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不穏な三が日 [日録]

 皆様、あけましておめでとうございます。
 2024年は、元旦能登を中心とした大地震と津波が発生し、2日には羽田空港で旅客機と海上保安庁の飛行機が衝突して炎上し、何やら幸先の悪い幕開けとなってしまいました。
 お正月気分でおせちなどをつついていたところをいきなり被災者となってしまった人々は、地震や津波の恐怖もさることながら、悪い夢でも見ているような気分だったのではないかと拝察いたします。
 旅客機には奇跡的にひとりの死者も出なかったとはいえ、荷物は全滅だったわけですから、せっかくのお土産や想い出の品がすべて灰燼に帰した虚しさはたとえようも無いものがあるでしょう。補償は出るにしても、お金には代えられないものもあったと思います。
 一方海保機のほうには5名の死者が出ました。海保機は能登沖に向かうために離陸を焦っていたというような話もあり、そうだとすると元日の大地震と2日の炎上事故はまぎれもなく関連していたということになります。どうにもやりきれない話です。
 ともあれ、犠牲になったかたがたには衷心よりお悔やみ申し上げます。またそのほかの被害者の皆様にも声援をお届けしたいと思っております。

 さて私の年末年始は、おおむね通常どおりといった趣きでした。
 大晦日は、午前中には「孤独のグルメ」の再放送を連続でやっていたので、マダムがテレビにかじりついていました。なお晩には同じ番組の「大晦日スペシャル」もあって、テレビ東京の大晦日は「孤独のグルメ」に頼りきりとなっているようです。
 中年のおっさんが、ぶつぶつと独り言を漏らしながらひとりでメシを食うマンガ……ということで、一部でカルト的な人気があったとはいえあまり注目もされていなかった原作が、松重豊氏主演で連続ドラマ化されるや否や、急にブレイクして、次々と続篇が作られることになりました。原作の作画者であった谷口ジロー氏が亡くなっても、いまだにシリーズが続いているばかりか、ここ何年かは大晦日スペシャルなる拡大版が制作されるようにもなったのでした。
 マダムはこのドラマの大ファンで、近くでロケがあってエキストラを募集していたときにはいそいそと出かけて行ったりしたほどです。野球の観戦者のエキストラだったそうで、そのとき松重氏がエキストラ出演者全員にアイスキャンディを差し入れてくれたというので、えらく感激していました。
 その一方で、何が面白いのかわからん、という人も居るでしょう。松重氏の食べかたがまるで美味しそうに見えない、という指摘もあります。松重氏が食べているシーンを撮影した後で、モノローグをかぶせて録音するという方式をとっているようで、モノロークのほうでは料理を絶賛したり軽口を叩いたりしているものの、画面のほうはまさに仏頂面のおっさんがひたすら食べているだけで、花も何もあったものではありません。その仏頂面とモノローグとのギャップを愉しめる人なら良いのですが、そうでないと確かに面白さがわからんということになりそうです。
 ただ、これだけシリーズが続いてきているということは、共感する人も多いということでしょう。それと共に、制作側にとっても、低予算で済むという魅力があるのだと思います。松重氏のほか、前半のドラマパートでビジネス相手などにひとり、後半の食事パートで店員役などにひとり程度、ゲストキャラを呼べば、あとはエキストラだけで作れますから、出演料は極少で抑えられます。ドラマパートのセットは必要でしょうが、食事パートは実際の店舗を用いるし、あとは屋外ロケだけですので、大道具などの経費もほとんど要りません。食事そのものの代金などは知れたものです。
 こうして、視聴者と制作者の思惑がうまく咬み合い、すでにシーズン11を数えるロングランドラマとなったものと思われます。
 主演の松重氏は、あまりこの役を気に入っていないようなことを言っており、「役者としての汚点だ」とまで発言したことがあるそうですが、本来脇役を固めるポジションが多い役者であって、主要人物になることは滅多に無く、まして主演作となると「孤独のグルメ」が最初だったということもあり、いまやすっかり「井之頭五郎」のイメージがついてしまいました。本人は不満かもしれませんが、まあ表現活動者というのはそんなものでしょう。
 ともあれ、大晦日は「孤独のグルメ」とちょっとした買い物、それにN響第九東急ジルベスターカウントダウンコンサート、といったところで暮れてゆきました。

 元日は、これも例年どおり初日の出を観にゆきます。
 大晦日の午前中が雨模様だったので、元日も雲が多いのではないかと心配していましたが、快晴だったので幸いでした。
 私の家の近くで、荒川がほぼ東西方向に流れているので、橋の上から見ればほとんど障害物無しに初日の出を拝めます。最近はそのことがよく知られてきて、やたらと人出が多くなりました。
 障害物無しに、と書きましたが、ちょうど日の出方向の遠方に、何か三角形をした建物(?)があるようで、日の出時刻を過ぎてもなかなか初日が顔を見せません。あたりの輪郭が煌々と光りはじめ、空が朱に染まっても、太陽そのものが見えないのでやきもきしました。
 結局日の出時刻から2分ほど遅れて、その三角形の上に陽が出てきました。毎年そんな感じであったかどうか、よく憶えていません。あるいは新しく建物ができたのか、年によって角度が微妙に異なるのか。
 日の出に際しては、例によってスマホを掲げる手合いがたくさん見受けられました。スマホの画面越しに初日の出を拝んでも、大して御利益が無さそうだと思うのは私の偏見でしょうか。自分の眼でしっかり見て、そして手を合わせて拝むのが大事なのではないかと思うのですが。
 日の出を見たあとうしろを振り向くと、この橋の上からは富士山もよく見えます。今シーズン、富士山はなかなか白くならずに、またぞろ温暖化がどうのこうのと騒がれていましたが、元日の富士山は真っ白で神々しく見えました。
 早々とそこを離れて、川口神社に向かいます。実は初日の出を拝んでから初詣というルートを狙っている人は多いようで、あまりのんびりしていると出遅れます。まあ、私らは自転車でやってきているので、徒歩の人たちよりはよほど速く移動できるのですけれども。
 さっさとお参りを済ませてうしろを見ると、すでに長蛇の列ができています。初日の出組に加え、
 「7時になったら初詣に行こう」
 などと考えていた近所の人々なども集まっているのでしょう。自転車で行動していて本当に良かったと思います。
 おみくじを引いたら、珍しくマダムも私も大吉でした。もっとも、大吉というのは「あとは下がる一方」でもありますので、無条件に喜べるわけでもありません。よくよく注意して暮らすべきという戒めです。
 駅近くのコーヒーショップへ行って温かい飲み物を喫してから帰宅します。これは去年からはじめた習慣です。

 元日のお雑煮は、前夜の年越しそばを茹でるときに出たそば湯をベースにして、鶏肉・ネギ・ゆず・三つ葉を入れたシンプルな澄まし汁です。昔はマダムが張り切って「トマトスープ雑煮」なんかを作っていましたが、このところはシンプル路線となりました。
 そのうち年賀状が届きますのでそれを見て、必要があれば返事を書きます。最近は紙の年賀状を廃止する人も増えました。うちも徐々に減らしたいとは思っており、Chorus STの仲間あてには電子化して送ったりしています。
 それでもまだ、100枚以上出すことになるので、年賀状という習慣はなかなか強固なものだと思います。しかし、間もなく封書もハガキも値上げになるそうなので、年賀状離れも加速するのではないでしょうか。
 昼過ぎから、私の実家に出かけて、食事をして帰ります。以前は泊まっていましたが、布団の準備やら後片付けやらが大変そうなので、かなり前から日帰りすることにしています。
 食事の途中で、軽い揺れを感じ、けっこう長く続いたので、これは大きい地震なのではないかと思い、テレビをつけたところ、能登沖の地震について知ったという次第です。以降、どのチャンネルを回しても地震のニュースばかりやっていて、ほかの番組はすべて中止になった模様です。Eテレやテレ東まで地震関連だったので、これは容易ならぬことだと襟を正したのでした。
 それにしても、各テレビ局で作っていた正月特番など、全部オシャカになったでしょう。普通の番組と違って、後日あらためて放映するというわけにもゆかなさそうです。大損害ですね。

 2日は、マダムの両親と一緒に、新宿山ノ手七福神めぐりをおこないました。マダムの両親も七福神めぐりが好きなようで、松戸川口柴又隅田川などの七福神に同道したことがあります。だんだん義母が歩くのがしんどくなってきたというので、今年はわりとコンパクトな下谷あたりを考えていたのですが、東京に行くついでに伊勢丹に寄りたいという希望が出たため、新宿山ノ手七福神をマダムが見つけ出したのでした。
 ここは私たちもめぐったことがなく、様子がわかりません。1時間50分ほどで歩ききれるから手頃だと言うのですが、地図を見ると飯田橋から新宿御苑前まで拡がっており、そんな時間で可能だろうかと首を傾げました。詳しく見ると、飯田橋寄りの善國寺から新宿御苑寄りの太宗寺まで、約6.9キロとのことでした。1時間50分で6.9キロとなると、ただ歩くだけの時間で、参拝の時間などは含まれていないとしか思えません。しかも、飯田橋駅から善國寺までも、500メートルくらい神楽坂を上がる必要があり、それは路程に含まれていません。
 ルートの大半は、都営大江戸線の上を歩くことになっていたので、途中、牛込柳町から東新宿まで地下鉄に乗って移動しました。それでも、伊勢丹最寄りの新宿三丁目に辿り着くまで、およそ3時間半を要しました。

 ──「1時間50分」じゃなくて、「150分」だったかもしれない……

 と、マダムが少々弱気になって口走っていました。
 神楽坂の店で買い物をしたり、マダムが各寺社で七福神の人形を買い求めたりしていたので時間がかかり、150分つまり2時間半が3時間半になったというのであれば、まあ納得できる計算ではあります。
 この日はあまり天気がよろしくなく、途中小雨に降り込められたこともあって、両親もだいぶ疲れていたようでした。それに新宿区内というのは、思った以上にアップダウンが激しく、しょっちゅう坂の上り下りがありました。こういうことは実際に歩いてみないとなかなかわからないことで、やはり経験済みのルートに同道したほうが良いなと思いました。ただそれはそれとして、歩いてみてはじめてわかる東京都内の地形というのも、なかなか面白いものではあります。
 新宿三丁目の近くの居酒屋のような店で昼食をとり、伊勢丹の入口で両親と別れ、マダムと私は池袋行きのバスに乗りました。地下鉄でもJRでも使えたのですが、マダムはわりとバス好きです。池袋駅に着くと巡回観光バス「いけバス」が停まっていたのでそれにも乗り込み、サンシャインシティから豊島区役所あたりまで一周して駅に戻り、それから赤羽行きのバスに乗り換えて帰宅しました。羽田の事故については、その途上でスマホのニュースを見ていたマダムが見つけたのでした。

 3日は、あらためてマダムの実家に向かいます。実家に先立って、流山おおたかの森駅近くにある霊園で、マダムの母方の祖父母のお墓参りをしました。この霊園、たまたま駅近くになりましたが、つくばエクスプレスが開通するまではかなり不便な場所だったと思われます。接続する東武野田線にも、TXの開通前には駅はありませんでした。ひょんなことからとても便利な場所になったと言えます。
 マダムの両親、それからマダムの叔父さんとも落ち合ってお墓参りを済ませたあと、実家に行って食事をしました。この日も日帰りです。
 そんなこんなで三が日は東奔西走で忙しく過ごし、今日4日に至ってやっと落ち着いたところです。

 去年を振り返ってみると、残念なことに作曲をひとつもしていませんでした。暮れになって1曲、しばらく放置しておいたのを続け出した曲があるのですが、完成には至りませんでした。だいぶ以前に委嘱を受けたもののキャンセルとなっており、書く必要は無いのですけれども、題材としては面白いので、先日再開したのです。
 今年はまずこれを完成させ、ほかの曲も書きたいところです。長年、委嘱を受けるかもしくは初演のあてがあるという状況でないと作曲の仕事をしなくなっていましたが、考えてみれば表現というのはそういうものではない気がします。いくつか構想はあるので、委嘱が無くとも自発的に書いてみようかと思っているところです。
 七福神のうち、私らは弁財天を自分たちの守護神と考えています。何度か書きましたが、弁天さまはもともとインドの女神サラスヴァティだと言われ、芸事を司る神様です。常に琵琶を携えた姿で描かれるので、音楽の女神と考えても良いでしょう。それで守護神扱いとし、お賽銭も弁天さまだけ多めに納めています。弁天さまのご加護により、良い仕事ができればと思う次第です。

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