SSブログ

「楽語」を考える(4)演奏標語 [いろいろ]

 楽譜に書かれている文字情報「楽語」についていろいろ考えてきましたが、最後に「演奏標語」について触れておきます。これまでの、速度標語強弱記号変化標語発想標語などは、どんな楽器、あるいは声楽に対しても共通で成立するものでしたが、演奏標語はその楽器特有のものが多くなります。また、簡略化した記号で示されることもよくあり、むしろ「演奏記号」と呼ばれることのほうが普通かもしれません。

●ピアノ●
 ある意味もっともポピュラーな楽器だけに、ピアノ特有の演奏標語・演奏記号はけっこう種類があります。
 ピアノは鍵盤楽器であるわけですが、鍵盤だけで成り立っているわけでもありません。特徴的なのは足で操作するペダルです。まずこのペダルについての楽語から考えてみましょう。
 グランドピアノの場合、3つのペダルを備えているのが標準型です。ただし価格の安いピアノ、製造年が古いピアノなどではふたつしか無いものもあります。
 右のペダルをダンパーペダルと言い、弦を押さえているダンパーという機構を動かします。ふだんは弦にダンパーが接しており、鍵盤を押すとそのダンバーが外れると共にハンマーが弦を叩きます。それで音が出るわけです。もしダンパーが外れないと、いわば消音器みたいなものですから、かすかな音しか出すことができません。
 鍵盤から指を離すと、ダンパーが戻り、音が消えます。
 このとき、右のペダルを踏んでいると、すべてのダンパーが外れたままになります。従って音が消えることは無く、弦の振動が完全に無くなるまでは音が響き続けます。つまり余韻を響かせるのがダンパーペダルの役割ですが、ピアノの場合余韻と言うには大きな音が残ります。ダンパーペダルをうまく操作するのがピアニストの腕の重要な要素になります。
 ダンパーペダルを使うべきところには、「Ped.」という文字を図案化した記号が書かれます。ジャーマンフォントをもとにした、けっこう重量感のある記号なので、数多く書かれる場合は「P.」のみの記号も使われます。ペダルを離すところには、米印に似た記号を用います。ここに例示したいのですが、機種依存文字なのでスマホなどでは表示できませんから、残念ながら説明だけにとどめます。

 これに対し、左のペダルをソフトペダルと呼びます。これは鍵盤そのものをわずかにずらす機能があり、そのためにハンマーが叩く弦が変わります。現在のピアノでは、低音部を除いて、ひとつの音に3本の弦が割り振られています。この3本が共鳴したり干渉したりしてピアノ特有の音を作るわけで、そのためピアノの調律は非常な音感と技術を必要とします。前身のハープシコードクラヴィコードは、演奏者自身が調律をするのが普通でしたが、ピアノは「ピアノ調律師」という職業が成立するほどに専門化しました。一人前の調律師になるには10年の修行が必要と言われています。
 さて、ソフトペダルを踏むと、鍵盤つまりハンマーの位置がずれ、2本の弦にしか当たらなくなります。そうすると共鳴の具合も干渉の具合も変わってしまい、なおかつ弦が1本減るので音量もいくぶん落ちます。そのため弱音ペダルとも呼ばれますが、本来は「音を弱くする」ための機構ではなく、「音色を変える」ための機構です。
 こちらのペダルを使う場合は、una cordaという標語で示します。unaはイタリア語で「ひとつの」ということですから、これは「1本の弦で」を意味します。u.c.という略号で記されることもあります。
 ただ、上記のとおり、実際には2本の弦を叩くことになります。初期のピアノは3本弦ではなく2本弦で、ソフトペダルによって叩く弦が1本だけになったのですが、その名残りです。2本の弦、つまりdue cordaと直されなかったのは、初期のピアノでソフトペダルを離す記号としてdue cordaが使われたからで、従って古めの曲を弾くときにまぎらわしいからでしょう。ベートーヴェンの後期作品にはuna cordadue cordaが多用されています。
 現在では、ソフトペダルを離す指示としてはtre corda、つまり「3本の弦で」が使われます。t.c.という略号も使用されています。
 なお、アップライトピアノの場合は、ソフトペダルはハンマーと弦の距離を近づける機構となっています。ハンマーの可動域を小さくすることで音を小さくするという方法で、こちらは文字どおりの弱音ペダルと言っても良いでしょう。

 真ん中のペダルは、グランドピアノとアップライトピアノではまったく役割が違います。アップライトピアノの場合はソフトペダルよりさらに弱音を出すようにして、たとえば夜間に練習するようなときの便宜を計ります。このペダルを用いるための標語や記号は特にありません。
 グランドピアノの真ん中のペダルは、ソステヌートペダルと呼ばれます。これは、「直前に叩かれた鍵盤のダンパーのみを外したままにし、その他の鍵盤については通常の処理をおこなう」機構です。なぜこんな機能が必要かというと、ベースの音を保持したまま上の音域でいろいろと動かす、ということをやりたがった作曲家や演奏家が増えたからです。ピアノ音楽が複雑化した結果でしょう。ダンパーペダルで同じことをやろうとすると、すべての音がなかなか減衰しなくなり、ものすごく汚い響きになってしまうのでした。
 作曲家がこのペダルの仕様を指示するようになったのは20世紀に入ってからのことです。第3のペダルという意味で、ペダル記号の前に3とかIIIとかの数字をつけて表したりしていましたが、3本のうちの真ん中のペダルなのに3とかIIIとか書かれているとわかりにくいため、最近ではsostenuto pedalあるいはs.p.という表記を用いることが多くなっています。
 なお、音が出ないように鍵盤を叩いたのちにソステヌートペダルを用い、もっと高い音を弾くと、ダンパーの外れている鍵盤の倍音にあたる音のみ独特の余韻を持ちます。トーンクラスター(密集音)と組み合わせて、ピアノの新しい音資源として用いることが、現代音楽ではしばしば見られるようになりました。この奏法は、音が出ないように叩く鍵盤に相当する音符をひし形で書くのが普通です。弦楽器に倣って、倍音奏法ハーモニックスフラジオレットなどのように呼ばれます。

 ピアノを弾くとき、普通は両手を用いるので、ピアノの譜面はたいてい大譜表、あるいは2段譜と呼ばれるものを使います。上の段が右手、下の段が左手で弾かれるわけです。1段譜や3段譜、ときには4段譜以上が使われることもありますが、まあ例外と考えて良いでしょう。
 しかし、場合によって、上の段でも左手でとったほうが弾きやすい、あるいは下の段でも右手を使うほうが楽、ということがあります。段を書き分けるとかえって見づらいということも生じます。
 その場合に、どちらの手を用いるかという指示がなされることがあります。「右手で」は英語のRight Handの略でR.H.、またはイタリア語のmano destra、フランス語のmain droiteの略てm.d.と書かれます。 右手はイタリア語でもフランス語でもm.d.なので良いのですが、「左手で」は英語のLeft Handの略のL.H.、イタリア語のmano sinistraの略のm.s.、フランス語のmain gaucheの略のm.g.がそれぞれ使われ、ちょっと迷うことがあります。私は楽語は基本的にイタリア語準拠か日本語というつもりでいますが、これだけはついm.g.としてしまうことがちょくちょくあります。

 アルペッジョarpeggioも、ある意味ではピアノ独特の演奏標語です。アルペッジョというのは分散和音のことですので、どの楽器でも良さそうな気がしますが、たいていは普通に音符として書かれます。しかしピアノの場合、多くの音をいちどに鳴らすことが可能です。その和音をあえて少しずつ、素早くずらして弾くという奏法があって、これはほかの楽器ではできないでしょう。普通は、和音の左側に添えられたタテの波線という記号で示されます。特に附記が無ければ、下から上に向かってかき鳴らすように弾きます。上から下に向かいたい場合は、波線に下向きの矢印をつけたりします。
 ある範囲、すべての和音をアルペッジョにしたいような場合は、全部に波線をつけると見づらくなるので、arpeggioもしくはarpeggiareと言葉を書いておいたりします。
 あと、現代音楽だけですが、鍵盤ではなく直接弦を、指やピック、ワイヤーブラシなどではじく、内部奏法と言われる奏法があります。これもひし形の音符で示されることが多いようです。弦が傷むので、いやがるピアニストやホールも多いようです。

●弦楽器●
 オーケストラで使う弦楽器には、ハープのような撥弦楽器もありますが、普通弦楽器というと、ヴァイオリン属の擦弦楽器群を意味します。大きさ、つまり音域が違うだけで、発音機構はどれも同じですので、同じ演奏標語が使われます。
 ヴァイオリン属特有の奏法というと、まず音色を変える方法がいくつかあります。
 よく使われるのはピチカートpizzicatoで、弓を使わず指で弦をはじきます。撥弦楽器のような減衰の早い音になります。図体が大きくなると減衰がだんだん遅くなり、余韻が響くようになるので、コントラバスでは曲の大半がピチカートなんてこともあります。pizz.という略号で記されるのが普通です。
 中にはバルトーク・ピチカートと言って、弦をはじくというよりも叩きつけるようなやりかたもあり、当然衝撃的な音になります。弦が傷むので、弦楽器奏者はあまり好まないようです。丸に交わる短い線という記号で示されます。
 それから、コル・レーニョcol legnoという奏法があります。colはwithと同義、legnoは「木」ですので、つまり「木で」ということで、弓の背にあたる木材の部分で弦をこすったり叩いたりします。かさかさしたような音がします。
 ピチカートもコル・レーニョも、もとに戻すときにはarcoと記します。意味は「弓」で、普通に弓で弾け、ということです。
 スル・ポンティチェッロsul ponticelloというのは、弦を支える駒に近いところで弓を走らせるやりかたで、通常よりも雑音が多い感じの、ガサガサした音が出ます。しかし現代の作曲家はこの音を好むことが多いようで、
 「おれ、この前書いた曲、気づいたら弦が全部スルポンになってやんの」
 「あ、おれもだ」
 などと先輩が会話していたのを、学生時代に聞いたことがあります。騒音の多い現代らしいセンスかもしれません。とはいえ、弦楽合奏で弱音で、しかもトレモロなどで奏されると、倍音が繊細に響いて非常に美しい効果ともなるのでした。
 sul pont.と略されることが多いです。もとに戻すときはord.と表記します。ordinario、「普通の」「通常の」の略です。

 弱音器という器具を装着して、柔らかい、音量が少なめの音を出すことがあります。英語でミュートMuteと書かれることもありますが、イタリア語ではcon sordinoと書き、con sord.と略記もされます。外すときにはsenza sordinoまたはsenza sord.と記します。これは金管楽器などでも同じ言葉を使います。弱音器の着け外しは、熟達した奏者ならほとんど一瞬でできるようですが、音を延ばしたり動かしたりしながら着脱するのは無理ですので、作曲家は注意が必要でしょう。

 ハーモニックス、あるいはフラジオレットと呼ばれる奏法もよく知られます。弦の長さの2分の1、3分の1、4分の1などのところに軽く指を当てることで、本来の振動(=音)を殺し、倍音を鳴らすことができます。繊細な、時としてすすり泣くような音色となります。弦の長さの2分の1はオクターブ上、3分の1は5度上、4分の1は4度上ですので、本来の基音を示す音符のオクターブ上とか5度上とか4度上とかに、ひし形の白音符を重ねることでハーモニックスを示します。また、出しかたは演奏者に任せて、とにかくハーモニックスによる音であることを示すために、音符の上に○印をつける書きかたもあります。

 弓の使いかた、弓を「上げて」(「押して」)出すか「下げて」(「引いて」)出すかということも、弦楽器奏者にとっては重要です。作曲家は奏者に任せてしまうことも多いのですが、音符の上に決まった記号をつけることで示します。記号の実物をここでお目にかけられないのが残念なのですが、「上げ弓」はvのような記号、「下げ弓」はコの字の開口部を下に向けたような記号です。

 ヴァイオリン属の弦楽器はそれぞれ4本の弦を持っています(コントラバスには5弦のものもあります)。弦はそれぞれ材質が異なるため、あえて「どの弦で」弾くのかを指定することがあります。sul D(D線で)、sul A(A線で)のように書かれることが普通です。sul III(3番めの弦で)のように書かれたこともありますが、わかりづらいせいかいまはあまり使われません。
 バッハ管弦楽組曲第3番の2曲目のエアという曲は、本来は別に弦の指定は無いのですが、とあるヴァイオリニストがこれをヴァイオリンとピアノのために編曲したとき、調を2度下げてハ長調にし、さらにsempre sul G(つねにG線で)と指定しました。これがいまに伝わる「G線上のアリア」です。エアとアリアは同じ「空気」という意味で、この場合は「歌」というほどのことです。

●木管楽器●
 木管楽器フルート属・オーボエ属・クラリネット属・ファゴット属に大別されます。木管楽器の条件は、材質が木製であることではなく、本体に開けられた孔を開閉することで音程を作るという機構を備えていることです。だからリコーダーなどはもちろん、オール金属製のサクソフォン(実はクラリネット属)、陶器製のオカリナなども木管楽器に含まれます。
 それぞれに奏法も音色も独特で、木管楽器だけにあってほかには見られないような演奏標語はほとんど思いつきませんが、ひとつだけ、Flatterzungeというのがあります。Flatt.と略されることもあります。フラッターツンゲという語感のとおりこれはドイツ語で、イタリア語ではありません。意味は「はためく舌」で、ドイツ語でRという子音を発音するときのように舌をふるわせ、巻き舌のようにして吹くやりかたです。オーボエやファゴットなどダブルリード楽器ではさほどの効果が見られませんが、フルートやクラリネットでは特異な効果を発揮します。トレモロのように符尾に斜線をつけて書くこともあれば、該当する範囲にFlatt.- - - -のように附記する場合もあります。

●金管楽器●
 金管楽器独特の演奏標語としては、弦楽器のところでも触れたcon sordinoがあります。con sord.と略記もされます。弦楽器の弱音器とは違う形ですが、金管楽器にも弱音器があり、それを装着するということです。外すときにはsenza sordinosenza sord.)と記します。金管楽器の弱音器は、弦楽器のそれと違って、必ずしも柔らかい音になるわけではありません。むしろcon sord.でのスフォルツァンドsfなど、つんざくような強烈な音が出ます。あえてその音を使いたいために弱音器をつけさせる作曲家も居ます。
 木管楽器で触れたFlatterzungeFlatt.)は金管でも使用可能ですが、有効なのはホルンと、トランペットの一部音域に限られるようです。トロンボーンテューバでは、思ったほどの効果が出ません。
 本来金管楽器は、出せる音がひとつの基音とその倍音しか無いため、古い時代には頻繁に楽器を持ち替えて演奏していました。それで昔は、in B(B管で)とか、in D(D管で)とかの指示がたくさんありました。19世紀に入ると、楽器そのものを持ち替えるのではなく、管の長さを変えるアタッチメントを付け替える方式となりましたが、それでもそのアタッチメントを使用するかで、同じ書きかたが続けられました。ヴァーグナーくらいまでその方式だったようです。
 19世紀末くらいにバルブ式が導入され、ようやく金管楽器は持ち替えや付け替え無しでオクターブのすべての音を出せるようになり、in Bのような書き込みは無くなりました。これは使われていた演奏標語が廃れた一例です。

 打楽器については、種類ごとの奏法が違い過ぎて、用いられる演奏指示もバラバラであり、打楽器ならではというようなものがあまり見当たらないので、省略します。

 あとは声楽ですが、半分の声でmezza voceとか小さな声でsotto voceなどの表示がよく見受けられますけれども、これらは転じて、楽器にも使われるようになりました。特に「ベルカント唱法をピアノに移した」と言われるショパンのピアノ曲には、しばしばこれらの指示が添えられています。
 声楽を伴う楽曲で、器楽の部分にcol cantoとかcolla partecolla voceなどと書かれていることがあります。「歌に合わせて」「主旋律に合わせて」「声に合わせて」ということでいずれもほぼ同じ意味です。歌がいろいろ自由な息遣いで歌っているようなときに、楽器がそれに合わせるように演奏する、ということになります。オペラなどでは頻繁に登場します。

 どの楽器にも(歌にも)使えますが、それぞれ得られる効果が異なるという言葉があります。グリッサンドglissandoです。「滑らせて」「滑るように」というのが原義ですが、これはピアノでは指の爪を鍵盤に滑らせるようにして、素早い音階を弾く奏法です。その性質上、白鍵の音階か黒鍵の音階しか弾けず、白と黒を混ぜたグリッサンドというのは不可能です。リストラヴェルに、重音でのグリッサンドというのが見受けられ、むちゃくちゃ難易度の高いテクニックです。
 一方弦楽器では、弦の上を指を滑らせるということになるので、音程を連続的に変えてゆくことが可能です。ポルタメントportamentoというのも似たような奏法で、比較的狭い音程のあいだを連続的につなげるときにこの言葉を使うようです。
 木管楽器のグリッサンドはなかなか難しいケースも多いのですが、ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」冒頭のクラリネットのグリッサンドは独特の効果を上げていますね。
 金管楽器で真の意味のグリッサンドが可能なのはトロンボーンだけですが、任意のどの音とどの音のあいだでも可能というわけではありません。疑似的にはほかの楽器でもできなくはありません。
 グリッサンドがいちばん似つかわしく、むしろ基本奏法と考えられるのがハープです。まさに「竪琴をかき鳴らす」というそのままの意味でのグリッサンドが可能です。ピアノでは大変な重音グリッサンドも、いとも簡単にできてしまうのでした。

 4回にわたって楽語を考えてきましたが、何度も申し上げたとおり、ごくごく代表的なものを採り上げてみたに過ぎません。古今の楽譜に書きこまれてきた「言葉」は、まだまだたくさんあります。1曲だけでしか見たことが無い、なんてのも珍しくありません。調べ出すとどんどん面白くなるので、音楽を演奏する人はぜひ楽語への興味を持っていただきたいと思っています。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。