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弦楽四重奏を考える [日録]

 板橋区演奏家協会の通年行事というと、年初のファミリー演奏会と、年3回(うち1回はオペラ公演)のライブリーコンサートがメインですが、その他にロビーコンサートというのがあります。これは以前は、年2、3回ほど、板橋区役所のフリースペースでやっていたのですが、いまはそちらは滅多に頼まれなくなり、レギュラーなものとしては3月に東京都健康長寿医療センターで演奏するものだけになっています。
 東京都健康長寿医療センターというのは、板橋の文化会館のすぐ近くにあります。昔は養育院と呼んでいた施設で、いまでも古くからの住民にはその名前のほうが知られていたりします。本来は高齢者だけでなく、一般の病人、孤児、ホームレスなどの救済のために設置されました。最初は本郷にあり、それから私の母校である東京藝術大学が建つ前の上野の山に移り、さらに神田本所大塚と転々とし、関東大震災のあとに現在の板橋に移って定着しました。
 その後、孤児院機能とホームレス収容機能は分離され、主に高齢病者を扱う施設となりました。老人医療センターという名称だったこともあります。私自身はこの名称のイメージが強く、10年前に現在の健康長寿医療センターと改称されても、なかなか憶えられなかったものです。
 ここのロビーコンサートには私も出演したことがありますが、古い病院特有の雑然とした雰囲気の施設だったと記憶しています。しかしその後、最新設備を備えたピカピカの施設に建て替えられました。
 今日、そのロビーコンサートがあり、たまたま聴きに行くことになって、医療センターの変貌ぶりに眼を見張ったのでした。

 今日聴きに行ったのは、珍しくこのロビーコンサートのための編曲の仕事をして、事前のリハーサルをチェックしておきたいと思ったからでした。朝から出かけてリハーサルにつき合い、その流れで午後の本番も聴きに行ったというわけです。
 よくある形の、歌とピアノと楽器1本くらいなアレンジであれば、別に聴きにもゆかなかったかもしれませんが、今回は弦楽四重奏という編成でした。弦楽四重奏は演奏家協会では滅多に組まれないユニットです。そのため私もあまりアレンジに馴れていません。リハーサルで何か問題があったら対処しようと思ったのでした。
 編曲したのは、春の唱歌を集めたメドレーで、「故郷」「春の小川」「朧月夜」「鯉のぼり」「茶摘」の5曲を指定されました。合唱用の春の歌メドレー『春の情景』とか、『唱歌十二ヶ月』あたりで扱った曲が多く、それらには含まれなかった「故郷」も、別口で何度も編曲しています。ただ、弦楽四重奏用というのははじめてでした。
 弦楽四重奏といえば、大学の入試課題の定番みたいなもので、受験前にはイヤになるほど書かされました。私は最終的にはピアノ五重奏で受験しましたが、仲間うちには弦楽四重奏を書いたという人もたくさん居ました。それだから、いちおう書法みたいなものは馴れているはずなのですが、在学中弦楽器奏者とあんまりつきあいが無かったせいか、どうにもイメージの湧きづらい編成になってしまっています。
 もう少し自己分析してみると、どうも私は、「弦楽四重奏」と「弦楽合奏」の響きがあまり明確に区別できていないような気がします。四重奏のために書いているはずが、なんとなく弦楽合奏っぽくなってしまっているということが少なくありません。
 四重奏と合奏の違いは、四重唱と合唱の差に似ていて、同じ楽器(声)を使っていながら、音の拡がりとか深みとか純度とかがいろいろ異なります。モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が好い例になると思いますが、この曲は本来「セレナード」という曲種です。
 セレナードは現在では、「ギターで軽い伴奏をつけながら歌う恋の歌」という性格が強くなり、例えばピアノ曲であっても、ギター風のパッセージを主とした曲想になっています。
 しかし、18世紀くらいまでのセレナードにはもうひとつ意味合いがあり、貴族や王様などの晩餐のときにお抱えの楽団により奏でられる、一種のBGMを指しました。ハイドンもモーツァルトもこの曲種をたくさん書いています。ベートーヴェンも前期にはけっこう書きました。ハイドンの前期のものなどは、同時代の交響曲とあんまり違いが感じられないものだったりします。
 編成は雑多で、ベートーヴェンは管楽器・弦楽器を取り混ぜたアンサンブルを用いることが多かったようですが、ハイドンやモーツァルトのものは弦楽合奏が多いようです。「アイネ・クライネ」もそのひとつだったわけです。
 この意味でのセレナードの衣鉢を継いだのはチャイコフスキー「弦楽セレナード」というのがありますが、これも弦楽合奏用です。20世紀には受け継がれなかったようです。
 さて、その「アイネ・クライネ」ですが、弦楽四重奏でもよく演奏されます。現に、今日のロビーコンサートでも第一楽章が演奏されました。
 譜づらはまったく変わりないので、弦楽四重奏で演奏する上での困難さといったものは無いわけなのですが、やはり聴いた感じ、重厚さなどは感じられません。弦楽合奏には含まれているコントラバスが使われないので、それも当然なのでした。古典派あたりまでの弦楽合奏では、コントラバスはチェロと同じパート譜を見る習慣でした。まったく同じ音符を、チェロの1オクターブ下で忠実になぞるというのが当時のコントラバスの役割だったのです。一見つまらぬ役割に思えますが、音楽に重みと深みを与えるためには、やはり不可欠でした。
 逆に言うと、弦楽合奏が持っている重厚さを、弦楽四重奏を書くときに期待してはいけないということになります。

 「交響曲の父」であったハイドンは、また「弦楽四重奏曲の父」とも呼ばれます。彼の弦楽四重奏曲は68曲に及び、交響曲には及ばないものの、ピアノソナタなどをはるかに上回る数が残っています。その中で、ロシアン・セットと呼ばれている作品33の6曲がいわば劃期で、ここで弦楽四重奏曲は「弦楽四重奏のためのソナタ構造の曲」という定型を確立します。
 そのロシアン・セットを耳にしたモーツァルトは、さっそく自分も同じ趣向で6曲の弦楽四重奏曲を書き、ハイドンに送りつけました。そのためこの6曲はハイドン・セットと呼ばれています。モーツァルトのことですから「おれのほうがうまく書けるぞ」という示威の気持ちがあったに違いありませんが、温厚なハイドンは、この後輩の才能を心から称賛しました。さすがのモーツァルトも位負けした感じで、そののちモーツァルトが死ぬまで交流が続いたそうです。
 ベートーヴェンも弦楽四重奏曲をたくさん書きました。彼の弦楽四重奏曲で重要な転機となったのは、作品59の3曲(第7番~第9番)で、献呈した相手の名前をとってラズモフスキー四重奏曲と呼ばれています。このセットに至って、弦楽四重奏曲は卓越した演奏能力を持つ専門の奏者によって演奏されるものとなり、いわば交響曲などに比肩する内容を持つようになったのでした。
 ベートーヴェンの場合、後期に弦楽四重奏曲が集中しているのも特徴です。第12番~第16番の5曲は、いずれも最後のピアノソナタよりもあとに書かれており、最晩年作品というべき作品130番台にはこのうち4曲も含まれています。ときどき「第17番」とされることのある「大フーガ」もこの時期に書かれています。
 そして私の見たところ、ピアノソナタにおいて最後の3曲ほどで到達した、融通無碍とも言うべき境地に、この弦楽四重奏という曲種でだけは達し得ていると思います。残念ながら交響曲や協奏曲ではそこまでは突き抜けられませんでした。
 シューベルトも弦楽四重奏曲をたくさん書いた作曲家です(15曲)。身近に四重奏団を組んでいる演奏家が居たのかもしれません。
 10曲以上というのはその後はあんまり居ないようです。ドヴォルジャークの14曲、ヴィラロボスの17曲、ショスタコーヴィチの15曲などが目立つところでしょうか。アロイス・ハバというあまり知名度の高くない作曲家が16曲書いていますが、ハバはいわゆる微分音(半音よりも狭い音程)を導入した人で、原理的に微分音を出しやすい弦楽器を好んだというところでしょう。
 その一方、フランクフォーレドビュッシーラヴェルなどのように、1曲だけしか書いていないけれどもそれがやたらと名曲、というケースもあります。私は学生時代、楽曲分析のレポートのテーマにドビュッシーの弦楽四重奏曲を選び、この曲が本来「第1番」と名付けられていたこと、「牧神の午後への前奏曲」のほんの少し前に書かれていることに着目して、ある意味でドビュッシーの転機となった作品なのではないかと推察したことがあります。ちなみにドビュッシーは不用意に「第1番」とつけてしまって第2番以降を書かなかったということがよくある人で、ラプソディなどもその例です。
 受験期に私が参考にしていたのはフランクとかラヴェルの作品でしたが、こう考えてくると、1曲しか作らなかった人の曲を参考にしてもあまり益はなかったかもしれない、などと思えてきます。もっと書き慣れた人の作品を参考にすべきだったのではあるまいか……もっとも、ラズモフスキーみたいな書きかたをするとあんまり高得点が取れそうもなく、点数が取れそうなのはやはりラヴェルみたいな書きかただったような気もします。受験というのは、いろいろ特有の傾向があるものですから、仕方がありません。

 ともあれ、私は身近に弦楽器奏者が少なかったため、弦楽四重奏の作品を書く機会にはなかなか恵まれませんでした。いままで「作品」として弦楽四重奏のものを書いたのは、「『念仏』変奏曲」と1曲だけの弦楽四重奏曲です。
 『念仏』は、お寺の息子である友人から、仏教関係の歌をいろいろ編曲して貰いたいと頼まれたのがきっかけでした。いくつかの曲は無伴奏四重唱、またいくつかの曲はピアノ伴奏付き四重唱、それに弦楽四重奏付き四重唱であったり、あるいは弦楽四重奏だけであったりと、雑多な組み合わせて編曲しましたが、その中にD.Huntという人が採譜したという「念仏」があったのです。「なむあみだぶつ、なむあみだ」と繰り返すだけの歌なのですが、外国人が採譜しただけに、微妙に西洋音楽風になっていました。それを無伴奏四重唱と弦楽四重奏で演奏できるようにしれくれと頼まれたのです。四重唱のほうはすぐできましたが、弦楽四重奏のほうは、四重唱をそのまま弦楽器に移しただけではどうも物足りなく思いました。それで、「変奏曲とフーガ」という形にまとめてみたのでした。
 従って本来、編曲のつもりで作ったものだったのですが、よく考えてみるとこれはブラームス「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」と似たようなコンセプトです。そしてヘンデル変奏曲はブラームスのれっきとした作品と見なされています。それならばということで、「『念仏』変奏曲」も私の作品として認めることにしたのでした。なお、依頼者に渡したあと、これがフルな形で演奏されたかどうかは知りません。
 弦楽四重奏曲のほうは、作曲の同人グループ「アルシス」の作品展のために書き下ろしました。初演時には「餐(さん)というサブタイトルをつけていたのですが、その後削除しました。実はハイドンの時代のような、晩餐のBGMになるみたいな曲を作ろうと考えたのでしたけれども、作ってみるともっと重々しい、むしろ宗教的儀式のような雰囲気のある曲になってしまったのです。部分的に微分音も使っています。
 弦楽四重奏曲は、機会があれば第2番も書きたいと思っていますが、いまのところ委嘱される気配はありません。
 演奏家協会でも弦楽四重奏という形が演奏会に用いられることがほとんど無かったため、私は相変わらず弦楽器の書法にはやや疎いのでした。オーケストレーションはずいぶん年季を積んだので、弦楽合奏のほうはかなり熟達したと思うのですが、弦楽四重奏は私にとっては少し遠い存在であり続けました。
 今回、弦楽四重奏用の編曲を頼まれたのは、かなりレアなケースであったと言えます。協会員の日程がなかなか合わず、結局協会員ふたり(ヴァイオリンの村原実穂子さんとチェロの広瀬直人さん)に、村原さんのお仲間のヴァイオリン奏者とヴィオラ奏者を賛助として呼び、演奏家協会としては珍しい弦楽四重奏で持ってゆくことになったのでした。で、長寿医療センターという場にかんがみ、昔懐かしい歌をいくつかメドレーにして演奏するプログラムを加えたわけです。
 単純に、第一ヴァイオリンに旋律を弾かせて、あとの3パートは伴奏という形であっても差し支えなかったかもしれませんが、私の指向として各パートに少しずつでも主役になる場面を与えたい気持ちがあります。合唱でもいつもそれをやるので、難しいとかなんとか言われてしまうわけですが、なるべく主旋律をあちこちに割り振りたいと思うのでした。
 そういうことがあって、編曲作業には若干手間取りました。
 いちおうfinaleのプレイバックで音は聴いてみましたが、実際の楽器を使った場合どうなるか、いささかドキドキしながらリハーサルに臨みました。
 結果としては、まあなかなかの出来であったとは思いました。ただわかったのは、第二ヴァイオリンに主旋律を持たせると、わりと地味な音になってしまうということでした。第二ヴァイオリン奏者というのは、本能的に控えめに弾いてしまうものらしく、混声合唱のアルトパートなどに通じるものがあります。私は混声合唱でもよくアルトに主旋律を持たせたりしますが、アルトメンバーは喜び勇むと思いきや、案外と地味になってしまい、ソプラノから何人かそこを一緒に歌わせるといった対策を講じなければならなくなったりします。
 これは役割としてそうなのであって、たぶん同じ人が第一ヴァイオリンにまわればまた違う音を出すのだろうと思います(ちなみに「もっと出してください」と注文したらちゃんと出してくれました)。第二ヴァイオリンを主役にしたい場合は、それなりの環境を整えなければならないとわかったのは収穫でした。
 10分足らずの小メドレーではありましたが、メドレーであるだけに、また収録曲がいずれも短くて、ほとんどの曲を2コーラス分アレンジしただけに、いろんな作り方を試せたと思います。こりゃ失敗だったか、と思えるような箇所は無くて、ひと安心です。
 長寿医療センターでの本番のときは、居並ぶお年寄りたちが、弦の音に合わせて低吟で歌っていました。主旋律はいろんなパートに飛んでいますが、戸惑った様子もありません。やはり元歌を知っているというのは強いですね。
 演奏家協会も、最近は弦楽器が少しずつ増えてきて、賛助を入れずに協会内で弦楽四重奏を組むことも不可能ではなくなりました。今後は弦楽四重奏アレンジも多くなるかもしれません。いちおうその使用に耐えるアレンジができそうだとわかったので、少し気が楽になりました。いずれ作品としても、また書いてみたいと思います。

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