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炎熱の惑星 [世の中]

 猛暑の日が続きます。日中に日向に出ると、兇悪とも言うべき陽射しが照りつけて、じりじりと肌を灼くのがわかります。顔や腕などはわかりやすいのですが、案外と意識の外にある首筋などが思ったよりも灼けていて、気がつくとひりひりしていたりします。皆様、くれぐれも熱中症にお気をつけください。
 猛暑は日本だけではないようで、欧米ではさらにすごいことになっているようです。南欧などでは45度超えの日が続いているらしいし、パリあたりでも40度を超える日があると仄聞します。私がいままで経験した最高気温は、シチリア島に行った時の43度ですが、さらに暑くなっていると聞くと想像を絶します。
 向こうは湿度が低いから、同じ気温でも日本よりはしのぎやすいだろう、とよく言われますが、実はそんなことはありません。シチリアをはじめとして南欧各地に吹きすさぶ熱風シロッコは、サハラ砂漠の熱い空気が地中海を越えてヨーロッパに吹きつけるというものです。サハラ砂漠ではカラカラに乾いた熱気なのですが、地中海を渡るうちにたっぷりの水分を補給され、かなり湿潤な状態になってヨーロッパに到達します。実は大変に蒸し暑い熱風なのでした。そのくせシロッコが吹けば簡単にドライアイになったりして、まったく始末に負えません。
 シロッコの猛威は、年によっていろいろであるようで、そんなに暴れないときもあるようです。しかしときどきは酷暑をもたらして人死にがあったりするので、そういうところから疾風と疫病の悪魔パズズが発想されたのでしょう。
 さすがに南欧の建物には、だいぶ冷房も入ってきていると思いますが、それ以外の地域では冷房の無い家屋も多く、しかも石造りで気密が良いため、屋内でも大変な暑さになってしまいます。冷房の完備した博物館や美術館などを、市民に開放した街も多いようです。人々は大挙してそういった施設にやってきて、夕方まで涼んでから帰るわけです。
 しかし、誰も彼もがそういう施設に行けるわけでもないでしょう。冷房の無い家の中に居て熱中症にかかってしまう人も多いのではないでしょうか。
 南欧の人々は、夏の暑さをしのぐために、シエスタの習慣を採り入れました。昼のいちばん暑い時間帯の2~3時間ほどを、仕事をせずに家に帰って仮眠をとるわけです。少し気温が下がってからまた勤めに出かけ、19時くらいまで働くというやりかたです。
 これはなかなかうまい働きかたで、日本でも導入してはどうかという意見もあるのですが、日本の都会の会社は通勤時間が他国とは飛び抜けて長いため、一旦家に帰るというのは非現実的でしょう。採り入れるとすれば、会社に仮眠室を設置することでしょうか。2~3時間とは言わず、30分でも仮眠をとると仕事の能率がぐんと上がるそうです。管理職は、仮眠室を社員が罪悪感無しに使用できる空気を作る必要がありそうです。
 とはいうものの、今年のような酷暑の場合は、仮眠をとろうにも暑くて寝つけないかもしれません。そうすると会社との行き帰りでかえって疲れてしまったりして、シエスタの習慣が逆効果になることも考えられます。近年のように気候が変調してくると、強固に確立された習慣さえも変わってしまうことがあり得ます。

 酷暑はUSAも同様で、ニューヨークでも40度超えをマークしたそうですが、ひどいのは西海岸側で、アリゾナなどでは気温が60度近くに達して、従来のデスバレーでの世界最高気温を塗り替える騒ぎになっているとか。
 そして、火傷を負って病院に担ぎ込まれる人が増えているそうです。あまりの暑さに転倒してしまい、そうすると地面は空気よりさらに熱されていて80度近くなっており、手や足を火傷してしまうのでした。そんな狂気じみた熱暑の中を出歩くなよ、と言いたくなりますが、まあそうもゆかない人も居るのでしょう。
 ともかく、暑いのは日本だけではなく、北半球全体が蒸されているようなのでした。北京でも観測史上最高気温をマークしたようです。
 当然ながら、地球温暖化論者は勢い立っています。一刻も早くCO2などの温暖化ガスの排出をやめろと言いたいのでしょうが、本当にCO2を出さないつもりなら人間は呼吸をやめなければならず、話はそう単純ではありません。
 私は、気候の大きなトレンドとしては寒冷化に向かっていると思っています。寒冷化のはじまるときにはいろいろ異常気象が発生しそうでもありますし、一時的に酷暑酷寒が極端になることもあるような気がします。夏の暑さは最近えらいことになっていますが、冬の寒さもまた以前より厳しくなっているように思えるのです。
 ただ短期的には温暖化に向かっていることもあるかもしれません。この短期的温暖化で海面が上昇して、ナウルキリバスツバルといった島々が水没の危機にあるというのもまた深刻な問題ではあるでしょう。日本もひとごとではなく、沖ノ鳥島が水没してしまえばかなりの広さの排他的経済水域(EEZ)を失うことになります。中国などは、沖ノ鳥島はすでに自然の島とは言えず、日本の領土とは認められない、などということも言い出しています。

 そんな中、またショッキングな報道がありました。このまま温暖化が続くと、北大西洋の海流が停止するかもしれない、というのです。それもそう遠いことではなく、数年のうちの話なんだそうです。
 北大西洋海流は、北太平洋海流黒潮はその一部)とほぼ同じ流量を持つ大きな海流です。北赤道海流からメキシコ湾に流れ込んだあたりが始点で、赤道附近で温められた暖流が北米大陸の東海岸沿いに北上し、カナダの出っ張りで東に方向を変え、そのままヨーロッパに向かいます。この暖流が沿岸を洗うため、ヨーロッパは緯度にしては温暖な気候なのです。
 何度か書きましたが、ヨーロッパ諸国は日本の感覚で言うとえらく北にあります。東京の緯度(北緯35度)より南に主要部分があるヨーロッパの国はキプロスただひとつです。あとはギリシャクレタ島の一部がかかっているくらいで、南国のイメージの強いアテネ新潟ナポリ青森とほぼ同じ緯度です。ローマ函館ミラノ稚内くらいで、ブダペスト・ウイーン・ミュンヘン・パリなどはおおむね樺太南部くらいになります。ユーラシア大陸は、東と西でずいぶん気候条件が違うのでした。それは、ひとえに暖流が沿岸をひたしているからです。さらにあんまり動きの無い地中海黒海も手伝っていることでしょう。これらの海水が、ヨーロッパ主要部に冷たい海流が当たることを防いでいるわけです。
 さしもの巨大暖流も、グリーンランドとぶつかるあたりでだいぶ冷やされ、あとは寒流としてスカンディナヴィア半島沿いに北極海に流れ込みます。
 この大海流が停まってしまったらどうなるのか。
 ヨーロッパに暖流が供給されなくなりますので、ヨーロッパ諸国はその緯度にふさわしい気候となるでしょう。つまり、いまよりずっと寒冷化するはずです。北米大陸の東海岸も同様です。いまでもニューヨークは冬かなり寒い都市ですが、これがもっと極端になりそうです。温暖化の帰結として寒冷化が起こるというのは皮肉なようですが、逆に考えると、大きなトレンドである寒冷化の前兆として短期的な温暖化が起こっているという、自然な流れのようでもあります。
 日本が位置している北太平洋海流のほうは、いまのところ停止の気配はありません。北太平洋は、暖流と寒流がけっこう複雑に入り組んでおり、日本近海だけでも、太平洋を通る暖流の日本海流黒潮)と寒流の千島海流親潮)、日本海を通る暖流の対馬海流と寒流のリマン海流の4つがくんずほぐれつしています。暖流と寒流の入り混じるあたりは水産資源が豊富で、そのため日本は漁場に恵まれていると言えるのです。
 とはいえ、世界の海はつながっているのですから、北大西洋海流が停まった影響は、いずれ太平洋にも出てくるかもしれません。
 なお、日本海側が雪が多いのは、実は南欧のシロッコとほぼ同じメカニズムです。熱い冷たいの違いだけで、シベリアでキンキンに冷やされた空気が日本海を渡るうちにたっぷりの水分を得て、それが日本列島に到達します。ところが雪雲というのは重くて、2000メートル程度の山も越えられません。だから日本の脊梁山脈にぶつかって、その水分のほとんどを雪として地面に落としてしまうわけです。水分を失った冷風は、からっ風となって太平洋側に吹き抜けます。
 北大西洋海流が停まった影響は、もしかするとシベリアのさらなる寒冷化につながり、必然的に日本の降雪量も増えるかもしれません。こちらでも、温暖化の帰結として寒冷化が起こりうることになります。

 冬は寒くなるとして、夏の暑さが今後しのぎやすくなるかどうかは、なんとも言えません。日本の夏の暑さは、温室効果ガスのためというよりも、地面といい壁といいすべてをコンクリートで固めてしまったがゆえのヒートアイランド現象が主因であるようにも思えるのです。暑いには暑いけれど、昨今の欧米のような狂騒的なことにはなっていないのがその証拠でもあるようです。
 今後、建材や舗装材料を工夫することで、ある程度はましになるかもしれません。そうではないかもしれません。実際問題、なんとも言えないのです。
 私としては、夏の暑さや冬の寒さがいまより厳しくなるのは、まあ仕方ないとも思えるのですが、夏や冬が長くなって、春や秋の存在感が無くなってしまうとすれば残念です。実際、近年は春や秋の期間がえらく短いようで、あっという間に夏や冬になってしまう気がしています。うちのマダムも、たくさん持っているサマーセーターとかジャケットとかの春・秋もの衣料を着る機会がほとんど無いことを惜しがっています。
 仕事上、唱歌とか童謡といった歌を集めることも多いのですが、日本の歌というのは、春や秋を歌ったものが、夏や冬に較べてはるかに多いのです。日本の詩人も作曲家も、「うつろいゆく季節」をことのほか愛したのだなあと実感します。人々が愛するのも、春の桜と秋の紅葉です。
 春夏秋冬の「四季」が夏冬だけの「二季」になってしまっては、日本の芸術はものすごく貧弱になるのではないかと心配しています。これは本当に、どうにかならんものでしょうか。

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