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「ワラビスタン」から考える [世の中]

 私の住んでいる埼玉県川口市は、最近あることで日本一となり、報道にもよく登場するようになりました。
 何が日本一かというと、外国籍の在住者の割合なのでした。約7%と言われています。
 現在の川口市の人口は60万人あまりとなっています。今年の正月で60万4715人だったそうです。去年より微減したようでもありますが、まあ大体60万都市と考えて良いでしょう。
 60万人のうちの7%ですから、市内には4万人以上の外国人が暮らしているということです。これはなかなかの数と言えます。目立つのはやはり中国人などですが、ヴェトナム人やタイ人なども少なくないでしょう。マダムも仕事先などでたびたび遭遇するようです。もちろん韓国人などもかなり多いと思われます。
 もともと、西川口のあたりは外国人が多いと言われていましたが、最近は市内全域に拡がっているようで、私の住んでいる集合住宅は川口駅から赤羽側に向かっての線路沿いにありますが、6~7分の1くらいの戸数に中国人らしき名前がついています。川口には高層マンションがたくさんありますが、その中で中国人所有のフラットはかなりの割合になるのではないかと思われます。
 そして、駅周辺になるとまた違った人々が暮らしています。
 蕨市というのは、以前川口市と合併する話もあったのですが、それは流れてしまいました。いまでも独立した市であり、日本でいちばん面積の小さい市として有名です。ちなみに2番めに小さかったのが鳩ヶ谷市ですが、ここは川口市と合併しました。3番めに小さかった(現在は2番め)富士見市も埼玉県で、埼玉県というのはつくづくこまごまとした市が多いなと思います。
 しかし、京浜東北線の蕨駅は、蕨市の端っこにあり、ほとんど川口市にあると言っても良いような位置です。三鷹駅のように、南口は三鷹市だが北口は武蔵野市、というほどではないにせよ、東口を出て駅前ロータリーを突っ切り、次の信号機のある通りを渡ると、もう川口市に入ってしまいます。川口市のコミュニティバス「みんななかまバス」は、蕨駅前にも停まりますが、バス停は蕨市ではないのでした。
 さて、その蕨駅周辺は、このところ「ワラビスタン」と呼ばれています。実はクルド人が非常に多いのです。

 クルド人は、「自前の国家を持たない最大の民族」と言われ、主にトルコシリアイラクイランなどの国々が接するあたりに多数が暮らしています。自前の国家を持つことを切望してはいますが、これらの国々がクルド人のために領土を割愛する見込みはいまのところ無く、どこへ行っても少数民族扱いされる気の毒な人々ではあります。
 あちこちでテロ行為を起こして全世界からヒンシュクを買いまくっていたイスラム国IS)の壊滅にあたっては、クルド人の部隊が大きな役割を果たしたことが知られています。2014年キルクークの戦いでは、イラクの正規軍や警察隊がIS軍にボコボコにされ、ほうほうのていで逃げ散ったのに対し、クルド人部隊のベシュメルガが徹底抗戦、見事にIS軍を撃退しています。2017年にISの「首都」と言うべきラッカを陥落させたのもベシュメルガでした。
 ベシュメルガはよく「クルド人民兵」と説明されますが、それはイラクやトルコの正規兵ではないという意味です。民兵という呼び名でイメージされる、ふだんは農民や職人として暮らしていて、非常時に徴集されて兵士として戦う、というような形態とはまったく違い、れっきとしたプロの軍隊です。総兵力は20万を超え、わが国の自衛隊(総数25万)と規模としてはさほど変わりません。その戦いぶりは勇猛果敢で、危険を顧みないと言われます。
 特筆すべきは、女性のみによる実戦部隊があることです。女性が実戦に出て、負けたりすると間違いなく大変な凌辱に遭うことがわかりきっていますので、みんな死ぬ気で戦い、それゆえにけっこう強いのだそうです。またISでは、女に殺された者はなぜか天国へ行けないという教義があったようで、ベシュメルガの女兵部隊が出てくると、戦わずに逃げることが多かったとか。
 彼らが勇猛果敢に戦うのは、もともとの戦士としての資質もあるかもしれませんが、それよりも、強さや有能さをアピールすることで、自前の国を建設することを、大国──たとえばUSA──が認めてくれないものかという期待あってのことではないかと思えます。残念ながら、USAといえどもイラクやトルコに、クルド人のために領土を割愛しろなどとは要求できるものでなく、いまのところ彼らの希望がかなえられる見込みはありません。むしろ各国とも、クルド人たちを反政府勢力として圧迫する方向に向かっています。
 こういう「酬われなさ」には大変同情しますし、彼らに明るい未来が訪れて欲しいものだと思わずには居られません。
 ともあれ、蕨駅近辺の地域には、そのクルド人がかなりの人数居て、クルド人居住区を指す「クルディスタン」の名をもじって「ワラビスタン」と呼ばれているわけです。中央アジアには「スタン」の語尾を持つ国名や地名が多く、カザフスタンウズベキスタントルクメニスタンなどいろいろあります。アフガニスタンパキスタンもその仲間です。しかし「ワラビスタン」はクルディスタンのもじりであって、ほかの「スタン」ではないようです。

 クルド人の現状には大いに同情している私ですが、「ワラビスタン」に居るクルド人の多くが不法滞在であると聞くと、やはりちょっとマズいのではないかと思います。
 彼らは観光ヴィザなどで日本を訪れ、滞在有効日数が過ぎると、ただちに難民申請をおこなうのでした。つまり、帰国するとトルコ政府などに迫害されるから難民として認定してくれ、というわけです。
 しかし、日本政府もはいそうですかと軽々しく難民認定することはありません。そもそも日本の難民認定は世界的に見てかなり厳格なほうです。あまりに受け容れ数が少ないので、欧米などから批判されているほどです。
 まずトルコ政府は、彼らを迫害している事実は無いと明言しています。それはまあ、公的な立場としてはそう言うに決まっているとは思えますが、表立って反政府運動をしているような連中は別として、特にクルド人だからと言って迫害する理由も無さそうではあります。トルコ国内で、議員などそれなりの地位に就いているクルド人もちゃんと居り、トルコ政府が民族として差別したり迫害したりということはあまり無いのではないでしょうか。
 それから、観光ヴィザで、堂々と正規の航空路で入国しているのだからして、貧窮に苦しんでいるとも思えないという点。そんなに困窮しているなら、どうやって日本への旅費を工面したのかという話です。陸路で長い旅の果てにやってきたわけではないのです。
 そんなこんなで、日本政府としてもそう簡単に難民認定をおこなうわけにはゆかないのでした。
 難民には、戦乱を逃れてきた戦争難民、政治的な理由で亡命してきた政治難民、自国では食い詰めて、それより良い生活ができると思ってやってくる経済難民などの種類があります。日本は戦争難民にはわりと寛容で、たとえば逃げてきたウクライナ人などはかなり受け容れていますが、政治難民にはかなり難色を示すことが多く(受け容れるとその国との関係が悪くなることがある)、経済難民はほとんど拒絶していると言って良さそうです。ウクライナ人ばかりなぜ認定されるのかと、ほかの国の難民申請者がぶーたれているという話も聞きましたが、日本では難民の種類をしっかり区別しているというだけのことです。
 難民申請が通らなければ、不法滞在ということになります。ここからが日本のちょっと優柔不断というか甘ちゃんなところになりますが、不法滞在者を無理矢理本国へ送り返すということは、日本はあまりしません。人道的にどうだこうだと言い出す連中が多いからかもしれません。
 送り返すには交通費が必要になります。普通は相手国に請求するのですが、相手国が払わないこともよくあります。そうなると日本の持ち出しになり、税金を使うことになるのでいかがなものか、という議論にもなります。
 ここ10年でそういう費用のために2億円も使った、みたいな記事をどこかで読んだ記憶があるのですが、10年間で2億円くらいなら使っても良いのではないでしょうか。なんなら1年間で2億円でも、不法滞在者が滞留することによる治安の悪化などを考えれば安いものだと思います。これは不法滞在者が犯罪を起こすという意味ではなく、法に従わない集団が居ることで、その周囲の法意識がゆるみやすいということです。不法滞在者は、なるべく早いうちに送還するのが筋でしょう。
 しかし、警察も入管もなぜか及び腰であるため、なかなか送還がおこなわれません。すると、申請を却下された者は再申請をおこないます。何度も却下と再申請を繰り返すうちに、いたずらに時間だけが過ぎてゆきます。やがて似たような境遇の同国やら同民族の人々が集まって生活しはじめ、手がつけられなくなってきます。

 「ワラビスタン」も、そういう経緯でクルド人コロニーのようになった地区です。
 先日、クルド人同士のあいだで何か争いがあり、双方50人ばかりを駆り出して、一触即発の様相になった事件がありました。両グループは、なぜか川口医療センターの敷地に集結して長時間にらみ合った末、話がついたのか飽きたのか、解散したようですが、100人の戦闘民族が手に手に武器を持って対峙している様子は、最近少なくなったヤクザの抗争なんかよりおっかなく、医療センターにはしばらく救急車も寄りつけなくなったというのですから、はっきりと実害が出ています。
 私は医療センターに入院したこともありますし、この前「みんななかまバス」の乗り潰しをしたときには実にしょっちゅう出入りしました。土地鑑がありますので、そこにクルド人たちが集結した様子も容易に想像できます。
 事件のあとで、警察官を伴った市議が、クルド人の指導的地位の人を訪ねて、

 ──差別などをする気は無いが、ルールには従って貰わなくては困る。

 ということを申し入れたそうです。しかし相手は、

 ──双方50人ずつ集めたから、大きな争いにならずに済んだ。われわれはうまくやったと思う。

 と得意顔で、まるで話が咬み合わなかったようです。
 警察官に居住カードを見せるように言われ、
 「バーカ、そんなもの見せないよ。持ってるけどね」
 と嘲弄的な態度をとった手合いも居るとか。日本の警察官はいきなり発砲などしてこないということを学習して、舐めてかかっているのです。
 これがもっと進むと、警察も踏み込めない治外法権のエリアができてしまいかねません。そうなると本当に厄介です。事実、パリにしろブリュッセルにしろベルリンにしろ、そういった治外法権エリアが出来上がってしまって、手がつけられない状態であるようです。なんとかいまのうちに、対策を考えなければならないと思います。

 クルド人は、基本的にはムスリムです。ムスリムを地域で抱えることの問題については、私はすでに何度も書いていますが、もういちど整理しておきます。
 ムスリムは、外国へ行った場合、本質的に群れなければ生きてゆけない人々です。「その土地に融け込んで暮らす」ということが絶対にできないのです。イスラムとは、単にアラーを信仰する宗教であるばかりではなく、生活様式そのものであるからです。世界中どこへ行っても、その生活様式を変えることは背教と見なされます。「その土地に融け込んで暮らす」というのは、その土地の生活様式に自らを合わせることであり、従ってそれは「信仰よりも異教徒との妥協を優先させた」ということになり、ムスリムにとっては決して許されない行為です。
 日に5回、メッカの方角に向けて礼拝すること。ハラール認証の無い店で食物を買わないこと。あらゆる偶像に対しいささかの敬意をも向けないこと。ムスリムの戒律というか生活様式は、まだまだたくさんあります。それらが満足しうる場所でしか、彼らは暮らすことができません。自然と、ある地域に集まってしまうことになります。
 そして集まって暮らした場合、そこでの行動はイスラム法に基づくものになります。そしてそれは、その場所の法律などよりも優先されます。現地の法律とイスラム法が抵触する場合には、現地の法に違反してもイスラム法に従うことになります。つまり、そのエリアでは日本国の法律が通用しないことが出てくるのです。言い換えれば治外法権です。
 日本国内に、日本の法律が通用しない治外法権エリアが生成されることを、歓迎する日本人は居ないでしょう。いや、そうでもないのかな。一部、歓迎しそうな手合いも居そうですが、まあ普通の生活者としてはご免こうむりたいところだと思います。大使館や領事館程度ならまだしも、何百人何千人が生活するエリアがそんなことになるのは真っ平と考えるのが自然でしょう。しかし、現に欧米の都市では、そんなエリアが作られ、いまなお増殖中なのです。
 だから、イスラム移民は当分入れるべきでないというのが私の意見です。イスラム側で、日本の社会に融け込んで暮らしても苦しゅうない、という規定ができるまでは、見送ったほうがお互いに幸せでしょう。
 日本社会は、地域に馴染もうとする外国人に対してはたいへん温かく迎え入れますが、どこまでも自分たちの流儀を通そうとして、地域に融け込むのを拒否するガイジンに対しては、かなり冷たいところがあります。そういう面が、川口市においても少しずつ表面化しているようでもあるのでした。
 国を持てない民族であるクルド人の境遇には同情しているものの、それだからこそ余計に、クルド人との軋轢で街の空気がギスギスしてしまうのは避けたいと思うし、嫌いになりたくもないのです。やはり、最低限日本の法律を守って欲しい、信仰との関わりでそれが困難であるならば、ひとまず帰国して再考してみて欲しいというのが本心です。日本の法律を守れないと、公然と言う連中を、難民や移民として受け容れるのは、どうしても抵抗があるのですが、皆様はどうお考えでしょうか。

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