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続・野田線の急行……のつもりが [日録]

 6年半ほど前に、「野田線の急行」というエントリーを書きました。東武野田線にはじめて定期の急行が走りはじめたので、ダイヤ改正日に試乗しに行ったという記録です。
 そのときは、まだ大宮春日部間だけの急行運転でした。それでその日は、ピアノ教室の仕事が終わってから、東川口南越谷新越谷)→春日部と乗り継いで、大宮まで急行電車に乗ってみたのでした。わずか十数分の試乗でしたが、ずっと閑却され続けてきた野田線に、ついに急行が走り出したかと思うと感無量でした。
 野田線は、東武の路線網の中では、伊勢崎線(114.5キロ)・日光線(94.5キロ)・東上線(75.0キロ)に次ぐ、62.7キロの長さを誇る路線です。他社のたいていの路線よりもずっと長いのでした。
 従って、上記3幹線に次ぐ立場の、いわば準幹線と言うべき存在であったと言えましょう。
 ところが、野田線の近代化は甚だしく遅れました。伊勢崎線の複々線工事が終わり、特急スペーシアが走って日光線がリニューアルし、東武ワールドスクエアと関連づけて鬼怒川線も格上げされた感じになり、そしてとうきょうスカイツリーが建造されて浅草方面も整備され、千篇一律かと思われた東上線にはTJライナーを走らせ、その余波で快速急行や川越特急といった存在感のある優等列車も走り出し……あちこちの路線に手を加えられても、野田線はほとんど放置状態でした。
 62.7キロのほとんどが単線で、走る電車も型落ちの古臭い車輛ばかり、スピードアップもままなりません。大宮、船橋という大都市の中心駅をつないでいるにしては、沿線も農村風景であるところが多く、どうにも田舎っぽいイメージが拭えなかったのです。
 それでも沿線人口は徐々に増え、車輛の増結や増発などはおこなわれるようになりました。しかし、単線では輸送力を上げるにも限界があります。
 ネットダイヤという、単線鉄道の限界を示す言葉があります。これは途中の駅とか信号所とかいった、すれ違い可能な設備で、必ずすれ違うようになっているという状態で、これ以上は1本たりとも増発することができません。ダイヤがあたかも網の目のようになっているところからネットダイヤと呼ばれます。単線時代の最晩期の野田線は、大部分でこのネットダイヤになっていたのでした。ここから輸送力を上げるためには、複線化するか、もしくは大幅なスピードアップをして網の目を細かくするしか方法がありません。
 ほかの線区のグレードアップがある程度落ち着いてきて、東武もようやく重い腰を上げ、野田線の近代化に取り組む気になってきたのでした。
 その第一矢が、野田線専用電車60000系の投入でした。いままで他線区のお古があてがわれるに過ぎなかった野田線に、ついに専用車輛が出現したのです。試運転をしているところを見たことがあり、こんなオシャレな電車が野田線に走るのかとびっくりしたものでした。ステンレス製で、青を基調とした、見るからに軽快そうな車輛です。
 第二矢として、野田線に「アーバンパークライン」という愛称をつけました。伊勢崎線の南側を「スカイツリーライン」と呼び換えたのと同じ時期です。スカイツリーラインはとうきょうスカイツリーに行くための路線ということでうなづけたのですが、アーバンパークラインという名前は、野田線のイメージに合わなさ過ぎて、当初は唖然としてしまったほどでした。
 だいたいアーバンパークとはなんなのでしょうか。「都市公園」と訳せそうで、確かに野田線には大宮公園清水公園というふたつの「公園」を冠する駅がありますが、いずれも「都市公園」という印象ではありません。日比谷公園や代々木公園とはだいぶ趣きが違います。
 都市公園ではなく、都市と公園ということならまあわからないでもありませんが、とにかく「野田線がアーバン?www」と草でも生やしたくなるようなミスマッチさに思えたのでした。
 スカイツリーラインとは違って、アーバンパークラインのほうは、「これからの夢」を託したような愛称名だったと言えるでしょう。東武は断乎としてこの愛称名を使い続け、年月が経つうちにあんまり違和感も無くなってきた気がします。乗り換え案内などでも、公式には「野田線」の名前を聞くことは稀になりました。
 そして複線化工事を急ピッチで進め、真っ先に複線化の完了した大宮~春日部間に、とりあえず急行を走らせることにしたわけでした。これが第三の矢と言えるでしょう。
 途中停車駅である岩槻が4線あれば、追い抜きも可能だったのでしょうが、残念ながら3線しかありません。だからさしあたって緩急接続はなく、急行は先行する各停を追い越せない状態でしたが、それでも野田線初の定期電車としての急行の導入は、あたかも掃き溜めに鶴が舞い下りたかのような鮮やかな印象を醸し出したのでした。
 急行の導入の翌年、こんどは特急が走り出しました。「アーバンパークライナー」です。新型の特急車輛「リバティ」がお目見えし、3輌基本編成で小回りが利く点を活かして、野田線にも乗り入れることになったわけです。もっとも、当初は野田線内は各駅停車になったりして、急行より格下な感じでした。
 やがて、複線化区間がなかなかの急ピッチで拡がり、急行運転もそれにつれて拡大しました。ついに、大宮から船橋まで通しての急行運転が実現したのです。もっとも、春日部~運河間はまだ各駅停車ですが。運河以東の停車駅は、流山おおたかの森・柏・高柳・新鎌ヶ谷だけで、かなり本格的な急行運転と言えます。日中は大宮~船橋間を直通する急行が、30分に1本走るようになりました。夕方以降は柏~船橋間だけの運行となります。また朝の大宮行き、夕方の柏行きには通勤急行も走ります。通勤急行は前の急行と同じく、大宮~春日部間だけの急行運転です。特急も、スカイツリーラインからの乗り入れだけでなく、線内運転が増便されました。ただし停車駅は急行と同一で、柏発着であって船橋には行きません。
 この形になってから、私はまだ野田線に乗っていませんでした。全線を乗り通すと急行でも片道1時間20分ほどかかるとあって、何かのついでにという規模でもなかったのです。
 このところ、またぞろ準急快速について書いていて、急に野田線の急行に乗ってみたくなりました。ここは急行ですので、話題として採り上げたわけではありません。しかし、心のどこかが刺激されたのでしょう。急行に乗って野田線あらためアーバンパークラインを走破してみたい、と思ったのです。まだ急行運転をしていない春日部~運河間の現状も見てみたかったのでした。

 今日の昼から、実行してみることにしました。
 うちからだと、大宮から乗るのが都合がよろしい。日中の急行は大宮発毎時14分・44分となっています。12時44分発に乗ろうと考えました。
 ところが、家の雑用を片付けていると、微妙な時間になってしまいました。川口駅までの徒歩、川口~大宮の京浜東北線、大宮での乗り換え所要時間などを勘案すると、どうも間に合わなさそうです。
 それで、13時14分の便に乗ることにしました。14時半過ぎに船橋に着くはずで、別に船橋に用も無いので、すぐに戻りの急行で帰ってくるとすると、16時くらいには戻れるでしょう。もしかしたら春日部で下りてスカイツリーラインに乗り換え、草加からバスで帰宅するというのも良いかもしれません。
 この、1便遅らせたことを、私はあとで大いに後悔することになります。
 30分遅らせたおかげで、大宮には余裕を持って到着できました。急行の2本前の柏行き各停が、まだ発車していないタイミングです。東武の大宮駅は2線しかありませんので、その各停が発車後に急行が入ってくることになります。
 柏行き各停が出てゆき、入れ替わりに反対側に春日部止まりの各停が入線し、さらにしばらくして船橋行き急行が入ってきました。
 13時04分の春日部止まり各停が発車します。私は急行電車のいちばん前の席に陣取りました。前方の窓もよく見えます。大宮駅は最後部に改札があるせいもあり、最前部はがら空きでした。
 いよいよ出発です。普通のロングシートの通勤車輛に過ぎないのに、なんだかワクワクしました。やはり62.7キロという距離が楽しみだったのでしょう。何しろ京急本線より長い路線なのです。
 春日部までは、2、3度急行に乗ったことがあるので、まだそれほど夢中にはなりません。しかし前面の窓から、配線の様子などがよく見えて興味深いとは思いました。
 春日部直前で停止信号。さっき先行した春日部止まりが、まだ駅に居たようです。春日部の野田線プラットフォームは1面2線しかないので、先行列車がどかないと入線できません。なるほど、ここで追いつくわけか、と得心しました。春日部止まりに乗った人で、もっと先に行きたいときは、すぐに続いてくるこの急行に乗れば良いわけです。
 春日部駅を出ると、じきに単線になりました。やはり急行が各駅に停車するこの区間は、まだ複線化工事が進んでいないということであるようです。あたりを見ると、明らかに複線分のスペースが確保してあるところと、そうでもなさそうなところが混在していました。特に江戸川橋梁などは当分複線化はできなさそうです。
 南桜井から川間側にわずか、梅郷から野田市側にわずかな区間だけ、部分的に複線になっていました。これはどうやら、すれ違い箇所をできるだけ均等にするためであったようで、事実この2箇所の複線区間ではいずれも対向列車とすれ違いました。やはりネットダイヤに近いようです。
 清水公園駅は2面3線という、昔の国鉄の幹線駅によくあったタイプの構造でした。実は岩槻も同様で、野田線には2面3線という駅がわりと絶妙な間隔であったので、それを利用すれば、単線であっても速達列車を走らせられるのではないかと私は考えていました。上下線が同時に追い越しをするというのは無理でも、うまくずらせば可能なのに、なぜ東武はそのことを考えないのだろうかとじれったく思っていたりしたものです。
 しかし、久しぶりに見た清水公園駅は、3番線にロープが張られて閉鎖されていました。その先、何か工事をしているようです。
 そしていま走っているほうの線路も、清水公園を出ると、真新しい高架線に乗っかりました。白い防護柵が眼にしみるようです。野田線に高架線と言うのも、従来のイメージとはだいぶ乖離しています。愛宕、野田市と、高架線上の駅になっていました。野田市駅も清水公園同様2面3線の駅だったのですが、高架駅となって1面2線に変わっていました。そして、かたわらでは明らかに2面4線にするつもりとわかる工事が進められていたのです。
 2面4線ということは、上下線とも追い越しができるという意味です。つまり、野田市駅の改良工事が仕上がれば、単線のままでも急行運転ができるということにほかなりません。春日部~運河間に急行運転がはじまる日も、そう遠くなさそうです。
 運河駅も2面3線で、ここで急行電車は、運河始発の各駅停車に接続します。通過駅に行くための電車です。なかなかよく考えられたダイヤと言えます。
 運河からはすべて複線となり、ふたたび急行運転がはじまります。江戸川台駅を通過し、次の初石駅も通過しようとしたちょうどそのとき……
 電車の床下から、何か大きな金属にでもぶちあたったかのような衝撃が伝わってきました。
 そして、何かをしばらくひきずるかのような耳障りな音。
 急行電車は、駅の先の踏切に差しかかったところで、緊急停車しました。

 時刻は14時をわずかに過ぎたところです。
 何か線路に重い金属片でも落ちていたのだろうか、と私は咄嗟に思いました。
 しかし、間もなく、
 「人身事故がありました」
 というアナウンスがありました。
 どういう状況であったのかよくわかりませんが、私の乗っていた急行電車が、人を轢いてしまったようです。駅のプラットフォームから飛び込んだのか、あるいはうっかり倒れ込んでしまったのか。
 人を轢いた電車が、あんな音を立てるとは思いませんでした。本当に金属的な音だったのです。そしてひきずる音も非常に重い感じでした。絶対に助からなかったろう、とは乗っていてもわかりました。
 いやはや、えらいことになったものです。
 事故のために電車が遅延、なんてことは毎日のように起こっていますし、そのために迷惑をこうむったことも枚挙にいとまがありません。
 しかし、乗っていた列車そのものが事故を起こした、という経験は、これまで一度しかありません。
 あれは真冬の北海道、釧網本線の急行(当時)「しれとこ」に乗っていたときのことです。やはり大きな衝撃を感じ、列車が止まってしまいました。
 踏切で立ち往生した自動車とぶつかってしまったのでした。列車はエンジンをやられたようで、まったく動けなくなってしまったのです。幸いボイラーはまだ生きていたので、吹雪の中取り残された乗客が凍死することはありませんでした。
 1時間半ほどそのまま待たされ、やがて機関車がやってきてディーゼル急行列車を牽引し、次の駅まで動かしました。列車はもちろん運転停止です。代わりのディーゼルカーで先へ進みましたが、急行は2輌編成であったものがその代車は1輌だけだったので、かなり混み合いました。
 えらい騒ぎでしたが、このときは驚くべきことに人死にがありませんでした。
 吹雪の中、踏切で立ち往生したクルマの持ち主は、近くの農家までスコップを借りに走っていたのです。それで衝突したとき、クルマは空だったのでした。それにしたって警報機を鳴らすなり狼煙を上げるなりしろよと言いたくなりますが、何しろ「ど」のつくほどのローカル線ですので、どうせ列車なんかしばらく来ないだろうと多寡をくくっていたのだと思われます。どう考えてもクルマの持ち主が悪く、
 「ありゃ相当賠償をとられるんでないかい」
 と急行の乗客が話していました。
 乗っていた列車が事故った経験はその1回だけで、2回めが今日ということになったわけです。そして、今回は確実に人が死にました。

 駅の隣の踏切は下がりっぱなしになってしまいました。駅の近くですからけっこう人が通ります。しばらく様子を見て、別の道めざして去ってゆく人がほとんどでしたが、中には踏切に進入しようとして、運転士に怒鳴られている人も居ました。
 私の乗っていた急行電車だけではなく、対向の各停電車も踏切で停まってしまっています。踏切信号は両側への矢印を光らせつつ、いつまでもカンカンカンと鳴り続けていました。
 運転士が指令室と通信している声がかすかに聞こえます。どうも運転再開まで1時間以上はかかりそうです。それはそうでしょう。そのうち、運転士は運転室のドアを開けて事故現場に走ってゆきました。そのあとでも、通信の声はときどき聞こえてきました。
 30分ほどそのまま待ったでしょうか。うしろのほうの車輛はまだプラットフォームにかかっていますので、下りたい客は下ろしてよいか、と指令室に訊ねている通信が聞こえました。
 許可が出たようで、希望者はいちばんうしろの車輛で車掌にそう言って下りるように、というアナウンスが車内に流れました。私はいささか尿意を覚えていて、このままではヤバいと思っていたところでしたので、下りることにしました。もっとも、最前車輛に居た私が後尾車輛に辿り着くまでに、乗客全員を下ろすことになったようです。ひとつだけ開いている最後尾の扉からプラットフォームに出ました。
 ブルーシートその他、大量の遮蔽物が展開され、ものものしい雰囲気になっています。鉄道員と警官が入り混じってせかせかと歩き回っていました。容易ならぬ事故だったのだと実感します。
 初石駅は、大宮方面のプラットフォームにしか出入り口が無い駅です。乗客たちは跨線橋を渡って隣のプラットフォームに移動しました。跨線橋の上からブルーシートの中が見えやしないかと思いましたが、さすがにそれはありませんでした。
 トイレに寄ってから改札へ行くと、駅員が自動改札機の前に張ったロープを持って、乗客たちを外に出していました。SUICAをタッチしなくとも良いわけです。
 いろいろ振替乗車も設定されていたようですが、私はただ野田線に乗りに来ただけでどこが目的というわけでもありません。急ぐわけでもないので、そのままぶらぶらと駅前を歩いていたら、サイゼリヤがありました。まだ昼食を食べていなかったので、のんびり待つかと思い、そこに入りました。ランチメニューのハンバーグセットを頼んでから、一瞬、ミンチになったであろう「あれ」を思い出しましたが、特に食べられないということは無かったのでほっとしました。実際に見たわけではないからかもしれません。
 45分ばかりサイゼリヤで過ごし、外へ出てみたら、もう電車が普通に走っているらしかったので、駅へ戻りました。改札も通常のように戻っていましたが、さきほど改札を通ったときにSUICAをタッチしていないので出場記録がついていません。そのまま入ろうとしたらエラーになるでしょう。駅員に、
 「さっきの事故のときにそのまま出ちゃったんだけど、どうすればいいですか」
 と訊ねると、タッチせずにそのまま通って良いと言われました。なるほど、タッチしなくとも扉が閉まらないようになっていました。
 柏方面のプラットフォームに下りると、駅員が拾得用の器具を線路に下ろして、何かつまみ上げていました。それを警察官らしき人物(鑑識か何かなのか、警官の制服ではなかったのでよくわからなかった)が大きな袋に入れ、
 「ああ、これで全部ですね。どうもご苦労様でした」
 と言いました。それで現場検証は解散だったようですが、つまみ上げたものは何やら赤っぽい色をしていて、もしや肉片だったのではないかと思ったら、さすがに背筋がぞっとしました。

 15時45分の各停電車で柏へ。結局、この区間の急行運転は中途半端にしか体験できなかったわけです。
 柏からは、16時12分発の急行に乗りました。暮れゆく夕陽の中、20分ほどで船橋に着きます。途中、新鎌ヶ谷と共に停車駅となっている高柳という駅が、そんな主要駅だったとは知らなかったのですが、むしろここは緩急接続のために2面4線としたからこそ停まることになった感じでした。つくばエクスプレスの流山おおたかの森駅と似たような事情ですね。あんななんにもなかったところ(いまはだいぶ開発が進みましたが)に快速を停めたのは、まさに緩急接続をするためです。
 船橋からは、その急行の戻りである16時43分の急行に乗りました。この時間帯になると、もう大宮に直通する急行は走りません。すべて柏止まりです。柏からも急行はもう無く、各駅停車だけです。もっと遅くなると特急が走りますが、そこまで待つ気にもなれません。すっかり暗くなった空の下を、のろのろと戻りました。初石駅で何か感慨が起こるだろうかと思いましたが、なんということもありませんでした。
 ただ考えるのは、最初に予定したとおり、大宮発12時44分の急行に乗れていれば、あの事故に遭うことも無く、14時過ぎには船橋に着き、明るいうちに帰れたのだろうな、ということでした。
 春日部から全駅に停まって大宮に戻るのもなんだか面倒になり、考えていたようにスカイツリーラインに乗り換えて、草加からバスで帰りました。19時を過ぎてしまいました。
 次は、野田市駅が完成して、急行運転区間がさらに拡がったころに、また乗りに行こうかと思います。

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