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ある芸能事務所の醜聞 [世の中]

 男性アイドルを数多輩出してきた大手芸能事務所が大変なことになっていて、テレビのワイドショーなどでもその話で持ちきりです。
 私は芸能界にはほぼ興味が無いので、まとめサイトなどでその話題が頻出していても、あまり立ち入る気はありませんでした。もちろんその事務所所属の男性アイドル、通称ジャニタレについても、いままで関心はありませんでした。演技力も歌唱力もさしたることはありませんし、まして容貌などまったく興味を惹かれません。女性ファンの様子を見て、ああいうのが当節のイケメンというものなのか、と納得したりはしていましたが、その程度です。
 あと、SMAP松田聖子は本人(たち)の実力以上に曲に恵まれているな、などと慨嘆したこともありますけれども、これはアイドルへの興味というものではないでしょう。
 NHKの大河ドラマの主役級に、そのジャニタレが多用されはじめた頃には、いくぶん違和感を覚えぬでもありませんでした。なぜこんなにアイドル系のタレントが出てくるのか、大河ドラマというのはそういうものではなかったろう、と思いましたが、そのほうが視聴率がとれると判断してのことであれば是非もありません。アイドルを主演にすることで、それまで歴史などに興味の無かった女性視聴者を取り込めるというのなら、それも一策というものでしょう。あまり感心できる戦略とは思えませんでしたが、ディレクターサイドとしてはやむを得ない面もあったに違いありません。

 そんなわけで、騒がれてはいてもさほどの関心も無かったのですが、この件に関するメディア側の右往左往が少し興味深く、その面からまとめサイトなどを読んでみました。
 その事務所が揺れているのは、数年前に亡くなった元社長が、シャレにならない規模で少年たちへの「性暴力行為」を繰り返していたことが暴露されたからでした。
 性暴力行為というのがどの程度のことなのか、テレビや新聞の報道などからは汲み取りきれないようです。ことがことなので、あまり詳細に語るのもはばかられるのでしょう。芸能ゴシップ週刊誌など読めば、かなり赤裸に書いてあるのかもしれませんが、あいにくとそんなものまで精査する気にもなれません。
 つまり相手が女性だった場合に、セクハラと認定されるくらいの行為だったのか、それとも強姦などに相当するレベルの行為だったのか。
 どちらもけしからぬ行為ではありますが、からだを触ったりなでまわしたりする(局部も含め)程度と、実際にお尻をどうこうするのとでは、やはり度合いが異なるでしょう。何千人と居たであろう所属タレント全員のお尻を味わったなどということであれば、一周まわって逆にアッパレという気もしますが、まあ人によりいろんなレベルだったのだろうとは思います。
 元会長のそういう行為を断乎拒否した所属タレントには、一切仕事をまわさない、つまり「干す」ということをやっていたのは事実であるようですので、それだけでも糾弾されるに価するでしょう。
 問題は、元社長のそういう性癖が、最近いきなり明らかになったわけではなかったという点です。

 元社長の男色癖、ことに美少年を愛する性癖については、もとからよく噂になっていましたし、少数とはいえ被害に遭った人からの告発や暴露も無かったわけではありません。
 しかし、新聞やテレビなどのメディアは、これまでそれらを完全に無視し続けてきました。それこそ週刊誌くらいになら扱われたことがあるのかもしれませんが、新聞やテレビで採り上げられたことはまったく無いのでした。問題はここにあると言って良いでしょう。
 とりわけテレビに関しては、その芸能事務所を怖れていたとしか思えないような状態で、ありとあらゆる忖度をしまくっていたようです。少しでも元社長の機嫌を損ねると、その事務所のタレントを全部引き上げられてしまうようなはめに陥ったのでしょう。
 なにせおそろしく人気のあるアイドルグループを多数抱えている事務所です。そこに所属タレントを引き上げられてしまうと、視聴率が下がり、プロデューサーは叱責され、スポンサーにも見放されるという流れができてしまうのも当然でした。もちろん元社長の性癖や性的嗜好について云々したりすれば、そのテレビ局は未来永劫ジャニタレを使えなくなり、それはメディアとしての破滅のように感じられていたのでしょう。
 スポンサー企業というものを持たず、従って視聴率に一喜一憂する必要もないNHKすら、その芸能事務所に過剰なほどの遠慮を見せ、スタジオの一部をその事務所専用に長期にわたって確保したりしていたようです。そんな状況では、大河ドラマの主役に、演技力も風格も感じられないジャニタレを多用するのも無理はなかったと言えます。
 一芸能事務所が、それほどまでに各テレビ局に影響力を行使していたというのが、なんとも異様な光景です。マスメディア全般を支配していたと言っても言い過ぎではなさそうです。
 そんな異常な状態を、元社長が死ぬまで誰も改善しようとしなかったというのが、日本のマスメディアのやりきれないところです。ただの一局も、
 「うちはジャニタレなんぞ使わなくてもやってゆける。芸能事務所に忖度などせずに、真実を報道するんだ」
 という気概を持ったところが無かったのが、情けないことこの上なく、いまやテレビが多くの若者から見放されつつあるのも、自然な趨勢と言えるのではないでしょうか。

 最近になってようやく問題になってきたわけですが、それもBBCで扱われたから国内でも採り上げられてきたというに過ぎません。元社長の異常性癖と、この事務所の異常なメディア支配力が、世界的に見ると大問題だということがわかって、あわてて採り上げはじめたというところです。
 あるテレビ局の社長が、
 「男性への性暴力行為ということについて、あまり深刻に認識していなかった」
 と正直な述懐をしていましたが、まあどこの局もそんなところでしょう。抱きしめられたとか触りまくられたとか、いやいっそお尻を掘られたなんて話が聞こえてきたとしても、言ってみれば微笑ましい笑い話のようにしか受け取っていなかったと思われます。これが女性相手だったら、大変な騒ぎになっていたに違いないのですが。
 わが国では、男色(衆道)については古くからの伝統があり、寺社の稚児とか、戦国武将の小姓とか、実例に事欠きません。根本経典である旧約聖書に同性愛を禁じている欧米~イスラム世界と異なり、衆道は禁忌でも、眉をひそめられることでもありませんでした。
 寺社では美しい稚児をめぐって僧たちが争ったりということもあったようです。女色を禁じられた僧たちが性欲を処理しようとすれば、男色に向かうしかなかったとも言えます。禁欲を覚悟で出家したのではないかと言いたくなりますが、昔のお寺は家の都合で無理矢理放り込まれたような僧も多かったわけで、必ずしも志を立てて僧籍に入った者ばかりではなく、ある程度はやむを得ないことでしょう。
 これに対し、武将の衆道は、あまりのめり込むのは感心できないものとして考えられていました。武将はなんといってもまず世継ぎを作らなくてはなりませんので、ちゃんと女性とも交わった上で衆道をたしなむのが粋とされたのでした。殿様の寵愛を受けた家臣は、随一の忠臣となって最後まで殿様に付き従うというのが普通でした。織田信長に対する森蘭丸などが思い起こされます。前田利家なども信長の衆道相手であったと思われます。武田信玄の寵童あがりだった高坂弾正なんかも有名で、利家にしろ弾正にしろ、ホモとかゲイとかの名でイメージしてしまうなよっちい人物ではなく、勇猛果敢な武将でした。
 徳川家光などはのめり込んだほうのタイプで、なかなか女性に興味を持たず、周囲をやきもきさせました。家光の乳母で最側近でもあった春日局は、尼さんを送り込んで家光を女性に馴れさせたとのことです。尼さんは頭を剃っているのであまり女女しておらず、中性的な印象だというわけでしょう。
 東海道中膝栗毛彌次さん喜多さんも、もとはホモだちであったことが端書に記されています。喜多さんはかげま(男娼)上がりで、彌次さんはそこの客だったのでした。意気投合して出奔したようです。男女だったら駆け落ちと呼ばれるところですが、さてこの場合はどうなのでしょう。彼らも決して男色一本槍というわけではなく、本文中では両者とも、女には眼の無い好色漢として描かれています。彌次さんにはお蛸(たこ)という奥さんも居ました。このお蛸さんはプロローグの部分で死んでしまい、彌次さんたちが伊勢参りに旅立つのも、その供養と言うか厄落としと言うか、そんな意味合いがあった設定になっています。
 いずれにしろ日本では、とりわけ男同士の同性愛というのは、陰にこもることなく、むしろ明色でイメージされることであったように思われます。ある時期まで、同性愛がばれると社会的地位を失うどころか死刑になることすらあった欧米とはまったく感覚が違うのです。
 いまでも日本人の多くが、LGBTQとかの血相変えた主張に、どちらかというと辟易してしまうのも、伝統的にそれらに対してタブー感が無かったからでしょう。何を今さら、というわけです。T(トランスジェンダー)だけは言ってみれば先天性の病気のようなものなので同情するとしても、そのほかのL(レズ)G(ゲイ)B(バイ)については「ただの性癖じゃん」というのが多数意見でしょう(Qについてはよく知りません)。その性癖をカミングアウトすることが、命がけであったような欧米の状況とは、そもそも切実感が違ったのであって、活動家としては歯がゆい限りでしょうが、日本であんまりこの手のポリコレムーヴが盛り上がらないのも仕方の無いことです。
 そしておそらく「あまり深刻に認識していなかった」というのも、わが国のこの伝統的な男色イメージが原因ではないかと思うのです。陰にこもらず、明色で、ある意味ユーモラスな話題ですらあるのが日本古来の男色観でした。
 しかし、それは現在の「世界」には通用しない感覚でした。欧米の趨勢は、同性愛を認めさせようという方向に動いていますが、それと同時に、年少の者への性的行為は絶対に許さないという方向にもなりつつあります。ゲイやレズは権利を認めさせずにおかないけれども、ロリショタはダメ、絶対……というわけですね。ある意味、いい気なものだと思わぬでもありませんが、実際問題としてそういう価値観になってきているのですから仕方がありません。
 テレビ局は当初、「個々のタレントには罪が無いのだから」と、ジャニタレを出演させ続ける意思を示していました。この論法で、女性からの視聴率がたくさん取れるジャニタレを使い続けられると考えたのです。たぶんファンの女性たちも、「○○くんがかわいそう」というので、むしろ応援してくれると思ったのでしょう。
 しかし、スポンサー企業のほうがダイレクトに反応しました。海外との取り引きもあるスポンサー企業は、性暴力行為が明らかになった芸能事務所の所属タレントを使うことで、取り引き相手から悪印象を持たれることは、なんとしても避けたい事態です。
 スポンサーの意向とあっては、テレビ局としてもジャニタレを使うわけにはゆきません。降板、または継続契約の取り消しなどの処置をおこなうところが増えてきました。すでに事務所を離れた元所属タレントすら使えなくなってきたのです。
 ある番組が、それまでジャニタレばかりを出していたところを、今回の騒ぎを受けて、別の事務所のタレントを出演させたのだそうです。すると元社長の姪であったかの前社長が、
 「今回はまあ仕方がないけれど、以後も同じことが続くようだったら、考えさせて貰います」
 と申し入れた、という話も聞きました。おまえのところにはうちのタレントを出さないよ、ということですね。
 たぶん、同じような言いかたで、元社長もテレビ局に申し入れをしていたのでしょう。そしてプロデューサーも局の上層部も慄え上がったのに違いありません。すでに大騒ぎになっているのに、前社長はついこれまでと同じような申し入れ(という名の脅し)をやらかしてしまったのです。
 個々のタレントは確かにかわいそうとも言えるのですが、もともと事務所の力で実力以上の地位や役を貰っていたようでもあるので、被害者でもあり共犯者でもあり、というところではないでしょうか。特殊詐欺の受け子みたいな立ち位置と言って良いかもしれません。実力のあるタレントであれば、ほかの事務所に移籍してやってゆくこともできるでしょう。移籍してはやってゆけない、あるいは引き受け手が居ない、というのならば、そこまでの実力に過ぎなかったと言えそうです。
 また、彼らはテレビに出なくとも、ファンクラブの会費だけで莫大な収益を叩きだすそうですから、しばらくはテレビ以外の活動に専念するのも良いでしょう。まあ、メディアに露出しなくなればだんだんとファンも先細りになるでしょうから、いつまでもそのままでは居られないでしょうが、行く末を考えるくらいの時間的余裕は充分にあると思われます。
 結局、残った大問題は、この事務所の内部事情を察しながら、この事務所の無理押しや横紙破りを黙認……というよりも積極的に甘受してきたマスメディアにあると言って良さそうです。
 「そんなこととは知らなかった」という弁解を信じる者はほとんど居ないでしょう。実際、上記の社長の弁、「男性への性暴力行為について、あまり深刻に認識していなかった」というのは、性暴力行為がおこなわれていたこと自体は知っていたという前提が無いと成立しない言い分です。知っていて、せいぜい笑い話くらいにしか受け止めていなかったのです。
 それならそれで、

 ──欧米がなんと言ってこようと、日本ではそういう文化なんだ。

 と言い張りでもすれば面白いのですが、どうも軒並み同調圧力に屈してしまったようで、これまた失望させられます。
 今回の騒ぎは、芸能事務所のドンであった老人の特殊性癖がショッキングだったわけではなく、いつも偉そうなことを言っているマスメディアの情けなさこそショッキングだったのだということに、新聞やテレビのお偉いさんは気がついているのでしょうか。個人的な希望としては、もっともっとすったもんだして、いろんな「闇」に光を当てて貰いたいものだと思います。

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