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多忙な飛び石連休 [日録]

 皆様、飛び石連休はどうお過ごしでしたでしょうか。22日(月)に休暇を取って、4日間旅行に出かけたというかたも多いと思います。
 私も、できることならそのくらいしたいところだったのですが、いろんな事情によりそれは無理でした。
 実は21日(日)に、札幌で従妹の結婚式があり、当日は特に予定が無かったので、出席の返事をしていたのでした。当初はマダムも同行するつもりで、この際20日(土)のピアノ教室の仕事も、19日(金)Chorus STの練習も休んで、23日(火)まで少しゆっくり北海道で過ごしてこようかと話していたのです。
 ところが、スケジュールを確認してみると、とんでもないことでした。
 まず土曜日の仕事ですが、この前の週である13日(土)に、どうしても休まざるを得ない事情が発生していました。14日(日)にChorus STの出場する合唱コンクールがあって、その練習を13日に入れることになっていたのです。

 午前中とか、いっそ晩とかにしてくれれば、時間をずらすなどして仕事に行くことができたのですけれども、いろんな事情によりそれはダメになってしまったのでした。昼から夕方にかけての午後時間帯の練習では、仕事は休むしか仕方がありません。何しろコンクールのための前日練習なので、抜けるわけにゆかないのです。
 そんなわけで、13日を休みにしてしまったため、20日のレッスンを続けて休むわけにもゆかなくなりました。ピアノ教室のほうも、2ヶ月ほど先に発表会を控えていて、あまり抜けることはできないのです。
 それで20日は普通にレッスンをおこなうことにせざるを得ませんでした。そうなると、その前夜である19日のChorus STの練習も、特に休む必要はありませんので、普通に参加しました。ちなみに、コンクールのほうはあっさり落選でした(苦笑)。

 それでは20日の晩に出かけることにしようと考えました。札幌で法事がある時など、たいてい日曜の開催なので、私はよく土曜の晩に、レッスンを終えてから出かけます。飛行機は最終便かその前くらいになります。新千歳空港から快速エアポートに乗って札幌に着くとたいてい23時とかになり、大通あたりのビジネスホテルに1泊して翌朝の法事に出席することになります。今回もその方法をとることにしましょう。
 前のほうはそれで決まりましたが、あとのほうはどうだったかと確かめてみると、なんと22日の晩に、本番がひとつ入っていたではありませんか。知り合いのヴァイオリニストから頼まれた伴奏仕事ですが、ただそのヴァイオリニストが私の『ノスタルジア』を弾いてくれるということで、ありがたく引き受けた次第です。
 それにしても、そんな大事なことを忘れていたとは私も大ボケと言わざるを得ません。なおこういう思案をしていたのは8月はじめくらいのことで、この本番のことも、9月下旬頃という記憶はあったものの正確な日付を憶えていなかったわけです。
 22日に本番があるのでは、北海道でゆっくりしてくるなどは無理になりました。この時点で、マダムは行かないことに決めたのでした。
 私も、結婚式が終わったらすぐ帰らなければなりません。もう1泊して月曜の朝に帰ってくるということも考えましたが、それもあわただしそうです。本当にとんぼ返りということになりました。
 あとで母にそういうことを言うと、
 「そんな忙しいなら、行かなくてもいいんじゃないの」
 とあきれられました。しかし出席の返事を出してしまったあとなので、そうもゆかないでしょう。
 「都合が悪くなった、って出席を取り消したら?」
 母は重ねてそう言いましたが、それもなんだか礼を失するようです。
 その時はそう思ったのですけれども、実際に日程が近づいてきて、意外と他のことでも忙しく、できることなら家で仕事をしていたいような状態であることがわかってくると、母の言うとおり取り消しておけば良かったかとも思いました。「親の意見と冷や酒はあとになって利いてくる」とはこのことか、いや違うか。しかし、もう取り消すにも時機を逸してしまったようです。座席表の印刷なども済んでしまったでしょう。

 出席を取り消す、ということを肯んじたわけではないのですが、どこかその可能性も捨てがたいという気分があったのかもしれず、私には珍しく、飛行機や宿の手配をなかなかしませんでした。近くなると飛行機の運賃がだんだん高くなるはずだということはわかっていたのに、ぎりぎりまで行動を起こさなかったのは、墓参り旅行などの宿の手配が重なって、なんだか自分は遊んでばかりいるのではないかと若干の気後れを感じたからかもしれません。
 先週の水曜の晩になって、ようやく手配をはじめました。まず飛行機を押さえます。28日前割引とかだったら、どの航空会社でもけっこう安かったかもしれませんが、何しろ3日前ですから、愛用のエア・ドゥしか無いと思い、あたってみました。残り4席とか1席とかいう状態でしたが、無事予約できました。
 それから20日晩の宿の手配です。いつものようにじゃらんのサイトへ行き、結婚式がおこなわれるホテル近くのビジネスホテルを予約しようと思ったら……

 「ご指定の条件のプランはありません」

 驚いて、料金設定の条件を外してみたら、

 「3件のプランが見つかりました」

 で、見ると、なんとひとつは7万何千円という超豪華ホテルです。他の2件も、4万何千円だったかと、2万何千円だったかと。
 何か間違ったのではないかと思い、再度確認してみましたが、やっぱりその3件しか出てきません。いつも法事の時に泊まっている宿など、せいぜいひとり1泊3000円とか4000円とかのところで、それでけっこう居心地も良いので、こんな事態は予想していませんでした。
 範囲を札幌市全域に拡げてみても、11件しかひっかかりません。その中でいちばん安いのは1万8000円くらいでした。夜遅くに到着して、午前中の式に間に合うようにチェックアウトするだけというのに、こんなに予算をとるわけにはゆきません。
 それにしても、どうしてこんなことになっているのでしょうか。いくら飛び石連休の初日とはいえ、そしていくら3日前に手配しているとはいえ、これほど宿が無いというのはどう考えても奇妙です。普通だったら、条件をつけずに検索すれば、何百件となくひっかかる(ホテル単位ではなくプラン単位での件数なので)はずです。札幌で何か大きなイベントでもあるのでしょうか。
 じゃらんだけでなく、他の宿検索サイトや、ホテルチェーンのサイトや、札幌市の宿泊業組合のサイトなどまで調べてみましたが、本当にひとつも手頃な宿が存在しないのでした。
 えらいことです。最終手段として札幌の親戚の家に泊まるということも考えましたが、到着が遅くなり過ぎなので申し訳ありません。
 こうなれば、日帰りするしか仕方がないようです。20日晩の往路の飛行機をキャンセルし、21日朝の便に切り換えました。ありがたいことに、21日の便にすると「3日前割引」が適用され、少し安くなりました。それにしても、札幌に日帰りとは、まるでエリートビジネスマンみたいな行動です。いままで「前夜発日帰り」は2回だけやったことがありますが、本当の日帰りははじめてのことです。まったくあわただしいことになりました。

 というわけで、私の飛び石連休は、まず20日(土)にはいつもどおりに教室の仕事をすることからはじまりました。予定では、教室から直接羽田へ向かうつもりでしたが、前夜発をしなくなったため、普通に帰宅します。というか、これまたいつもどおり、教室には自転車で出かけました。
 飛行機は8時15分発で、調べてみると川口駅をどんなに遅くとも6時半までには出発しなければならないことがわかりました。そんなにかからないような気がしていたのですが、私は羽田までの所要時間を勘案する時、ついついモノレールにかかる分を忘れるのが常で、浜松町からそのまま乗れるような錯覚をしてしまう癖があるようでした。
 そうすると、5時半には起床したいところです。従って、20日の晩は早寝するつもりだったのですけれども、しばらくサボっていた家計簿をつけはじめたら思いのほか手間取ってしまい、お金が全然合わなくなって往生しました。その他にも何かとやることがあって、結局寝たのは2時半近くなってからでした。5時半に目覚ましをかけておき、これは無事起きられましたけれども、3時間しか眠っていないので頭が重い感じです。
 6時過ぎに家を出ました。そこまで早くなくても間に合うのですが、空港で朝食をとりたいと思ったのでした。
 チェックインまではスムーズに行きましたが、さて朝食をとろうと思うとどこもけっこう高くて、結局地下のパン屋併設のカフェに行ってモーニングセットを食べていたりすると、案外時間が無くなり、保安検査を受けてウイングいちばん奥のエア・ドゥ搭乗口まで行くと、もうとっくに搭乗がはじまっていました。
 機内ではわりとよく寝ていた気がします。しかしわずか1時間半で千歳に着いてしまいますので、大した睡眠時間ではありません。
 札幌までの快速エアポートでも眠ろうとしたのですが、なんとこれがロングシートでした。ロングシートの快速エアポートなどはじめてです。しかもかなり混んでおり、あまり眠る気にもなれませんでした。
 結婚式場は中島公園で、地下鉄で3駅だけです。地下鉄に乗り込むと、ふいに肩を叩かれたので驚きました。前日から来て、叔母の家を宿にしていた私の両親と妹が、叔母と連れ立って、私と同じ車輌に乗っていたのでした。私は式場のホテルに着いてから服を着替えるつもりだったのですが、一行はみんなもう礼服を着ています。それにしてはずいぶん早いように思えました。どうも開始時刻を少し間違えていた模様でした。
 ホテルは中島公園駅の出口の真正面にあったので楽でした。親族控室へ行って、花嫁の両親、すなわち叔父夫婦と話したりしているうちに時間が経ちました。
 私の母方のイトコは10人居ます。私と妹を含めると、母方の祖父母の孫が全部で12人ということになります。今回結婚するのは、その12人の中で最年少で、私とは18くらい年齢差があり、正直言っていままでそれほどつき合いもありません。最年少とは言ってももう30を過ぎているわけです。
 ところが、結婚するのは彼女が12人中7番目です。先に結婚した6人のうち、ひとりはすでに離婚していますので、伴侶が現存するのはちょうど半分ということになります。かなり独身率の高い一族と言えます。9年前に、41歳になる直前に結婚した私がようやく4番目(ちなみに年齢は私が上から2番目)だったのですから、遅々たるものと言わざるを得ません。どういう巡り合わせなんだかわかりませんが、ともあれうちの妹もまだ独身です。
 列席者は、おじ・おばの夫婦はさすがにみんな来ていましたが、イトコ連は意外と少なかったのでおやおやと思いました。私たち兄妹のほかは、やはり東京在住の最年長の従兄と、花嫁といちばん齢が近い従妹(花嫁から見れば従姉)の夫婦だけでした。札幌にはあと4人居るはずなのですが、薄情にもみんな欠席でした。みんな男であったせいもあるかもしれません。

 珍しく神前の式でした。考えてみると、私は神前結婚式に列席したのははじめてであるような気がします。教会式と違って基本的には親族だけですし、思い返してみても神式の記憶がありません。父方の従弟の時に仏前というのがありましたが、それは新婦がお寺の娘だったからでした。あと式には出ていないというのもあり、出席したのは全部教会式であったように思います。もっと子供の頃に、叔父や叔母の結婚式で神前であったことはあるでしょうが、自分の記憶としては残っていません。
 神前にしたのはもっぱら新婦、すなわち従妹の好みであったようで、披露宴の食事も和食になっていました。とにかく和式が好きな人であると、いままで全然知りませんでした。
 神主さんの祝詞(のりと)というのはわりにわかりやすいものだと思いました。厄年のお祓いの時にも、私の住所氏名が祝詞の中に丸ごと詠まれているので笑いそうになりましたが、結婚式でも、新居の住所を事細かに詠み上げていました。また「北海道神宮」「札幌」という言葉が何度も出てきて、「ほかいどう」にも「さぽろ」にも促音が含まれるので目立ちやすく、それだけ聴き取りやすかったと言えます。
 披露宴は会費制でした。北海道の結婚式は会費制が多く、私の両親などもそうだったのですが、一時期下火になって、最近また多くなってきたと聞きます。これも馴れないので少々面食らいました。会費制の場合はお祝い金を包まなくても良いはずだけれども、親族はやっぱりいくらか別に包んだほうが良いのかとか、いくら会費とは言っても形ばかりはのし袋に入れるべきなのかとか、いろいろ見当がつきません。自分たちも会費制にしたはずの両親に訊いても、さっぱり要領を得ないのでした。もう半世紀前のことで、忘れてしまったのでしょう。
 実際には、親族と言ってもイトコくらいなら別に包むことはありませんでしたし、入口で受付の人に徴収されるだけなのでのし袋も要りませんでした。貰った座席表を見ると、隅っこに「領収証」と書いてありました。こういうビジネスライクなところは良いですね。
 披露宴は16時頃に終わり、そのあと親戚一同でお茶など飲み、なんとなく解散になりました。私の復路の飛行機は20時50分発で、少し待ち時間はありましたがおおむね良い感じのタイミングであったと思います。
 やはりこの日(21日)札幌ではイベントがいくつかあったようで、確かSMAPのコンサートがあったとか、もうひとつ何やら大規模な大会のようなものもあったそうです。そのため、帰りの飛行機も満席でした。この飛行機がまた、横6席しかない、東京~札幌便としては珍しく小型の機体で、私はギリギリの手配だったせいで3席並びの真ん中であったこともあり、前夜の睡眠不足と披露宴で少し飲んだアルコールも手伝い、人いきれで気分が悪くなってしまいました。妙に顔ばかり火照って暑く、そのくせ手足の先が冷たくなっているような不快さをこらえていて、あまり眠れもしなかったようです。
 小型の機体であったせいか、ウイングと離れた場所に着陸し、ターミナルビルまではバス移動でした。羽田でバス移動をしたのは子供の時以来久しぶりです。
 移動時間が多いというのは、私にとってはさほど疲れることでもないはずなのですけれども、飛行機というのはやっぱり性に合わないのかもしれません。帰宅するとだいぶくたびれていました。

 しかし翌日も休んでいるわけにはゆかず、朝も普通の時間に起きて、演奏会のための練習をしました。自分の『ノスタルジア』もけっこうな難曲である上、頼まれた歌の伴奏にも比較的ハードなのが2曲ほどあったのでした。本番に先立って2回ばかり合わせをおこないましたが、どうも自分で納得がゆかず、当日の朝まで往生際悪く稽古していた次第です。
 すみだトリフォニーホールに15時入りということで、切り上げて現地に向かわなければなりませんでした。さらに往生際悪く、歌い手が来るまで舞台でひとりで練習していたところ、思いのほか本番用のピアノが弾きやすく、それまでなかなかうまくまとめられなかったところがスムーズに弾けたので驚きました。私はこれまで、自分の弾くピアノの機種などにはあまり頓着しないほうであったのですが、この齢になって、スタインウェイの威力というものをはじめてまざまざと知った気がします。調律師の腕にも依るのでしょうが。
 演奏会は、読売新聞系列でやっているシリーズコンサートのひとつであったようで、入場料も1000円と安く、気楽な気分で愉しめることを目的としたものでした。ヴァイオリニストの上野真理さんと歌い手の島田佳子さんはしょっちゅう出演していたようです。
 今回私が呼ばれたのは、ずいぶん以前に上野さんに『ノスタルジア』の譜面を渡したことがあって、なかなか演奏しないままであったのを、このたび「秋の名曲」というコンセプトでやることになって、『ノスタルジア』の曲想が秋にぴったりだと思ったから、であったそうです。私としては特にそういうつもりは無かったのですが、言われてみれば季節のどれかを選ぶなら秋っぽいようでもあります。
 島田さんは最初自分の伴奏者を連れてくるつもりであったようですが、結局私が受け持つことになりました。上野さんのほうは他にストラヴィンスキーなどブラームスだの本格的な曲を演奏するので、そちらのほうは合わせ馴れているピアニストを連れてくることになっていました。私がやるのは『ノスタルジア』の他は町田治編曲の「赤とんぼ」それにカッチーニヴァヴィロフ)のアヴェ・マリアでした。
 「赤とんぼ」は本来チェロを加えた三重奏用の編曲で、今回はチェロパートをピアノでカバーしなければならず、アヴェ・マリアにしても楽譜どおりに弾く必要はさらさら無いということで、そういう芸はプロパーなピアニストには荷が重い場合があるため、私にお鉢がまわってきたわけです。なおアヴェ・マリアには島田さんも参加します。
 それでピアノを弾くだけならまあ良かったのですが、行きがかりで、いろんなことをすることになりました。MC譜めくりです。
 このコンサートシリーズ、これまでは基本的に出演者によるMCは入れず、陰アナが曲目と演奏者を読み上げるだけだったようですが、直前の合わせの時、どういう話の流れだったか忘れましたが今回はMCを入れてみようということになったのでした。上野さんはすぐにOKしたのですが、歌い手の島田さんは、歌う前にはしゃべりたくないということで、かと言ってヴァイオリン曲の時にだけ解説をおこなうのも変なものだし、上野さんは歌の曲についてはほとんどご存じないということで、歌については私が説明するはめになったわけです。ついでに自分の曲である『ノスタルジア』と、その前に演奏する「赤とんぼ」についてもしゃべることになりました。
 譜めくりのほうは、もうひとりのピアニストである佐々木京子さんから、当日になって急に頼まれたのですが、ともあれこうなると、私はほとんど舞台に出ずっぱりということになってしまいました。自分の出番の前にはあんまり出ていたくないのですが、やむを得ません。代わりに譜めくりが心配だった『ノスタルジア』については佐々木さんにめくって貰ったので、だいぶ安心して弾けました。まあ、何事もお互い様というヤツです。
 なおMCは案外評判が良かったようです。当日配られるパンフレットにも曲目解説欄が無いので、たぶん新聞販売店からの誘いで来ているだけのお客は曲についての情報を得る機会がほとんど無いことになります。演奏者が何か話してくれれば、それは喜ぶことでしょう。しかしこれが前例となって、毎回出演者がMCをすることになると、苦手な人も居るでしょうから迷惑することになるかもしれません。

 軽い気持ちで引き受けた演奏会だったのに、すっかり出ずっぱりとなってしまい、いささか気疲れしました。前日の強行軍の疲労も残っていたのでしょう。今朝(23日)はなんとなく頭が重い感じでした。
 しかしやっぱり休んでもおられず、書くほうの仕事を少し進めました。それから午後は、招待券を貰っていた児童合唱の演奏会を聴きに行きました。その合唱団からはよく招待券を貰うのですが、なかなか都合がつかなくて行く機会が無く、23日はたまたま他の用事が入っていなかったので、マダムともども行ってみることにしたのでした。
 ところが場所が行徳というところで、所要時間の見当がうまくつけられず、わりと短めだった第1部は聴き損ねてしまいました。第2部はミュージカルナンバーのメドレーで、1時間以上かかる大規模なステージでした。楽しく聴きましたが、OGらしき大人がソロで歌うところは、もちろん子供たちよりうまいにはうまいのですけれども、かえって違和感を覚えました。看板どおり児童合唱として歌われる部分のほうが、なぜか安心して聴けた気がします。

 結局、飛び石連休最終日だけはレクリエーションと言って良い行動ではありましたが、その前の日・月の疲れが残って、行徳まで行ってくるだけでもやっぱりくたびれました。忙しく、疲労感の強い連休であったと思います。


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