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『続・TOKYO物語』の制作 [お仕事]

 しばらく間があいてしまいました。ある程度忙しかったのは事実ですが、日誌も書けないほど立て込んでいたわけでもなく、ついずるずると日が経ってしまったというほうが真相に近いかもしれません。良くない傾向です。
 サボり癖は反省するとして、今月やっていた仕事について書いておこうと思います。
 『TOKYO物語』という本を出したのはもう20年以上前のことになります。本になる前、共立女子大の合唱団から依頼されて構成・編曲をおこなったのはそのさらに数年前で、数えてみるとちょうど四半世紀前ということになります。
 昭和20年代のナツメロのメドレーで、しかも女声二部合唱という編成であったのがお手頃だったのか、この本はやたらと売れました。すでに45刷以上を重ねています。最近は1回に刷るロットが少なくなってきましたが、それでも全部合わせれば2万冊くらいは出ているのではないかと思います。
 昭和39年生まれであった私でも知っているような歌を選んだので、リアルタイムで聴いた世代以外にも受けているとは思いますが、さすがに四半世紀も経つと、歌う側よりも、聴く側にとっての「懐かしさ」が若干低下してきているかもしれません。
 早い話が、当初は『TOKYO物語』をたとえば老人ホームなどで歌うと涙涙で大受けしていたわけなのですが、いまの老人ホームの入居者の年代を考えると、このメドレーに含まれている歌をリアルタイムで聴いた世代よりも、すでに少し下になってきているように思われます。
 昭和20年代の歌謡曲をリアルタイムで聴き、そこに懐かしさを感じる世代といえば、昭和10年代生まれ、あるいは昭和ヒトケタというところでしょう。昭和12年生まれの私の父が今年82歳になりますので、そろそろギリギリというあたりになりそうです。もう10年もすれば、『TOKYO物語』に収録された歌は、もともとナツメロとして知っているという世代が大部分になるでしょう。
 そんなこともあり、

 ──続篇があればいいのに。

 という声が、ちらほらと聞こえてくるようになりました。
 『TOKYO物語』の次の世代、言い換えれば昭和30年代あたりの歌を集めたメドレーがあれば歌いたい/聴きたいという意見が出てきたわけです。
 私の耳にも入りましたが、編曲を自主企画でやるつもりはありません。
 自分の関わっている合唱団の演奏会などのために、こちらの発意で編曲するということはしょっちゅうですが、漠然と「あればいいのにねえ」という声が入っただけでは、あまり動く気にはなれないのです。
 マダムも知り合いの合唱指揮者からそんな要望を聞き、

 ──なら委嘱してよ。

 と思った……と言っていましたが、要はそういうことなのであって、演奏の保証のない編曲を、しかも編曲料無しでやっているような余裕は無いのでした。「あればやるのに」程度の声がいくら聞こえてきても、当方のモチベーションにはなりにくいのです。
 続篇が欲しいなら委嘱したらどうだ、と私も思っていました。しかしそういう奇特な合唱団はなかなか現れず、時が過ぎました。

 それが去年の暮れ近くなって、急に続篇委嘱の話がまとまりました。
 『TOKYO物語』の委嘱は、上に書いたとおり共立女子大の合唱団でしたが、刊行のきっかけになったのは、磯辺女声コーラスという合唱団により再演されたことでした。これが当時カワイ出版の編集長であった山澤重雄さんの眼に止まって、出版されることになったのです。タイミング的に終戦50年(1995年)内の刊行に間に合わず翌年になってしまったのを、山澤氏が大変残念がっておられたということをあとで聞きました。
 その磯辺女声コーラスが、今年の9月に開催する演奏会で、ひとステージ分の選曲がまだ決まっていなかったというのでした。磯辺の指揮者でもある清水雅彦さんが、Chorus STの練習であれこれとだべっていたときに、なんの話からであったか、やはり「『TOKYO物語』の続篇でもあるといいねえ」というような話題が出て、その場の流れで「よし、磯辺で委嘱しよう」と盛り上がってしまったのでした。とはいえ指揮者といえども独断で委嘱のことまで決めることはできないようで、その次の磯辺の練習があったのちに正式な委嘱のメールが届いたのでした。
 Chorus STでの話の流れとしては、確か、まず女声版を磯辺女声コーラス初演という形で発表し、そして来年予定されているChorus STの30周年記念演奏会において混声版を初演しようじゃないか、ということになっていたのだと記憶しています。実現の可能性はかなり高いし、両方の版を出版に持ってゆくことも希望が持てます。
 そんなわけで、私は急遽、『TOKYO物語』の続篇、仮題『続・TOKYO物語』を制作することになりました。締め切りの目安は、磯辺女声コーラスでの練習にかかる期間を考慮した上で、今月いっぱいということになったわけです。

 編曲そのものにはそんなに時間がかかるとも思えませんでしたが、問題は選曲です。どんな歌を収録すれば良いのかを考えるのに、けっこう手間取りました。
 前の『TOKYO物語』(以下、「正篇」と書きます)の選曲については、本の前書きにも書いてありますが、共立女子大の学生から
 「『銀座カンカン娘』を歌いたいって子がいまして。そのあたりでお任せします」
 と、1曲だけ指定された状態でほぼ丸投げされたのでした。私はやむなく手元の歌謡曲集をひもとき、「昭和20年代の」「東京を舞台とした」「女性にかかわる」歌を目次からピックアップしました。これはいずれも「銀座カンカン娘」の属性でもありました。そのくらいの縛りをかけないと、茫漠としてつかみどころが無かったのです。
 厳密には、この3つの条件を満たすのは、収録曲の中では「銀座カンカン娘」の他、「東京の花売り娘」「星の流れに」「君の名は」くらいです。実はこの3曲は、知名度という点ではさほど高くありません。「君の名は」はドラマとしては有名ですが、主題歌をナツメロとして親しんでいるというほどの人はそんなに多くないでしょう。聴けば「ああ、こんなのだった」と思い出すかもしれませんが。
 それで、戦後歌謡の代表と言える「リンゴの唄」「青い山脈」は入れることにしました。「リンゴの唄」はまあ全国どこでも通用しそうです。いまやっている朝ドラ「まんぷく」でも、戦後すぐの場面でしょっちゅうこの歌が流れました。「青い山脈」のほうは東京ではなく地方都市のイメージがありますが、まあ戦後という時代を象徴するような歌ではあります。
 それから東京というキーワードがそのまま用いられた「東京ブギ」。歌っているのが笠置シズ子ということで無理矢理「女性」にも関連づけました。また、確か初演のときはヴァイオリン独奏が加わるという話だったので、この曲で使ったのでした。刊行されている正篇でも、「東京ブギ」の途中でかなり長いピアノソロが入りますが、あそこがヴァイオリン出演のなごりです。
 あと、戦後歌謡といえば美空ひばりを入れなければはじまらないだろうと思い、ひばりナンバーの中から明確に「東京」を想起できる「お祭りマンボ」を採用したのでした。
 「締め」には「ここに幸あり」が良いと考えたのですが、これは昭和31年の歌です。ちょっとコンセプトから外れるため、この曲には「エピローグ」と副題をつけました。
 この正篇のコンセプトをそのまま受け継ぐということをまず考えました。つまり、「昭和30年代の」「東京を舞台とした」「女性にかかわる」歌です。ただ、今回はすぐに混声版を作る予定もあり、「女性」はあまり強調しなくても良いかもしれません。
 正篇のときに使ったのと同じ歌謡曲集をひっぱりだし、今度は昭和30年代の歌をピックアップしてみました。この歌謡曲集、それこそ続篇も何冊か出ているのですが、メドレーに採り上げるほどの歌であればこの第1巻から選んで間違いはなかろうと考えたのです。
 すると、いささか「どうしようか、これ」と思えるラインナップになってしまったのでした。
 というのは、この年代のヒット曲というと、「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」が圧倒的すぎるのです。この2曲を外すことはとてもできそうにありませんが、どちらも特に東京に関わった歌ではありません。しかもどちらも永六輔の作詞で、坂本九が歌いました。作者やアーティストはできれば分散させたい気がするのですが、片方を落とすということはできそうにありません。しかも「女性に関わる」ところで「こんにちは赤ちゃん」も採用したいのですが、これまた永六輔で、しかも「上を向いて歩こう」と同じく中村八大の作曲です。
 まあ、その点はやむを得ません。六八コンビがその時代の巨大ヒットメーカーであったことは争えないのです。ただ、これらの曲は、私は過去に何度もいろんな形で編曲したことがあり、正直「またかよ……orz」と思わないでもないのですが。
 その他の曲が迷います。いちおう、全体のストーリーのようなものはイメージしており、それに沿って選曲したいと思うのですが、案外思ったようにはゆきません。特に、年代順に並べるというのは困難そうです。
 「有楽町で逢いましょう」を入れることは早くから決めていました。これは題材的にも『TOKYO物語』に欠かせないでしょう。ただ同じように採用を考えていた「銀座の恋の物語」昭和42年の歌で、微妙に続篇の年代を外れてしまっていたのは計算違いでした。そうすると「有楽町」も浮いてしまいそうでしたが、調べてみるとこの歌は有楽町そごうが開店するときにキャンペーンソングとして作られたということを知り、闇市などがひしめいていた界隈が生まれ変わるきっかけとなったものとして扱うことにしました。
 これがいわば時代の「光」の部分として、「陰」の部分も採り上げてみたかったので、「ガード下の靴みがき」を入れることにしました。歌としてはかなりマイナーですが、まあ正篇の「星の流れに」枠といったところです。ねむの木学園宮城まり子が歌っていたことに驚きました。
 これで5曲。あと、この時代の東京住人のライフスタイルの変化、総サラリーマン化とか核家族化、団地住まいへの憧れといったものを象徴する歌が欲しかったので、「おーい 中村君」「下町の太陽」を入れました。どちらも当時は大ヒットしたのですが、憶えている人は案外少ないかもしれません。「おーい 中村君」は、私に中村くんという友達ができるたびに、母が歌っていた(最初の部分だけですが)ので、なんとなく印象が残っていたところがあります。
 サラリーマンといえば、この年代のメガヒットである「スーダラ節」もぜひ採用したいところでしたが、残念ながら全体の流れにうまくかみ合わなかったので、却下せざるを得ませんでした。
 あとは「東京」ネタをなんとか拾いたかったので、探してみました。「東京だよおっ母さん」はなんとか使えそうです。歌詞の中に二重橋浅草といった地名が詠み込まれているのもポイントが高いところでした。昭和32年という比較的早い時期の歌であることもあり、この歌を冒頭に持ってくることに決めました。
 もうひとつ、「ウナ・セラ・ディ東京」も採用しました。こちらは昭和39年、続篇の舞台とする年代ではいちばん後期です。
 このほか、ピックアップした中には「東京」を冠した歌として「東京のバスガール」「東京ナイト・クラブ」がありましたが、いずれもどうも全体の流れに乗せることができず採用できませんでした。
 ここまでで9曲選びました。曲数としてはまあこんなところでしょう。正篇も9曲でした。
 少々意外だったのは、この時代、それこそ美空ひばりが全盛期だったと思われるのに、1曲も入っていません。そもそも昭和30年代としてピックアップした中にも、「港町十三番地」「哀愁波止場」の2曲しかなかったのです。ひばりナンバーとしては、昭和20年代のほうがはるかに印象的なものが多かったようです。「港町十三番地」はなぜかマダムが知っていて推していたのですが、これは将来もしかして『YOKOHAMA物語』でも作るとすれば採用できそうですけれども、残念ながら東京のイメージではありません。
 「喜びも悲しみも幾歳月」「高校三年生」あたりも時代色を色濃く映して、没にするのは惜しいのですが、これも流れの中にうまく組み込めませんでした。
 底本には載っていませんでしたが、小林旭「恋の山手線」というコミックソングがあります。山手線の駅名を、あるときは巧みに、またあるときは強引に詠み込んでいて、まさに「TOKYO」という感じなのですが、これもメドレーに入れると浮いてしまいそうです。

 さて、選曲ができたところで、配列と、それから導入を考えなければなりません。採用した9曲を年代順に並べてみるとこうなります。

 ・ガード下の靴みがき(30年)
 ・東京だよおっ母さん(32年)
 ・おーい 中村君(33年)
 ・有楽町で逢いましょう(33年)
 ・上を向いて歩こう(36年)
 ・下町の太陽(37年)
 ・こんにちは赤ちゃん(38年)
 ・見上げてごらん 夜の星を(38年)
 ・ウナ・セラ・ディ東京(39年)

 正篇のほうは、年代順に並べるだけでけっこうストーリーが動いたのでしたが、こちらはそうはゆかなさそうです。上に書いたとおり、「東京だよおっ母さん」を最初にし、時代色のあまり無い「見上げてごらん」を最後に持ってくることにしました。「有楽町」と「ガード下」を30年代前半の明暗を示す組み合わせとして2曲目、3曲目に置き、「上を向いて」はいわば「東京ブギ」枠として4曲目にして前半を締めます。
 ライフスタイルの変化という意味で「中村君」(サラリーマン)と「下町」(団地暮らしを夢見る工場労働者)を対比させ、総括のように「ウナ・セラ」を置きます。「赤ちゃん」はこれもライフスタイルグループに入れて良かったのですけれども、ただ「ウナ・セラ」と「見上げてごらん」を続かせると、テンポ的にいささか退屈と思われたので、「未来へとつなぐ」というような意味を込めてラス前に置きました。
 というわけで、配列は次のようになります。

 ・東京だよおっ母さん
 ・有楽町で逢いましょう
 ・ガード下の靴みがき
 ・上を向いて歩こう
 ・おーい 中村君
 ・下町の太陽
 ・ウナ・セラ・ディ東京
 ・こんにちは赤ちゃん
 ・見上げてごらん 夜の星を

 ところが、「おっ母さん」はいわゆる演歌のカテゴリーに属する歌です、メドレー全体の始まりをこの歌の前奏で演歌調にしてしまうと、ちょっと違うかな、と思えました。それで正篇に倣って、「前奏曲」をつけることにしました。
 この前奏曲ではたと困りました。正篇では、「戦後」という時代を導き出す要素として、東京を焼き尽くした「空襲」のイメージがすぐに湧き、不安を呼び起こすような空襲警報めいたハミングコーラスが、わりにあっさりと書けたのでしたけれども、続篇で、30年代を導き出す前奏曲とはどんなものだろうかと悩んでしまったのです。いっそのこと正篇のエピローグとして置いた「ここに幸あり」を引用しようかとも考えました。実際それで少し書きかけたりもしたのですが、やはりうまくつながってくれません。「三丁目の夕日」に倣って「ゴジラ」ではじめたりするのもちょっとあんまりです。
 昭和30年代というと、経済成長、東京タワー、オリンピック、新幹線……などと連想の糸を伸ばしてみて、要するに人々がはつらつと未来を信じられた時代であったという気がしてきました。そうすると、むしろ元気が良い前奏曲がふさわしいかもしれません。ふと思い立って、ラジオ体操がいつからはじまったのかを調べてみると、作られたのは戦前でしたが、いまの形の「ラジオ体操第一」が制定されたのは昭和26年と判明しました。「第二」は翌年です。してみると定着したのは30年代に入ってからかもしれません。
 それで、ラジオ体操っぽい、従っていささか「野暮ったい元気さ」を持つ曲調の前奏曲ではじめることにしました。正篇とはうって変わった感じですが、これはそのままメドレー全体のコンセプトの差でもあります。
 また、調性は正篇のラストと同じニ長調に設定しましたので、その気があれば正篇と続篇をつなげて演奏することもできます。35分くらいかかる大がかりなステージになりそうですが。

 前奏曲ができてしまうと、あとの編曲作業は楽なものでした。二部合唱に過ぎないのであんまり頭は使いません。ただなるべく下のパートにも主旋律を割り振りたいと思い、そこだけは工夫が必要でした。
 それでも全部で400小節ほどの長いメドレーですので、時間はかかりました。
 あと、ナレーションもつけなければなりません。正篇が売れたのは、ナレーションの存在も大きかったと思われます。本来、女子大生に対して、時代背景を説明するために楽譜に書き込んでおいた、単なる注意書きだったのですが、演奏にかぶせて朗読してみると案外効果的だったので、出版するときにもそのままつけておいたのです。右にも左にもできるだけ偏らないように、ことにあからさまに反戦的な言辞を用いないように気をつけたのも良かったのでしょう。
 そうなると、当然続篇にもナレーションが期待されることになります。配列にあたって、ストーリーの設定はしてあるので、内容的に煮詰まることはありませんでしたが、朗読したときにある程度の感動が得られるようにはしたいので、言葉選びには少し配慮しました。
 制作はほぼ大詰めです。「見上げてごらん」の前半までは終わっており、ナレーションはすでに完結しました。あとは終わりかたをどうするかです。
 さて、この続篇が、正篇と同じように受けるものかどうか。これらの歌は、私が生まれる直前までのヒット曲ですから、私より10~20歳くらい上の人々がリアルタイムで愉しんだことになります。彼らに懐かしさを感じて貰えるでしょうか。
 ちょっと心配なのは、この時代になると、昭和20年代のように「全国民的ヒット」ということが案外無くなってきて、演歌ファン、ポップスファン、ジャズファン、海外曲カバーファンといったように、好みが細分化されてきたのではないかということです。実際のところ、自分自身の好みを考えてみると、圧倒的に「'70年代フォーク」およびキャンディーズあたりがどストライクであり、同じ時代のポップスや演歌はあんまり知らない気がします。この点を考えると、正篇ほどの広範な人気は得られないかもしれないと思えます。
 そしておそらく『TOKYO物語・昭和40年代版』を作ることは無いでしょう。昭和40年代になると私自身が生きて記憶のある時代であり、生まれる前の20年代・30年代と同じような、ある意味突き放した態度での選曲はできそうにありません。自分自身の追憶としての「好み」が反映されてしまうと思われます。「続々篇」は、もっと若い世代の作曲家に任せることにいたします。
 むしろ今後作るとすれば「戦前篇」でしょうか。すでに「TOKYO物語・補遺」と称した「東京ラプソディー」は編曲済みですし、「いっそ小田急で逃げましょか」の「東京行進曲」、「ラーメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ」と意味不明な囃子言葉の入った「東京節」、盆踊りの定番「東京音頭」など、東京ネタだけでも面白い歌がたくさんあります。なお「東京ラプソディー」を「補遺」としたのは、正篇を制作中に、藤山一郎氏の訃報が伝わったからで、追悼の意味で、これは自主的に編曲しました。共立では残念ながら歌われませんでしたが、他の合唱団で歌われたことはあります。
 また上にちょっと書きましたが、『YOKOHAMA物語』など他の都市をテーマにしたものも面白そうですね。まあ、メドレーが成立するほどの数の歌がある都市は限られているでしょうが。

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