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年末年始の奔走 [日録]

 皆様、あけましておめでとうございますm(_ _)m
 例年だいたい元日にご挨拶申し上げるのですが、今年はなんともかんともそれどころではないあわただしさで、遅くなってしまいました。
 年末の12月29日『星空のレジェンド』の作曲を終えたことは前のエントリーに書いたとおりですが、それを終わらせるために、年末にいろいろやるべきことを一切やらないで専念していたのでした。当然ながらしわ寄せが踵を接してやってきます。
 まず作業として厄介なのは、年賀状作りでした。これは手間取ることがわかっていたので、早めにやろうと思っては居たのですが、いろんな用件が押せ押せになってしまっていて、どうしても作る時間を捻出することができなかったのです。
 しかも、いままで私のデザインにほとんど口をはさまなかったマダムが、今回に限っていやに詳細な注文を出してきて、それを活かしたり、逆に諦めさせたりするのに、手間と時間を要しました。
 おまけにずっと使っていたはずのグラフィックソフトがえらく重くて難渋しました。ひとつの動作をしようとすると、5分近く反応が無くなってしまうのです。

 最終的な出力ははがきサイズとはいえ、私の年賀状は背景にその年作った曲の楽譜をあしらったりするもので、それなりの解像度が必要なものですから、3000×4440ドットという、かなり大きなサイズの画像として作成しています。だから確かにメモリの容量などもたくさん使うわけなのですが、それにしても何年も同じようにしていて、いままではそれほどソフトの動作が重いことも無かったはずです。
 これはやはりパソコンを買い換えていない(つまりWindows XPのまま)ために、いろいろとメモリリソースを消費する謎のプログラムが増えてきているということなのかもしれません。特にウイルスバスタークラウドなどは、なんだか毎日何度も何度もアップデートをしているようで、その都度他のソフトの動作が著しく遅くなります。そういうのがグラフィックソフトのメモリ領域とバッティングしてしまっているということはあり得ます。
 ともかくそんな状況で、年賀状のデータをなんとか作成するのに12月30日いっぱいを費やしました。もちろんこの日は、マダムの正月料理のための買い出しにつき合ったりもしています。マダムもなぜか私の仕事の進捗に合わせたかのように、29日まではほとんどなんにもしておらず、30日になって急に準備を始めたのでした。
 すぐに刷りはじめましたが、途中でインクが無くなり、数十枚を残したところで中断しました。
 翌12月31日もかなり長い時間をかけて買い物をおこない、それからマダムの料理を手伝ったり、かろうじてトイレの掃除をしたりしていました。本当は私はガス台とか換気扇、風呂場の掃除などを担当しているのですが、昨年末はすべて省略しました。マダムも料理だけで精一杯で、従って年末の大掃除は見送ったことになります。年が明けてからいずれやろう、とは考えるのですが、たいていそのまま次の年末になってしまったりするので、われながらなんとかならんものかと思います。
 ようやく年賀状の宛名書きをはじめたのは、なんと年を越してからのことでした。できるだけ相手を絞り、あとは先方から届いたら返事を書こうというつもりで書きましたが、それでも70枚以上になり、終わったら3時半くらいになっていました。書いた分はすぐに近くのポストに投函しましたが、これは元旦に届いた年賀状に返事を書いたというケースと、配達されるタイミング的に差があるのかどうだか、よくわかりません。

 元旦(木)は例年のように、初日の出を見に行くつもりだったのですが、マダムも私も目覚ましのアラームをセットせずに寝てしまい、気づくと6時48分でした。私の住んでいるあたりではたいてい元旦の初日の出は6時50分頃であり、しかも新荒川大橋の上まで行かないと地平線が見えません。自転車を猛然と走らせても、橋までは5分以上かかります。寝たのが遅くてまだ眠かったこともあり、今年は初日の出も省略することにしました。初日の出を見た帰りに川口神社に初詣するのも恒例だったのですが、当然こちらもカットとなります。
 再び眠って、眼が醒めると10時半頃でした。郵便受けを見に行くと、もう年賀状が届いています。つい7時間ほど前に投函した中に入っていなかった人に返事を書きましたが、もともと出す人数を絞っていたために、返事を書かなければならない枚数がやたらと多く、この作業に3時間近くを要しました。マダムも途中で起きてきて、同じように返事を書いていました。
 それが終わってから、ようやく食事の用意にかかりましたが、マダムが形だけでも重箱に詰めたいと言うので、それにまた時間を要しました。なんでも、年明けのフランス語の授業で、フランス人の先生に「おせち料理」を説明したい、とのことでした。どうも、自分で好んで作業量を増やしているようでもあります。
 食べ終わるともう16時近くなっていて、それから後片づけや出かける準備をして、私の実家に行きました。実家に行くというのも何かと煩わしくてかなわないのですが、正月くらいは仕方がありません。世田谷なので、1時間もあれば着くのですけれども、着くとすぐ夕食となり、さすがにささやかにしか食べられませんでした。
 ともあれこんな有様でしたので、とても日誌を更新するような時間はとれなかった次第です。

 実家に1泊し、2日(金)の朝に、今度はマダムの実家に向かいます。マダムの母方のお墓に参るというので、墓地でマダムの両親たちと落ち合いました。
 そのあと外で昼食をとったり、近くの寺社で初詣をしたりしてからマダムの実家に行ったところ、留守をしていたミニチュアシュナイザーが、朝に食べたものを嘔吐していたりしてひと騒ぎありました。もうけっこうな老犬で、動くのも退儀そうだし、眼などもだいぶかすんでいるのですが、それにしても様子がおかしく、水も飲もうとしないし、抱き上げると時々ぶるぶると慄えたりしています。私などは滅多に会うこともなかったのですが、それでもマダムの実家を訪ねるといつも飛びついて歓迎してくれていたので、情が移っています。大事なければ良いのですが。

 3日(土)の朝、またけっこう早くマダムの実家を出て、新宿へ向かいました。去年の正月に三嶋大社への日帰りバスツアーに行きましたが、今年も同じ旅行会社の企画で、箱根神社へのバスツアーがあったので参加したのでした。途中、ズワイガニ食べ放題バイキングでの昼食付きというのが魅力でした。
 去年の三嶋大社ほど早出ではなかったのですけれども、それだけに途中の道がだいぶ混んで、真鶴道路にさしかかるとぎっしりと渋滞していました。それで昼食も遅れたし、そのあとで向かった芦ノ湖畔へ向かう道も渋滞し、添乗員はあれこれ工夫して順序を変えたりしていたものの、とうとう立ち寄り場所のひとつである大涌谷を省略することになってしまいました。そこで貰えるはずだった名物の黒玉子はなんとか入手して配ってくれましたが、やはり残念です。
 箱根神社の人出も相当なもので、本殿の前に並んでいるうちに陽が暮れました。
 帰りの道の渋滞が思いのほか短くて、最初に添乗員におどかされていたほど遅くはならずに新宿に帰ってこられたのは幸運でしたけれども、人がいっぱい行くところに出かけるというのは、どうも私の性には会わないという気がします。

 そんなわけで3ヶ日は文字どおり東奔西走して、夜遅くようやく帰宅しました。正月というのは、世間はのんびりするものなのかもしれませんが、自由業である私にしてみると、年間でも屈指のあわただしい日々を送る時期であるようです。
 このあと、4日(日)はこれも恒例の川口七福神めぐりをおこなう予定であり、5日(月)は特に予定は入っていませんが、残る大仕事である『セーラ』の作曲を進めなければなりません。6日(火)ファミリー音楽会のリハーサルがあり、その週末の10日(土)にゲネプロが、11日(日)に本番がありますので、あわただしさは当分続きそうです。


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