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パリはまた燃えているぞ [世の中]

 フランスで起こっている暴動騒ぎは、もう手がつけられないような状態に陥っているようです。パリ近辺で6月30日の晩に略奪や暴動が発生した地点をマークした地図を見ましたが、ほとんど粗密が無いような感じでした。文字どおりパリ中で起こっているわけです。
 パリだけでなく、マルセイユリヨンその他あちこちの地方都市でも騒ぎになっているようですし、ほとんど全土的な騒乱と言って良いでしょう。
 さらに隣国であるドイツベルギーオランダなどまで暴動が波及しているようで、もはや何を要求しての騒ぎなのかもわからなくなっています。一国内であれば、その国の政府に何かを要求してのことだろうと察せられますが、ベルギーやオランダの政府に何を求めているのでしょうか。
 きっかけとなったのは、警察の停止命令を無視してクルマを走らせた17歳の少年が射殺されたという事件なのですが、これがアルジェリア系の移民であったために騒ぎが大きくなったようです。警官が黒人の容疑者を確保しようとして死なせてしまったことから起こった、数年前のUSAの暴動騒ぎを思い起こさせます。あれも、容疑者がたまたま黒人であったというだけで、黒人を特に狙い撃ちにしたという話ではなかったのですが、たちまち人種差別案件にされてしまい、えらいことになってしまいました。
 今回も同様でしょう。警察の制止に逆らってクルマを発進させたのが、たまたま移民の子供であったというだけのことだと思いますが、それが大騒動になってしまいました。
 まあ17歳の少年を現場でいきなり射殺するというのも乱暴な話ではありますが、その時点では年齢などもわからなかったわけです。
 われわれから見れば、何歳であろうと、いきなり警官が容疑者を射殺するのは問題に思えますが、そのあたりは欧米ではある程度許容されるようです。かつてのニースでの大量殺人の際も、結局は犯人はその場で射殺されました。ヨーロッパの国々は、日本にまだ死刑があるというので、野蛮だの残酷だのと批難してきますが、死刑を廃止した国ほど、現場での射殺などはよくおこなわれているようです。捜査に瑕疵でもあれば裁判で無罪になったりもしますし、有期刑で出てきたりすると逮捕した警察官が復讐されたりもするので、下手に生かして確保するよりも射殺してしまったほうが何かと簡単だということもあるのかもしれません。
 マダムが好んで見ていたフランスの刑事ドラマでも、主人公が容疑者をやむなく射殺してしまうエピソードがありました。まあ、それなりに査問にかけられたり、マスコミの批判を受けたりもしていましたが、最終的には主人公は処罰もされず、もとの地位にとどまっていました。
 とはいえ、停止命令に従わなかったくらいで射殺することはないだろうに、という感覚は向こうにもあるようです。クルマを兇器にして大量殺人をおこなうという事件がヨーロッパでも増えているために、警察も神経質になっていたのかもしれません。
 ともあれ、その事件が火種となって、手のつけられない全国的な騒乱になってしまいました。警察の労働組合などは、これはもう内戦だとコメントしています。
 USAの騒ぎの時も、暴れていたのは必ずしも黒人ばかりではなかったようですが、今回もイスラム系住民ばかりではなさそうです。何がどうというのでなく、なんとなく漠然とした不満を感じていた底辺層が、一気に爆発したというところでしょうか。
 あちこちで火災が起き、要人が襲撃され、その家族も負傷したりしている報道を見ていると、とても21世紀の先進国の様相とは思えないほどです。いや、これが21世紀という時代の真の姿なのでしょうか。
 前にも書いたことがありますが、フランスという国は、いまだに暴動を起こすことをそれほど忌避していないところがあるように思えます。要するに大革命という暴力まみれの世直しをやってのけ、それをきちんと総括することなく、むしろ賛美する方向で定着させてしまったために、何か世の中に不満があれば、請願とか選挙とかで変えようとするのでなく、ひと暴れして行政に要求を呑ませたほうが簡単だという認識が国民に行き渡ってしまったのです。
 大革命のあと、10年くらいはギロチンがフル稼働する勢いで殺し合いが続いていましたし、ナポレオンが擡頭してひとまず国内がおさまったと思ったら、長い対外戦争がはじまりました。ナポレオンの失脚後はまた混乱状態に陥り、七月革命やら二月革命やら、しょっちゅう流血騒ぎが起きています。ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』の第4部で熾烈な市街戦を描写していますが、あれは1832年六月暴動と呼ばれる騒ぎで、「革命」とは認定されていません。あの小説の中でも、市街戦で何人もの登場人物が命を落としますが、そんな「名付けられない暴動」は枚挙にいとまがありませんでした。
 彼らは基本的に、流血によって世直しをするということに、遺伝的な昂揚感を覚えるのではないかと思われます。国歌「ラ・マルセイエーズ」がまさに流血による変革を高らかに賛美する内容であり、

 ──何かを変えるために、敵と定めた相手に血を流させる

 ことがまごうことなき正義として謳われています。
 大革命を筆頭とする殺し合いの歴史を、彼らは決して否定していません。ほぼ無条件に肯定しており、フランス人たるものああでなくてはならない、と思い定めています。
 もともとのフランス人がそんな考えかたなのですから、あとからやってきた移民たちも同様の感覚になることは明らかです。経済が成長しているときならそれほどの不満も抱かずに済むでしょうが、ひとたび停滞すれば、移民はどうしても余計者としてはじき出されることになります。あるいは移民に仕事を奪われたと感じる本国人も増えてくることになります。双方の不満がくすぶっているところへ、警察による移民少年の射殺という火種が投下されたので、それを口実として誰も彼もが暴れ出したというところでしょう。
 すでに外国人への襲撃も起こっています。マルセイユで、中国人観光客団体の乗ったバスが暴徒に襲われました。子供が
 「そっち行っちゃ危ないよ」
 と警告していたそうですが、運転手がそれを無視して進んだところ、襲撃を受け、窓ガラスなどがほとんど割られて何人もの観光客が怪我をしたとのこと。
 同じくマルセイユで由緒ある大図書館が全焼したというニュースにも接しましたが、これは暴動と関係があるのかどうかよくわかりません。
 軍隊でも繰り出して鎮圧しないと収拾がつかないのではないでしょうか。警察だけで事態をおさめることができるのかどうか……
 こんな中、マクロン大統領はエルトン・ジョンのライブに出かけてノリノリで膝を叩いていたという報があり、これには笑いました。いや笑い事ではないのですけれども。
 しかもエルトン・ジョンはパリのあちこちで火の手が上がっているそのときに、「Burning Town The Mission」を歌っていたらしいというので、こうなるとほとんどギャグですね。
 マクロンは度重なる失政や失言で、次の選挙で勝つことは無理だろうと言われていますが、もうほとんど政治を投げてしまっているのかもしれません。去年、ウクライナへの侵攻で四面楚歌状態だったロシアプーチン大統領と何度も電話会談をおこない、「プーチン番」「プーチンの介護士」などと呼ばれていたころは、それなりに存在感も示していたのですが、その後、USAと異なるスタンスをとりたいあまりにロシアを擁護したみたいな発言をして、少なくとも西側諸国には大いに失望されました。
 パリで燃え盛った火の手の中には、花火のように美しいものもあったそうです。マクロンは、薩摩藩が倒幕に決した夜、狂ったように花火を打ち上げさせてそれを見上げていた島津久光のような、投げやりな気分になっているのかもしれませんね。

 暴れているのはムスリムだけではなさそうですが、価値観の異なる異国の民を、野放図に移民として迎え入れたのが、全国的な暴動の一因であることは間違いなさそうです。そのほとんどは、安価な労働力としての受け容れでした。ドイツの元首相メルケル女史の場合は、人類みな兄弟という理想に燃えてのことだった気配がありますが、フランスではそんなことはないでしょう。まあ、アルジェリアに関しては、もと宗主国としてのケツ持ちみたいなところがあったかもしれませんが。
 それにしても、「価値観の異なる」という部分をあまり重視していなかったのではないかと思えるのです。
 世界中が自分たちの価値観を受け容れるべきだ、いやむしろ、生活が向上すればどこの誰であっても自分たちの価値観に近づいてくるはずだ、という、近代キリスト教国特有の思い込みが、とりわけUSAとフランスには強固に存在するのではないでしょうか。
 残念ながら、欧米の価値観というものは、それほど普遍的とは言えません。民主主義、自由主義、資本主義、個人主義、法治主義、表現の自由等々……いずれも、相容れない考えかたを持っている人々は、まだ世界中のそこかしこに存在します。たとえば信仰の尊厳をこそこれらの上位に置くという国や人も多く、イスラム教徒の大半はそうでしょう。そういう人々を、無軌道に受け容れてゆけば、どこかで衝突が起こるのも当然です。これも、世の中の景気が良いうちはそれほど齟齬が目立ちませんが、不景気になってくると顕著になってきます。
 これはイスラム教について書いたものの中で何回も触れているのですが、ムスリムというのは、よその土地に行って、その社会に融け込んで暮らすということが、本質的にできない人々です。どこへ行っても礼拝所を造らなければならず、またハラール認証された店でしか食べ物を買うことができず、従ってある程度仲間で群れなければ生きてゆけません。礼拝所やハラール認証店からあまり離れた場所に住むわけにはゆかないのです。また、行った先の社会に融け込んで暮らすというのは、
 「信仰よりも、異教徒との妥協を優先する」
 ということになり、ムスリムにとっては許すべからざる行為となります。
 問題は、ムスリムとはそういうものだということを、移民として受け容れる側がきちんと認識していたかどうかです。どうも、そんなに深刻に考えてのことだったとは思えないのです。
 ムスリムはその本質として、群れなければ生きられないということ。それがわかっていれば、受け容れた場合には居住区、コロニーが必ず作られることになり、そこではイスラム法が優先されるがゆえに、地元の警察すら容易には踏み込めない地区になってしまうだろう……ということも予想がついたはずです。実際、フランスにもベルギーにも、そうした治外法権的な地区が、すでにたくさんできてしまっているようです。一掃しようとしても、もう手遅れなのでした。
 価値観の違う人々を受け容れるというのは、そういう危険をつねにはらんでいると言えます。移民を労働力としてのみ見るのは非常に危ういことであり、日本の経済人の中にもそのように考えている人が少なくないのが懸念されます。まあ百歩譲って労働力として期待するのは良いとしても、「安価な労働力」と考えるならば必ずいつかしっぺ返しをくらうことでしょう。
 日本という社会は、融け込もうとする外国人に対してはわりと温かく迎え入れると思われますが、融け込もうとせず異質なコロニーをつくる、むしろつくらざるを得ない外国人はけっこう厳しく拒絶するところがあります。「世界でも類例を見ないほど温かく親切な人々だ」「非常に冷たく、心を開かない人々だ」という、日本人に対する二極分解、二律背反したような評価は、そこに由来します。
 その意味では、移民を受け容れるのは結構だけれども、当面はムスリムはやめておいたほうが良いというのが私の意見です。価値観があまりに違い過ぎるのです。受け容れるとすれば、せめて仏教国からにしておいたほうが良いでしょう。まあ、東南アジアあたりの小乗仏教は、日本の大乗仏教とはだいぶ違っていて、これも無条件に同じ宗教とは言い切れないのですが、イスラムよりはお互い理解できる部分がありそうです。
 数年前まで、日本がなかなか移民を受け容れないのを批難していたヨーロッパ諸国が、最近では移民を受け容れなかった日本は結果的に賢かった、などと言い出しています。実のところヨーロッパだって、試行錯誤を繰り返し、むしろ失敗が多いくらいなのですが、自分たちがつねに正しいというふりだけは上手なので、あちらからの評価をすぐ真に受ける日本人が多いこと。いい加減振り回されるのはやめたいところです。
 もっとも、日本が移民を受け容れていないというのも実は正確ではなく、「移民」の定義によっては世界第4位の受け容れ国なんだそうです。賢明にも「融け込む」タイプの外国人を「選別」して受け容れているということなのかもしれません。われわれも日本のようにしておけば良かった、という悔悟がヨーロッパ諸国にはあるのでしょう。
 ヨーロッパ諸国では、出生率なども移民のほうがずっと高いようで、数十年後にはもとの国民が少数派になるだろうとも言われています。人種と宗教の大規模なシャッフルが、ヨーロッパではすでにはじまっているのです。日本もやがてその流れに抗えなくなる日が来るのかもしれませんが、まあ私の生きているあいだは大丈夫かな、と考えている次第です。

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