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相模線の小さな旅と『星空のレジェンド』オケリハ [日録]

 今年も『星空のレジェンド』の公演が近づいてきました。作曲家として、毎年の恒例行事で自分の曲が演奏されるというのはまったくありがたい話で、この作品の制作に関われたことはとても幸せなことだったと思います。
 そして今年は特別な回でもあります。オーケストラ版初演がおこなわれるのです。
 『星空のレジェンド』は、はじめからオーケストラ版を最終目的としていました。企画者で台本作者でもあった故大川五郎先生の希望でもありました。最初の話では、初演のときはピアノにいくつかの楽器を足す形で演奏し、それから電子オルガンで演奏したり、だんだん楽器を足して行って、最後にオーケストラにしたいというような夢を伺いました。
 残念ながら、初演では予算が不充分であったため、ピアノ以外の楽器を足すことができず、かろうじて終曲で和太鼓と鉦を加えるにとどまりました。そしてそのままの形で再演を繰り返すことになってしまったわけです。
 第5回公演のしばらく前に、大川先生から、オーケストレーションのことをまじめに考えたいというお話がありました。その年の第5回では無理だろうが、翌年の第6回はぜひ、ということでした。
 私も意欲を燃やして、オーケストレーションにかかりました。
 第5回公演で大川先生とお会いしたときに、最初の「序曲」のオーケストラスコアをかろうじてお渡しできたのは何よりであったと思います。実はそれが大川先生にお目にかかった最後だったのでした。
 翌年、すなわち2020年の2月に先生は永眠されました。
 いちばんの推進役を失って、オーケストレーションの話は続いているのかどうなのかわからないまま、私はしばらく作業を中断していました。その年におこなわれる予定の第6回公演は、コロナ禍のため中止となりました。その時点ではコロナ禍がいつまで続くのかもわからず、そもそも『星空のレジェンド』公演が続けられるのかも微妙に思われました。
 しかし、大川先生のあとを承けて指揮、というか音楽監督を務めていた中村拓紀さんから、オーケストラ化プロジェクトが進行中であることを伝えられ、私は作業を再開しました。
 私は最初から、「最終的にはフルオーケストラにする」という意識をもって作曲していましたので、ピアノパートにはいささか無理を強いていたかもしれません。歴代のピアニストたちは力強く弾ききってくれていましたが、どうしても物足りない部分というものはありました。それがフルオーケストラであればまったく問題なく響かせられます。自分で打ち込んだスコアを、finale附属のソフトシンセで再生させつつ、私はわれながら感動していたものです。いやカッコいいなこれ、と自画自賛していたのでした。
 1年おいて、2021年におこなわれた第6回公演では、私の打ち込んだ音源を使って演奏がおこなわれたので、いささか面映ゆいものがありました。当初は、フルスコアを使って電子オルガンで弾いて貰うという話だったのですが、いくつか打ち込んだものを送ったら、これで充分じゃん、ということになったようです。ソフトシンセというのはパソコンに備えつけられた音材に過ぎず、本物のシンセサイザーに較べると明らかにチープで、響きのバランスなどもいい加減で、練習用にならともかく、本番で使われるのはちょっと勘弁して欲しいという感じの音源だったので、やや赤面ものであった次第。
 なおかつ、本番では非常にボリュームが下げられており、聴き取れないようなところもありました。中村さんに聞いてみると、ボリュームを上げると合唱団が萎縮してしまって歌えなくなった、とのこと。そんなことを言っていたら本物のオーケストラが入ったときにどうするのだろう、とも思いましたけれども、打ち込まれた音の一種無機質な感じが、合唱団にとっては合わせづらかったのかもしれません。
 2022年の第7回公演では、スコアはすべて完成していましたけれども、オーケストラの算段がつかなかったようで、ピアノ伴奏に戻っていました。しかし、その翌年、つまり今年、オーケストラ版初演をおこなうということは決定していました。オーケストラは平塚フィルハーモニー管弦楽団、地元のアマチュアオーケストラです。アマオケだけに準備に時間がかかるものと見えます。
 七夕企画であるにもかかわらず今年の公演が9月になったのも、たぶんオーケストラの都合でしょう。何かの本番の関係で、本格的な合わせが7月になるまでできなかったと思われます。まあ、第6回も9月でしたので、七夕にこだわることもなかったと言えそうです。
 その初リハーサルが、昨日おこなわれたので、私も平塚まで足を運んできました。

 リハは夕方からだったので、家を16時過ぎくらいに出ればたぶん間に合ったはずなのですが、私は13時過ぎくらいに早くも出かけました。
 川口から平塚まではけっこう遠く、運賃は1340円かかります。71~80キロに相当する額ですが、いま調べて驚いたことに、この価格帯、SUICAを利用するとむしろ高くなるのですね。1342円なのだそうです。実は現在のところ、SUICA利用によって安くなる価格帯と高くなる価格帯が、かなり細かく混在しており、1円でも損したくないという人はよく調べて電車に乗るべきです。
 さて、1340円ですから往復すれば2680円となります。ここで悩ましいのが、「休日おでかけパス」の存在です。これは2730円で、東京近郊のかなり広い範囲を乗ることができるフリーパスです。わずか50円差なので、平塚まで往復するのであれば、途中で一度でも途中下車すれば元が取れるというギリギリのバランスです。
 いままで、渋谷で途中下車したり、帰りに大宮まで行ったり、逆向きに小田原まで行ったりしていましたが、昨日は夕方までは暇だったので、平塚に直行せず、いっそ変な行きかたをしてみようかと考えたのでした。
 真っ先に思いついたのは、相模線です。平塚の隣の茅ヶ崎橋本を結ぶ路線で、ずいぶん長いこと乗っていません。というか、非電化の頃に一回、電化されてから一回乗っただけだと記憶しています。平塚に行くときに東海道線の車窓から茅ヶ崎で相模線の電車を見て、帰りにあれに乗ろうかなあ、などと思うのですが、いつも時間が無くて乗れていなかったのでした。
 帰りではなく、行きに乗ってみるか、と考えたわけです。リハ開始までに時間の余裕がある日なら問題ないでしょう。
 そのための行程を考えてみたら、家を14時半くらいに出れば良さそうだったのですが、あえて1時間以上も早く出かけたのは、どこかで途中下車しようと思ったからです。というのは、近郊区間というのはどういうルートで電車に乗っても最短距離で計算する決まりになっており、相模線に乗るために、武蔵野線・中央線・横浜線を経由して大回りしても、途中下車しない限りはやっぱり1340円となり、「休日おでかけパス」の意味があんまり無くなるのでした。
 川口から北行電車に乗り、南浦和で武蔵野線に乗り換え、西国分寺で中央線に乗り換えました。八王子まで行きたいのですが来る電車は立川止まりです。1本やり過ごせば高尾行きがやってくるのですが、蒸し暑いプラットフォームで待っている気がせず、立川行きに乗りました。すると、次の高尾行きより前の大月行きというのに乗り継ぐことができました。この電車は特快なので、西国分寺には停まらなかったわけです。
 八王子で横浜線の快速電車に乗り換えます。以前は相模線に直通する便もあったのですが、いまでは全滅し、橋本で必ず乗り換えなければならなくなりました。
 相模線の電車は日中は20分おきに走っています。横浜線の快速も20分おきなのですが、両者の乗り継ぎの便はあまり良くなく、橋本で18分も待たされることになっています。つまり相模線の前の電車が行って2分後に横浜線の上り快速が着くダイヤであるわけです。下り快速のほうもそんなに違いは無く、むしろ各停からの乗り換えが推奨されているような感じです。
 14時59分発の電車はすでに着いていたので、乗り込んで冷房の利いた車内でひと息つきました。この路線の電車はすべて半自動ドアになっており、ボタンを押さないと扉が閉まったままになるので、冷房効率も良いようです。
 横浜線の電車は上り下り合わせて4、5本が通り過ぎてゆき、その都度乗り換え客が乗ってきて、発車間際にはかなり混雑し、立ち客もかなり出ていました。日曜の午後という、いちばん閑散そうな時間帯でこんな状態なのかと驚きました。

 相模線は橋本駅を出るとすぐに単線になります。全長33.3キロもあるのに全区間が単線という、東京近辺では珍しい路線です。ずっと車窓を眺めていましたが、複線化を考えていそうなところもまったくありません。しかも前に乗ったときは気がつかなかったのですが、片面駅もかなり残っています。上溝厚木のような、主要駅と言って良い駅も片面だったので、あらためて驚きました。
 上溝では実際、橋本から乗ってきた乗客の大半が下りました。相模原市の中心地区のひとつで、小田急多摩線もここまで延伸する予定があるそうです。なおかつ相模線唯一の高架駅です。にもかかわらず片面駅に過ぎないというのが、なんともアンバランスです。厚木にしても、海老名駅ができるまでは、両端を除いて唯一の他路線接続駅で、時刻表でもゴシックで駅名が書かれていたような駅だったのに、それが片面駅だったとは意外でした。
 片面駅がまだ多いということは、行き違いのできる駅が限られているということで、そんな中で20分間隔運転というのはかなりギリギリなのでしょう。20分間隔ですので電車は10分ごとに行き違いをすることになりますが、駅の間隔がまちまちなので、けっこう何分も待ち合わせるところがいくつもあり、最速電車と最遅電車では実に24分もの差がついているのだそうです。
 地元からは複線化や、行き違い駅を増やす要望が出ていますが、JR東日本はあんまり積極的ではないようです。電化したのは1991年のことで、相模線にかけるカネはそれで終わりだ、とでも言わんばかりです。行き違い駅が限られている単線の路線で、運行本数を増やそうとすれば、スピードアップをしてダイヤの網の目を細かくするくらいしか方法が無く、ディーゼルカーを電車にしたのはせめてもの速度向上策だったのではないかと思えます。
 もっとも、その後キハ110系のような軽快ディーゼルカーも開発されていますから、相模線の現状を考えると、無理して電化しなくても良かったんではないかと感じられたりもするのでした。

 途中駅で1度くらい下りてみようかとも思っていたのですが、暑くて電車を下りる気がせず、乗客がけっこうコンスタントに乗っていてあとで乗り直したときに坐れないかもしれず、それにさほど下りてみたいと思えるような駅も見当たらなかったので、結局茅ヶ崎まで乗り通してしまいました。途中下車候補は、強いて言うと寒川神社最寄り駅の宮山くらいで、あるいは昔あった寒川枝線の跡をたどってみるなどという愉しみかたもあったかもしれませんが、いずれにしろ暑くて、あまり長時間歩く気がしません。
 茅ヶ崎着15時57分。58分間の相模線の旅でした。幹線ともローカル線ともつかない微妙な路線という感じで、成田線とか、八高線の電化部分などと共通する雰囲気でした。
 さて、平塚には17時45分に着いていれば良いので、まだ1時間45分くらいあります。茅ヶ崎から平塚へは4分程度で着いてしまいますので、もう選択肢も無く、茅ヶ崎で途中下車しました。
 はじめて改札の外に出た駅ですが、すぐ向かい側に平塚駅と同様駅ビルのLUSCAの入口があります。JRの神奈川県内の主要駅にはたいていLUSCAがあるようです。街の規模からして、わが川口駅にもこれくらいの規模の駅ビルがあって良いと思うし、特にそごうが撤退して駅前の総合商業施設のたぐいが無くなったので余計にそう感じます。ようやく話が進み出した湘南新宿ラインのプラットフォームを作る工事のときに、本格的な駅ビルも建てないものかと期待しています。
 LUSCAの中の書店で少し立ち読みをして過ごし、まだ時間があるので駅の外に出てコーヒーショップで一憩しました。
 それから東海道線にひと駅乗って平塚に移動します。いまでは簡単ですが、この途中にある相模川は、東相模と西相模を分ける境界線であり、戦国時代以前では三浦氏大森氏の版図の境目でした。大森氏を下して小田原に進出した北条早雲が、相模川を越えて三浦氏を亡ぼすまでには実に17年もかかっています。早雲にとって「箱根の坂」以上に越えがたかったのが、相模川でした。

 平塚駅の西口で実行委員長のHさんと待ち合わせていたのですが、北出口と南出口があることを失念していました。西口はよく知っているのですが、私はいつも北出口を使っていて、南出口は意識の外だったのです。Hさんは南出口のほうでクルマで待っていてくれたのに、私は北出口でぼんやり待っていたのでした。なかなかクルマが来ないなと思っていたら、実行委員のひとりに呼ばれました。
 オーケストラの練習会場は、駅からはだいぶ離れていました。クルマで15分くらい走ったと思います。だいぶ西へ走ったので、下手をすると大磯駅のほうが近いのではないかと思えるほどでしたが、実際には内陸に入りこむような向きだったようで、新幹線の線路に近いあたりでした。
 指揮者の田部井剛さんは18時15分から音出しをはじめる予定だと聞いていましたが、それより前なのにすでに「序曲」の最後のほうが聞こえてきています。オーケストラの自主練でした。田部井さんは私とほぼ同時くらいに到着して、挨拶したのち、
 「そこはもっと速いやね」
 と言いながらオーケストラの中に進み入りました。
 私の紹介などがあって、すぐに合わせがはじまりました。私は最初、パイプ椅子を与えられましたが、テーブルがあったほうが良いので、音の聴こえかたとしては少々偏りがありますが、部屋の前方の壇上に移動しました。
 生のオーケストラで自分の曲が聴こえてくると、やはり感無量になります。自作のフルオケを聴くのは、学生時代の「生々流転」「私事」、それに『セーラ』に続いて4度目になりますが、学生時代の2曲はまあ試作みたいなものであり、『セーラ』はフルオケヴァージョンの前に室内オケヴァージョンを上演していましたから、ある程度の予想はついていました。というわけで、自作のフルオケの響きを真に満喫したのは初体験と言っても良さそうです。
 もちろんアマオケの初合わせですから、技術的に力及ばないところはまだまだありましたし、ピッチが確実でなくて複雑な和音が出てくるとぐっちゃりした響きになりがちではありましたが、自分の作品がフルオーケストラで鳴っているという感動は、こたえられないものがあります。
 技術的な面はこれから本番までに良くなるでしょうし、田部井マエストロのときどき出す指示はほぼ私の意に即していましたので、変な事にはなりますまい。あとは合唱とのバランスです。合唱と一緒に演奏するのは9月に入ってからになるようですが、どういうことになるか楽しみです。
 大川先生に聴かせて差し上げたかった、と思うばかりでした。
 練習は21時過ぎまで続き、帰宅したら23時半近くなっていました。このあと、2回くらいリハーサルに顔を出すつもりです。
 本番は9月18日(月・敬老の日)ひらしん平塚文化芸術ホール大ホールでの公演です。東京からだと少し遠出になりますが、お時間のあるかたはぜひご来聴ください。

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