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ガザの戦乱 [世の中]

 シナイ半島ガザ地区の武装勢力ハマスが、突如としてイスラエルの国境を突破して急襲しました。
 イスラエル側には数百人の死者が出ており、また多くの人々が、おそらく人質として連れ去られたようです。
 なんだか年柄年中紛争が起こっているような気がするあの地域ですが、イスラエルという国は強大な軍事力と高度な諜報能力を持っていて、まわり全部が敵のような状態にもかかわらず、それなりに力による均衡のようなものが保たれていました。
 こんなに被害が出たのは、半世紀前の第四次中東戦争の緒戦のとき以来だそうです。そのときは、エジプト軍シリア軍が同時に攻撃をはじめて、二正面作戦を強いられたイスラエルはだいぶ苦戦したようです。しかし結局、エジプトとシリアの連携もあんまりうまくゆかず、態勢を立て直したイスラエル軍に各個撃破されるかたちとなりました。
 今回は、国家の正規軍が相手ではありません。ハマスは、パレスティナ国軍を称してはいますが、実際には地域武装勢力に過ぎず、そんな敵に国境を突破され、無差別虐殺や拉致を許してしまったのは、イスラエルとしては看過できない失態だったでしょう。凄腕の諜報機関モサドも、なぜこんな事態の前兆を見逃してしまったのかと思えます。
 まあ、これまで小競り合いはあったものの、本格的な戦闘行為が無くなって久しいため、さすがのイスラエルも油断したというところでしょうか。サウジアラビアなどとはむしろ最近は良好な関係を築いており、アラブ全体が不倶戴天の仇敵のような状態でもなくなっていたために、足元をすくわれたのでしょう。
 むろんのことネタニヤフ首相は怒り心頭で、開戦を発令しました。イスラエルは被害を受けた場合、二倍返し、三倍返しを旨としています。本気になったイスラエルを相手には、ハマスごときでは相手にならないだろうと思われ、今度こそ完膚なきまでに叩き潰されるのではないかと噂されています。
 ハマスが何を考えて今回の急襲を決行したのか、よくわかりません。世界の眼がロシアウクライナに向いている今なら勝てるとでも思ったのでしょうか。いつもイスラエルの後ろ盾になっているUSAがウクライナ援助に忙しいので、乾坤一擲を狙ったのかもしれません。とはいえ、イスラエルはUSAの支援があるから強いというわけでもなく、単体で充分に強いのですから、緒戦は押せても結局はじり貧になりそうです。外国人の旅行客や労働者まで見境なく拉致したので、あちこちから批難の声も上がっています。
 なお、第四次中東戦争の勃発からちょうど50年というのは、偶然ではないようです。ハマスは意識して「50周年」の今年にことを為すべく用意していたとも言われます。

 詳しい人の説明によると、ほかのアラブ諸国からのハマスへの援助が、最近だいぶ滞っていたのだそうです。上記のとおり、サウジアラビアはイスラエルと関係改善していますし、エジプトやシリアなどもガザ地区への関心を失っているとか。それらの大国の支援はもうほとんど期待できない状態です。
 現在ハマスの財政を支えているのはカタールで、ハマスの党首イスマイル・ハニーヤがカタールを拠点としているためです。しかしカタールは小国であり、周囲の国々との関係もあまり良くありません。ハマスの軍人への給料などもカタールの援助でなんとか支払っていたものの、ここ数ヶ月支払いがなされていないという話も聞きました。
 つまり、ハマスはすでにじり貧であり、何か行動を起こさないと自滅しそうなところまで追い込まれていたと言っても良さそうです。やはり「乾坤一擲」だったようです。
 しかし、これまた上に書いたとおり、民間人も見境なしの虐殺は周囲から眉をひそめられていますし、外国人を連れ去ったりしてその国も怒らせていますし(特にタイなどは何人か殺害されたらしく、口を極めてハマスを批難しています)、どうも味方をしてくれる国は全然無さそうな雲行きです。イスラエルに一矢報いたのだから、アラブ世界の英雄として称えられ、あちらからもこちらからも多大な援助が寄せられるはず……と皮算用していたのかもしれませんが、そんなことになる様子はありません。
 今回の急襲で用いたミサイルの数が、これまで想定されていたよりえらく多くて、イスラエル側も迎撃しきれなかったという話もありました。ハマスがこれほどの物量を用意できたというのは確かに予想外だったようです。どこからか武器援助があったのでしょう。イランが背後に居るという説もあります。しかし、こうなってしまうと、たぶん武器援助した国は、口を拭って知らんぷりをすると思われます。あくまでハマスに寄り添おうなどとは考えていないでしょう。
 そうなれば、ハマスはもう少し兵器を持っていたとしても、たぶんイスラエル軍には太刀打ちできそうにありません。ハマスの挙は、アラブ諸国が賛同し援助してくれることを絶対条件としないことには、成立する見通しが無い勝負だったと言わざるを得ません。

 それにしても、中東という地域は容易に安定しないものだと思います。
 もちろん、多数のアラブ人国家のど真ん中に、いきなりなんの根回しも無くユダヤ人国家が作られたのだから、摩擦が起きないわけは無いと言えます。
 そして、その状況を作った原因が、第一次世界大戦に際しての英国三枚舌外交にあるということも、よく知られています。
 第一次大戦まで、アラビア半島やシナイ半島あたりは、オスマン朝トルコ帝国の支配する地域でした。しかしトルコは第一次大戦で英国に敵対します。トルコ帝国は当時、近代化という面ではおくれを取っていましたが、その広大な国土と各種資源の量、それに人口の多さはやはり脅威でした。
 そこで、トルコを突き崩すために、英国は権謀術数の限りを尽くしたのでした。
 まずアラブ人たちに、トルコへの反抗をそそのかしました。戦後、中東にアラブ人の国家を造ることを認めたのです。フサイン=マクマホン協定と呼ばれる密約です。
 それからユダヤ資本に戦費の協力を求めるため、中東にユダヤ人国家の建設をも認めました。バルフォア宣言というものです。
 そうしておきながら、英国は同盟国フランスと、戦後中東地域を分け取りにする密約をも交わしました。サイクス=ピコ協定です。
 要するに、英国は中東という地域を、三者に同時に売りつけたことになります。その時点では中東は全然英国のものでもなんでもありませんでしたので、いわば空証文に過ぎなかったのですが、戦争が終わってトルコが負け、オスマン朝そのものが崩壊してしまうと、このトリプルブッキングが現実性をおびはじめました。
 フランスは、どうも面倒くさいことになりそうだと見切って、この地への利権を主張すること無く辞退しましたが、アラブ人とユダヤ人は、英国の約束を真に受けてしまったのでした。
 英国があいだに立って調整すればまだ良かったのですが、英国もまた火中の栗を拾うことに二の足を踏んでしまいました。そうなると、早い者勝ちというか実力勝負というか、まるで調整がおこなわれることなく、アラブ人たちとユダヤ人たちの陣取り競争が勃発してしまったわけです。
 そして、アラビア半島の広大な(しかし沙漠ばかりの)土地には多くのアラブ人国家が建設されました。しかし、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が等しく聖地として仰ぐイェルサレムの地は、ユダヤ人国家イスラエルが手に入れてしまったのでした。
 これが火種となり、中東には幾度も戦火が交えられました。イスラエルは周囲をアラブ人国家に包囲され、国土面積もごく狭いのですが、全世界に拡がったユダヤ資本のネットワークから潤沢な資金を得ており、たちまちこの地域での軍事大国となったのでした。欧米にはユダヤ資本に頭の上がらない国も多く(筆頭がUSAです)、イスラエルの味方をせざるを得ません。そういう資金力・軍事力・外交力によって、この国は周囲のアラブ人国家と充分渡り合えています。

 イスラエルという国は、紀元前11~10世紀ごろには、地域覇権国家としてなかなかの隆盛を誇りました。パレスティナにあった群小の都市国家をひとつ残らず亡ぼし、そのころとしてはかなり大きな領域国家を築いたのです。ダビデソロモンの両王の時代が最盛期でした。
 ソロモン王の死後、古代イスラエルは南北に分裂し、北のほうはアッシリア帝国に亡ぼされます。失われた十支族などと呼ばれることもありますが、アッシリアという帝国は案外とゆるいところがあって、民族をしめつけることもなかったので、時が経つうちに融けてしまったのでしょう。
 南のほうはユダ王国を名乗り、もうしばらく存続しますが、エジプトに亡ぼされます。その後、新バビロニア王国の支配下に入ります。この時代、ユダヤ人たちは次々とバビロニアの神々(バアルイシュタルなど)に乗り換えはじめ、危機感を覚えたユダヤ教指導者たちは、バアルやイシュタルの徒に対抗すべく、理論武装をおこないます。おそらくユダヤ教の神学が本格的に調えられたのがこの時期でしょう。
 バビロニアはそののちアケメネス朝ペルシャに亡ぼされ、さらにアレクサンドロス大王マケドニアがこの地域を席巻します。そしてアレクサンドロス大王の部将であったセレウコスが、大王の死後にセレウコス朝シリアを起ち上げ、ユダヤ人たちはこんどはこの国の支配下に入ります。
 しばらくして、ユダ・マカバイの乱によって、ユダヤ人は久しぶりに自前の王朝を持つことになります。ハスモン朝です。しかしこの王朝、慢性的なお家騒動が続き、だんだんと国民から見放されます。そして結局、ローマ帝国の支援をとりつけた地方領主によって亡ぼされたのでした。この領主がヘロデで、ヘロデ大王などと尊称されることもありますが、実際はローマ帝国の属国の王に過ぎません。しかも彼の息子たちの代になると、領域は4つに分割され、王号を名乗ることも許されなくなりました。
 以後およそ2千年、ユダヤ人は自前の国家を持てないまま各地に散ってゆきました。漂泊の民族というわけですが、キリスト教徒には当初認められていなかった金融業を担当したために、少しずつ財力を蓄え、無視できない存在になってゆきました。
 中世のヨーロッパでユダヤ人は迫害されていた、などと書いてある本もありますが、たぶん違います。金融が無ければ経済が成り立ちません。「ヴェニスの商人」シャイロックは悪役とはいえ、あれだけ大きな顔ができていたのは、ユダヤ人の隠然たる勢力をよく顕しています。嫌われてはいたかもしれませんが、迫害されていたとは思えません。
 ユダヤ人への風当たりが強くなったのは、おそらくプロテスタントの勃興以降だと思います。プロテスタントの考えかたにより、キリスト教徒も商業や金融業を大手を振っておこなえるようになり、そうなるとユダヤ人が商売敵となります。商売敵となったユダヤ人を貶めるには、異教徒という大義名分があったわけで、迫害と呼べるような行為が目立ちはじめたのは近世になってからの話でしょう。
 そうなるとユダヤ人としても居心地が悪いので、祖先の地であるパレスティナに、ユダヤ人の国を建設しようという動きがはじまります。この運動をシオニズムと言います。イェルサレムのことをユダヤ人はシオンと呼んでいたのでした。
 しかし上記のとおりイェルサレムは3つの宗教の共通の聖地であり、しかも当時はオスマン朝の支配下にありましたから、シオニズム運動は容易に進展しませんでした。それが一気に動いたのがバルフォア宣言であり、シオニストたちは勢い込んでパレスティナに入植したのでした。
 しかし、そこには当然、以前から住んでいたアラブ人たちが居ます。イスラエルの再建国は、パレスティナのアラブ人を追い散らすことでおこなわれました。追い散らされたアラブ人はもちろん怒ります。これにより、もともとはほとんど関係の無かったユダヤ人とアラブ人のあいだに、抜き差しならない対立と敵愾心が生まれてしまいました。

 イスラエルの建国もかなり無理を通したものでしたが、悪いのが英国であることは明白です。英国が責任を持ってユダヤとアラブの関係を取り持つべきなのですが、その後一切知らん顔をしているのはまことに遺憾と言うしかありません。
 宗教的な対立もあるのでしょうが、考えてみればユダヤ教とイスラム教というのは、実はおんなじ宗教です。エホバアラーは同一神格です。ユダヤ人の民族宗教であったユダヤ教の一派が、異民族に布教できるようにカスタマイズされたものがキリスト教であり、そのキリスト教の教義を聞きかじったムハンマドが興したのがイスラム教なのでした。だからムハンマドは天使ジブリールガブリエル)から神託を授かったことになっていますし、コーランの中にもイエスマリアの名が出てきます。
 イスラム教においては、イエスはその前のエレミヤエゼキエルなどと同列の預言者であり、ムハンマドがその系列の最後に来る最終預言者という扱いになります。またノアアブラハムモーゼ、イエス、ムハンマドを五大預言者と呼ぶこともあります。ユダヤ教とキリスト教を継承していることを自認しているわけです。
 似たようなことは、ヒンドゥー教ブッダが神々の一柱として登場するといった現象にも見られ、後発の宗教が先行する宗教から神様や教義をパクるというのはよく見られることではあります。もちろん、先行する宗教を持ち出したほうが権威付けになるからで、ムハンマドの「借用」もそのレベルなのかもしれませんが、とにかくユダヤ教・キリスト教・イスラム教が、その根を同じくする兄弟宗教であることは間違いありません。同じイェルサレムという土地を聖地と見なすのも当然です。
 だからこの三者の争いというのは、いわば兄弟げんかであって、まったくの異教徒たるわれわれとしては、心底巻き込まれたくない話ではあります。自分たちで解決しろ、としか言いようがありません。
 今回のハマスの暴挙については、岸田首相はいち早く批難の声明を出しましたが、あくまで人道上の批難だけにしておいて、深入りすることは避けたほうが良いでしょう。
 ウクライナ戦争では、日本としては「ロシアを勝たせてはならない」と考える理由が大いにありますが、中東に関しては、いまのところ座視していれば良いように思います。いいところ人道支援まででしょうね。

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