SSブログ

墓参行と雀のお宿 [旅日記]

 今年も、マダムの両親と一緒に、前橋のマダムの祖父母のお墓参りをすることになりました。2011年から毎年のようにふたりで出かけていますが、去年マダムの両親をお連れしたところとても喜んでいたので、今年もお誘いしたわけです。
 マダムの母方の祖父母のお墓は、流山おおたかの森駅近くの霊園にあって、こちらはマダムの実家から近いこともあり、しょっちゅう参っています。祖父母のどちらとも面識の無い私でさえ、年2回くらいはお墓参りにつき合うほどです。
 しかし前橋にある父方のお墓には、そうちょくちょく参るわけにもゆきません。義父がもっと若かったころはクルマで行っていたようですが、最近は、いちおうまだ運転はしているものの、あまり長距離は走らなくなりました。本人もしんどいし、周りも止めるようになっています。
 クルマ以外の行きかたはよく知らなかったようで、勢い、近年は足が遠のいていたところ、私たちが毎年のように参るのが代参のようなかたちになっていました。
 それで去年、クルマを使わない方法で行ってみませんか、とお誘いしたのでした。
 去年は日本中央バスの高速バスで前橋へ行き、桐生に出て東武の特急で帰ってきました。前橋から霊園に向かう上毛電鉄にそのまま乗っていると桐生(正確には西桐生)に着きますし、桐生は義父の母の終(つい)の栖(すみか)であり、また義父の姉が住んでいた土地でもありましたので、少しは想い出もあろうかと、そういう行程にしたのでしたが、桐生駅近辺にはさほど思い入れも無かったようです。ただ織物記念館に立ち寄ったところ、義母の食いつきはなかなか良かったのでした。
 今年お誘いしたところ、また桐生の織物記念館に立ち寄りたいと義母から希望がありました。ミュージアムのほうではなく、附属のショップで買い物をしたかった様子です。それから、ここへ寄らないのなら墓参りなどしたくないとまで言い切っていた、江木駅近くのそば屋「草庵」には必ず寄るようにという仰せでした。
 また、宿泊場所はいつもの前橋駅前のビジネスホテルではなく、磯部温泉にしたいとのこと。前に買った旅館のクーポンが無駄になりそうだった、と説明していましたが、私の誕生日祝いという意味合いもあったようです。ありがたくお受けすることにしました。両毛線の前橋から信越線の磯部までは、高崎乗り換えで30分あまりです。
 つまり、初日である9月12日はまず前橋に行って、上毛電鉄でいつもの心臓血管センターまで行ってお墓参りを済ませ、ひとまず前橋に戻って、高崎で乗り換えて磯部へ。翌13日、再び高崎で乗り換えて前橋へ行き、またもや上毛電鉄に乗って江木へ行き「草庵」に寄る。そのあと上毛電鉄を乗り継いで西桐生まで乗ってゆき、織物記念館に寄って買い物。JR桐生駅からタクシーで東武の新桐生駅へ向かい、特急「りょうもう」で帰る、という、行ったり来たりな行程となったのでした。

 もうひとつ追記しておく必要があります。なんと、高速バスの午前中の便が無くなってしまったのでした。
 2019年、変則的に11月におこなった墓参りの帰路に使って以来、私は日本中央バスの高速バスがたいへん気に入っていました。JRの普通運賃どころか青春18きっぷの一日分よりも安いコストパフォーマンスの良さがまず魅力です。確実に坐れるのもポイントが高いところです。時間もそれほどかかりません。
 2020年の夏には往路に使いましたし、21年の夏は往復とも使ってみました。そして去年も、往路に使ったわけです。
 20年と21年のときは、高尾にある私の祖父母の墓を参ってからの利用だったので、昼の便でしたが、去年は午前中の便を利用し、前橋に昼頃に着く行程でした。
 ところが、この午前中の便が廃止されてしまったのです。利用度が低かったのでしょうか。
 21年に使った、バスタ新宿を正午に発つ便さえ無くなり、「初発」は14時40分になってしまいました。前橋着は17時半過ぎとなり、これではその日のうちにお墓参りをすることは不可能です。
 逆向き、つまり東京へ向かう便は朝からあるのですが、前橋に向かう便が非常に偏頗なことになってしまったのでした。気に入っていただけに残念至極です。
 やむなく、今回は電車で向かうことにしました。しかもこの墓参行シリーズでははじめての、特急列車です。いや、正確に言えば、はじめて前橋のお墓に参ったとき(2009年の年末)、特急「草津3号」に乗っていますが、いわば「シリーズ化」してからははじめてになります。上野10時00分発の「草津・四万1号」です。

 マダムの両親はに住んでいるので、特急に上野から乗って貰いました。私たちは赤羽から乗車します。私の家は線路に面していますが、そこを行き来するE257系は、配色や外装がなかなかシックでセンスが良く、マダムはいちど乗りたいと念じていたそうです。このたび乗ることができて満足そうでした。ただし、「草津・四万」の全列車がE257系になったのは今年の春からのことです。そもそも列車名が「草津・四万」になったのも今年の春からで、それまでは「草津」でした。
 「草津・四万」は全車指定席となり、グリーン車などの連結は無くなりました。わずか5輌編成で、10輌や15輌といった長大な普通列車が行き来する東北・高崎線では妙に浮いています。
 「草津」だったころは、上尾とか鴻巣深谷その他にまめまめしく停車する便もありましたが、現在は大宮を出ると熊谷のみ停車で高崎まで行きます。だいぶすっきりしましたが、昔の急行の停車パターンであるに過ぎません。
 新前橋で下車します。前橋まで行っていた「あかぎ」は、現在は高崎止まり(熊谷、本庄止まりの便も)になってしまい、しかも完全にホームライナー扱いで下りは晩、上りは朝にしか運転しません。熊谷止まりの「あかぎ」とは列車名詐称としか言えませんが、ともあれ前橋まで特急で行くことは不可能になりました。
 新前橋で両毛線の電車に乗り換えて1駅だけで前橋に着くのですが、ここの乗り換えがやや不細工でした。23分も待たされ、しかも「近郊区間」であるため改札から出ることもできません。近郊区間は「下車前途無効」なのです。
 しかし、コンコースの窓から見える榛名連山を眺めて、義父がとても懐かしがっていたので、まあ善しとしましょう。義父は前橋で育ち、毎日上州三山を眺めていたそうです。仕事の関係で木更津に転居したときは、まわりにほとんど山らしいものが無いので、精神のバランスを崩しそうになったとか。

 前橋着11時51分。去年は閉まっていた、マダムお薦めの駅ナカイタリアンで昼食をとりました。この店、義母はなぜか妙に嫌がっていたのですが、それはどうやら、去年閉まっていたところを外から見て、なんだか汚らしい店だと思ってしまったためだったようです。営業中に入ってみれば納得であった模様です。なおマダムはお気に入りの店を食わず嫌いでディスられて、だいぶお冠でした。
 シャトルバスで中央前橋駅へ行き、心臓血管センターへ。十年一日のごとく変わり映えのしない駅で、駅前がわずかばかりも開発された様子が見えません。
 暑い日でしたが、このシリーズの墓参行で何度か経験した酷暑というわけではなく、雨降りでもなかったので幸いでした。しばらくぶりに、ゆっくりお参りができた気がします。
 ここのお墓には義父の兄の一族が入ることになったようで、義父は入ることができないというので、流山おおたかの森近くの霊園に、先日一区画お墓を購入しました。そのとき石屋さんの話で、前橋のお墓から石と土、それに線香の灰を持ってきて、それを墓室に入れれば、いちいち前橋まで行かなくとも、そこのお墓に参れば義父の両親を弔ったことになるというのでした。はじめて聞く話ですが、家のお墓とは遠いところに住む人が増えたための方便なのかもしれません。
 そんなわけで、今回石や土や灰を持ち帰っていましたので、マダムの両親の前橋行きは、もしかするとこれが最後になるかもしれない、と感じました。そういうときに、ある程度落ち着いてお参りができたのは良かったと思います。

 来た道をそのまま戻って前橋駅へ。さらに高崎で乗り換えて磯部へ向かいます。高崎ではいきなりエレベーターでコンコースへ上がってしまいましたが、両毛線の発着と信越線の発着は同じプラットフォームで、同一平面で乗り換えができました。
 磯部駅はまだバリアフリーが完備しておらず、階段を上り下りしなければならず、義母はいささか難儀していました。1番線に面して出入り口があるという、昔ながらの国鉄駅タイプなので、逆向きであればプラットフォームに直結していたのですが。
 それ以上に、横川でちょん切られて短距離の普通列車が行ったり来たりするばかりになった信越線は、もう複線を維持する必要も無いように思えます。列車の行き違いが無い限り、上下線をすべて1番線に停めるようにしても問題ないのではないでしょうか。
 磯部駅まで、宿のクルマが迎えに来てくれていました。もっとも、歩いてもさほどのこともない程度の距離で、3分かそこらで宿に着きます。ただ途中にかなりの急坂があるため、高齢者にはやはりきついと思われました。
 宿の名は磯部館「雀のお宿」という愛称を名乗っています。この宿の真向かいに、もう少し大きな、遠くから見ると城塞か何かのように見えるホテルがあり、そちらは「磯部ガーデン」と言い、「舌切雀のお宿」を名乗っていました。実は同族経営だそうで、売店なども行き来自由なのでした。
 磯部館は江戸時代半ばくらいから旅館業を営んでおり、いにしえは竹林に覆われていたそうで、近在の者に「雀のお宿」とあだ名されていたのだそうです。明治に入って、童話作家の巖谷小波(いわやさざなみ)がここに宿泊した際、『御伽草子』にある舌切雀の物語はここが舞台だと断じ、けっこうグロ混じりだった原典を整理して子供向けに書き直しました。真偽は明らかではありませんが、磯部は民話のふるさととして名乗りを上げています。
 1フロアに4~6室しか無いようで、大変ぜいたくな空間の使いかたをしている部屋でした。和室が2間、洋室の次の間が1間あります。これで2人用です。3間もある宿ははじめてです。
 収容人数がそう多くないせいか、浴室もさほど広くはありませんが、気持ちの良いお湯でした。露天の「天然温泉」のほうが本格温泉らしく、こちらに少し入っていると肌がだんだんぬめってきます。phは7.2と、わずかにアルカリに傾いた程度でほとんど中性なのですが、成分が濃いのか、効果がすぐに現れるようです。
 食事も充分に美味でした。朝食に出てきた鉱泉豆腐など、これを目的として泊まりに来る人もいるほどだそうです。
 「ガーデン」の売店のほうが大きかったので、夕食後に歩いて行ってみたら、「サイボット劇場」なる催しをやっていて、つい見物してしまいました。「舌切雀」の物語をもとにした人形劇のようなものですが、お爺さんが持ち帰った小さなつづらの中身に、当地の土産物がいろいろ含まれていたのがご愛嬌です。だいぶ笑いが巻き起こっていました。
 なんにしても自分ではなかなか泊まれないような高級な宿だったので、だいぶ恐縮し、かつ満喫しました。

 前日のルートをそのまま戻って、心臓血管センターのひとつ先の江木で下車します。そういえば一時期、高崎からは両毛線の電車ばかりが出るようになって、上越線吾妻線の電車は新前橋で乗り換えるようになっていていささか不便でしたが、さすがに苦情が多かったのか、高崎発着の電車が増えていたようです。
 「草庵」へは長年、クルマで行くばかりで、公共交通機関で行く方法がわからなかったようですが、去年調べてみて、江木駅からわずか徒歩5分ほどと判明して、両親も驚いていました。実際歩いてみても本当にすぐでした。ただ去年、あまりに「駅からすぐ」という印象が強かったせいか、今年は「すぐかと思ったら案外歩く」と思えたようでした。暑かったせいもありましょう。5分というのは確かに微妙な距離ではあります。
 駐車場が満杯になっているほどに混んでいて、注文した料理が運ばれてくるまで40分くらいかかりました。客の顔を見てからそばを打っているのかもしれず、こういう店であれば仕方がないとも言えます。大層な人気ぶりですが、確かに人気に価する味なのでした。今回が最後の前橋行きになるのではないかと感じられた両親ですが、義母などは
 「お墓参りをしなくても、この店には食べに来たい」
 などと言い出しています。もしかするとあと何度か訪れることになるのかもしれません。

 1時間半滞在のつもりが、ほぼ2時間滞在となり、江木駅に戻って西桐生行きの電車に乗ります。満腹に電車の揺れが加わって、好い具合に眠気を催します。
 西桐生駅から織物記念館へは2ブロックほどで、すぐに到着します。買い物もさほど手間取らずに済みました。「草庵」で予定より30分ほど余計に費やしましたが、むしろ桐生で時間を持て余す感じになってきました。マダムが駅ピアノを弾いたりして、好きところでタクシーに乗り、新桐生へ。
 16時06分という、去年とまったく同じ特急に乗って帰りました。
 しかし、去年は「リバティりょうもう」であったのが、今年は普通の「りょうもう」です。コロナも第5類となり、乗客が増えて、3輌編成の「リバティ」では手狭になってきたのでしょうか。
 北千住駅で両親と別れ、18時半くらいには帰宅しました。
 来年はどういうことになるやら。そういえば一昨年、前橋で自転車を借りて、霊園までサイクリングすることにしようか、などとマダムと話し合いました。毎回シャトルバスと上毛電鉄を乗り継ぐのにそろそろ飽きてきた観があります。前橋の街には至るところにサイクルステーションがありますし、定宿にしていたビジネスホテルでも貸し出していたはずです。そしてあくまで上毛電車に乗っての印象ですが、霊園までそんなにアップダウンも無さそうなのでした。もししんどかったとしても、上毛電鉄はサイクルトレインを実施していて、自転車ごと電車に乗ることができます。途中電車に乗ることも可能なのでした。マダムと私の足腰が丈夫なうちに、試みてみたいと考えています。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。