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水辺の歌のコンサート [日録]

 昨夜は帰宅が遅かったので日誌の更新ができませんでしたが、昨日(7月17日)はちょっとしたコンサートがありました。立川というあまり縁のない街での演奏会です。
 友人の藤井あやから頼まれて伴奏をしに行ったのですが、ピアノソロで弾くところもあり、また思いがけず自作の初演ということさえおこなったので、やはり記録しておくべきでしょう。
 主催は立川日露文化交流協会というNPO法人です。名前を見てのとおり、ロシアとの文化交流を目的とする団体であるようで、ご多分に洩れず昨今はやや肩身の狭い立場であるかもしれません。実際、催し物をする際に妨害を受けたこともあるようで、昨日も警官が様子見に立ち寄っていたという話でした。
 ご亭主の仕事の都合などで、ロシアへの駐在経験のある奥様がたなどが中心となって活動しているらしく、以前はロシアからバレエ団を招いたりしてけっこう大々的にやっていたとも聞きました。それがコロナ禍と、引き続いてのウクライナ侵攻のため、活動もだいぶ下火になってしまい、1時間半ほどの独唱のコンサートを開催するのがやっと、という状態になったようです。それでもこの種の催しは4年だか5年だかぶりだそうで、開催にこぎつけたことをとても喜んでいました。
 藤井さんは声楽家としての活動のかたわら、ある保険会社で働いている(時間がだいぶ自由なようなので契約社員か何かでしょうか)のですが、そこの同僚のひとりが、協会のメンバーであったようです。それでコンサートの話を持ち込まれたのでしょう。
 彼女とは大学以来の付き合いで、昔はよく伴奏をしていたのですが、最近はだいぶご無沙汰しています。ある程度まとまったステージとして伴奏するのは、東日本大震災のあと気仙沼でおこなった学校演奏会以来ではなかったかと思います。もう11年前のことです。共に川口第九を歌う会のインストラクターなので、顔を合わせることはよくあるのですが、伴奏をするのはかなり久しぶりということになります。第九を歌う会の30周年記念の演奏会のときも、私は藤井さんの伴奏はしませんでした。
 今回のコンサートの打診を受けたのは5月のことでしたが、その時点では、東京都合唱祭でのChorus STの出番が、7月2日になるか17日になるかの二択というところで、決定していませんでした。どうも事務局のほうがてんやわんやだったようで、決定は月末になると言われていましたが、本当に5月31日になってようやく、2日に決まったと通知が来ました。ほとんど1ヶ月前になるまで予定が不確定というのも困ったものです。
 それで17日が空いたので、引き受けることにしました。もちろん、急ぐようだったらほかの人に頼んでくれるよう伝えてはいましたが、心当たりの伴奏者の日程の都合がつかなかったとのことで、私の出演が決定しました。

 曲目などの打ち合わせを1回、伴奏合わせを2回おこなって本番に臨みました。主催者に合わせてロシアの歌を何曲か、それから藤井さんの専門である英国の歌を何曲か、それに日本の歌も何曲か、そしてピアノソロを何曲か……というプログラムでした。季節柄「水」をテーマに、という話で、演奏会のタイトルも「美しい水辺の歌のコンサート」などとつけられていましたが、選んだ曲のうち「水」に関係があるのはごく少数となりました。ただし私が独奏したふたつの曲はいずれも「水」がらみではあります。人前で独奏するのも久しぶりなので、だいぶプレッシャーがありました。

 曲目については追い追い触れるとして、東京の気温が38度まで上がった猛暑の日、立川まで出かけました。
 立川駅よりも、隣(南武線)の西国立駅からのほうが会場への道がわかりやすいとのことで、そちらに向かいます。うちからだと、南浦和武蔵野線に乗り換え、終点の府中本町まで行って南武線に乗り換えるのがいちばん便利と乗換案内に出ました。ただしいちばん「安い」ルートはそれではなく、なんと京王線をはさんで、新宿から分倍河原まで行くほうがベストと出たので驚きました。JRェ……と言いたくなります。
 外に出たくないような暑い一日でしたが、府中本町の南武線プラットフォームに立っていると、気持ちの良い風が吹きつけていました。ここの乗り換えはあまり便利でなく、15分近く待たされましたが、この風があったから耐えられた気がします。
 西国立駅などはじめて下りました。会場はそこからほぼ一本道でした。
 会場に辿り着いて、なんだか見覚えのある建物であるように思われました。子ども未来センターという施設で、そんなところに関わりを持った記憶はまったく無いのですが、2階に「立川まんがぱーく」なるものがあると知って、はっと気づきました。
 去年の夏に、青梅線沿線5市(立川・昭島・福生・羽村・青梅)が協力して開催した謎解きイベントに参加したのですが、そのうち立川周辺の謎解きで、立川まんがぱーく(の入口)まで訪れていたのです。鉄道謎解きというより街歩き謎解きという性格のイベントで、各駅周辺ともえらく歩かされたのですが、隣駅である西国立からのほうが近いしわかりやすいと言われるところまで来ていたとは驚きました。
 中に入ってみると、なるほど内装や間取りの記憶が残っています。こんなことで曾遊の地を訪れることになるとは、世の中何があるかわかりませんね。
 演奏会場は、地下の「スタジオ」とされている空間でした。壁にかかっている間取り図を見ると、ずいぶん変な形のスペースに見えましたが、扉を開けるとスロープになった通路があり、それを下りるとスタジオになっているのでした。このスタジオはたぶんダンススタジオの意味で、途中でスリッパへの履き替えを求められたりするのもダンスシューズを想定してのことでしょう。出演者は靴のままで良いと言われましたが、中に入るのは舞台用の靴のときだけにしました。
 そこに二十数脚の椅子が並べられます。こぢんまりとした演奏会になりそうです。
 ピアノがアップライトであったのは残念ですが、やむを得ません。アップライトピアノは細かい同音連打などが苦手である場合が多いのですが、いちおう支障は無さそうです。
 19時開演、18時半開場だったのですが、場所を18時からしかとっていなかったので、わりにあわただしく時間が経ちます。あっという間に開演時刻となりました。

 最初にロシア民謡を3曲、メドレーで演奏します。
 ロシア民謡というのは定義としてはやや難しく、作曲者のはっきりしているいわゆるロシア・ロマンスというジャンルの曲も、民謡として扱われることが多いようです。逆に曲調としては明らかにロシア・ロマンスである「ともしび」なんかが作曲者不詳で、それこそ民謡として扱うしかない、などということも起こっています。
 戦後まもなく、楽団カチューシャなどが、手に入るロシアの歌を片端から「民謡」として訳詞をつけていったという事情もありそうです。それらが歌ごえ喫茶などで好んで歌われるうちに、すっかり日本では「ロシア民謡」として定着したという歌が多いのではないでしょうか。
 メドレーにしたのは、「バルカンの星の下で」「一週間」「カリンカ」の3曲です。「一週間」と「カリンカ」はそれこそ作曲者不詳の「民謡」ですが、「バルカンの星の下で」はブランテルという作曲者名がはっきりしており、内容からしても明らかに第二次大戦後の歌です。しかし、曲の趣きとしてはほかの2曲と大して変わりませんし、訳詞はやはり楽団カチューシャです。
 曲目候補としていくつもロシア民謡が挙げられていたのですが、どれも短くて、あんまり歌い映えもしなさそうだというので藤井さんが頭を抱えていたので、
 「メドレーにしたら?」
 と私が提案したのでした。3曲くらいつなげれば、演奏時間も5、6分にはなって、そこそこ聞きごたえもあるでしょう。それで、つなぎを作ると同時に、伴奏部分も自分で編曲してしまいました。
 「一週間」は子供の頃に家にあった歌集に載っていたので私もよく知っていた歌ですが、「月曜日にお風呂をたいて、火曜日にお風呂に入る」「水曜日にあなたと会って、木曜日に送って行った」「金曜日は糸巻きもせず、土曜日はおしゃべりばかり」と、あたかも怠け者を皮肉ったユーモラスな歌だとばかり思っていました。テュリャ、テュリャという囃し言葉も、やや嘲りの意味合いを持っているように感じましたし、そう書いている解説文みたいなものも読んだことがあります。
 しかし、今回編曲するにあたって調べてみたら、元歌はそんなものではなかったので驚きました。お風呂というのはお湯に漬かるのではなく蒸し風呂で、準備するのに本当に一日がかりなのです。家と家、村と村の距離があるので、恋人と会うのも2日がかり。金曜日はロシア正教の安息日で、仕事をしてはいけないのでした。また、「おしゃべりばかり」の部分、原詩では「祖先の功績について、家族と語り合った」となっており、なんだかえらく敬虔な趣きです。全然、怠け者の物語ではなかったのでした。日本語の文字数の多さから、簡略な訳になるのはやむを得ませんが、それによりどちらかと言うと黒人霊歌みたいなマジメな内容の民謡を、コミックソングみたいにしてしまった楽団カチューシャのセンスもなかなか面白いと思います。マザーグースに、同じように曜日を追う形で物語が進む「ソロモン・グランディ」という歌がありますが、そちらの影響があった可能性もありますね。
 「カリンカ」は、普通に流布しているカチューシャ訳では、「朝早くとび起きて、顔をきれいに洗う」「素足も軽くタプチカはいて、朝露ふんで牛を追う」「朝露ふんで牛を追っていたら、森の中から熊が出た」と、何やら斜め上に話が展開してゆきます。これではどうも……と藤井さんが難色を示していました。ところが、検索してみてもこの訳詞ばかり出てくるのです。
 私は「カリンカ」の替え歌を知っていました。むかし先輩に教わったのですが、

 ──小松のみどり、五月のみどり、ふたーりそろってすっぽんぽん!

 という戯れ歌です。小松みどり五月みどり姉妹ご両所には恐縮ですが、ともあれこの替え歌のもとになった歌詞があるはずだと思いました。それで、「カリンカ」に、「小松のみどり」を追加して検索してみたら、井上頼豊氏の訳詞が見つかりました。ただし「小松のみどり」そのままではなく、「みどりの並木、小松のかげの、あの子を忘れぬわたし……」というものでした。牛を追ったら熊が出た、というよりはなんぼかマシでしょう。迷わずこちらを採用することにしました。それにしても楽団カチューシャと井上氏が、同じ原詩を訳したとはとても信じがたいのですが、ロシア語の歌詞も何とおりかあるのかもしれません。
 ロシア民謡メドレーは、つかみとしてはまず良かったと思います。藤井さんがうながしていたこともありましたが、「カリンカ」のサビでは手拍子も起こりました。二十数名に過ぎないお客ではありましたが、好い雰囲気になったようです。

 そのあと、「コサックの子守歌」「キエフの鳥の歌」を続けて演奏しました。コサックの本場はウクライナですし、キエフはもちろんウクライナの首都(キーウ)であり、いまの世相からするとやや皮肉な選曲とも言えます。しかしともかく、「コサックの子守歌」の譜面のクレジットには「ロシア民謡」と書かれていました。ソ連崩壊前までは同じ国だったわけで、1980年代まではウクライナ民謡であっても「ロシア民謡」と書かれることが多かったのかもしれません。
 「キエフの鳥の歌」は正真正銘ウクライナの歌で、オレクサンドル・ピラシュというウクライナの作曲家の曲であることがはっきりしています。木内宏冶さんが北海道合唱団を率いてキーウに行ったときに、向こうの合唱団が歌ってくれた曲だったそうで、譜面も贈られたのでしょう。木内氏は早速歌詞を日本語に訳し、北海道合唱団で歌ったのでした。それが動画配信などで有名になったようです。北海道合唱団がキーウを訪れたのは1984年だそうで、ウクライナはまだソ連の一部でした。
 譜面は既成のものが見つからなかったようで、藤井さんが動画を見て採譜したらしい、旋律と低音だけ書かれた紙を渡されました。それをもとに私が伴奏を作ったのです。雰囲気としては、確かにロシア・ロマンスの系譜に連なる感じの、哀愁とちょっとした野暮ったさを持った歌でした。

 以上がロシア(とその周辺)の歌でしたが、その次に私の独奏でチャイコフスキー「舟歌」を演奏しました。ロシア物、水がテーマ、と聞いたときにまず浮かんだ曲で、水テーマがほとんど有名無実になっても、まあ良さそうな選曲だったと思います。
 ピアノ曲集『四季』の「6月」に置かれた曲ですが、チャイコフスキーの時代はまだロシア暦が使われていました。ロシアは20世紀初頭まで旧暦(ユリウス暦)を使用しており、そのため20世紀初頭あたりが生没年になっている人は新(グレゴリオ暦)旧両方の暦年で記載されていたりします。グレゴリオ暦はユリウス暦に「各世紀の00年はうるう年としない。ただし400で割り切れる年はうるう年」という条件を付け加えた暦で、導入された1582年の時点で、すでにユリウス暦には12日近いずれが生じていました。ロシアではさらに400年以上ユリウス暦を使い続けていたので、グレゴリオ暦とは半月ほどのずれがあったのです。従って、チャイコフスキーの考えた「6月」は現在で言えばほぼ「7月」となり、時期的にちょうど良いのでした。
 そんなに難曲というわけでもないのですが、人前で弾くとなるといささか緊張します。練習はしたつもりですが、暗譜は断念せざるを得ませんでした。まあアップライトピアノなので、お客からは私が譜面を見ているか見ていないかはわからないのですが。
 弾きづらかったところもわりとうまくゆき、まずは安堵しました。しかしもう一曲の独奏が残っています。こちらのほうが不安でした。

 次いで日本の歌2曲。「夏は来ぬ」「浜辺の歌」を選びました。前者は季節柄、後者は「水」テーマの名残りといったところです。まあ「夏は来ぬ」の歌詞には「五月闇」という言葉があり、これは旧暦なので現在で言えば6月ごろの歌とは思われますが、いちおう夏の歌ということで。私が以前編曲した、合唱用の『唱歌十二ヶ月』に収録したヴァージョンに手を加えた伴奏にしました。前半の調性を少し変えたのと、そのままだと4番5番がいやに仰々しく、かつ妙に騒がしいピアノパートが入っていたりしたので、そのあたりをおとなしめに改変したのです。「浜辺の歌」は成田為三の原曲を用いました。こちらは下手に手を加えないほうが良さそうでした。
 前半の最後は「ロンドンデリー・エア」にしましたが、これは私がカルチャープロ編の合唱曲集に載せるために編曲した伴奏の上に、藤井さんが「ダニー・ボーイ」の歌詞で歌うという形態になりました。有名なアイルランド民謡ですが、無慮100種類以上の歌詞がつけられているらしく、「ダニー・ボーイ」は第一次大戦前夜という時期に書かれた詞であるそうです。まあ、戦いに赴く息子を案じるというストーリーは一緒のようですが。

 ここで休憩となり、一旦控室に戻りました。控室は普段は子供のアトリエとして使われる部屋のようで、鏡なども置いていないので、本当に休むためだけのスペースです。
 後半は私の独奏からはじまりました。なんの説明も無くいきなり弾きはじめようかとも思っていたのですが、会場の雰囲気からして、やはりひとことあってからはじめるほうが良いだろうと、藤井さんと意見が一致しました。
 私が弾いたのは「ウンディーネ」。かれこれ17年前に書いた私自身のオリジナル曲です。シルフ(風の精)・ウンディーネ(水の精)・ノーム(地の精)・サラマンダー(火の精)という、ファンタジーお馴染みの精霊を採り上げてピアノ組曲にしようとしたのですが、シルフとウンディーネだけ書いたところで中断しています。完成させることを諦めたわけではないのですけれども、なかなかモチベーションが高まりませんでした。むろんまだ発表もしていないのですが、「水」テーマ、ピアノ独奏、と聞いたときに、この曲を使ってみたらどうだろうかとひらめいたのでした。つまり今回が初演ということになります。
 調性音楽ではありませんが、そんなにきつい音が鳴るわけではなく、涼しげに聴こえるのは確かです。長さ的にも4分ほどで、ちょうど良さそうです。
 ただ、自分の曲とはいえ17年も経つとあまり憶えてもおらず、けっこうまじめに練習する必要がありました。こちらも結局暗譜は断念したのですが、曲の中断点で譜めくりがある「舟歌」と違い、細かく動きながらの譜めくりが多く、そちらに苦労しました。
 それでも、だいたい問題なく弾けるようにはなったのですけれども、ここでアップライトピアノの弱点のひとつが出てきてしまいました。譜面台の構造です。
 グランドピアノの譜面台であれば確実に譜めくりができるのですが、アップライトピアノの譜面台というのはおおむね浅く、しかもピアノ上部の蓋などが邪魔になって、安定が悪いのです。めくった途端に楽譜全体が譜面台から落っこちそうになってしまいました。
 その危険性をあらかじめ示唆していたので、撮影や録音を頼まれていた藤井さんの生徒が駆けつけて、危ういところを補助してくれましたが、肝を冷やします。
 したたり落ちる水が小さな流れとなって、やがて細かい波立ちから大きな波が生まれ、地上のものを呑み込むような勢いになる……というような描写で、最後のあたりなどは昨今の秋田の水害などを考えるとやや不穏当かとも思いましたが、涼しさは伝わったようです。あらかじめ説明しておいたおかげでもありますが、
 「水の精が踊っている様子がわかるようでした」
 とあとで言われて、安心しました。
 少しモチベーションを上げて、ノームとサラマンダーも作るか、と考えました。

 そのあと、ベンジャミン・ブリトゥン編曲の英国民謡を2曲。「広い河の岸辺」「庭の千草」です。「広い河の岸辺」がNHKの朝ドラの中で歌われ、一時妙に流行したということを、藤井さんは知らなかったようでした。洋書の楽譜なので、その日本語タイトルは出ていませんでしたし、もとの民謡が4拍子なのを、ブリトゥンはわざわざ3拍子に変えて編曲していたので、気がつかなかったのでしょう。最初に合わせたとき、私が旋律を聴いて、
 「あれ? これ『広い河の岸辺』だよね」
 と指摘したのでした。
 「庭の千草」はずっと以前に伴奏したことがある曲でしたが、ブリトゥンの編曲は妙にスパイシーというか、不協和音を多用したものになっており、下手をするとピアノが間違った音を弾いているのではないかと疑われそうな音運びです。間違っていないことを示すには堂々と弾くしかなく、不安があると誤解されます。前にミヨー『スカラムーシュ』をピアノ連弾で弾くリハーサルを聴いていてつくづく思いました。
 「不協和音のところ、なんだか間違ってるみたいに聞こえるから、もっと確信を持って弾いたほうがいいよ」
 とアドヴァイスしたらだいぶ改善されました。近代の楽曲というのはそういうところがあるので厄介です。

 武満徹のソング2曲。「小さい空」「うたうだけ」です。「小さい空」は合唱曲としてポピュラーで、そちらはヘ長調なのですが、独唱用の譜面は変ホ長調となっており、しかし藤井さんはヘ長調で歌いたいというので、
 「このまんま移調して弾ける?」
 と言ってきました。
 しかし、なんということでしょう、私はこの曲の移調譜を、ついこの間、ある人からの依頼で作成したばかりだったのでした。移調しながら弾くこともできるとは思うのですが、見たまま弾くほうが楽なのは言うまでもありません。実に間の良いことでありました。
 「うたうだけ」のほうはえらく凝った……というかハードジャズみたいな伴奏がついています。クラシック畑の人は明らかに面食らいそうですし、逆にジャズ畑のピアニストだと、ここまできっちり音が指定されているとかえって弾きにくいかもしれません。武満徹という人は米軍キャンプなどでピアノを弾くところから音楽人生をはじめているので、こういう音遣いは得意だったわけですが、普通の伴奏者泣かせではありそうです。

 プログラム最後は、「韃靼人の踊り」をミュージカル用に改作した「Stranger in Paradise」という歌で締めました。原曲がロシアの作曲家ポロディンで、それをブロードウェイミュージカルのナンバーにしたものですから、まあ立川日露文化交流協会という主催者のコンセプトにも適っているのではないかと考えました。
 前半は「韃靼人の踊り」の冒頭部分を、どちらかというと凝らない平凡なコードで歌ったのち、ミュージカルらしいオリジナル展開となり、最後でもういちど本来のコードを伴って「韃靼人」を歌い上げるという流れになっていました。
 拍手がけっこう長いこと続いていたので、「一週間」をみんなで歌ってお開きにしました。もしアンコールを求められたらどうしようか、と休憩のときに私が問題提起したので、心の準備ができていて良かったと思います。藤井さんは「うたうだけ」をもう一度歌いたいとも言っていましたが、どちらかにするかはその場の雰囲気で決めるということにしてありました。彼女も迷っていたようですが、「みんなで歌いましょう」の流れのほうがふさわしいと判断したのでした。

 19時の開演でしたが、20時半くらいで終了しました。ちょうど良い按配であったと思います。
 しかし考えてみると、全13曲のうち、5曲まで私が作曲もしくは編曲したことになります。「小さい空」の移調譜も含めれば6曲と、ほぼ半分近くになります。ロシア民謡メドレーには3曲含まれていますので、過半と言っても良いですね。だいぶ仕事をしたわけです。
 ただこういう、曲目から考えて、適当な形態が無ければ自分でアレンジして、というタイプのコンサートは、嫌いではありません。また機会があったらやりたいと思っています。
 特に打ち上げの話なども無かったので、立川駅まで歩いて帰りました。立川駅からは道がややこしい、と聞いていたのですが、そんなことはなくほぼ一本道でした。去年の謎解きのときにも歩いた道です。駅前ロータリーから放射状にたくさん道が出ているので、そのうち正しい道を選ぶのだけがちょっと難しいというところでしょう。
 夜になっても蒸し暑さが残る一日でした。

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