SSブログ

「楽語」を考える(3)発想標語 [いろいろ]

 速度標語強弱記号変化記号変化標語に続き、いよいよ発想標語を考えてみましょう。
 「発想記号」ともよく書かれますが、イタリア語の単語などがそのまま使われることが多いので、記号というよりは標語と呼んだほうが良いと思います。
 これについては、任意の言葉の副詞形を用いればなんでも可能というところがあり、いままで使われてきた発想標語を網羅することは誰にもできないでしょう。日本の作曲家の中にも、

 ──これ、辞書と首っ引きで探してきたんじゃないのか?

 と思われるような、見憶えの無いイタリア語をやたらと使っている人が居ます。実は私も、luccicandoという発想標語をしばしば使うのですが、これは普通の辞書には立項されていないと思います。「きらきらと輝くように」という意味合いですが、辞書にあるのはluccicareという動詞だけで、楽語として使うための副詞形はまず載っていません。
 そんなわけで、滅多に使われないような言葉まで採り上げると大変なことになります。ここでは比較的よくつかわれる、従って楽典の教科書などにたいてい載っている言葉について語ってみたいと思います。

●音のつながりかたに関する発想標語●
 発想標語とひとことで言っても、その中にはいくつかのジャンルみたいなものがあります。大きく分けて、やや演奏標語のほうに近いところもある、音のつながりかた(アーティキュレイション)に関するもの。そして文字どおり「発想」にあたる、感情表出の方法に関するものです。
 アーティキュレイション系の発想標語では、legato(レガート)、marcato(マルカート)、staccato(スタッカート)、tenuto(テヌート)などが挙げられます。

 legatoは普通「なめらかに」と訳されます。原義は「つながる」ということで、綱などでひとつながりにすること、ひとつながりになっていること、を示します。絆を結ぶ、というようなニュアンスにもなります。その意味どおり、音ひとつひとつを切らずに、つなげて演奏するというのがレガートです。弦楽器では弓の向きを変えずに別の音に移るようにします。管楽器ではタンギング(運舌)をおこなわずに別の音に移ります。ピアノのような打弦楽器では、レガートというのは実はけっこう難しい奏法で、指を伸ばし気味にしつつ、前の音をほんのちょっとだけ残すように次の音に移るのがコツとされます。声楽では、ブレスなどをはさまず、もし音節が変わるのであってもあまり発音を「立てない」ように歌います。
 どういう楽器、あるいは声にとっても、レガート奏法というのは非常に重要です。なめらかで、穏やかな曲想を表出したいときには、レガート奏法は必須のテクニックです。
 なお、レガート奏法を意味する記号として、スラーというのがあります。音符と音符を結ぶ弧線として書かれます。ただこのスラー、レガート奏法と同時に、音楽のフレージングを示す記号にもなっているので、どちらの意味であるかは実際の楽譜にあたってよく考える必要があります。特に弦楽器などでは、かなり長いスラーがついている場合、それを全部レガートで、すなわちひとつの弓で弾ききるのは無理なことが多く、どこかで弓を返さなければなりません。弓を返すポイントを考えるのも、弦楽器奏者の大切な仕事です。
 legatoは最上級のlegatissimo、あるいはmolto legatoなどの形でもよく用いられます。
 あとnon legatoというのもあります。レガートの否定ですから、「音をつなげないで」ということになります。その意味では次に触れるmarcatoと区別がつけづらいようでもありますが、marcatoのようないわば積極的意味は持っておらず、単に音のあいだに隙間をあける程度の意味合いです。バロック音楽などでは、楽譜に書いていなくともnon legatoで演奏することが推奨されたりします。

 さてそのmarcatoですが、この原義は「印をつける」ということです。言うまでもなく、英語のmarkに相当します。ひとつひとつの音に印をつけるように、くっきりはっきり演奏するのがマルカートです。
 弦楽器では音を立てるように弾きますし、管楽器ではタンギングを強めにおこないます。ピアノでも、少し指を立て気味にして振り下ろすように打鍵します。重要なモティーフを呈示するときに使われたりしますし、レガート的でないメロディーにはたいてい用いられる奏法です。
 marcatissimoという最上級もときどき使われます。
 これがもっと強調されるようになったのがアクセントで、>やΛといった記号で表されます。「特に強く」と説明されている本が多いですが、強弱記号のsfなどに対し、ただ大きくするというよりも、やはりその音を「強調する」という意味合いがメインになっているように思います。アクセント(英accent、伊accento)は普通の言葉としてもよく使われるので、詳述は要らないでしょうが、「そこら辺一帯の音にアクセントをつけて」という意味で、accentuare(アッチェントゥアーレ)という言葉が表記されることもあります。ひとつひとつの音に記号をつけるとかえって譜面がごちゃごちゃして見にくくなるようなときは、一括してaccentuareとしてしまったほうがすっきりします。

 staccatoは、さらに音を短く独立させる奏法です。原義は、「切る」とか「はねる」とかだろう、と思ってしまいますが、実は動詞staccare、「はがす」というのがもともとの意味です。そこから「ちぎる」というニュアンスにもなったので、「切る」は当たっていないわけでもないのですが、とにかく刃物を使って切るというイメージはなく、手ではがす、ちぎる、はずす、といった動作を示しています。小切手を切るようなときにも使います。
 楽語として使われたときは、音を切って、次の音とのあいだに間隔をあけるということになります。普通は音符につけられた点記号で書かれます。staccatoと文字で表記されるのは、かなり長いあいだにわたって、すべての音をスタッカートで演奏するという場合です。
 最上級staccatissimoも使われます。この場合、記号としては楔(くさび)形になった点を用います。昔の文部省の用語では、スタッカートは「音符の1/2の長さで」、スタカーティッシモは「音符の1/4の長さで」などと記されていたこともありますが、実際にはそんな計量的な意味合いはありません。点状のスタッカート記号、楔状のスタカーティッシモ記号ともに、ハイドンあたりの時代では、音を切ることよりも、アクセントをつけるような意味で使われていることも多く、その場合に音をどのくらい切れば良いかは、実際の曲にあたって判断しなくてはなりません。
 「半分の」の意味のメッツォをつけたmezzo staccatoというのもあって、こうなるとnon legatoと近くなります。音は切るのですが、あまり鋭くなく、むしろ穏やかにひとつずつ音を置くようなイメージです。点をつけた音符の上にスラーを架けるという記号で表されることが普通です。

 tenutoは、「音をしっかりと保って」という意味に解され、よく、「手をお互いいっぱいに拡げているけれども隣の人とは触れていない」というようなイメージで語られます。弦楽器、管楽器、声楽では、音に入ってから、減衰させずにできるだけ保ち、しかし次の音につながりはしない、という奏法になります。もともと減衰音しか出せないピアノの場合は、厳密にはテヌート奏法は無理なのですが、なるべく指の力を抜かずにおくという疑似的なテヌートをおこなっています。
 しかし、「保つ」という意味合いは、かなり派生的なもので、本来は「義務がある」「するべきである」というような意味がtenutoの原義です。辞書には「感謝している」なんて訳語も出ていました。そこから「保存する」というようなニュアンスも付け加わり、それが楽語としてのテヌートにつながって行ったものと思われます。
 tenutoは、音符につけられた短いヨコ棒という記号でも表されます。
 派生語としては、ritenutoはすでに触れました。ri-という接頭辞は、「再び」「繰り返し」「強調」などの意味合いがあるので、tenutoにつけることで、テンポそのものを落としてしまうほどに極端に音を保って、ということになります。
 sostenutoというのもtenutoの一種と思われがちです。語形が似ているうえに、ほぼ同じ意味で使われる言葉だからですが、原義は「打ち解けない、よそよそしい、堅苦しい」というような、案外マイナスイメージの意味であり、実はtenutoという言葉ともともとの関連性はありません。ただそこから「気品のある」というようなプラスイメージのニュアンスも出てきて、「おだやかに音を保って」という楽語としての意味につながって行ったのだろうと思います。これは曲想標語として、曲頭の速度標語に添え、Andante sostenutoという具合にも使われます。
 なお、ブラームスsostenutoを、ほぼritenutoと同じような意味で使っています。ドイツ人のブラームスにはイタリア語のニュアンスがわかりづらかったのか、あるいはなんらかのこだわりがあったのか、そのあたりはよくわかりません。

●感情の表出に関する発想標語●
 ここは本当に、楽典の教科書を眺めながら書き進めることにいたします。
 affettuoso(アフェットゥオーゾ)。「愛情をこめて」という意味になります。ただ、「愛情をこめて」という意味の発想標語には、amabile(アマービレ)やamoroso(アモローゾ)などもあります。元になっているaffetto、amare、amoreがいずれも「愛情」という意味なので、どう使い分けるかということになりますね。
 アモーレというのは日本でもいちばんポピュラーなイタリア語のひとつでしょう。これは同じ「愛情」の中でも、男女の愛、性愛というニュアンスが強い気がします。つまりそこから派生したamorosoは、愛情とともに、何か官能的なイメージを込めるのが良さそうです。
 これに対し、アフェットのほうは、親子の愛とか神への愛とか人類愛とか、男女の関係に限らない「愛情」のニュアンスが強く、むしろ「情愛」と訳したほうが良いのかもしれません。affettuosoは、「大いなる愛」といったイメージを持つのが良いでしょうか。
 アマーレはアモーレとまぎらわしいですが、「愛(め)でる」ニュアンスであるようです。かわいらしいもの、例えば赤ちゃんやペットなどへの愛ですね。そのためamabileも、「愛らしく」と訳されることもあります。さすが愛の国イタリア、単に愛と言ってもいろんな種類があるようです。

 agitato(アジタート)。「せきこんで」とよく訳されていますが、最近のネット用語を借りれば「煽(あお)って」というのがより近いでしょう。英語のアジテイションagitationから、日本語にも「アジる」という言葉ができています。他人を煽り立ててデモなどに向かわせることですね。曲の途中に使われたときは、accelerandostringendoの、「だんだん速度を上げる」意味合いが含まれていることが多いようです。また、冒頭の速度標語に添えられることも多いのですが、添える相手はPrestoであることが多く、次いでAllegroでしょうか。

 animato(アニマート)。「生き生きと」「活気をもって」などと訳されます。animaがもともとは「生命」や「魂魄」を意味しますので、だいたいそのままのニュアンスで考えると良いでしょう。曲の途中で使われたときには、Un poco più mossoというような、わずかにテンポを上げるイメージであることが多いようです。フランス語のaniméとなると、ほぼAllegroと似たような意味で表記されています。なお、アニメーションも同じところから出てきた言葉です。

 appassionato(アパッシオナート)。「情熱的に」「熱情をもって」といったところで、これは曲の途中よりも冒頭に、速度標語に添えて記されるほうが多いかもしれません。ベートーヴェンのピアノソナタ第23番「熱情」はまさに「Appassionata」です。「Sonata」の副題なので、語尾を女性形にそろえてaにしています。
 最初のap-のないpassionatoという形で記されることもあり、こちらのほうがわかりやすいでしょう。パッションpassion(=情熱)という語が含まれているのがわかります。

 brillante(ブリランテ)。華麗に、輝かしく、という意味合いです。ダイヤモンドのブリリアントカットbrilliant cutをイメージすればほぼそのとおりです。ヴェーバーはこの言葉が好きだったようで、「ロンド・ブリランテ」「ポラッカ(ポロネーズ)・ブリランテ」などの曲を作っています。有名な「舞踏会への招待」も「ロンド・ブリランテ」という副題がついています。ショパン「グランド・ワルツ・ブリランテ(華麗なる大円舞曲)なんかもよく聴きますね。ただ派手なだけでなく、どこかかっちりとした硬質の輝きがあるというニュアンスでしょう。

 cantabile(カンタービレ)。「のだめカンタービレ」というマンガ・アニメ・ドラマで一躍人口に膾炙しましたが、canto(歌)という言葉の派生語で、「歌うように」ということです。まあメロディーというものはつねに「歌うように」奏されるべきものですが、その中でもとりわけ声楽曲のような表現を求めたいときに記されます。

 capriccioso(カプリッチオーゾ)。こういう屋号のイタリアンレストランがありましたが、「気まぐれに」「好き勝手に」という意味。これもタイトルにつけられることもよくあります。メンデルスゾーンサン=サーンス「ロンド・カプリッチオーゾ」などは有名ですね。「カプリッチオ」だけで、キャラクターピースの一種の名前にもなります。
 これがa capriccioとなると、さらに自由になり、もうテンポも音の長さもどうでもいいや、というニュアンスです。alla cadenza(カデンツァみたいに)とほとんど一緒です。

 comodo(コモード)。気楽に、普通に、といった意味合い。co-modoという語の造りになっているのでしょう。曲の途中で用いられることはわりと少なく、冒頭に速度標語に添えて、あるいは単独で記されることが多くなっています。commodoとmをひとつ多く綴られることがありますが、意味は同じです。

 dolce(ドルチェ)。日本人にはもっとも誤解を受けている発想標語のひとつ。「やさしく」「やわらかく」などと訳されることが多いのですが、そんなことではありません。この言葉の意味はただひとつ「甘く」です。イタリアンレストランのメニューを見れば、最後のほうにたいてい「dolce」があります。デザート、というより「甘味」のことです。日本の「甘さ控えめ」の甘味ではなく、砂糖をこれでもかとぶち込んだ、本場のティラミスなどを思い浮かべてください。それがドルチェです。
 べとつくような甘さですから、「やわらかく」などという言葉で表現できるようなものではありません。もっとひたすらに濃く、粘っこく演奏すべきです。
 dolcissimoという最上級もよく使われます。いったいどれだけの甘さをイメージすれば良いのでしょうか。南イタリアのお菓子で、アーモンドの粉を固めた、ひと口で頭が痛くなるような超絶な甘さのものがありますが、あれがドルチッシモの甘さなのでしょう。ともかく、カロリー過多な表現であることに間違いはありません。「やさしく」「やわらかく」などという対応語では薄味すぎます。

 doloroso(ドロローゾ)。「悲しげに」と訳されています。ほぼ同義語としてdolente(ドレンテ)というのもあります。また「悲しげに」ということであればlamentoso(ラメントーゾ)という言葉も使われます。
 dolorosodolenteのほうは、「肉体的な痛み」に通じる言葉です。「針を刺されるような」というニュアンスでしょうか。一方、lamentosoのほうは、より精神的な悲しみ、嘆き、というイメージです。ヨーロッパに行くとあちこちにある「嘆きのマリア像」は「Maria lamentosa」です。英語で言えばlamentaryで、井上ひさし「吉里吉里人」の中でこの単語の記憶法として「ラーメン食べるくらい悲しい」としてあったのが笑えました。
 elegiaco(エレジアーコ)というのも「悲しげに」ですが、エレジー(哀歌、悲歌)の派生語ですので、これはむしろ「哀歌調で」とするべきでしょう。

 energico(エネルジーコ)。これは想像がつくと思いますが、エネルギーという言葉に関連します。つまり「力強く、エネルギッシュに」ということで、わかりやすいですね。

 espressivo(エスプレッシーヴォ)。これは頻出楽語のひとつです。よく使われ、そのためespress. ないしespr. といった略記もおこなわれます。
 英語ではexpressというひとつの言葉になっていますが、イタリア語では急行や速達にあたるのがespresso、「表現・表情」にあたるのがespressioneとなります。espressivoは後者のespressioneの派生語で、当然ながら「表情豊かに」という意味になります。まあ、音楽なんてものは普通に表情豊かに演奏しなければならないのですが、その中でも作曲家が強調したいところに使われます。その意味では「おおげさに」としても間違ってはいないでしょう。molto(非常に、極端に)を添える場合もあります。

 feroce(フェローチェ)野性的に。fuoco(フオーコ)火が燃え盛るように。furioso(フリオーゾ)猛り狂って。イタリア語の表情語は、どういうわけだか「f」からはじまると、烈しさを伴う表現になるのが面白いですね。

 giocoso(ジョコーゾ)。「楽しげに」という訳が一般的ですが、もう一歩を進めて「ひょうきんに」というニュアンスのほうが近そうです。gioco(遊び)という語の派生語です。この言葉は日本語の「遊び」とほぼ同じくらいのニュアンスを含んでおり、女遊びや賭博なんかもgiocoです。機械などの「遊び=余裕」もこの語であるようです。だから楽語としてのgiocosoも、どこかに「余裕を持って」というイメージを持っておくと良いかもしれません。

 grandioso(グランディオーゾ)。grandという言葉が含まれているので想像はつきます。「壮大に」。合唱界の古典的名作・佐藤眞先生の「大地讃頌」は、冒頭にただ一語「Grandioso」と書かれていました。

 grazioso(グラツィオーゾ)という用語が、ときどきgrandiosoと見間違いやすいのですが、こちらはgraziaの派生語。英語だとgraceにあたります。「上品に」「優雅に」「洗練された」といったニュアンス。イタリア語を学んでおそらく最初に習う単語のひとつであるgrazie(ありがとう)も関連語です。なおelegante(エレガンテ)という言葉も、ほぼ似たような意味合いで楽語として使われます。

 leggiero(レジェーロ)。速度標語のところで紹介したGraveの対語のような言葉。つまり「軽く」です。弦楽器では弓の先を使って軽快に弾きます。管楽器は息を少なめに使い、タンギングも軽めに使います。ピアノだったら指先で繊細に弾くことが推奨されます。

 maestoso(マエストーゾ)。荘重な、いかめしい、といった意味合い。元の言葉であるmaestaというのは、国王や皇帝に対する尊称に使われます。つまり「陛下」であって、La Maesta del Reであれば「国王陛下」を意味します。「陛下の御前に居るような」雰囲気、と考えれば良いでしょう。

 malinconica(マリンコニーカ)。「憂鬱に」で、英語のメランコリックmelancolicと同じです。最近、使う人が増えてきているように思えるのは、憂鬱というのが現代という時代に即した感情であるからかもしれません。

 misterioso(ミステリオーゾ)。英語のミステリアスmysteriousを考えればほぼ同じ意味です。「神秘的に」「謎めかして」。

 pesante(ペザンテ)。「重々しく」という意味であって原義も重量、重量を測る、といったものです。Graveは地上の重力とかそっちのニュアンスでしたが、こちらは普通に物体の重さです。冒頭につけられることもありますが、曲の途中で出てきたときは、allargandoと似た表現、つまりテンポを漸減させつつ音量を増してゆくように演奏されることが多くなっています。

 religioso(レリジオーゾ)。宗教的に、敬虔に、という意味。教会の大聖堂に居るときのような雰囲気をイメージすれば良いでしょう。なお私は「神無き民のミサ曲」という作品で、冒頭にQuasi religiosoと記しました。この作品はミサ曲の体裁をとりつつ、一神教の神に疑義を呈するという内容でしたので、「準ずる」「……みたいな」「……もどき」といった意味合いのquasiをつけて、「敬虔ぶって」というつもりで記したのでしたが、はたしてイタリア語としてそういうニュアンスで伝わるかどうか、あまり自信がありません。

 risoluto(リゾルート)。「決然と」というか「きっぱりと」としたほうがわかりやすいかも。「果断な」という訳語もありますが、面白いことに「溶ける」という意味合いもあるのでした。実は「きっぱりと」から転じて、「謎を(すっきりと)解く」という感じでも使われるようになり、そこから「溶解する」となって行ったそうです。

 scherzando(スケルツァンド)。「おどけて」「たわむれて」というニュアンス。スケルツォScherzoのように、ということなのですが、キャラクターピース名としてのスケルツォは、ベートーヴェンやショパンのせいで妙に熱情的というか深刻な感じの曲想を持つようになってしまいました。派生語のscherzandoには、幸いと言って良いかどうか、そういう意味合いの変化は生じていません。あくまで、諧謔的な、ふざけた感じです。

 semplice(センプリーチェ)。英語のsimpleにあたる言葉で、「素朴に」「単純に」。「素朴に」ということではrustico(ルスティーコ)という言葉もありますが、こちらは「田舎臭く」というニュアンスが加わります。「カヴァレリア・ルスティカーナ」のrustic-ですね。
 なお、「つねに」という意味でsempreという言葉が楽語としてもよく使われますが、綴りと言うか響きが似ているせいか、sempliceと混同する人が居ます。RとLが区別できない日本人特有の勘違いです。

 serioso(セリオーゾ)。英語で言えばシリアスseriousで、「まじめに」「深刻に」「厳粛に」といったところ。メンデルスゾーンの「Variations Sérieuses」はフランス語で題名がつけられていますが、この「Sérieuses」がイタリア語のseriosoであり、この曲は「厳格なる変奏曲」と訳されることが多いです。「まじめ」という軽いニュアンスではなく、もう少し格式ばった、それこそ「厳粛」なイメージなのでしょう。

 spiritoso(スピリトーゾ)。spirituosoと「u」が入る場合もありますが意味は同じです。「元気よく」というところですが、spiritという言葉が含まれているので、からだの元気さよりもむしろ魂の元気さを意味しているように思えます。

 tranquillo(トランクィロ)。「静かに」「おだやかに」と訳してあることが多いのですが、私が人に説明するときには、鎮静剤(トランキライザーtranquilizer)を例に出します。いまは精神安定剤とか向精神薬とか呼ばれることが多いようですが、トランキライザーと言えば大人ならたいていイメージが湧くでしょう。要するに「おだやかに」というよりは「鎮めて」というニュアンスになります。曲の途中に出てきた場合は、smorzandoなどと似た表現、つまり徐々にテンポを落としつつ音量も下げてゆくといった奏法になるケースが多くなります。

 楽典の教科書に載っていたのはこんなところですが、これとは別に、conという接続詞を伴う発想標語がたくさんあります。「~を伴って」という意味で、英語でいうwithと同様です。
 withですから、あとにくる言葉は名詞となります。それで、animatocon animaespressivocon espressionespiritosocon spiritoなど、同じ意味合いで違う語形の言葉が使われます。どちらを使うかは作曲家の好みと言えそうですが、con~を使う場合は、そこからある程度大きな範囲でその表現を活かすというケースが多いようです。
 con付きでないとあまり使われない楽語としては、

  con brio(コン・ブリオ)=活気に満ちて
  con moto(コン・モート)=動きをもって≒少し速めに
  con sentimento(コン・センティメント)=感傷的に

 などがあります。これらは、曲の冒頭、速度標語に添えられることもよくあります。Allegro con brioなどよく眼にします。私はcon larghezzaというのをよく使います。「広々と」ということですが、Largoとは違ってテンポの遅さは求めないときに便利です。

 代表的な発想標語を見てきましたが、最初に書いたとおり、こんなのは九牛の一毛です。特にロマン派以降の作曲家たちは、なんとか独自の表情をつけさせようと、実に多くのイタリア語を渉猟しました。いまでもイタリア語の辞書と首っ引きで自分だけの発想標語を探している作曲家が少なくないことも、冒頭に触れました。私も控えめながらやっています。
 楽譜で見慣れぬイタリア語を見たら、まずは意味を調べてみましょう。私の使うluccicandoのように、そのままの形では辞書に立項されていないものもあると思います。その場合は、まわりをよく見まわして、これが元になった言葉だろうというものを見つけることです。そうでなくとも、元になった言葉を調べて、類義語とは違った何かのニュアンスをつかむことが大事です。
 実は、楽語をあまり重視しないで曲を演奏する人が、プロを称する中にもけっこう居るのでした。俳優が台本のト書きを読まずに演技するようなもので、嘆かわしいと言うより、そもそも曲が成立しないと思います。発想標語には、作曲家の想いが込められているのですから、ぜひ見落とさずに充分吟味していただきたいものです。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。