えることにしました。1枚で済むので、学生に新たに配るのにも便利だと思います。
 短い曲なので、打ち込むのに手間はかかりませんでした。私も齢を重ね、当時は古めかしいだけと思っていた歌詞が案外と熱情的であることに気づいたりもしました。部歌は4番まであり、四つの季節と四つの学年を重ねるように書かれています。逍遥歌のほうは3番までですが、文体の古めかしさを別にすれば、なんだかヒーローものの主題歌であるかのようなパトスを持っているのでした。

 ──嗚呼(ああ)黎明(れいめい)を我等告ぐ 覇権を競う邪剣の闇に 尚武の風を吹き通し……

 この2句目など、何やら立ちはだかる巨悪に立ち向かうかのような勢いです。授業を受けていた頃から変な人だと思っていた漢文の先生も、けっこう心に熱いものを持っておられたのだと今さらながら感じました。
 思いがけない人からの連絡で、思いがけない昔の仕事の埃を払うようなことになりました。音楽をずっとやっていて良かったと思うひとときです。

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