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横浜彷徨と『星空のレジェンド』第8回公演(2) [日録]

 9月17日(日)の午前中から出かけて、東急相鉄新横浜線に試乗し、そのあと横浜市営地下鉄グリーンラインブルーライン全線を走破し、小田急を経て藤沢から再びJRに乗って、15時23分に平塚に到着しました。翌18日(月・敬老の日)開催の『星空のレジェンド』第8回公演の前日リハーサルに顔を出すために平塚に向かったわけですが、われながら酔狂な遠回りをしたものです。
 平塚に着いて、まず駅前の東横INNにチェックインしました。平塚駅北口の東横INNは2軒あって、国道をはさんで向かい合っています。道の向こうにあるのがI館、手前にあるのがII館で、私はII館のほうを予約していたのですが、チェックインのときに聞くと、朝食はI館のほうに行って召し上がってくださいとのことでした。
 部屋に入れるのは16時からだそうで、20分ほど時間がありました。東横INNの会員だとその前に入れるそうです。入会すればすぐにご案内できますが、ということでしたが、会費1500円を納めなければなりません。東横INNにそんなに泊まる機会があるとも思えないし、20分ほど待てば良いだけなので、ロビーで待つことにしました。そもそもこの日泊まることにしたのは、前日リハーサルが終わってから帰宅し、また翌日の朝わりと早くに出てくるというのが面倒だったからでもありますが、それ以上に、失効間近な×ゃらんのポイントを使用するのが目的でした。ポイントでだいぶ安くなっているのに、会費など納めては本末転倒というものです。

 部屋に大きな荷物を置き、身軽になって出かけました。もっとも身軽と言っても、分厚いスコアを持っているので荷物はけっこう重たいのですが。
 国道をそのまま西へ行けば、演奏会場のひらしんホールに辿り着くのですが、一本内側の道を歩いてみました。途中までは普通に飲食店などが並ぶアーケードみたいな通りなのですが、途中で少し大きな道を渡ると、いかがわしい店ばかりになって、その落差がなかなか楽しい道でした。あとで聞くと、その「少し大きな道」をはさんで、ほとんどの通りがそうなっているのだそうです。街づくりがそういうことになっているようです。
 ホテルから会場まで、10分かそこらで着いたはずですが、もう汗だくです。9月も半ばを過ぎたとは思えないような暑さでした。秋の気配など全然しません。近年の季節はどうなっているのかと思います。
 楽屋口から入って、主だった人々に挨拶をします。指揮者の田部井剛さん、音楽監督の中村拓紀さん、実行委員長のHさんなどなど。舞台監督をやっているのは、ここしばらくナレーターを務めていた高森秀之さんでした。高森さんとは『星空のレジェンド』のスピンオフミュージカルの話を進めていて、劇中歌のいくつかもすでに作曲してあるのですが、コロナ禍でプロジェクトがストップしたきりです。今回も特にその話は出ませんでした。どうなっているのでしょうか。
 この日のリハーサルは、とにかくひととおり通してみて、その後ピックアップで返す、という形で進められました。テノール独唱の濱松孝行さんがこの日は参加できず、中村さんが代役で独唱部分を歌っていました。わりとレアなものを聴けたというので、関係者一同テンションが上がっていました。
 前日リハで留意すべきなのは、舞台に立ったときの歌とオーケストラのバランスなのですが、ホールの構造のせいかどうか、客席の位置によって聴こえかたがまるで違うことが判明しました。中村さんがテノール独唱の代役を務めつつ、あちこち飛び回って検証していたようです。1階の、通常ならS席とかSS席とかに相当するあたりではオーケストラが強く、2階席とか3階席に行くと合唱の歌詞などもよく聴き取れるということになっていたとか。
 ひらしんホールは去年の春ごろに営業開始した会館ですが、オーケストラピットを用いるのは今回がはじめてなのだそうです。悪くないホールなのに、とてももったいないことになっているのでした。当然、ピットに入ったオーケストラの聴こえかたについても、データが集積されていません。かなり手探り状態の音づくりだったと言えそうです。
 また、オーケストラの平塚フィルハーモニー管弦楽団も、「第九」は手がけたことがあるようですが、本格的に独唱や合唱と合わせる、オペラとかオラトリオなどの作品を扱うのははじめてのことだったそうです。今回の公演のためにはずいぶん頑張ってくれたようですが、それでもやはりアマチュアだけに難しいところもあったと思われます。たとえば、音楽が盛り上がってくるとテンションが上がってしまい、ついつい音量を抑える自制力がおろそかになってしまうといった点ですね。プロのオケはそのあたりを「絞る」のが巧みであるわけです。私はしばしば「腹八分目くらいで……」とコメントしました。
 それはそれとして、決して容易とは言えないこの曲を、よくここまで仕上げてくれたという想いを強く感じます。7月末に最初に聴かせてもらったときは、まだ新曲への戸惑いが大きかったようで、全体的にもやもや、ぐちゃりとしたような響きが相次いで、これは大丈夫だろうかと心配になりましたが、次の8月末のときにはだいぶ整理されており、9月3日のホール練習ではじめて合唱と合わせて、ようやく曲の全貌が見えたというところだったかもしれません。
 ただしそれまでは打楽器が含まれていませんでした。平フィルには定席としての打楽器奏者が居ないようで、全員エキストラであったそうです。打楽器奏者がはじめて参加したのが10日の練習のときで、従って私が完全形のオーケストラに接するのはこの前日リハが最初だったのでした。むしろ、それだから前日リハにまでしゃしゃり出たと言ったほうが良いでしょう。そして、田部井マエストロから打楽器に関する相談もありましたので、やはり行った意味が充分あったと言えます。
 なお終演後に、打楽器をレンタルする費用が馬鹿にならなかったので、もう少し打楽器パートをスリムアップしたヴァージョンを作って欲しい、という要望が出されました。私の見たところ、その費用の大部分はティンパニが占めていたように思われます。ティンパニを借りる費用が非常に高いのは、板橋オペラでも認識しています。しかし、ピットの中を見ると、ティンパニが4基も並んでいたので、実のところ驚きました。私としては2基あれば充分なつもりで書いており、確かに4基あったほうが移高などが楽なのは事実でしょうが、ティンパニを2基にすれば費用は半分とは言わないまでも大幅に削れるはずです。
 あと、チューブラベルとか大小のタムタム(銅鑼)とか、少しお高そうな楽器もあったものの、ティンパニに較べればさほどのことは無いと思うのでした。
 ともあれ、打楽器が加わることで、曲の色合いが一挙に鮮烈なものになったと感じました。アマチュアオケにとっては、テンポ感が確定されるという効果もあったのではないかと思います。

 前日リハは20時過ぎに終わり、関係者と少し話してからホールを出ました。関係者というのは中村さんに加え、前回ピアノを弾いてくれた薄木葵さんなども居ました。薄木さんは今回も、公演前半の独唱ステージの伴奏をするのですが、『星空のレジェンド』のステージのあいだは照明キュー出しをしてくれるようです。私も板橋オペラで照明キューの仕事をすることが多いので、なんだか親近感を覚えました。確かに作品の細部まで知り尽くしている人ですから、ぴったりでしょう。それと共に、オーケストラの中にピアノを入れなかったのをちょっと謝りたいようでもありました。いっそ本格的なオラトリオとして、ナレーション部分もレチタティーヴォとしてメロディーにしてしまい、そこの伴奏をピアノかハープシコード(電子ピアノのハープシコードトーンで充分)でやって貰う、なんてことも考えないではありません。
 会館の向かい側に、自宅近くで愛用しているスーパーマーケットOKがあったので、立ち寄って夕食を買い求めて宿に戻りました。私はわりにそういうのが好きで、ホテル泊まりのときに外食をするのはむしろ珍しいほうです。
 宿の部屋で食事を済ませ、風呂に入って寝ましたが、どういうわけだかちょくちょく眼が醒めてしまいました。本番中に作曲者が寝落ちしたりしたらみっともないので、眠らなければと焦ったのが良くなかったのかもしれません。
 何度も中断されはしましたが、合計すればいちおうそれなりの睡眠時間はとれたようです。6時過ぎに起きて荷物の整理などをして、7時ごろに朝食に出ました。向かい側のI館に行かなければならなかったことは上に書きました。ふたつの館の泊まり客が集まって、非常に混雑していました。
 ホテルの朝食ビュッフェにしてはいささか品数が物足りないような朝食を済ませて、II館に戻ると、そちらにもパンとジュース、バナナくらいは置いてあることに気がつきました。簡単な朝食で良い人はそちらでも済ませられるというわけでしょう。ジュースを1杯とバナナを1本貰って部屋に戻ります。

 9時半ごろに再びひらしんホールへ。この日も暑くなりそうです。
 10時くらいから最終リハがあり、このときはざっとひととおり通しただけで終わりました。返しもありません。
 『星空のレジェンド』は、ナレーションなどを加えて全曲通すと70分ほどです。最初の企画段階から、1時間ほどの「音楽物語」、ということで大川五郎先生から伺っていたわけですが、渡された台本を見ると、言語量が非常に多く、2曲めまで書いたところですでに所要時間が15分をはるかに超えてしまったのを見て、私は狼狽し、

 ──このテキストの量では、とても1時間ではおさまりそうにありません。下手すると2時間くらいになりそうですよ。

 と大川先生に泣きついた、というより脅したのでした。その結果、テキストを多少削っても良いという許可をいただいたというか勝ち取ったというか。そんなに闇雲に削りはしませんでしたが、第3曲「私はヴェガ」のリフレインをふたつばかり削除したり、第7曲のアルテオのアリアの歌詞を一聯ぶんまるまる削除したりさせて貰いました。
 それ自体を後悔してはいないのですが、いまとなっては、70分というのは微妙な所要時間だなと思ったりもします。演奏会としては少し短い気もして、だから独唱ステージを設けたりもしているのですが、この作品だけで公演ができる重量感を持たせたほうが良かったかもしれない、などと考えてしまいます。独唱や重唱の曲をもう少し加えるとか、器楽だけの間奏曲のようなものを加えるとか、方法はいくつかあるのですけれども、大川先生が亡くなられてしまったので、これから大きく曲の全体像を変えてしまうのも、何かはばかられます。
 曲の構成や長さは変えていないのですが、今回は従来と大きく変えたところがひとつあります。それについてはあとで触れます。
 最後の通し稽古が終わると11時20分くらい(カーテンコールのリハーサルもしたので)になっており、私はひとまずホールから退出しました。平塚駅でマダムと落ち合い、昼食を食べてから、こんどは聴客としてホールを訪れることにしていたのです。
 マダムは11時58分平塚止まりの電車で着きました。エスカレーターに近い車輛の番号まで伝えておいたのになかなか改札口に現れないので、電車に乗り損ねたのかと心配しましたが、グリーン車に乗っていたとのこと。エスカレーターとは少し離れています。赤羽~平塚というのは、グリーン車に乗るかどうか、私だとちょっと迷う距離です。前回のように、宇都宮まで行ってそこから平塚へ向かうくらいのボリュームがあれば、迷わずグリーン車を使うのですが。
 駅ビルLuscaの食堂街の中の店で昼食にしました。会館は13時半なので、わりにゆっくりできます。ホールが駅から近いというのはありがたいことです。
 ホールに行き、今回はじめて正面玄関から入場しました。何度も足を運びましたが、毎回楽屋口からの入館だったのです。
 長蛇の列ができていたので驚きました。なんでも、ほぼ満席になってしまったのだそうです。数日前にChorus STの友人が、もしかしたら聴きに行けるかもしれないというので問い合わせてみたら、当日券を出すかどうかわからないと言われたそうです。終演時刻も彼には少し遅かったようで断念したと言っていました。
 ひらしんホールは収容人数が1300名ほど、オーケストラピットのために少し客席を潰したとしても1200名ほどは入れるそうで、それが満席となると尋常ではありません。オーケストラからもだいぶ配券があったのでしょうか。プロのオケというのはこういう公演の場合ほとんどチケットを売りはしないのですが、アマオケだとかなり知り合いを呼んだりするような気がします。むしろ呼ぶに価する内容の公演だと思ってくれたのなら嬉しい話です。
 1階中央の招待者席に坐ります。私たちの隣には大川先生の息子さんとお嬢さんが招かれており、お嬢さんは先生の小さな遺影を持ってきて舞台に向けて置いておられました。
 市の公的な立場の人は、教育長しか来なかったようです。これだけ大がかりなイベントなのですから、市長が顔を見せても良さそうなところですが、平塚市長はプログラムに祝辞こそくれたものの、音楽にはまったく興味が無い人らしい、とあとで聞きました。そのため助成金などもまるで出してくれないようで、大川先生も、そして「レジェンド村」村長のE氏も、現実行委員長のH氏も、市当局の無理解には四苦八苦していたとか。
 やや生臭い話は措いておくとして、14時に開演します。「たなばたさま」の予ベルが流れました。

 第1部は『星空のレジェンド』に登場する3人のソリストの独唱ステージです。薄木さんのピアノ伴奏で、3曲ずつ歌います。
 バリトンの宮本史利さん、ソプラノの高橋香緒里さん、テノールの濱松孝行さん共に確かな実力の持ち主で、こういう独唱を聴く機会も、平塚くらいに東京や横浜から離れると、それほど無いかもしれません。なお、宮本さんは横須賀、濱松さんは鎌倉、そして高橋さんは地元・平塚の出身で、それぞれに地元での活動を重点的におこなっているそうです。奇しくも今回のソリストは、湘南組で揃っていたのでした(去年も同じ面子ではありました)。
 休憩をはさみ、『星空のレジェンド』です。
 冒頭に登場する児童合唱が非常に強化されていたのにまず驚きました。広いホールということで、人数も増やしたのかもしれません。オーケストラにまったく負けない声量、言葉のさばきも悪くありません。児童合唱はこのあとも何度も登場しますが、終曲の、かなり盛り上がってきたあたりで児童合唱だけで歌うあるフレーズがあり、前回までの公演ではほとんど聴き取れなかったのですが、今回ははじめてそれが聴こえてきて、私は大いに感動しました。
 フルオーケストラの響きはやはり格別なものがあります。前項で書いたとおり、自作の「完全な」フルオーケストラ曲を客席で聴くという体験は、学校を出てからはじめてと言って良いことです。再演時の『セーラ』も限りなくフルオケに近い編成ではありましたが、それでも一部変則となっています。
 われながらオケ使いに酔いしれるようなところもありましたが、かなり長いこと、とある有名作曲家の作品のオーケストレーションの仕事をしていた成果でしょう。オーケストラの書きかたというのは、職人仕事であって、場数を踏んで一人前になるしか無いスキルです。どれほどの天才であっても、最初から巧みにできるものではありません。管弦楽の魔術師のように思われるマーラーですら、若書きの頃はかなり無謀なことをしています。オーケストレーションの下請けなどというのは、あんまり酬われない仕事ではありますが、他人の責任において場数を踏ませて貰い修行ができたわけで、これは幸せだったと思います。今日のこの感動も、これまでの積み重ねあってのことだとつくづく思わずには居られません。
 第4曲のヴェガとアルテオの二重唱、第6曲の別れの曲、第10曲のドラマティックな「さだめ」の音楽など、思わず何かがこみ上げそうになる箇所もたくさんありました。
 そして終曲。この後半は、祭囃子とサンバが合わさったような調子の良い音楽が蜿蜒と続くのですが、ここで歌われる民謡調のメロディーを、今回全面的にバリトンソロに歌って貰うことにしたのでした。
 これまでは合唱の各パートが代わる代わる歌うことにしていたのですが、どうも言葉が聞きとれないのでした。ピアノ伴奏ですらそういう状態なので、オーケストラを向こうにまわした場合にほとんど太刀打ちできないだろうと判断し、ソリストに託すことにしたわけです。また、バリトンソロの役の「天の使い」というのが、あまりに出番が少ないのが気になっていました。せっかく実力ある歌手を呼んできているのに、出番が少なすぎてもったいない、とずっと思っていたのでした。
 それでバリトンソロが歌うことにしたのでしたが、結果的には大成功でした。合唱は囃し言葉に専念してもらうことになります。女声合唱は途中からバリトンソロとユニゾンで歌うことになりますが、男声合唱のほうはメロディーをまったく歌えなくなって、いくぶん怨嗟の声も出ていたようです。しかし、聴いた感じとしては、ようやく収まるべきところへ収まったという印象を持ちました。大川先生も納得してくださると思います。
 それにしても、このフルオケ版を、大川先生に聴いていただきたかったと心から思いました。先生は最初から、
 「最終的にはオーケストラにしたい」
 とおっしゃっており、それについてはまず幾分かの楽器を加えてアンサンブルヴァージョンにしたり、電子オルガンでやってみたり、というプランを挙げられていたのですが、結局予算が足りなくて果たせず、毎回ピアノと、終曲に使われる和太鼓および鉦だけの演奏となっていたのです。
 第4回公演が終わったあとであったか、本当にオーケストラにしようという話が動き出しました。大川先生としては、もしかしたら死期を感じておられたのかもしれません。ご自身の眼が黒いうちに、なんとか動かしはじめるだけでもしておきたいと思われたのではないでしょうか。
 第5回公演の場で、そのとき完成していた序曲のスコアをお渡ししましたが、それが大川先生にお目にかかった最後となりました。
 それからまたすったもんだの末に、オーケストラ版が完成したわけですが、大川先生の夢がようやく叶ったと言えます。隣席のお嬢さんも涙を流しておられました。
 私ももちろん感無量でした。最後のリフレインのあたりでは本当に泣きそうになっていたと思います。

 ほぼ満席の大盛会の公演でしたが、むしろこのあとが問題とも言えます。
 オーケストラ版の再演の機会は必須でしょう。幸い、田部井マエストロも、平フィルの皆さんも、「また演りたい」という気持ちにはなってくれたようです。最初は戸惑いが大きかったかもしれませんが、練習や合唱との合わせを通じて、作品を愛する気持ちになってくれたらしいのは、作曲者としては嬉しい話です。
 しかし、今回の公演で、コール・レジェンド(合唱団)の手持ちの資金を使い果たしてしまったらしく、来年は1回休みになるらしいと聞きました。
 終演後のレセプションで宮本さんと話していて、そういうときはクラウドファンディングで資金を集めれば良いではないか、という話題が出ました。宮本さんは、打楽器のレンタル料が高いからスリムアップしてくれ、という要望がレセプションの席で何度も出たのにむしろ憤慨したようで、

 ──お金がかかるから楽器を削るなどと考えずに、そういうお金の集めかたを試してみたら良いのに。

 と言うのでした。それでクラウドファンディングを提案したのでしたが、これは打楽器のレンタル料のことに限らず、公演全体に関しても言えそうです。この内容の公演ならすぐに集まるだろう、というのが宮本さんの意見でした。
 それと同時に、公演の様子を撮影・録音した動画をYoutubeなどで大いに流し、この作品がほかでも演奏されるきっかけを作りたいところです。大川先生のもうひとつの夢が、『星空のレジェンド』が全国で歌われる作品になることでした。そのため、先生はテキストに「平塚」の文字を一度も使わず、全国どこででも通用するものとしたのでした。市長や市役所員などにとっては、そこがむしろいまいましかったのかもしれませんが。
 いままでも仙台茂原など、七夕祭りで有名な街に持ってゆけないものかと模索はしていたようです。仙台で合唱をやっている知り合いに譜面を見せたら、難しくて歌えそうにないと言われた、などという話もあります。
 しかし、私はオーケストラ版になった今のほうが、ほかの街で採り上げる可能性ができたのではないかと考えています。大がかりになったためにより困難になった、と普通は考えるかもしれませんが、こういうイベントは、むしろ大がかりなほうが採り上げやすいような気がするのです。
 第9曲と終曲には、当初からダンスが入ることになっています。ダンスの指導をしている小宮伸子さんによると、毎年公演に参加しているために、ダンス教室の子供たちにとって、『星空のレジェンド』公演に出演するのが一種のステータスになっているというのでした。確かに、ダンスも年々洗練されてきていて、今年の終曲のダンスなどは本当に見栄えのするものになっていました。こんな話を聞くと、公演を中断したりするわけにはゆかない、と肝に銘じたくなりますね。
 ほかの街でやるときにはダンスに限ることもありません。いろんな演出が可能でしょう。そうやって、だんだんと私の手も離れてゆくのが、作品にとっての真の幸せと言えるのではないでしょうか。

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